#3244/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 4/16 0:27 (182)
SHINOBI 4 甲賀明日夫
★内容
故国から持ち込んだ忍びの衣装に身を包み、レイモンドはソントン家の様子
をうかがっていた。
(番犬等はなし。門番もいない。これほどの屋敷を持ちながら、何と不用心な
のだ)
隣家の屋根に身を潜めつつ、観察を続けるレイモンド。
(犬がいないのは好都合だが……。ふむ、邸内にいる人数も、話に合うようだ。
問題は、いかにして忍び込むか、だ。庭に下りるのは至極簡単だが、あの壁は
厄介だ。苦無で崩せるか否か、確かでない。
屋根は、瓦を外せば簡単に入れそうだが、非常に急な斜面が目立つ。万が一、
家の者に見つかった場合、逃げるのに難渋しかねない。床下も、日本とは造り
が異なると聞いたから、おいそれと侵入できまい。正面の入り口は錠がされて
るだろう。日本のような錠前なら、短時間で外す自信があるが、外つ国の錠と
なると、まだまだ不安だ。となると……ここは窓しかない)
レイモンドは、目の前の、灯りのついていない窓に焦点を合わせた。狙うと
すれば、一階の堅固な窓よりも、二階の方がよい。
(どちらから攻めるのがよいか……。上から控縄を垂らすのは、その前の段階
で屋根をたどるわけであるから、やはり逃げにくい。下から鈎縄をかけるのが
良策であろう)
窓枠に鈎をかけるだけの幅があることは、すでに見極めている。
(窓を破った跡は、迅速な行動あるのみ。この務めに成功して、初めて認めて
いただけるのだ。慎重の上にも慎重を期さねば)
唾を飲み込み、決意を固めたレイモンド。音を立てずに身を起こすと、闇に
向かって身軽に体躯を踊らせた。そのまま、身を丸めて着地。すぐさま目当て
の窓の下に付く。
鈎縄を取り出すと、必要な長さだけたるみを作る。縄にはあらかじめ、手が
かり、足がかりとなるわさ(輪っか)がこしらえてある。そして鈎の付いた先
端から三〇センチほどのところを持ち、振り回し始める。ひゅんひゅんという
音が聞こえ出す。徐々に短い間隔になっていく。
声にならない気合いと共に、一気に鈎を投げ上げた。
がしっ!
一発でうまくかかった。
下から縄を引き、手応えを確かめる。
(よし。これなら外れない)
レイモンドは器用に手足を操り、身体のバランスを取りながら、縄を登って
いく。じき、窓枠に手がかかった。
身体全体で突っ張るようにして、枠の内側に張り付く。そしてしころを取り
出すと、その先を木枠の羽目にあてがい、差し込む。ついで、音を立てぬよう、
注意深く引いていく。不安定な態勢にも関わらず、レイモンドはしころで木枠
を破り、屋敷内への『通路』を確保した。
廊下へ降り立つ。小型のがんどうを手に取ると、石を打って、中のろうそく
に火を灯した。床を照らすと、赤系統の絨毯が敷かれていると分かった。
(これはいい。足音を吸い取ってくれそうだ)
レイモンドは現在位置を確認すると、頭の中で、調べるべき順序を整理した。
(まず、秘密の部屋があるとにらんだ『空間』の確認。もし部屋が存在すれば、
重点的に調べる。次に、侯爵夫人の書斎。寝室も調べたいが、恐らく不可能だ
ろう。それからソントン侯爵自身の部屋も調べるべきだろう。隠す気があるの
なら、死者の部屋は利用価値がある)
目当ての空間。それは、不必要と思えるほど突き出たベランダの下である。
ベランダの下には空間があり、見取図では物置となっている。その上に階段が
かかっている。
物置の奥行きが狭すぎる−−レイモンドはそうにらんだ。
(うまく当たってくれれば、万歳だ)
