#3332/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 7/31 15: 7 (167)
十三と黄金 2 陸野空也
★内容
竜崎は蝶野に肩を貸してやっていた。
「すんません」
「それはもういいからよ、近くに家がないか、よく見とけよ」
足下を注意している竜崎に、人家に注意を配る余裕はなさそうだった。
鬱蒼と茂る木々の葉が太陽光を遮るばかりか、近くに水の湧き出し口でもあ
るのか、地面に転がる石はどれも苔むしている。不覚にもその一つに足を取ら
れた蝶野は派手に斜面を転落した挙げ句に左の足首を挫いてしまい、歩行困難
に陥ったのだ。
道を見失ってしまった彼らは、谷底のような場所をさまよっている。
「あ」
蝶野が叫んだ。
「何か見つけたか?」
足を止めると、竜崎は心持ち顔を上げた。
「い、いえ。川が見えます。あっちに」
すり傷でぼろぼろの右手を上げ、一方向を示す蝶野。
さして大きくないが、水量豊かな川が流れていた。
「川か。昔なら、川沿いに行けば家の一つや二つ、あると確信できるんだが…
…こんな山ん中じゃ、さて」
「行きましょうや。どうしても家がなけりゃ、川を下れば山を出られるもんで
しょう?」
「なるほどな」
竜崎はうなずくと、再び腕に力を入れた。
探険部の全員で河原に出た。
遊びと、夕飯の足しになればとのかすかな期待も込めて、釣り糸を垂らす。
「橋の上からは見えても、釣れないもんだわね」
「すぐそこにいたって、釣れないものは釣れないさ」
鰐淵が達観したみたいに千馬をさとす。手頃な平らな岩に腰を下ろして、の
んびりとしている。
もう一人の男、鱶島の方は釣りを始めてからずっと立ったまま。微動だにし
ないと言っては大げさになってしまうが、あれだけ立ちっぱなしで疲れないの
かと思えてくる。
「ちょっとは休めば」
「ん」
こちらを振り返りもせず、わずかにうなずくだけの鱶島。釣り好きだとは知
らなかった。私は魚が好きだから、釣ってくれるとありがたいんだけれども。
後方で石を蹴飛ばす音がした。案の定、釣り竿を放り出した遊亀が退屈そう
にしている。
「りえ、どうしたの?」
「飽きちゃってさあ。こんなに長い間、じっとしてられないわ。−−そうだ、
たまお。ミィクを貸してよ」
「だめよ。遊び相手にするつもりでしょ」
「いいじゃない。いじめる訳じゃないんだから。ほんと、暇で暇で、死にそう」
「何と言われたって、お断りするわ。いつかみたいに髭を蝶々結びされたら、
ミィクだって嫌がるわ。ねえ」
「……その猫、ほんとに鳴かないわねえ。しつけすぎと違う?」
「鳴いたら鳴いたで、みんな、嫌がるくせに」
付き合いきれなくなり、私は場所を移動した。
石ころの多い河原を、下流方向に進む。
そのとき、突然、前方の茂みが揺らめき、音を立てた。
「お」
人だ。男の人が二人、笹をかき分けて現れたのだ。髭の男の方は怪我を負っ
てるらしく、もう一人のサングラスの男に肩を借りている。
私はびっくりしてしまい、声が出ないでいた。
「やっと助かりそうだぜ」
多少粗野な言葉遣いで、サングラスをかけた方が言った。
だいぶ楽になったと、蝶野は感じていた。
「いや、助かりました」
いつになく丁寧な口調で、手当てをしてくれた娘に礼を述べる。
「えっと、千馬さん、でしたか」
「あ、まだもう少し、動かないでください。どうしてこんな格好で、山に入っ
たんですか?」
「それは……」
蝶野は傍らに立つ竜崎を見上げた。
サングラスを外していた竜崎は目でうなずくと、自分から話し始めた。
「私達は物見高い方でしてね。緋野山見物ですよ。ごく軽い気持ちで行ったの
が、間違いの元だったようで」
「あなた達も緋野山が目当て?」
台所の方でごとごとやっていた娘−−遊亀が大声で反応した。
「と言うことは、君達も」
「そうなんですよ。名目上は、クラブ活動の一環としての夏合宿ですが」
鱶島とか名乗った長髪の男が答える。彼に対して蝶野が持った印象は、あま
りよくなかった。向こうもそうかもしれないが。
「最近の学生は金持ちとは聞いていたが、これはまた」
横になったまま、別荘内を見回す。蝶野は皮肉を込めてこぼした。
「奴が特別なだけでして」
鱶島を指さしながら、もう一人の男が揶揄した。名前は鰐淵だったか。
「他の四人は貧乏学生ですよ」
「なるほどね」
竜崎は笑っていた。
