AWC 死線上のマリア  8   名古山珠代


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#3161/5495 長編
★タイトル (AZA     )  95/10/31   2:25  (195)
死線上のマリア  8   名古山珠代
★内容
「ああ? 月谷先生なら、今日は来ていないよ」
 眼鏡をかけた男の教師は、のんびりした調子で答えてくれた。
 真理亜は、この先生も転校生のことを知らないのかどうか、気になった。だ
が、それを聞いてみた結果、絶望するのが恐かった。先生が全員、転校生のこ
となんか知らないと答えたら……そう考えると、今までにない恐怖感がわき起
こる。砂漠に一人、取り残されるような心細さ。
 真理亜は、あと一つ、理事長について聞くだけにとどめることにした。
「理事長先生は、おいでだよ」
「今、どちらに?」
「多分、理事長室だよ」
 そう答えてから、眼鏡の教師は、親切にも付け加えた。
「月谷先生の方はいいのかい? 何か用事があるんだったら、私の方から伝え
てあげてもいいんだが」
「あ。いえいえ」
 親切ではあるが余計なお節介に、真理亜は慌てた。両手を胸の高さで振って、
断りの意志表示。
「いいんです。大した用事じゃないし……理事長にお会いできたらすむことで
すから。何も、先生のお手をわずらわせなくてもいいんです。忙しいところ、
お邪魔してすみませんでした」
 真理亜は急いで頭を下げると、職員室を出た。足は理事長室へ向く。
 理事長室は、職員室から少し離れた、奥まった場所にある。
 病院の院長もしている人物が理事長であるせいか、廊下の壁の色は病院を思
わせる白。校舎の造りも、どことなく病院を連想させる雰囲気があった。
 長い廊下を行くと、ようやく、黒字に白い文字で理事長室と書かれた札が、
廊下側に突き出ているのが目にとまった。考えてみれば、こんなところに足を
踏み入れるのは、入学以来初めてだ。理事長に用があるなんてよほどのときで
ない限りないのだから、それも当然だろう。
 これまで、一度も入ったことのない部屋を前にして、真理亜は緊張する。
 落ち着くためのいつもの儀式−−深呼吸を、今は特に深く、しかも繰り返し
て、真理亜は覚悟を決めた。
 軽く右手を握り、その拳で扉を二度、ノックする。
「失礼します」
 そう言って、中からの声を待つ。
 ほとんど間を開けずに、「どうぞ」という、朝会などで聞いたことのある声
があった。かなりの年齢のはずだが、声は張りがあって、案外、若い。
「失礼します」
 と、もう一度言って、真理亜は戸を横に引いて開けた。
「君は?」
 明瞭な声が聞いてくる。部屋の奥にある立派な机に、威厳ある口ひげをたく
わえた紳士然とした男。理事長だ。
 部屋の雰囲気に圧倒されながらも、真理亜は答えた。
「二年三組の足利真理亜といいます。少し、お尋ねしたいことができたのです
が、お時間はよろしいでしょうか」
「ああ、かまわないよ」
 気さくな様子に、かえって真理亜は戸惑いを覚えてしまう。もっと近寄りが
たいかと思っていたのだが。
「まあ、立ってるのも何だね。そこの椅子に座りなさい」
 と、理事長が指差したのは、革張りのソファ。普段、来客に接するときに使
用する物だ。そこへ座った真理亜は、あまりにもクッションがきいているため
に、居心地悪く感じてしまう。
 理事長はきびきびした動作で、真理亜の正面に腰かけた。そして、間にある
ガラスのテーブルに、軽く手を置く。
「さて、用事は何かな?」
 これが医療にも携わる人というものだろうか。他の学校じゃあ、こんな理事
長は考えられないんだろうな。そんなことを思いながら、真理亜は話を持ち出
した。
「転校生が入ってくるという噂を耳にしたのですが」
 当たり障りのないところから始めてみる。これ以上踏み込むかどうかは、相
手の反応が分かってから。
「何かと思えば、そんな話ですか。転校生ね、来る予定になっていますよ」
 笑みを絶やさず、理事長先生は答えた。一見、何も知らないようだが……。
 真理亜は警戒心を解かないままに、質問を続ける。