一階に降りると、物置の扉を開け、中を探る。さして荷物はなかった。
(この壁の向こうに、部屋があるかもしれん)
物置の突き当たり、そこの壁を拳でこつんと叩くレイモンド。
(……反響音では判断できぬか。建物の造りが、根本的に異なっているのだ、
それも当然)
レイモンドは、隠し扉を探すため、顔を壁に近づけた。目を凝らし、板のわ
ずかなずれも見逃すまいとする。
やや時間がかかったが、扉を発見。秘密の扉故、錠は不必要としたのか、簡
単に開いた。
(見事、お宝があればお慰み)
隠し部屋を見つけたことで舞い上がりそうになる気持ちを抑えるため、心中
で唱える。
がんどうをかざし、一歩ずつ、つま先立って進む。
「む?」
状差しらしき物を見つけた。便せんが覗いている。
手を伸ばし、抜き取る。レイモンドにとって習得したばかりの文字が、つら
つらと並んでいた。
(宛名はヒルジア=ソントン。送り主は……トニオ=ヨークだ)
期待感と緊張感が高まる。だが、内容に目を通して、レイモンドは落胆した。
(ただの恋文ではないか……)
第三者が読めば、馬鹿々々しくなるような単語の連続であった。
レイモンドは、そのまま手紙を戻そうとして、ふと不審に思った。
(何故、単なる恋文をこんな場所に? 旦那から隠すにしても、厳重に過ぎる
のではないか)
今一度、便せんを開き、じっくりと見つめるレイモンド。ふっと、無意識の
内に、日本語式に読んでいた。つまり、右から左、上から下へと。
(折り句だったのか! 一文字ずつ、行の末を拾っていけば、『準備完了 ヒ
素 送る』となる!)
つい、紙を握りしめてしまった。すぐさま手を離し、しわをきれいに伸ばす
と、状差しへ返しておいた。
(他の手紙も見ておくべきか)
少し考え、レイモンドは邸内が寝静まっているのを確認してから、再度、状
差しへ手を伸ばした。
先ほどの他にも五通、ヒルジアとヨークが共謀し、毒殺を行ったことを示唆
する暗号が込められた手紙があった。
そして、最後の手紙に目を通したとき。
(これは……馬鹿な)
レイモンドは、妙な意識にとらわれた。
(これによると、ヒルジアらが毒殺したのは、ソントン候一人ではないらしい。
その弟君のネッド=ソントンも……。しかし、ネッドに毒を盛ることは叶わな
かったはず。これはいったい)
レイモンドが疑問を解くため、考えを推し進めてようとすると、ふっ、と周
囲が暗くなった。
(しまった。ろうそくが尽きたか。心なしか、空気も淀んだ気がする。備えの
ろうそくはあるが、ここは引き下がるのがよさそうだ。務めは果たした)
己を納得させると、レイモンドは間を置かず、ソントン邸を去るための行動
を開始した。
「先頃の働き、大変な勲功である」
そう言ったアゴスタ=クリフに、レイモンドは深々と頭を下げた。
「ありがたきお言葉。感に堪えません」
「そんなに謙遜しなくてもいい。実際、君は立派にやり遂げた。隠し部屋を探
り出し、手紙を見つけ、なおかつ暗号を解いた。これにより、ヒルジア=ソン
トンとトニオ=ヨークを拘束し得たのだから、大したものだよ」
レイモンドは面を上げた。
「ありがとうございます。ですが、ただ一つ、気になっている点があるのです
が……」
「何だね? 君の身分は、私が保証しよう」
「いえ、そのことではありません。事件に関するお話で。ヒルジアとヨークの
二人が、ソントン侯爵を殺害した方法は分かります。しかし、ネッド=ソント
ン候を殺害した手段について、私は皆目、見当がつかないのであります」
すると、クリフも難しい顔を作った。
「−−そこなのだよ」
「と言いますと?」
「我々の頭を悩ませる差し当たっての問題は、そのことだよ。手紙によれば、
