#3160/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/10/31 2:23 (179)
死線上のマリア 7 名古山珠代
★内容
「なかったよ、今までのところ。昨日の夜だって、戻って来ても何の変化もな
し。にぶいんかね、私は」
「そういうつもりじゃないけど」
言いながら考える真理亜。
最初は、誰だか知らないが学校関係者かそれに近い人が、湯川美代の部屋に
何か用があって、彼女を部屋から遠ざけた。目的が達成された後、美代は部屋
に帰された−−というような考えを組み立てていた。
でも、どうやら違っていたらしい。何のために、理事長は美代は呼んだのか。
美代自身に用事があったのか、部屋の方に用事があったのか。振り出しに戻っ
てしまう。そもそも、学校の関係者がこの一連の奇妙な出来事に関係している
のか、確実とは言えない部分がある。
真理亜は、一から考え直さなきゃならないと思っていた。
「気のせいだって。誰がそんなことするっていうの? 成績がいいのをねたま
れての嫌がらせとか?」
「そんなこと、全然、思っていないわ。ただ、何となく」
「だから、気のせいだって。夏休み、まだまだこれからってときに、そんなつ
まらないこと気にしてると、乗り切れなくなっちゃうかもよ」
そんな言葉をかけられ、真理亜は、雪村国彦のことを思い出した。まだ八月
まで少しあるというものの、こんなすっきりしない気持ちのままじゃあ、彼に
会っても楽しくない。一刻も早く、この状況から抜け出したいと強く願う。
いや、願うだけじゃなく、自分の力で何とかしたい。彼にだけは迷惑かけた
くないのだ。
「ありがとう、美代」
「は? 何のこっちゃ」
口を丸い形に開け、驚く様子の美代。
「私、お礼を言われるようなこと、何かしたっけ」
「した」
微笑んで、それだけ答える。
「そうかな」
「いい、美代? もし今後、何かおかしなことがあったら教えて。できれば、
部屋の様子にも注意しておいてほしいの。今日、話したばっかりなのに、大き
なお世話かもしれないけど」
「よく分からないけど……いいわ。その代わり、暇なときは話し相手になって。
一人だと、退屈で死にそうになるわ」
「喜んで。今はだめだけど、その内、自分も退屈するに違いないから」
「もう一つ。ご飯食べるときも、私、一人だとだめなんだよね。だから、一緒
に食べようよ。その方が楽しい」
「それぐらい、もちろん、いいよ」
「よかった。これで長い休み、どうにかなりそう。親んところに帰りたくなく
て残ってみたんだけど、やっぱり私にはできそうにないなってあきらめかけて
たんだ」
助かったという風情の美代の顔は、心から嬉しそうだった。
美代の部屋を出ると、真理亜は自分の部屋に戻った。他にも確かめたいこと
は多々ある。でも、美代と話している途中、自室の様子が気になり始めていた
のだ。
部屋の前まで来ると、周囲に誰もいないことを確認した上で、真理亜は例の
予防線に視線を落とす。
(……よかった。切れていない)
髪の毛は、早朝、彼女が張ったときそのままの状態にあった。
真理亜はそれをそっと剥がしてから、部屋に入った。
髪の毛が切れていないのだから、部屋の中も無事のはずだったが、一応、点
検してみる。異常はない。
まずは一安心して、彼女はベッドに腰を下ろした。
これからどうすべきか。次に真理亜の頭を占めたのは、それ。
タクシーのナンバープレートを見ておけばよかったな。いきなり思い浮かん
だのは、後悔の念である。タクシーのナンバーを記憶してさえいれば、外出許
可を得て、嘉奈子を乗せたタクシーを探し出すことだってできるのに。その運
転手はきっと、嘉奈子のことを記憶しているに違いない。
運転手の顔だけで探せないかしら。真理亜はあきらめずに考えてみる。昨日
の晩、あのタクシーが来た瞬間を、脳裏の幕に再現しようと試みる。ぼやっと、
車の影といくつかの光が描けた。
(……だめ)
あのときは転校生を待ち望む気持ちが強かったせいと、その転校生が知って
いる人だったためとで、他の印象がおぼろげにしかない。運転手の顔なんて、
とても明確に再現できそうになかった。
(タクシー会社の名前なら、分かっているんだけどな……。家具を運んできた
人はどうかな)
真理亜は可能性をそちらに求めた。
(でも、あの人、月谷先生と知り合いみたいだった。月谷先生があんな態度を
取っているんだから、あのトラックの運転手にもあんまり期待できないわ)
こちらの道も閉ざされる。
夕食を終えて、食堂から出、転校生が来る場面を目撃したのは、あいにく、