「ところで、ここは緋野山かね? 君達の話を聞く限り、違うようだが」
「緋野山の隣、朱寿山というところですが。ほとんどつながっているようなも
のですが、川を隔てて区別されてるんです」
「ふん……。緋野山へ戻るには遠いのかな」
「歩くとなると、かなり……。僕達は車で来たんです」
「そうか」
竜崎は蝶野を見下ろしてきた。
蝶野としては、怪我を負っていることだし、兄貴分の彼に従うしかない。
「すまないが、送ってもらえないだろうか? 面倒なら、朱寿山を下りるだけ
でもいい。彼がこの調子なものでね」
「……」
どうする?という風な視線が、学生達の間を飛び交う。
ごねるようなら、少し脅してやればいい。蝶野はそう考えていた。
「自分達も行くつもりなんだから、緋野山まで一緒に行っていいんじゃないの」
黒猫を抱いた娘が小さな声で言った。名字が猫田と言うから、強面の蝶野に
しても笑えてしまう。
「でも、予定では明日だからなあ。いくら何でも泊める訳にはいかないだろ?」
鱶島の囁き声。
竜崎にもその声は届いたらしく、彼はゆっくりと振り返った。そして窓の外
を腕で示しながら、
「あのワゴンの屋根を貸してもらえんもんですかね?」
と、態度は控え目だが、押しの強い口調を駆使する。
「私達なら車の中でも眠れます。厚かましいとは承知しています。ですが、明
日、君達が緋野山に行くのであれば、ぜひとも」
学生の間を、戸惑いの空気が再び漂う。
「嫌らしくなるかもしれませんが」
竜崎は懐に手を突っ込むと、分厚く膨らんだ財布を取り出した。その中から
万札を十何枚、無造作に摘み取ると端を揃え、テーブルの隅に静かに置いた。
「よろしかったら、取っておいてください。もちろん、泊めていただかなくて
も、差し上げます」
「そ、それはちょっと」
意外にも、鱶島が慌てたような反応を見せた。家は金持ちでも、彼自身が自
由にできる金は、バイトでもしなければ微々たるものなのだろう。
「いいじゃなーい。車でいいってのなら、そうしてもらいましょ。ね、ね?」
遊亀の方は、実にあっけらかんとしていた。鱶島の腕にすがりついて、決心
させようとしている。
「と、と、とにかく、全員の意見を聞かないと」
「悪い話じゃないんじゃない?」
千馬の返事はあっさりしていた。
「竜崎さん達が車でかまわないという条件なら、私は賛成よ。−−ごめんなさ
いね。疑う訳じゃないんですけど」
千馬は蝶野達に頭を下げてきた。
疑ってるからこそ、そんなことを言うんだろうが。蝶野は腹の中で毒づいた。
だが、表情は笑って、
「いえいえ。それが当然で」
と応じておく。うまく行きそうなのを自らぶち壊すこともない。
「猫田さんは?」
「みんなが言うんなら、別にいいよ。でも、ご飯とかは?」
「これだけ『材料費』をもらったんだから、こっちが出すのが筋だろうな」
テーブル上の札を指さしながら、鰐淵が調子よく言った。この男は端から賛
成らしい。
「結論が出たようだね」
竜崎は口元に笑みを浮かべた。
おかしなことになってきたわ。あんな二人、泊めるなんて。
「たまお、ボウル、もう一個なーい?」
「こっちにはないみたい。鱶島君に聞けば?」
「あ、そうか」
遊亀りえは、どこか抜けている。
あれ? 竜崎が……。
「手伝いましょうか」
「そんな」
「味付けは無理ですが、野菜を切るぐらいならできますよ」
そう言うと、竜崎は勝手に包丁を手に取り、手近のピーマン一個をまな板の
上に置いた。
「これを輪切りに?」
「は、はあ……」
たたたたたた−−小気味よい音が響く。瞬く間に、ピーマンは輪切りにされ
ていた。
「これでどうです?」
「……お上手なんですね」
「独り者なので、この程度は自分でできないと困るもので」
よく分からない人だ。昼間、初めて会った際にみんなと挨拶を交わしたのだ
が、職業を尋ねても曖昧にしか答えなかった。蝶野の方も同様。
「さすがに猫は手放しているんですね」
「え? あ、ミィクは食堂の床に寝転がってます。猫、お嫌いですか?」
「好きでも嫌いでもない。私の相棒−−蝶野の方は、動物自体、あまり好きじ
ゃないみたいなんだがねえ。こうしてお世話になるのだから、我慢しているの
かもしれない」
蝶野はまだ横になっていた。時折、ひょこひょこと足を引きずりながら歩く
が、動きはのろい。
そうこうする内に、夕食ができあがった。
五人プラス一匹プラス二人分が、テーブルと床に並べられた。
−−続く