#3290/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 6/ 1 22: 6 (200)
バトン・タッチ 7 名古山珠代
★内容
物音を耳障りに感じて、優は目を覚ました。
が、何の音かは分からず、頭だけ起こし、その源を探す。
「……」
目をこすると、ドアが映った。音は、ノックだった。しばらく静かだったド
アが、再び鳴り始める。
「はい、どなた?」
返事をしながら、優は全身を起こした。下宿暮らしをするようになってから、
部屋はお世辞にもきれいに整理されているとは言えない。
「兄貴、生きてる?」
ドアは閉まったまま、声が聞こえてくる。優には、ドアの向こうにいるのが
誰なのか、すぐに分かった。
「生きてる、とは何だ。起きてる、ぐらい言えよ」
軽口を叩きつつ、のそのそと起き出す。
瞬間、先の自分の台詞が、悦子とのやり取りに似ているなと思えてきて、思
考停止に。
頭を振って、ドアに向かった。
「久しぶりだな」
「ほんと。これだけ、近くにいるのに」
妹の恵美は室内の様子を探る風に、ひょいと顔を傾けた。
「−−壮観。荒れ放題って感じね」
「ごちゃごちゃしてるけど、衛生上は問題ないぜ」
「当然よ」
言いながら、靴を脱ぎ、中に入った恵美。
「学校の帰りか」
妹の制服姿から判断した優。
「違うの。鞄、ないでしょ。高校から家に帰ったら、お母さんから言われて…
…。はい、これ。おふくろの味ってやつ」
風呂敷状の物に包まれたタッパー数個を、手渡された優。
「助かる。それで、何か言ってたか?」
「特には。気持ちが整理できたら、帰ってらっしゃいぐらいのことは、いつも
口にしているわ」
「毎度のことだな」
適当に一つ、タッパーを開け、つまみ食いをしてみる。
「うん、うまい」
「ねえ、まだ戻らない?」
「……ああ。今でも、事故のこと、思い出しちまうからな。あの現場を目の前
にしたら、耐えられないよ」
自分の声が、ふっと弱々しくなった。優はそう感じた。
「そう……何ヶ月経っても……。ま、いいけど。部屋、使わせてもらってるし」
「おい、本当か?」
「嘘よ。そのまま」
舌をちらっと出す恵美。優は、ほっとした。自宅の自分の部屋には、触って
欲しくないものがたくさんある。悦子との思い出が……。
「あ、これを聞いとかないと。大学の方、ちゃんと行ってるかって」
「必要な分は。いや、これでも、二月頃よりましになったんだ」
悦子が亡くなった一月から二月にかけて、優はほとんど大学の勉強が手に着
かなかった。通う大学の仕組みでは、一回生のときは落第がないので、そのま
ま二回生になれたが、今期を頑張らないと、留年する可能性がある。
「授業の方は?」
「成績は大丈夫だって。前期の成績表、送っただろ」
「私は詳しくは見ていないけど。確かに、お父さんもお母さんも、別に文句を
言わなかったから、分かってるんでしょうね」
「そっちは、何か変わったことは?」
「みんな、元気。お父さんが出張がちで、よく疲れた疲れたって言うけどね」
「そうか……。恵美、おまえは?」
「だから、私も元気だって」
「そうじゃなくて、悦子のこと」
優の言葉に、恵美の表情が、いくらか硬くなった。
「おまえだって、かなり落ち込んでいたように見えたんだがな」
「うん……。一緒に小説、考えることできなくなって……何もお喋りできなく
なって……とにかく……」
声を詰まらせた恵美。
「自分で書いてみる気、ないのか?」
「……書きたいけど、私には無理よ」
「無理って、まだ分からないじゃないか」
「そんなことない! 無理なのよ!」
妹の不意の大声に、優は少し驚かされてしまった。
「書きたい気はあるわよ。でも、できないの。私は悦子さんにはなれない。悦
子さんみたいには書けない」
「……」
