#3222/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 3/15 2:54 (200)
ホワイト・バレンタイン 2 寺嶋公香
★内容
四組の部屋が締められるまでの時間をつぶすため、図書室に向かった。古文
は苦手だけど、小説を読むのは好き。色んなタイトルの背表紙を見回している
だけで、何だかうれしくなってくる。まだまだ、知らない世界がこんなにたく
さんあるんだって。
だから、図書委員なんてことをしている。今日みたいに貸し出しを受け付け
る係じゃないときは、図書室に出向く義務はない。にも関わらず、よく行って
いる方だなと、自分でも思う。
ともかく、本棚の谷間に入る。時間は三十分足らずしかないだろうから、じ
っくり読むのは無理。心に触れたタイトルの本を手に取り、ぱらぱら眺めるだ
けにしよっと。
壁から数えて二列目の通路で本を見ていたら、部屋の隅の方から声がした。
図書室にいるにしては、あまり遠慮の感じられない声高さ。
「うらやましい、古松め」
「ほんとほんと。きれいさで言ったら最高の部類だもんな、神谷は」
すぐに分かった。古松君と神谷さんの噂をしている。つい、物音を立てない
ようにページをめくる手さえ止め、立ち聞きする。
「それだけでも腹立つのに、他にもたくさんもらいやがって。一人にしとけよ、
まったく」
「俺達のところに回ってこないってか」
「全然もらえんのは悲しいけど、もらいすぎるってのもしんどいぜ。ホワイト
デーのお返し、大変でしょうがないだろ」
「そういう意味では、俺達、金かからなくていいよな」
「古松の場合、誰にお返しすりゃいいんだ?」
「あ? そうか、公認カップルになったら、他の女子には返さなくていいんだ
っけ?」
「そんなもてた試しないから、分からねえよ」
聞いてる内に、嫌になってきた。手早く本を戻し、その場を離れる。
そんなにもらっているんだ……。これからチョコレートあげたって、古松君
にとっては、神谷さんとその他大勢に過ぎないのかしら? 大勢の中の一人に
なるなんて……決心が鈍りそう。
しかし、時間はもうすぐ、三十分が経とうとしている。そろそろ、鍵がかけ
られた頃だ。
「……自分で始末するよりいいか」
声に出してみて、気持ちを固めた。受け取ってくれるだけでいいのよ、うん。
かばんを持って、廊下を急ぐ。とりあえず、四組に誰もいないことを確かめ
ないといけない。階段をかけて、二階へ出る。廊下を折れて、四つ目が四組。
と−−。
ちょうどいいタイミングだった。四組の子が一人、鍵を持って、すれ違った。
取りに行くため、すぐに方向を換えるのも変だから、時間をおいて、ゆっく
りと。いかにも四組に来てみて、ああ閉まってた、ていう感じで。
一階に降り、職員室に向かう。まだ試験期間に入ってないから、出入り自由
のはず。それでも見とがめられると、三組の私が四組の鍵を持っていく説明が
面倒になりそうなので、目立たぬよう、素早く鍵を取る。
さっさと職員室を出て、ややうつむき気味に、再び廊下を急ぐ。
そのとき、凄い勢いで走ってきた男子がいた。廊下を曲がろうとしていたの
で、危なくぶつかりそうになったほど。
「ごめん!」
あ? 今の、もしかすると、古松君の声だった? 振り返ってみたけど、も
う当の男子らしき姿はなく、確認できなかった。とにかく、急ごう。
