AWC SHINOBI 3   甲賀明日夫


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#3243/5495 長編
★タイトル (AZA     )  96/ 4/16   0:24  (137)
SHINOBI 3   甲賀明日夫
★内容

 その部屋は、個人に与えられた物としてはかなり広かった。開け放された東
向きの戸からは日が射し、部屋の中を照らしている。しかし、室内の冷え冷え
とした装飾が、陽の明るさを帳消しにする。
 クラステフの前にいる男の名は、アゴスタ=クリフ。クラステフよりも若そ
うだが、位は圧倒的にクリフの方が上だ。
「クラステフ君、君には礼を言う」
 額にかかる銀髪のすき間から、クリフの眼差しが見据えてくる。青い虹彩の
視線は、鋭く、冷たい雰囲気をまとっている。
「この短期間で、あの男が言葉をマスターできたのは、君の力に寄るところが
大きい」
「ありがとうございます」
 国の依頼−−命令−−を受け、嘱託の語学教師という役を任じられたクラス
テフは、新たな上司に頭を下げた。
「ですが、むしろ、レイモンドの学習能力が優れていたのです。聞けば、シノ
ビの身に付けるべき特技として、方言の習得があるようです。無論、それがす
べてではないでしょうが、彼の飲み込みのよさが飛び抜けていたことは事実で
す」
 実際、レイモンドの覚えは早かった。文法から入るのではなく、感覚で身に
付けるようなところがあった。現時点で、ユトヴィア語を読むことは、ほぼ完
璧である。話す方は、日常会話に支障がない程度にまで上達している。ただし、
書く方は、ヤパン語との相違が大きいのか、ほとんどできない。
「そうやって謙遜して、いち早く、本来の仕事に戻りたいのかな?」
 クリフの声は、感情が読み取れない響きを持っていた。
「そんなことはありません」
「よろしい。君にはまだ働いてもらいたい。例えば、ヤパンの言語は暗号に使
えると思うのだが、どうだろう?」
 まさか意見を求められるとは、クラステフは予想していなかった。クリフと
対面してから日が経っていたが、ほとんどの場合、クリフは独善的に物事を決
めてきたのだから。
「そうですね……よい考えと思います。他の国ならどうか分かりませんが、国
内で、ヤパンの言葉を解するのは私だけのはずですから」
「それだけ君は、重要な地位にいるということだ、クラステフ君。このことを
忘れず、これからも国のために尽力してもらいたい」
 クリフの言葉を聞き流しながら、クラステフは思った。国の秘密に関わった
自分を手元に置いておきたいだけなんだわ、と。
「レイモンドの身分はどうなりましたか?」
 尋ねてみた。レイモンドは語学と諜報の能力を試され、今朝、その身分に関
する結論が出される手筈になっている。
「言うまでもない、合格だ。本人の希望通り、諜報活動に従事することになる」
「そうですか」
 安心した。ユトヴィア語を教える内に、あの見知らぬエイシア人に情が移っ
たのかもしれない。
「近々、初仕事も与える」
「え? こんなに早く、ですか……」
「働いてもらわないと、意味がない」
「ど、どんな内容なのでしょう、その任務とは」
「残念だが、君に打ち明けるわけにはいかない。気になるようだったら、クラ
ステフ君もいっしょに行動するかね? それならば聞かせてやってもよいが」
「わ、私に諜報なんて、できるはずが」
 慌てて首を振るクラステフ。
「それでは黙って、待つことだ。彼なら素晴らしい成果を見せてくれるだろう。
万が一、失敗しても、我々は一切、関知しないがね」
「え……」
 クラステフが絶句している間に、クリフは右手を軽く振った。
「以上だ。行ってよろしい」
「……」
 クリフの事務的な口調に、これ以上何を言っても無駄だと悟るクラステフだ
った。

