#3293/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 6/ 1 22:14 (183)
バトン・タッチ 10 名古山珠代
★内容
4
キャンパス内で、優は、四回生の知り合いと顔を合わせた。黙って会釈し、
すれ違うだけで済ませようとしたが、呼び止められた。
「縁川君、ちょっと」
すでに行き過ぎていた優が振り返ると、柴原理世子−−文芸部の前の部長−
−が立ち止まり、小さく手招きしている姿が目に入った。白い肌を、淡いチェ
ックのコートで包んでいる。
「何でしょうか」
「もう大丈夫? 一時は、私達より学校に来る日数が少なかったみたいだけど」
柴原の小さな口から、息が白くなって広がる。十一月の寒い日だった。
「はい、何とか。ああ、すみません、ご心配をおかけして。僕みたいなのに」
「何を言うのよ」
柴原は長い髪を揺らし、教育棟の壁に掛かる大時計の方を見やった。
「時間、ある? ここじゃ寒くて、まともに話しできないから、学食か喫茶で」
「はあ、まあ、暇ですけど」
「よし」
学内喫茶に向かう。学生食堂より小規模だが、店内はこぎれいで、メニュー
の方は気の利いた物が揃っている。
「お腹、空いていない? トーストサンドか何か、頼む?」
「食生活が不規則で、そういう感覚はあんまり……。入れようと思えば、入り
ますよ。おごりでしたら」
「それなら」
くすっと笑って、注文をする柴原。
しばらくして、できたメニューをセルフサービスで運び、席に着く。
「とりあえず、食べて」
コートを脱ぎ、脇に置きながら、柴原が勧めてくれる。
言われるがまま、手にパンを取る優。それにぱく付いていると、相手の苦笑
している表情が目に入った。
「な、何ですか?」
「それだけ食欲あれば、大丈夫だなって。そう思って」
「……」
「思い出したくないことかもしれないけど……井藤さんのお葬式のとき、縁川
君の様子、端から見ていられなかったわよ。ずうっと落ち込んでいるかと思っ
たら、急に大声出して泣き出したり、わめいたり……。精神的に参ってるな、
大丈夫かなって、本当に心配したんだから」
「す、すみません」
優は、耳まで赤くなっているのが、自分でも分かった。
「謝ることなんかないわ。ちょっぴり、井藤さんの親類縁者の人達が、迷惑が
っていたみたいだけどね」
「そうですよね、やっぱり」
「冗談よ。それより、今の君よ。口では平気そうに言うけど、普通にキャンパ
スライフしてる?」
「そのつもりですが」
そう答えてはみたものの、優に自信はなかった。
「本当に? 人付き合いが悪くなったり、きちんと返事しなくなったり、して
いない?」
「さあ……どうでしょう」
「噂に聞いたんだけど、家、出たんですってね」
「……知っているんですか」
「それはもう、嫌でもね、耳に入ってくるものなの。中には、悦子の幽霊と結
婚すると言い出した君が、親と大喧嘩して、家を飛び出す羽目になった、何て
いうひどい噂もあるけど……。変なこと言って、ごめんなさい」
「いえ、かまいません。ああ、そういう風に見られてるんだ、俺」
他人にどう見られているかなんて、ほとんど考えていなかったことに、今さ
らに気付く優。
「多分、俺、変わったんでしょう。変わったつもりはないんだけど、変わった。
妹も、どこかおかしいし」
「恵美ちゃんね? 井藤さんと一緒になって、小説を書いていたっていう。井
藤さんのお葬式でも見かけたし、去年、学園祭にも来ていたから、知っている
わ。あの子も、まだ……」
「どうやら……。三月頃だったか、小説、悦子さんの分まで頑張って書くんだ
って、張り切っていたのに」
「お葬式の思い出ばっかりになるけど、あの妹さんも、ひどく顔色が悪く見え
たから、気になっていたのよ。ひょっとしたら、書き始めてみて、壁にぶつか
ったのかもね」
「重ね重ね、心配をおかけしたようで。だけど、もう大丈夫ですよ。俺が先に
復活しますから」
「私が今、気にしているのは、君が一途だなってことなんだけど。水曜日、用
もないのに残って、井藤さんと一緒に帰るようにしていたでしょ」
「はあ」
「今もずっと、井藤さんのことを思い続けているんじゃないかって……。どう
かしら?」
柴原のきれいな瞳に見上げられ、優は一瞬、どぎまぎした。
「え……と。確かに、まだ悦子のことを思っていますよ」
「そう……。私があれこれ言うのはお節介でしょうけど、聞くだけ聞いて。い
つかは、井藤悦子さんのこと、心に仕舞い込んで、女の子を受け入れること。
分かる? その女の子はきっと、井藤さんと同じぐらい、あなたのことを思う
はず。そのときが来れば、あやふやな比較なんかしないで、純粋な気持ちで、
受け入れてあげて」
「……分かりました」
食べるのも忘れて、聞き入っていた優は、たまらなくなった。
ほとんどつながりなんてないのに、これだけ心配してくれる人がいるんだ。