瞬間、どういう意味か問い質そうとした優だが、やめた。
「分かった。悪かった。ただ、悦子だって、おまえが小説書くのを続けてくれ
たら、喜ぶと思う」
「分かってるよ、それぐらい……」
恵美は次に、表情をふっと和らげ、口調も変えた。
「兄貴こそ、しっかりしてよ。映研、全然、顔出ししていないそうじゃない!」
「そうだったな」
−−妹を送り出してから、優は思った。
(あいつにごちゃごちゃ言う前に、俺も何か、見つけないと)
しきりにうなずいているのは恵美。模造紙に文字を書き続けたことによる疲
れを取るため、手を休め、何度か振りながら、感心している。
「改めて見たけど、上手」
「そう?」
答えるのは桃代。右手には絵筆。その先から、次々と新しい色形が生まれて
いる。画板に向かっているとき、桃代はいつもの甘えた口調ではない。
「うん、よくできている」
言ったのは、恵美ではない。二人しかいなかった美術部部室に、第三の声が。
「あ、先輩」
声のした方へ振り返った恵美は、少し身体を緊張させた。必要以上に緊張し
て、手にしていたマジックを取り落としてしまった。そうしたくなくても、自
然になってしまう。
詰め襟の学生服を片腕に抱え持ち、ぼーっと立っている男子生徒が一人。学
年は三年。男にしては、やけに細い髪の持ち主だ。薄い造りの眼鏡をしている
が、どこかおかしい。その風貌と合っていないのだ。
「あのう、園田さん。図書部の部長さんが、何か? 美術部ですよ、ここ」
明らかにとぼけている桃代。筆の動きは止まっていた。
「そろそろ、図書部も動き出さなければならないのだが」
見た目の雰囲気と同様、どこかぬぼーっとした声で、彼−−園田が言った。
「はあ、分かっていますけど……ご覧の通り、手伝わされてますから」
「言わなくても、それは分かる。だから、敢えて言ったじゃないか。ぼちぼち、
うちも動き出す必要があると」
「部長として、責任があるんですよね? でも、私も約束を果たす責任が」
懐柔策に乗り出す恵美。
「僕が部長だと覚えていてくれて、どうもありがとう。こちらに戻って来てく
れれば、もっと感謝するんだが」
自分の言い方が気に入ったのか、園田は薄く笑った。いや、本人としてはた
だ笑っただけで、薄くも何もないのかもしれない。
眼鏡のずれを直し、超然とした態度のまま、園田は抑揚に乏しい声で続けた。
「それで、どうする?」
恵美は、すぐには口を利けなかった。恐い人じゃないと分かっていても、こ
ういうときは苦手だ。独特のペースに巻き込んで、こちらを反論させなくして
しまう。もっとも、この状況では、ほぼ一方的に恵美に非がある。
「悪いんですが、今は、恵美を貸してください」
桃代が代わりに答えた。乗っているところを邪魔されたせいだろうか。桃代
の声は、上級生に対するものとしては、いくらか怒気を含んでいた。
しかし、園田は、さして気を悪くしたようでもなし、かと言って、驚いた風
もなく、しばらくの間のあと、ゆっくりと口を開いた。
「……まあ、板挟みってことはよくある。こちらの手伝いを引き受けたからに
は、ちゃんとやらなきゃな」
「そ、そうですよね」
恵美は、助かったとばかりに、部長の言葉に飛びついた。
「だが、図書部の方も忘れず、働かないとだめだよねえ」
「はあ」
「どちらもこなせ。それが君の果たすべき責任てもんだよ」
「……」
「じゃ、手が空いたら、戻って来ること。いいね?」
「はい。すみません」
どうにか見逃してくれそうな展開に、恵美は頭を垂れた。
それに対して、園田部長は不思議そうな顔をして言う。
「何を謝っているんだい。そういうことは、できなかったときにしたらいい。
−−それでは、お互い、文化祭では頑張りましょう」
と、桃代の方に顔を向けて言った園田は、また眼鏡を直すと、足早に去って