「その生徒の名前、教えていただけないでしょうか?」
 こちらからは余計なことは、一切、言わない。何も知らないふりをしてみよ
う。
「ああ、別にかまわんよ。ちょっと待っておくれ」
 名前までは憶えていないよという態度で、理事長は立ち上がった。自分の机
の上にある書類をがさがさやったかと思うと、すぐに戻って来た。
 本当に知らなかったのかしらと思いつつ、真理亜は返事を待った。
「転入生の名前は、久保嘉奈子とあるね」
「あの……もう転入してきたということはありませんか?」
 恐る恐る、聞いてみる。
 すると理事長は、不思議そうな表情を見せた。
「そりゃあ、書類上は転入したものとなっているが……まだ来ていないはずだ
よ。何しろ、彼女はインドネシアから帰って来るんだからね」
 おかしいわ。そう感じた真理亜だったが、口には出さずにおく。
「いつ、転校して来るんですか。より正確に言えば、入寮する予定はいつにな
っているんですか?」
「どうしてそんなことを聞きたがるのか分からないのだが……」
「それは……まあ、噂が気になるんです。すっきりさせないと色々、差し支え
が出て来かねませんわ」
 真理亜は語尾を濁して、相手に早い回答を求めた。
「二学期、つまり、九月からだよ。最初は夏休みに入る前に何とかしようとい
う話だったんだが、向こうの都合で、遅れることになったのだ」
 理事長先生は言い終わると、少し首を傾げた。それから、真理亜に尋ねる視
線をよこしてきた。
「それにつけても……君、足利君といったかな? 転校生があるだけで、そん
なに気になるものなのかね?」
「いえ、たいした理由なんてありません。私の知っている子じゃないかと思っ
て、確かめたくなっただけです」
 適当に答える。あながち、外れてもないから支障ないはず。
「そうかね。それで、この久保という転校生は、君の知り合いだったと?」
「同じな名前の友達が、小学校のときにいましたから、ひょっとしたら、そう
なのかもしれませんわ」
「それは楽しみだね」
「あの、お願いがあるんですが」
「ほう、何だろう?」
「その子の、向こうの連絡先を教えていただけませんか」
「連絡先……?」
 おうむ返しに言う理事長。
 真理亜は聞かれぬ内から、理由を答えてみせた。
「久保さんだと聞いて、懐かしくなってしまいました。自分で電話をかけてみ
たいんですが。それに、英語の実際の勉強にもなると思うんです」
「それは、ちょっとできないな」
 難しい顔になって、相手は拒否の意志表示をした。
 真理亜はすぐに、問い返す。
「何故でしょう?」
「個人の情報を軽々しく教えるわけにはいかないんだ。たとえ、うちの生徒が
相手であってもね」
「久保さんは、私の小学校のときの友達なんですから……」
「それは、君が思っているだけじゃないのかな? 今ここで、私がもし、電話
番号を教えたら、当然、かけてみるつもりなんじゃないかね?」
「ええ。もちろんです」
「それで、向こうの久保嘉奈子さんが、君が考えている久保さんとは違う人だ
と分かったらどうなるね? そんなことになれば、私の責任にも関わってくる。
全然、関係のない人に個人のプライベートな情報を漏らしてしまったとなれば、
大ごとだよ。答えられないのはそういうわけだ。分かるね?」
「はい……」
「物わかりがいいのはよいことだ。それに、国際電話の料金は高いよ」
 理事長の口から、冗談が飛び出した。
 真理亜はどういう反応を示すべきか、迷ってしまう。さして面白いとは思え
なかったし、面白がっていられる状況でもなかったのだが、形だけ笑ってみせ
た。
 自分でも笑っていた理事長は、やがて口を開いた。
「これで用事は終わりかね?」
「すみません、もう一つ、あるんです」
 こちらが返事をしない内から腰を上げかけた理事長を、真理亜はすぐさま引
き留める。昨日の夜の、アレについて聞かなければならない……。
「何かね」
 別に嫌な顔も見せずに、また腰を下ろした理事長。
「昨晩のことなんです。私と同じ白雪寮の子が、夜、九時をとっくに回ったく
らいの時刻に、こちらに呼ばれたという話を聞いたんですけれど」
「ああ、あの話か。ええっと……B−1−8の生徒だったかな」
 記憶を手繰る風の理事長。