あの二人がネッドをも毒殺したのは間違いない。だが、二人ともネッドに毒を
盛る機会はなかったはずなのだ。まさか、娘のロミーが関与していたとも思え
ない。司法局としては、二件の殺人罪で二人を処罰したいのだが、このままで
はネッド殺しは逃げられかねないのだ」
「私がもう少し、配慮をして深く調べておれば……」
「レイモンド君の責任ではない。ともかく、今は休みたまえ。任務を果たした
者の権利だ」
クリフの言葉に送り出され、レイモンドは部屋から退出した。
「どう思うかと言われてもねえ」
クラステフは、いきなりの問いかけに呆れてしまった。
久しぶりに会ったレイモンドは、顔色はよかったが、何事か悩んでいる様子
だったので、つい尋ねてしまったのが失敗だった。
「私は一介の言語学者。犯罪手法に造詣はありませんの、残念ながら」
「しかし、クラステフ先生」
レイモンドにとって、クラステフは先生であり、恩人である。
「このようなことを相談できるのは、あなたしかいないのです。ケントラッキ
ー海軍大尉もよい人ですが、あの方とお会いできる機会は極端に少なくて」
「レイモンド。あなたは休暇中の身。どうやって侯爵夫人がネッド=ソントン
を殺したかなんて余計なこと、考えなさんな」
「分かっているつもりなんですが……」
「なら、悩んでもしょうがない。だいたい、今日は、身の振りようが決まった
から、あなたを診てくれたお医者にその報告をするんでしょうが」
「そうでした」
レイモンドがそう言ったところで、二人は病院の石の門を抜けた。
挨拶は簡単に終わった。向こうの医者が、このような報告にさしたる関心を
示さなかったのが、その理由として大である。
「まあ、元気になってよかったの。何か別のことで具合が悪くなれば、いつで
も診て進ぜようぞ」
「は、はあ、どうも。ありがとうございました」
はなはだ曖昧な礼を述べ、部屋を辞去してから、レイモンドはクラステフと
揃って、院内の廊下を歩いていた。
「いい暇つぶしにはなったけど、あの医者、もうちょっと感動ってものがあっ
てもいいのに」
クラステフがぶつぶつ文句を言っているところへ、レイモンドが改まって尋
ねてきた。
「さっき見かけた、あの細い棒は何なのでしょう?」
「細い棒って? どこで見かけたのよ」
「病院の中でです。細い小さな棒を口にくわえている人が、嫌に目に着いたん
です」
「……その棒をくわえていたってのは、患者さん?」
「だと思いますが」
「じゃあ、分かったわ。体温計のことを言っているのね」
「体温計……?」
耳慣れぬ言葉に、目を瞬かせるレイモンド。
「そう。特性のガラスの管に、水銀という液状の金属を一定量流し込み、その
長さで温度を測定する。これが温度計よ。体温計というのは温度計の一種と言
っていいわね。普通、口にくわえて、身体の温度を計るのよ」
「病人が使う物ですか?」
「もちろん。それがどうかした?」
「当然、ネッド=ソントン候も使っていたんですかね」
「そりゃまあ、そうでしょうね。だから、それが何なのよ」
多少いらいらして、クラステフは語気を強めた。
レイモンドは穏やかな口調のまま、続ける。
「体温計の先に毒を塗っておくと、どうなるのでしょう?」
「あ−−」
クラステフは、片手を口に当てた。
二日後、ヒルジアとヨークの二人が、ソントン侯爵並びにその弟ネッド=ソ
ントンの殺害を認めたという事実は、あっという間に世間に広まった。ヨーク
が医療器具の業者に手を回し、ネッドの看病に当たっていたロミーへ、特別あ
つらえの体温計を使うよう、手渡していたという。無論、体温計にはヒ素が塗
布されていた。
−−終わり