行った。
「あー、やっと行ってくれたか」
小さく、手で追い払う格好をしながら、桃代は描きかけの絵に戻る。
恵美も内心、胸をなで下ろし、やりかけの作業に取りかかった。
それからすぐに、他の部員が集まり始め、作業に没頭する状態となった。
「……ねぇ」
しばらくして、桃代が恵美に囁きかけてきた。
「何?」
「さっきのやり取りから判断するとぉ、あの人、図書部の主だね」
「ん、まあ、当たってるか。部長って、顔や勉強はそこそこだけど、クラスで、
ちょっと変わった奴で通ってるらしいわ。さっきので分かったかもしれないけ
ど、真面目とおちゃらけが同居したような、独特の雰囲気があるから」
一年のときから園田に接している恵美にとっても、彼の持つ妙な間は、やは
り調子が狂う。
「おちゃらけ? どこが」
「最後の辺りなんかが。『お互い、頑張りましょう』って、言ったでしょ」
「……なるほど」
よく分からないという風に首を振りながら、桃代は筆を走らせた。
「でもね、何だか知らないけど、人望はあるみたい」
部長のことを悪く評したフォローでもないのだが、恵美はすぐに言い添えた。
「同級生や後輩から、悩みを打ち明けられて、相談に乗って上げることがよく
あるんだって」
「ふうん? 見かけによらないと言うか」
「私が想像するには、部長の持つ、独特の雰囲気が、打ち明けやすく思えるん
じゃないかな。無色透明っぽい、妙な雰囲気だけど」
「言われてみれば、そういうとこもあるかもね」
それだけ言って、桃代は作品に集中し始めた。
恵美の方は、どうも作業に身が入らない。園田部長が現れたおかげだ。
(お許しは出たけれど、図書室、行きにくくなるなあ)
ため息を吐く恵美。簡単な仕事なのに、随分と時間をかけてしまう。
「そろそろ置こうか。遅れている人は、家に持ち帰るなり、朝早く来るなりし
て、やってくれよ」
軽く手を打ちながら、津村光彦が言った。彼は副部長。何かと忙しい三年の
部長に代わって、進行を取り仕切っている。
これで今日は解放される。恵美はほっとした思いで、立ち上がった。
「毎回の助っ人、お疲れ」
その津村から、声をかけられた恵美。少なからず、どきりとする。
悦子の事故の瞬間を、自宅の窓越しに目撃した恵美は、相当長い間、ショッ
クが拭えなかった。ために、津村と恵美とのつながりも、何となく切れてしま
っていたのだが……今回、桃代との賭けに恵美が負けたことで、好む好まざる
に関わらず、また話す機会を持てることとなった。
「さ、帰ろ帰ろ」
津村を無視するようにして、桃代は恵美の手を引く。
「あ、ひどい」
と言いつつも、津村はあきらめたか、他の部員と早くも何やら談笑を始めた。
恵美は、心残りだった。
美術部の部室を出、玄関まで降りてきたところで、とうとう、桃代に言った。
「ねえ、モモ」
「何?」
靴を履き替えながら、桃代が応じる。
「ただの手伝いの私が言うのもおかしいだろうけど、津村君、副部長としてよ
くやってると思う。それなのに、どうしてあんな風に」
「別に、どうもしないけど」
少しの間、考えるように首を傾げる桃代。恵美は待った。
「……ただ……意地になってるのかな、あたしも。ずっと反発していたから、
今さら、あいつのこと認めるの、癪に障るって感じ」
「筋が通ってない。美術部の将来のために、もっともっと友好的にならなきゃ」
「……相変わらず、恵美は津村の肩を持つのね、何だか」
「そ、そんなんじゃ」
桃代の次の台詞を止めたくて、慌てて言葉を重ねる恵美。
「ふーん。ま、いいけど。仕事はしっかり、やってちょうだいな」
「はーい。分かってますう」
「恵美があたしの口真似して、どうすんのよ」
面食らったか、目を見開き気味にして、苦笑いする桃代。
その隙に、恵美は気を紛らわせるため、軽く駆け出す。
−−続く