#3192/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 1/27 10:51 (200)
遠眼鏡 4 永山
★内容
ただならぬ気配を察してか、ベルサは階下で一人、おびえてしまっていた。
彼女をロビンソン博士に任せ、フランクはカインの言葉をアベルに伝えた。
「まだ狙い続けるつもりですよ、カインの奴……」
「そのようだ。それに」
カインは去ったとは言え、何かしら気になって仕方がないらしく、仕切りに
窓外を見やるアベル。
「『確実にフランクを倒せるなら、ロビンソン博士を狙う理由もなくなる』、
確かに、そう言ったのだね、カインは」
「そんな意味のことを言いました。でも、分からないんです。僕の力では、ま
だカインを倒すのは無理だ。せいぜい、相打ちがいいところ。現時点では、カ
インの方が有利でしょう」
フランクは本心から言った。
「僕には隠している力なんて、何もない」
「−−そうか」
アベルは何か閃いたらしく、視線を窓の外から室内へ戻した。
「これまで二度、君がカインと相対した際、切り抜けられたのは何故か? 二
度とも、向こうが君の力をよく知らないという事実を利用した訳だよ……。カ
インが知りたいのは、フランクの能力の全てだ。この前のワンマン・デュオの
件で、君は自分が新たな能力を得たように見せかけた。それをあいつは信じて
いる。そして、その正体を探るために、眼についての特殊能力−−遠視のよう
なものかな−−を求めている。この想像に、無理はあるだろうか」
「遠視、ですか」
「そう。カインは思い込んでいるのだ。君が、隠している能力をカインの目の
届かぬ場所で試している、とね。それを探るには、その場にいなくても状況を
見ることができる、遠視のような能力があれば、一番だろう」
「筋道は通っていますね……」
「分かったことは、まだある」
アベルが言った。フランクがアベルの顔を見つめると、彼は片目をつむった。
「『今夜は出直すとしよう』、『夜道に気を付けろ』−−カインのこれらの言
葉は、夜しか動き回れない奴の不自由な立場を、如実に示しているとは思わな
いかね?」
トニー・リッチは、いつになく落ち込んでいた。
(畜生、チルトの馬鹿めが)
カウンターに上半身を持たせかけるようにしながら、彼はグラスの中身を呷
った。いくらか液体がこぼれ、口の周りを濡らす。
(いつまで経っても、三流雑誌の記者止まりだと? 約束が違うだと? 俺が
いつ、そんな約束したってんだ!)
口の周りを手の甲で拭いつつ、腹の中でわめくトニー。ふらふらと揺れる頭
からは、冴えない緑色のハンチングがずり落ちそうになっている。
(一流新聞社の記者になって、ばりばり働いてみたいって言う、夢は語ったか
もしれねえけどよ。そいつを、あの馬鹿女、勝手に受け取りやがって。その上、
何てこと言いやがる。『あなたって、名前と逆ね。いつまでも貧乏なまま。リ
ッチになんかなれやしない』ときたか。はっ、くだらねえぞ!)
「隣、いいかね」
不意に肩に触れられ、トニーは思わず、席から転げ落ちそうになった。背の
高い丸椅子なので、腰が安定していない上、心の中だけでわめいたつもりが外
に漏れ聞こえてしまったのかと、慌ててしまった。
「あ……いいですよ」
見上げると、身なりのいい男が、マントを店の者に預けているところだった。
「一人だね? 自分も一人で、話し相手がほしかった」
腰掛けると、男は、トニーが口にすることのないような類の酒を、バーテン
ダーに注文した。
「こちらにも、同じのを」
最後のそう言い出すのを耳にして、トニーは目を見開いた。
「い、いいんですか?」
「見たところ、静かだが荒れた飲みっぷりだ。もっと気持ちよく酔いたいので
はないかな?」
「え……分かりますか」
「当たっていたか。今夜、時間はかまわないだろう? 気が済むまで飲もうじ
ゃないか」
男の手が、トニーの肩に乗せられた。気のせいか、その手には必要以上に力
がこもっているように感じられた。
「もう三週間になる」
道すがら、ロビンソン博士が話しかけてきた。フランクは、右手を向いた。
「何がでしょう?」
「フランク君、君が私の護衛をしてくれるようになって、もう三週間だ」
「それぐらいになりますか」
頭の中で、日数を数えるフランク。確かに、それぐらい経っているようだ。
「それが何か?」
「三週間、何もなかった。カインは姿を現しさえしない。もう、守ってもらわ
なくて大丈夫じゃないかと思ってね」
「分かりませんよ。カインの奴、僕が博士の側を離れるのを待っているのかも
しれない。最初は、僕をアベルから引き離し、アベルの方を狙うつもりかと心
配でしたが、それもないようですし……」
フランクは言いながら、アベルのことを思った。アベルは今、コナン警部ら
数名の警察官の庇護の下にある。
「ふむ。しかし、これだけ何もないと、あの夜のことは夢だったのではないか
と思えてくる」
「実際、夢であれいいんですが」
夜空を見上げるフランク。満月は過ぎてしまっていたが、なかなかきれいな
月が光っていた。
金髪を風になびかせ、やや足早に歩くチルトの姿は、颯爽としていた。そし
てそのことを、彼女自身、常に意識している。
「お待たせ」
ダビド・デアックの姿を見つけ、チルトは意識的に駆け寄った。こう振る舞
えば、待合せの時間に遅れたことを反省しているように見える……。
「待った?」
「いや」
浅い色のサングラスを外すデアック。と同時に、作ったような笑みを浮かべ