「そうです。湯川っていう生徒です」
「そうだ、そうだ。湯川、だったな。何か問題があったかな」
「問題とは言いませんが、何のためなのかよく分からないんです。アンケート
ということですけれど、わざわざ一人だけを、しかも夜遅くに呼びつけて、そ
んなことをする必要があるのでしょうか?」
「アンケートする意味はあるんだが、確かに、夜遅くという点は配慮が足りな
かったかもしれない」
 意外と素直に認める相手。どうやら、ここ辺りに弱みがありそうな気もする
が……確定的でない。
「一人だけに聞くというのは、どうなのでしょう。例えば、夏休みに入る前、
教室でみんなにアンケート用紙を配って行うという方法もあったと思うのです
が」
「今度、調べている項目は、一人ずつ、口答で答えてもらいたい類のものでね。
君が言うようなやり方は、ふさわしくないのだよ。昨日、彼女だけを呼び出し
たのは、最初の、いわばテストケースのつもりだったんだよ。これからも同じ
やり方を続けるかどうかとなると、まだ決まっていないのだがね。まあ、夜、
やるというのはやめておくことにしよう。これでいいかね?」
 自信にあふれた理事長の答。生徒の立場からすれば、どこにも隙がないよう
に見える。これでは崩しようがない。いや、理事長がどう関わっているのかも、
結局、判断できないままだ。
「ありがとうございました」
 ちょっと失敗だったかなという後悔を抱きつつも、真理亜はお辞儀をしなが
ら理事長室を出た。
 自分の城、要は自分自身の部屋に戻って来た真理亜は、髪の毛の仕掛けが何
もなっていないことに胸をなで下ろした。安心して中に入る。
 その一方で、がっかりもする。現況では、正体不明の『敵』である向こうが
何も起こしてくれないと、こちらの手の打ちようがないからだ。
(どう考えたらいいんだろ)
 床にへたり込むように座ってから、真理亜はこれまでの整理を試みた。
 久保嘉奈子の身を別にすれば、一番に気になっているのは、理事長先生が今
度の事件−−まさしく事件だ−−について知っているのかどうか、である。真
理亜が己を信じれば、月谷先生や寮母は、どう考えても嘘をついているとしか
思えない。はっきりしないのが理事長なのだ。
 湯川美代を呼び出したのは、確かに怪しい。でも、先ほど、勇躍、理事長室
に乗り込んだものの、理事長が美代を呼び出した理由を見つけられなかった。
アンケートということで押し切られてしまっている。
(こうやって、しつこく調べている態度を示していけば、何か動きが起こると
思うんだけど……)
 先の展開をこれ以上、推し量ろうとしても無駄だ。真理亜はそう判断して、
視点を転じてみる。
(考えるべきことは……そうよ、嘉奈子は今、どこでどうしているのか、だわ)
 肝心なことを思い出し、真理亜はやがて、身震いした。無事である保証が全
く、見当たらないからだ。
(……誘拐? 誘拐になるのかしら。部屋から力づくで無理矢理連れ去られて、
どこかに監禁されているとか。それにしては、おかしなことが多い。部屋をき
れいに片付けていくなんてこと、あるかしら。少なくとも、学校の誰かが関与
しているのは間違いないんだから)
 学校側に、一生徒を監禁する理由があるだろうかと、悩む真理亜。とても、
そんなことはありそうにない。
(例えば……テレビドラマの観すぎかもしれないけれど、生徒−−嘉奈子が学
校の秘密に関わる何かを知ってしまったら……。学校は秘密を守るために、嘉
奈子を拉致・監禁、ううん、それ以上のひどいことをするかもしれない。
 でも……転校してきたばかりの嘉奈子に、そんな秘密を知る機会があったな
んて、とても思えないんだけど。やっぱり、空想の産物だわ。
 他には……だめ。学校が校則ではなく、物理的な手段によって、生徒の自由
を実際に奪うなんて理由、考えにくい。それじゃあ、この考え方は間違ってい
る?)
 真理亜は目を閉じ、別の状況を探してみる。生徒が一人消えている。学校が
関与している。この二つを満たすような状況を。

−−続く




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