自分は、自分一人だけで生きようとしていたけど、間違っているのかもしれな
い。少なくとも、周りを見る必要は絶対にある。
そういう思いが、頭の中を行き来する。
その内、泣いてしまいそうになった。何だか、みっともないことに思えてき
たので、ごまかすために、急いで次の言葉を口に乗せる。
「……女の子が現れてくれる、そういう機会が、あればいいんですけどねえ」
「うーん。とりあえず、前向きにね」
柴原は困ったような笑顔を見せた。そこまでは、面倒見切れないといったと
ころだろうか。
「そう言えば、柴原先輩、就職はどうなりましたか?」
「嫌なこと、聞くわねえ。別にいいけれど。最初に志望していた企業は無理だ
ったけど、出版社に滑り込めたから」
「こういう時勢ですから、とりあえず、おめでとうございますと言わせてもら
います。−−出版社かあ」
「それが、どうかした?」
「いえ、妹が作品を書いたら、拾ってやってくれないかなって」
冗談めかして、優は言った。
文化祭二日目−−と言っても、二日しかない文化祭だから、これが最終日。
朝、恵美は下駄箱のところで、いきなり津村と顔を合わせた。いつもに比べ、
津村の表情は暗い。
「謝っておこうと思って」
いきなり切り出した津村。どうやら、恵美を待っていたらしい。
「何のこと?」
「昨日、無理強いしすぎたかなって。小説、書いてみないかって、しつこかっ
ただろ、俺?」
「そんな」
靴を履き替え、廊下を歩き出す恵美。すぐに追い付く津村。
「じゃ、怒ってない?」
「……そ、そりゃあ、少しは嫌だったけどさ」
「そうか」
隣で、津村がしゅんとするのが分かった。慌てて、恵美はフォローする。
「す、少しだけだったら。津村君に期待されるのは、嬉しいの」
「本当に?」
前を遮るように、津村は恵美の方を向いて立ち止まった。
「う、うん」
鞄を胸の高さに抱きしめ、こくんとうなずく。実際、それは恵美の偽りない
気持ち。実力が伴っているかどうか、それだけの問題……。
「あー、よかった」
胸をなで下ろすようにして、ほっと息を吐く津村。次の瞬間、表情が明るく
なった。
「これで眠れる!」
「は?」
「いや、その。実は、昨日、家に帰ってからもずっと気になっててさ。自分勝
手すぎたなあと、自己嫌悪に陥った訳」
「はあ……」
「寝る直前になっても、頭から離れないんだ、これが。考えれば考えるだけ、
目が冴えて来ちゃって、もうどうしようもない。おかげで、すっかり寝不足。
ほら」
下の瞼を指で引っ張る津村。
「ほんと、凄く充血してる……」
言ってから、くすっと笑えた。恵美は口を押さえ、声を立てずに笑った。
「な、何かおかしい?」
津村は戸惑いの表情。
恵美は、笑いをこらえながら、小さな声で返事する。
「だ、だって、そんなことで眠れなくなるようには見えないんだもの。津村君
って、もっと神経が太いのかと思ってたから……あははっ!」
こらえきれなくなり、とうとう声に出して笑ってしまう。
「ひどいなあ。これでも、神経は繊細な方だぜ……多分」
自分で言って、津村も笑顔を作った。そして続ける。
「ああ、これですっきりした。−−もう無理強いはしない。もしも、万が一、
気が向いたときでいいから」
津村は、くどいほど仮定の語句を連ねた。
「小説を書いてくれたら、嬉しい。それが俺……僕の気持ちってことだけ、知
っておいてもらえればいいや」
「うん、分かった」
気持ちはまだ揺れていたけれど、恵美はそう答えておく。
「それからさ……」
まだ立ち止まったまま、津村が言った。
「何? 早く行かないと、そろそろ……」
恵美の言葉が聞こえているのかどうか、津村は鞄を開けて、何やら探してい
る。やがて、彼は一枚の紙を取り出した。
「かなり赤面ものなんだけど、これ」
「……わ」
勝手に声が出た。何故なら、紙には女の子が描かれていたのだから。それも、
明らかに恵美がモデルと分かる、それでいて異国風の少女の絵だった。背後に
は、青々と生い茂る森や、どこか生き生きとした城が描かれている。
「こ、これ……」
周りにいる他の生徒に見られやしないかと、気にする恵美。その身体で、絵
を隠そうとする。
「勝手にモデルにしたけど……怒ってない?」
「そ、それはいいけど」
どんどん、顔が火照っていく。
「どうして……?」
「昨日、速攻で描いたんだ。僕がイメージする物語の世界。縁川さんがこれを
見て、何か、感じてくれたら……そう思って。−−ああ、やっぱ、俺って自分
勝手かな」
「す、凄い。素敵、だと思う。昨日、ポスターに使ったのも、いいなって感じ
たけど……これは、もっと」
うつむいていた顔を起こし、津村を見つめる恵美。
「ひょっとしたら……ひょっとしたらだけど、何か、書けるかも。書けそうな
気がしてきたわ」
恵美の言葉に、津村は瞬間、驚いた風だった。しかし、それのすぐあとに、
いかにも嬉しそうな笑みが、すっと広がっていった。
そう、ちょうど、思いもかけないプレゼントをもらった子供みたいに。
−−続く