#3285/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 6/ 1 21:52 (194)
バトン・タッチ 2 名古山珠代
★内容
十月も半ばを過ぎたのに、日差しはきつく、暑い。
エアコンのない学生食堂で、冷たい物を飲んでから、優と一緒に、キャンパ
スを出た。が、日差しは相変わらずで、汗が浮く。
「去年は夏から、あれだけ涼しかったのに、今年と来たら」
「十月にもなって、何を言ってるんだ?」
先を行く優が、肩越しに、呆れ顔で振り返る。
「家、来るだろ?」
「もち。お世話になります」
マンションで独り暮らしの私にとって、優の家に行くことは、精神的にも経
済的にも、とても助かる。独り暮らしで会話に飢えているとき、周りに人がい
ると楽しくなる。一方、経済的とは、当然ながら、食事のこと。
鉄道とバスを乗り継ぎ、優の家の近くまで来た。さほど広くない道路の両側
に、まだできたばかりといった風情の家並みが続く。高校の頃、初めて来たと
きは、まさしく閑静な住宅街だったのが、今では行き交う車も増えた気がする。
「恵美ちゃん、いる?」
私は、前方から駆けてくる小学生の集団に注意を向けながら、優に聞いた。
男の子も女の子も入り混じった集団が、横を駆け抜ける際、喧騒に包まれる。
静かになるのを待っていたのだろう、やがて優が口を開いた。
「あ、妹ね。いるはず」
「それなら、小説のこと、話しようかな」
「俺を除け者にしようとして」
「そんなんじゃないって」
笑いながら私達は道路を横切り、優の家の玄関にたどり着く。
「いらっしゃい」
変わらぬ笑顔で迎えてくれたのは、おばさん−−優のお母さん。
「お邪魔します」
「お夕飯、食べて行くんでしょう?」
中に通される際、必ず聞かれる言葉。
「はは、お願いします」
照れくさい。女がボーイフレンドの家にご馳走になりに来るのは、やっぱり
気恥ずかしいものがある。いくら男女同権とか言われても、だ。
「もっと遅くなるのかと思っていたわ」
おばさんが優に言っている。
「遅くなったらなったで、うるさく聞いてくるくせに」
多少の反発を見せる優。
と、階段の音がした。とんとんとんと降りてきた……。
「あ、やっぱり、悦子おねえちゃん」
「恵美ちゃん、元気してた?」
「してた、してた」
早口で答えるのは、優の妹の恵美ちゃん。妹は兄の女友達に敵意を示すこと
もあると聞くけれど、彼女に限って、そういう様子は微塵もない。かえって、
歓迎されているような気がするのは、思い上がりか。
いや、小説のことで、色々と一緒にやっているぐらいだもの。好かれている
のは間違いないはず。少なくとも、なついてくれてる。
「お兄様へ、挨拶は?」
優が不服そうに言うと、恵美ちゃんは髪をなで上げ、
「尊敬できる兄貴だったら、してもいいけど」
と、片目をつむりながら言った。
「言ってくれるぜ。そういうことは、男の友達でも引っぱり込めるようになっ
てからにしなっ」
続けて、けけけという感じで笑う優。お互い、口は悪いみたいだが、この兄
妹、それなりに仲はいいと見受けられる。
「よけいなお世話っ。−−ねえ、悦子おねえちゃん、兄貴なんか放っておいて、
小説、次の作品のこと、考えよ」
「放っておくことはできないけど」
片手で口を覆い、笑いをこらえながら、答える。
「恵美ちゃんの都合に合わせるわ。いつがいい?」
「うーんと、今、実は宿題やってて……」
「おうおう、高校生はつらいのぉ」
優が妹をからかう。いつものことだ。
「うるさーいっ! そっちだって、レポートでひいこら言ってるくせに。……
多分、晩御飯前までかかっちゃうだろうから、食べ終わってからでいい、悦子
おねえちゃん?」
「いいわよ。何なら、見てあげようか?」
「ううん、いい。邪魔したら、やっぱ、悪いし」
首を振り、意味ありげにウインクする恵美ちゃん。私と優のことを言ってい
るのは、間違いない。今の高校一年生、これぐらいの洒落っけは当然かな。
「そう? じゃ、頑張ってね」
「そちらこそ」
ということで、私と優は、彼の部屋に。
恵美ちゃんは色々と想像を働かせているみたいだけど、現実はそうでもない
のだ。もちろん、夕方から大胆なことができるはずもないが、そもそも、私と
優の関係は、幼なじみの域をほとんど脱していない。
「映画、いつ行ける?」
突然、前から約束していた話を持ち出され、返答に窮してしまう。
「あ……うーん。学祭が終わるまでは、ちょっと苦しいかな」
「じゃあ、学祭が終わってから、最初の休みは」
卓上カレンダーに目をやる優。
「十二日か。この日は?」
「大丈夫よ、多分」
「問題は、その日までやっているかどうかだ」
観たい映画の上映期間のことを言っているのだろう。
映研所属の優は当然、映画好き。多分、観たい映画でなくても、付き合って
観てくれるだろうけれど、やはり観たい映画に越したことはない。
「あとで、確かめとこう」
それから二時間ほど、お喋りやらゲームやらで、時間を潰した。
食事を食べ−−もとい、いただき終わると、先に食べ終えていた恵美ちゃん
が、待ちかねたように立ち上がる。
「さ、行こ」
「あ、ご馳走様でした」
腕を引っ張られながら、私はおばさんに頭を下げる。
「恵美、宿題は?」
「終わった。中坊じゃないんだから、いちいち聞かないでよ」