 −−事件は、ちょうど二ヶ月前に発生した。いや、現時点で事件と表現する
のは早計である。単なる自然死かもしれない。
 侯爵のベバリー=ソントンが、自宅のベッドの上で死去した。年齢は四十八
歳。酒をいくらか多めに飲むものの、身体は丈夫な方であった。
 しかし、死の半年前から、ソントン侯爵はふせっていた。病気なのかどうか、
はっきりしない。夫人のヒルジアがつきっきりで看病に当たったが、その甲斐
もなく、逝ってしまったのだ。
 何らかの病気が元で亡くなったものという見方もできたため、遺体は解剖さ
れた。が、死の原因は解明されず、結局は自然死ということで落ち着いた。
 死因が不明である点を除けば、取り立てて騒ぐような話ではまったくない。
だが、ソントン侯爵の死から一ヶ月も経たない内に、今度は侯爵の弟のネッド
=ソントンが死去してしまった。死因は判然とせず、ソントン侯爵と同様、自
然死とされた。
 が、これは少しも『自然』な結論ではなかったのだ。ネッドは兄とは年齢が
十五も離れていた。つまり、三十三の若さで自然死したことになる。にわかに
疑義を唱える声が高まったのは、断るまでもない。
 一番に疑われたのは、侯爵夫人のヒルジア=ソントンである。夫と義弟の死
によって、彼女は家の財産のほとんど全部を手に入れることができる。さらに
は、愛人まで作っていた。トニオ=ヨークというヒルジアの不倫相手は、もぐ
りの化学者で、怪しげな薬を調合しては市民に売りつけて生計を立てていた。
 この化学者の存在が知れ渡ると同時に、世間で噂になったのが、毒殺説だ。
ヒルジアはトニオ=ヨークから何らかの毒をもらい、それを使って夫と義弟を
死に至らしめたのではないか。動機は、財産を手にするためと二人にとっての
邪魔者を消すためだろう……。
 司法局は捜査に乗り出した。だが、遺体はすでに二体ともこの世になく、灰
と煙に化していた。おかげで、毒殺かどうかの断定が不可能となり、初期の段
階で捜査はつまずいてしまった。
 捜査はほとんど進まなくとも、世間の噂は日に日に高まった。夫人と愛人が
共謀して、侯爵を毒殺したのではないかという噂。
 だが、あまりに捜査が進まぬため、噂は分裂を始めた。ソントン侯爵の死因
は毒殺であるという部分だけが一人立ちし、犯人については関係する者を取っ
替え引っ替えに当てはめる様相を呈してきたのだ。
 無論、最大多数の意見が、ヒルジアとヨークの共犯説なのは変わりないのだ
が、その他にも、ソントン侯爵の愛人やネッド=ソントンの娘(ネッドの妻は
すでに他界)、ソントン家の召使い、ソントンと血縁のある他の貴族、果ては
出入りの家庭教師までもが犯人としてその名を挙げられている−−。
「レイモンド君。この事件の真相に関わるかもしれぬ重大事を探ってもらう。
それが君に与える最初の任務だ」
 枢密司法官のアゴスタ=クリフの声が、重々しく室内を巡った。
「具体的には、ソントン邸に侵入し、毒殺の証拠をつかむこと。これが最重要
課題だ。分かるな?」
「はい」
 ひざまずいていたレイモンドは、ややうつむき加減のまま、声を返す。
「世間が何と言っているかは知らん。我々はヒルジアがソントン候を毒殺した
と考えている。ネッド=ソントンを殺害したかどうかは別にして、だが」
 クリフは言葉を切った。
 ヒルジア=ソントンが夫を殺害するのは困難ではないと、司法局では見てい
た。食事にヒ素を混ぜ、ソントン侯爵を病床に就かせる。その後、甲斐甲斐し
く世話をするふりをして、少しずつヒ素を飲ませていけば、半年後には衰弱死
を装っての殺害は可能である。遺体を検査をしても、毒が検出されることは、
滅多にない。
 一方、ネッド=ソントンの死に、ヒルジアが関わっているかどうか、依然と
して不明瞭なままである。ネッドが倒れてから、その看病には彼の娘で、十六
になるロミーがつきっきりで行っている。ロミーはこの時点でヒルジアを疑っ
ており、この伯母の訪問を拒んだばかりか、一切の見舞品も受け取らなかった
という。よって、ヒルジアがネッドに毒を盛る機会はなかったはずなのだ。
「侯爵夫人のヒルジアは、トニオ=ヨークと手紙のやり取りをしている。その
中に、今度の毒殺に関する記述があるはずだ。情況証拠でもあれば、我々が動
いて、強制的に調べれば済むのだが、現状では難しい。万が一、何も出なかっ
たとき、相手が貴族なだけに、問題が大きくなるかもしれん。そこで、おまえ
の腕を奮ってもらう」
「承知しております。侵入、探索の後、手紙の存在を確かめ得たら、持ち帰る
ことなく、そのまま去る」
「そうだ。仮に、我らが望むような内容の手紙の類が見つからねば、他の証拠
を探さねばならない。可能性は低いが、毒を包んでいた紙、もしくは薬瓶、毒
薬そのものが残っている場合も念頭に置いて、当たってもらおう」
「万全を期すと誓います」
「結構。では、ソントン家の見取図を渡しておく。外から調べた範囲で判明し
た図だ。言い換えれば、図にはない秘密の部屋や隠し扉があるかもしれない、
ということだ」
「その点に関しては、多少と言えど、心得ているつもりです。実際、この図面
を一見し、非常に気になる空間を見つけたところでございます」
「頼もしい。朗報を期待する」
 相変わらず抑揚のないクリフの声に送り出され、レイモンドは動き始めた。


−−続く




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