る。男の方も、相当、意識的な振る舞いをしているらしく見受けられる。
「さあ、行こうか」
二人は腕を組むと、駅前の街灯の下を離れ、ゆっくりと歩き始めた。
人気の乏しい公園を抜ける。近道になるから、それがいつものコースだった。
早足で行く二人の前に、突然、人影が飛び出した。
「待ってたよ」
声は男のもの。チルトは、それに聞き覚えがあった。
「トニーね?」
暗くて判然としないが、人影は確かに、彼女の知るトニー・リッチのように
見える。
「どういうつもり?」
「君が僕を裏切っていたことを、この眼で見に来たのさ、チルト」
「裏切る?」
「二股をかけていたろう」
「違うわ。彼とはあなたと別れてから、知り合ったのよ」
「嘘をつくな」
トニーの断定的な口調が、緊張した場の空気を震わせる。
「おい、失敬な奴だな」
たまりかねたように、ダビド・デアックが口を開いた。心なしか、抑えた喋
り方だ。
「彼女が言っていることを、嘘と決めつけるなんて」
「嘘なのが明らかだからさ」
トニーは、不思議と自信たっぷりに言う。
「どういうことだ?」
「僕は見たんだ。彼女の日記と君の手帳を」
「な……」
呆気に取られ、デアックと顔を見合わせるチルト。
「僕とまだ付き合っていた頃から、君達二人は会っていたはずだ。今日、今の
ように」
「当て推量はやめろ」
デアックは、相変わらず押し殺したような調子で言った。
「違う。見たと言ったろう。一例を挙げよう。八月二十九日、午後六時十五分
以降。この日は、アルバーターホールで観劇している。出し物は『トリプル・
トラップ』だった。ちなみに、この日のおデートは、八月二十一日、デアック
の誕生日を祝う予定がずれ込んだもの」
「貴様……」
暗がりで見えないが、恐らく、デアックの顔色は激昂の色に変わっていただ
ろう。チルトは、薄気味悪さもあって、今の恋人の腕にしがみついた。
「俺の家に忍び込んだのか? 俺は弁護士だ、法律に詳しい。貴様を訴えてや
ろうか」
「忍び込んでなんかいない。僕は、この眼で見たのだ。自分の家の、乱雑に散
らかった机上に、頬杖をついたまま」
「何を訳の分からないことを」
「見たんだ。だからこそ、ここで待ち伏せることもできた。君達のお決まりの
コースだ」
「……どけっ」
苛立ってきたのか、言い争いをやめ、歩き出すデアック。自然、チルトも付
き従う格好になる。
しかし、トニーは道を譲らなかった。
「チルト、一度だけ聞く」
「な、何よ」
「僕のところに戻る気はないか」
「はっ! 言うに事欠いて、何かと思ったら。ないわよ。これっぽちもね」
かつての男友達を、チルトは思い切り罵倒した。
その次の瞬間、別の男の声がした。
「トニー・リッチ、時間をかけ過ぎだ。片付けるぞ」
声しか聞こえぬのに、全身が震えてくる。威圧的な声だった。
「あ、分かりました。今、彼女から答を聞きました。やってください」
トニーは、太鼓持ちのようにぺこぺこと、闇に向かって頭を下げながら、楽
しげに言った。
「い、行こう」
デアックはチルトの腕を引き、トニーの横をすり抜けようとした。
その真正面に、別の男が現れた。トニーよりもずっと立派な体格をしている。
「だ、誰だ?」
「ただ単に殺すというのは、久しぶりだ」
「え?」
デアックとチルトが声を揃えて聞き返した。
が、彼らはその返事を聞くことはできなかった。
男−−カインが答えなかったせいもあるが、より大きいのは、次の一瞬の内
に、デアックとチルトは首を切断されていたからである。
「これでよいな」
カインは、地面に横たわる頭部のない遺体二つを見下ろしながら、傍らのト
ニーに聞いた。
「はい。気が晴れました」
トニーは、さすがに少し、気持ち悪そうにしながらも、転がる二つの頭をし
っかりと眼で追っていた。
「では、これ以後、私のために働け。ターゲットを変更して、ようやく手に入
れた魔玉の者なのだ、おまえは」
「分かっております。カイン様のおかげで得たこの能力、存分に奮わさせてい
ただきます」
トニーは揉み手をしながら、頭を何度も下げた。
昼間から、カーテンはおろか、鎧戸さえもしっかりと閉じられた屋敷が一軒
−−カインの根城である。
「どうだ? 何が見える?」
カインは机に足を投げ出した格好で、家来としたスーパーレンズことトニー
・リッチに聞いた。
「相変わらず、フランクの居所はつかめません。いったい、どこで特訓とやら
をやってるのやら……」
申し訳なさそうに答えるトニー。
「ちっ! ふん、仕方あるまい。アベルの例のノートには、新しく何か書いて
あったか?」
「書いてあるにはありますが……内容はいつもと変わり映えしません。フラン
クの能力がどんなものかには言及しておらず、ただただ、順調に成長している
とあるだけです」
「何てことだ、くそっ」
長い指が椅子の肘掛けをこつこつと、いらだたしげに叩いている。やっと手
に入れた能力が成果を見せていないことに、腹立たしさを感じているのだろう。
「よし。続けて見張っていろ」
カインは命じた。−−ノートの記録は、アベルの艤装であるとも知らずに。
アベルはとうに、推測していた。カインがいつまで経っても、ロビンソン博
士を狙う様子がないのを訝しみ、すでに目的の能力を持つ魔玉の者を得たので
はないかと。対抗手段として、遠視されていることを前提に、フランクが秘密
の場所で新たな能力の特訓を行っているかのように、ノートに書き付けたので
あった。
−−「遠眼鏡」.終