そう言う恵美ちゃんは、母親の方に背中を向けたまま、さっさと自分の部屋
に行こうとしている。
「あまり迷惑かけちゃ、だめよ」
おばさんが言った。
いえいえ、迷惑なんて、とんでもない。こちらこそ。
そう思いながら、私は恵美ちゃんの部屋に向かった。
「……何で、兄貴が」
入り口のところに立ちふさがり、頬を膨らませる恵美ちゃん。
「だって、寂しいんだもーん」
冗談めかして、優。女言葉は、やめてくれ。
「いつものことだからいいだろ」
「一言で表すと、鬱陶しい」
恵美ちゃんは、私の顔に視線を向けてきた。
「悦子さんはどうだか知らないけれどね」
「ほう、そう来るか」
優は腕組み。
「二学期の前期試験のとき、勉強を教えてやったのは、どこのどなただったか」
「あ、きったなーい! そんな昔の話を」
「どこが昔だ、どこが。ま、次の期末、どうなってもいいんなら、俺は出て行
くだけね」
しばらくの間、妹は沈黙し、兄は返事を待った。
「……いてください」
これまでと変わりなく、兄と妹の口喧嘩は終結をみた。私も慣れっこになっ
てしまって、楽しんで見ていられる。
「では、遠慮なしに」
クッションの一つを取って、腰を落ち着ける優。このクッションカバーの色
合いは、男には似合わないと思うのだけど、本人はお構いなしらしい。
「汚したり、引っかけたりしないでよ。……あ、悦子おねえちゃん。『アウス
レーゼ』の批評、読んだよ」
兄に注意し、さらに座卓を置きつつ、恵美ちゃんは私に話しかけてきた。
私は座卓に肘を突き、いささかの演技を交え、ため息。
「どうしたの?」
恵美ちゃんは、私の正面に座りながら、気安い調子で言う。
「今の悦子に、それは禁句。結構、落ち込んでいるみたいなんだ」
優が横手から、いらぬことを口に出す。
「本当?」
恵美ちゃんは、優から私へと、視線を戻した。
「ううん、今はそれほどでもないんだけど、あれだけ書かれると、何かこう、
自分の力不足を痛感……」
「そんなあ。プロを目指そうって人が、こんなのでいちいち落ち込んでたら、
始まらないよ。こんなときは……この間は惜しかったけど、とりあえず忘れて、
次を目指して頑張る、でしょ?」
「それはそうなんだけど」
高一に慰められるのも、何だかなあ。
「とにかく、次の、考えよ」
恵美ちゃんは、アイディアノートを広げた。いつにも増して、熱心だ。推察
するに、試験期間中もアイディア探しをしていたのかも。
「当然、次もF&M狙いで、ファンタジーでしょう?」
「そのことだけど、来年の六月三十日まで、たっぷりあるんだから、F&Mの
前に別のに投稿してみようかなと思ってるの」
「あー、大学生は暇だもんね」
「うーん、まあ、それもあるけど」
言っては見たものの、他に理由はない。強いて言えば、早く、何かの賞を取
りたい。より端的に表現すると、早くデビューしたい。それだけ。
「狙うとすれば、どんなのがあるのかしら?」
思いを巡らせている様子の恵美ちゃん。
「調べてみたんだけど、自分達が書くのに合いそうな賞、割とあるのよね。た
だ、F&Mとの兼ね合いもあるから、実際に目標にできそうなのは、二月末が
締め切りのクリスタルファンタジー賞ぐらいね」
「あ、それって、確か、『クリスタル◇ドール』っていう雑誌が関係してるん
だよね」
さすが高校生、ティーンエイジャー雑誌の類はよく読んでいる。
「そう、文像社という出版社がやっているの。入賞したら、クリスタル文庫シ
リーズから出版される。枚数は一八〇〜三五〇枚だったかな、確か」
「よく知ってるなあ」
静かだった優が、急に口を開いた。
「これぐらいは当然」
「いや、だけどさ、大学の文芸部の人達、そういう話、ちっともしていないみ
たいじゃん。それが不思議だなって」
「それは……」
言い淀んでしまう。この場には、文芸部の人はいないんだから、気にするこ
とないか。
「……部の人達って、賞を取ろうという考えのない人が、ほとんどみたいなの
よ。部長の柴原先輩は、何でも許容してくれる感じだから、別に話題にしても
大丈夫とは思うんだけど。他の先輩に純文学してる人がいて、その人達、ジュ
ニア小説はおろか、エンターテイメントをほとんど評価しないのよね。それで、
何だか言い出しにくくて」
「なるほどねえ。人間関係の煩わしさってとこか。部活を円滑に進めるには、
黙って書いているのが得策」
「はん、やな感じ」
恵美ちゃんが、鼻を鳴らす。
「楽しくないなあ。私が悦子おねえちゃんの大学に入ったときは、悦子おねえ
ちゃんが文芸部を仕切っていてね」
「はは、そのときは四回生よ。一応、影響力はあるかもしれないけど」
私がたじたじとなりながら答えていると、また優が口を挟む。
「それよりも、留年しないように努力するのが、大事だぜ」
「その言葉、そっくり、お返ししますわ」
「……」
黙った優。一回生の前期が終わった段階で、比較できるものでないけれど、
私がパーフェクトに単位を取ったのに対し、彼は一つ、落としている。
第三者が大人しくなったところで、本題に戻ろう。
「じゃ、まずはクリスタルを目指して」
「F&Mを落ちたのを手直しして、使うというのは?」
「考えないでもないけど、どうせなら、新しいのを書いてみたいし」
「だったらね、私が一番、気に入ってるのは」
と、開いたページの一部を指さす恵美ちゃん。
さあ、玉石混交の山の中から、光輝く宝石を見つけ出そう。
−−続く