さっきと同様、階段をかけ昇り、二階に着いたところで、突然、後ろから声
をかけられた。
「そ、それ、四組の?」
古松君だあ! 息を切らしてる。走ってきたみたい。
私はかばんを胸に持っていき、しっかり抱きしめながら振り返った。
「こ……このこと?」
右手の人差し指と親指とでつまむようにして持っていた真ちゅう製の鍵を、
おずおずかざす。
「そ、その鍵。四組のだよね」
「うん。そうよ」
横に並んで、歩き始めちゃった。
これまで話したことはあったけれど、二年になってからはほとんどなかった。
たまぁに、図書室で本を貸し出す際に、必要最小限の言葉を交わした程度。
「それで、三井さん」
名前、覚えてくれてる! こんなことでも、うれしくてたまらない。
「は、はい」
「四組に何か用でもあるの?」
−−しまった。舞い上がってて、すっかり忘れていた。
「まさか、鍵を間違えたんじゃないよね。さっき、四組の鍵だって、ちゃんと
言ったんだから」
「そ、そうなの。用があって」
えへへへと笑ってごまかそうとする。それ以上、深く聞かないでほしい……。
「ふうん。僕は忘れ物したみたいだから、取りに行くんだ。タオル、持って帰
って洗濯するつもりだったのに、机の中に忘れたみたいで、このままにしてお
くと、いくら二月でもちょっとやばいかなと」
「ああ、そうなんだ」
と言ってから、はたと気づいた。
古松君がいたら、「用事」がすませられないじゃないのよー! まさか、渡
したい相手の目の前で、机の中にチョコを入れるわけにいかないっ。
「どうしたの? 何か」
「ううん。な、何でもない」
「それならよかった。くだらない話したから、機嫌を損ねたのかと思って」
笑顔を見せる古松君。ますます好きになりそう。神谷さんの告白を受けた日
に、どうして私なんかに、そんな素敵な表情を見せるの?
「沢田が世話になってるんじゃない?」
古松君が聞いてきた。
「そんな、とんでもない。逆にお世話になりっ放し。−−そんなこと聞いてく
るぐらいだから、古松君と沢田君、まだ仲いいのね」
「もちろん。クラスが違うと何かと不便だけどね。でも、忘れ物したとき、借
りに行ける」
「あはは」
笑ってて、ふと、もう一つ、気になっていたことを思い出した。神谷さんの
こと。
「あの……神谷さ−−」
「鍵、貸して」
すぐ目の前に、古松君の手。いつの間にか、四組の前に着いていた。
「あ、ごめんなさい。私が持ってたんだ。あはは」
「案外」
扉を開けながら、古松君が何か言ってる。
「案外、三井さんって、ぼんやりする方?」
「え?」
「あ、気を悪くしたらごめん。意地悪のつもりじゃなくて、その……図書室で
受け付けやっているときの姿、凄くしっかりしているから」
「そ、そうかな」
黒板の前で立ち止まり、見られてるんだわ、と照れている内に、古松君はさ
っさと自分の机に向かい、タオルを取り出した。
「やっぱり、忘れてた。どじだよなあ」
「あのさ、古松君」
さっき言いかけたこと、思い切って、聞いてみよう。
「何?」
「神谷さんのこと……」
「ああ! あれなあ……」
急に恥ずかしげに、顔を赤くする古松君。やっぱり、彼女のこと……。
「噂になっちゃって、参ってるよ。手渡しなんか、受け取らなきゃよかった。
ははは」
「……彼女といっしょにいなくて……いいの?」
「あ、神谷さんなら、先に部活に。−−そうか、分かった」
古松君の声が高くなった。どきりとする。まさか、私の気持ちを?
「あ、あの」
「用事って、三井さん、誰かの机にでも、プレゼントを入れるんだろ?」
「え?」
私は自然、ぽかんとしていたと思う。ううーん、私の気持ちを知られなかっ
たのはいいけれど、違うの意味で悲しいよぉ。
「となれば、早く退散しないとね。鍵、ここに置くから、悪いけど、また返し
ておいて」
かちゃりと乾いた音。教卓の上に置かれた鍵。
「うまくいくといいね」
そんな言葉を残して、古松君は飛び出していった。
今の私にとって、これほど痛い言葉はちょっとない。
鍵を手に取り、強く握りしめた。
「古松君……」
また決心が揺らいできた。ここで古松君の机にチョコを入れたら、明日の朝、
当然、見つけるから……ひょっとしたら、私が置いたと分かるかもしれない。
ううん、そうじゃない。名前はメッセージカードに記してるから、どうせ分
かることよ。
あーん、やっぱりまずかったなあ、古松君と会っちゃったのは。いっそ、思
い切って、さっき手渡した方がましだったかな。でも、どっちにしたって、も
う遅いし。どうしよう……どうしよう。
目をつむり、二度、首を振った。
「ファイト、三井秋奈っ」
自分に声をかけた。自分を後押しするおまじない。
受け取ってくれるだけでもいいって決めたんだ。私は古松君が好き。古松君
が他の人を選んでも、気持ちを伝えるぐらい、いいよね。
かばんから小さな箱を取り出す。赤と白と金色とで格子模様が描かれた包装
紙に、ピンクのリボン。何度か出し入れしたせいかな、ちょっと歪んじゃった
みたい。
「その他大勢になりたくない。けど、気持ちだけは伝えたい」
そう唱えてから、私は小箱を古松君の机の中に入れた。
受け取って、ね。
二月十五日の朝、とても学校には行けないような状態で、私は布団から抜け
出した。
なかなか寝付けなかった。明け方、少しだけ眠れたみたいだけど、洗面所の
鏡で確かめてみたら、かなりひどい隈が目の下にできていた。
ぼーっと鏡を見ていると、昨日の記憶がよみがえってきて、なおのこと学校
に行きたくなくなってきた。
古松君、あれを見つけたら、どう思うかな。神谷さんのことを知りながら無
謀なことをする子だって思う? それとも、あのときすぐそばにいながら手渡
ししなかった変な子、かしら? それとも……。
考えてる内に、気が滅入ってきたような。古松君がまだあれを見つけていな
いのなら、今すぐ学校に飛んで行って、取り返したい。そんな気持ちが起こる。
あ、でも、朝練、やってるだろな。教室に立ち寄ってたら、もう見つけちゃ
ったかも。それに日直の人が早ければ、はち合わせだろうし。だめだあ。
あきらめのため息混じりに、身支度を始める。歯みがき、洗顔をのんびりと
したあと、ボブカットからセミロングになりかけの髪を何度も解き、髪留めを
差す。髪留めの色は、ライトグリーン。
「元気出せ、三井秋奈」
昨日のおまじないを、ささやくようにもう一度試す。少し元気が出てきた。
胸を張ってとまでは行かなくても、普段のように、学校に行けそう。
学校に着いて、半ば恐る恐る、四組の前を通った。教室の中をそっと覗いて
みれば、古松君の姿はない。助かった。朝練が終わってないんだわ、きっと。
刑の執行を延ばされたような気持ちを味わい、私は三組へと戻った。
自分のクラスに戻ってくると、待ちかまえていたのは舞子だった。
「朝休みの時間からわざわざ来なくても。忘れ物をして、私か沢田君に借りに
来たとか?」
「違うっ。秋奈、教えなさいよ。昨日のあれ、どうなったのよ」
「あれって、チョコレートの件?」
「当然」
「置いたことは置いたけど、いまだに見つけてもらえてないみたい」
「なっにいー。信じられないわな。結果報告が嫌で、でたらめ言ってるんじゃ
ないでしょうね」
「だから、受け取ってもらってないの。だってさ、古松君、バスケの朝練だよ。
教室には来てないんだもの」
「それじゃ仕方ないか……。けどさ、いいの、秋奈?」
「何が?」
質問を返した私を見つめる舞子の視線は、気の毒がっている。え? ほんと
に、何のことよ?
「神谷さんと古松君は、同じクラスなのよ。古松君が見つけた瞬間、神谷さん
にも知られる可能性大だよ」
「……あ」
それはまずいかもしれない。どうして昨日、気づかなかったんだろう。
「舞ぃ、そういうことは、昨日の内に言ってよお」
「私も忘れとったんだわ、はははは」
お下げを揺らして笑ってる。もう、他人事だからって、そこまでお気楽に笑
わなくても。
時計を見た。あと五分ほどで予鈴が鳴る。私は席を立った。
「どしたの?」
「私、取り戻してくる」
−−続く