真理亜一人だけなのだ。このとき、もし、複数で見ていれば、こんなことには
ならなかったろうに……。真理亜は悔しくて、唇を噛みしめる思いになる。
あの場に居合わせた者は、真理亜、月谷、タクシーの運転手、小型トラック
の運転手、そして消えた嘉奈子だけ。真理亜の他の目撃者に証言してもらう可
能性は、完全になくなった。
この他に嘉奈子を見ている者は……と、考える真理亜。
(寮母の臼井さん……は、どうやら月谷先生の側だから、意味がない。あとは
……いないじゃない)
この事実にも愕然とさせられる。嘉奈子の姿を目撃したのは、真理亜の他に
先の四人だけなのだ。夏休み前日ということが、完全に災いしている。
しかも四人の内、二人は、嘉奈子の存在をなかったことにしたがっている。
もう二人は、どちらも真理亜の力では見つけ出せそうにない。
(目撃した人を見つけるのは、ほぼ、絶望ってわけね。いいじゃないの)
開き直る。
(こうなったら、真正面から聞くしかないわね、結局。寮母に聞く。寮母がだ
めなら、月谷先生。それでもだめなら、理事長先生に聞いてやろう)
真理亜は決心を固めると、すぐに行動に移した。
もちろん、考えもなく動いているのではない。昨日の夜、あれだけ『錯乱』
してみせたのだ。あれから、一日が明けただけなのだ。多少、妙な言動をした
って、「精神が参っているから」の一言で片付けてもらえる自信はある。何に
つけても大ごとにしたがらない学校の性質を考え合わせると、まだ安全なはず。
真理亜はそう計算する。
髪の毛の細工を再び終えると、彼女は寮母の部屋を目指した。
真理亜が顔を見せるなり、寮母の臼井は顔をしかめた。嫌な気持ちを、まる
で隠そうとしない。
それでも、気づかう態度だけは見せてくれた。本心からのものかどうかは、
分からないけれど……。
「あ、足利さん。もう大丈夫なの?」
「何のことでしょう?」
知らぬふりを通す。こちらから、あの取り乱した様を口にすることもない。
「何のことって……。ま、いいわ、忘れているんなら。それで、昨日はぐっす
り眠れたのかしら?」
寮母は戸惑いの表情を一瞬見せただけで、すぐに普段の様子に戻る。
真理亜は、窓越しに相手の目を見つめながら、
「はい、よく眠れましたわ。臼井さん、私、絶対に見たんだけどなあ」
と、様子見の一言を発した。
「……何のことかしら」
目をそらすと、寮母はさも忙しいように、手を動かし始めた。
「嫌だわ、臼井さん。もう、記憶力が悪くなるお年なの?」
言い過ぎかなとは思ったが、相手の反応を見るためだ。仕方がない。真理亜
はじっと、寮母の顔に注意する。
「……はっきり言うわよ、足利さん。あなた、昨夜もおかしなことを言ってた
わね。あなた自身はあまり自覚がないようだけれど。何にしたって、私は何も
知らないわ。何も知らないし、何も見ていないんだから、あなたの話にも、は
い、そうですよとうなずくわけにはいかないの」
「下駄箱、きれいじゃなかった。いつもは使っていないはずなのに、どうして
汚れていたんでしょうね?」
今朝、手に入れたばかりの持ち札の一つを、ぶつけてみる。
「さあ……どうかしら。大方、そそっかしい生徒さんが、間違って靴を入れた
んじゃないのかしら」
なかなか見事な答だと、真理亜は驚いてしまった。ひょとすると、誰かから
指示されているのかもしれない。
「もう一つ、思い付いたんですよね。こういうのはどうかな、って」
「何があるって言うの、足利さん? 聞かせてみて」
落ち着きをまとった言葉が、その口から流れ出る。
だが、冷静さを保とうとしているのが見て取れる、寮母の表情。こちらが何
を思い付いたのか、不安なんだ。真理亜は、喉まで出かかっていた言葉−−次
の持ち札を、慌てて伏せた。
不意に黙り込んだ真理亜を不審に思ったのだろう。寮母は、そむけていた顔
を真理亜の方へ戻してくると、のぞき込むようなポーズをした。
「どうしたの? 私には教えてくれないのかしら」
「やめました。どうせ、まともに聞いてくれるとは思えないですから」
「そう……」
気が抜けたような寮母。
そんな彼女をしり目に、真理亜はくるっと向きをかえ、その場を立ち去るこ
とにする。相手の側を不安にさせ、新たに何か動きを見せることを誘うという
方法もあったんだと、思いながら。
もちろん、危険なやり方だと自覚していたが、いざとなれば、有効な武器と
なるのも確かだと考えられる。真理亜は、自分が調べたことがどんなにつまら
ない小さな事実であっても、うかつに明らかにするのはつつしもうと決めた。
(ポーカーと同じよ。弱い手札をいかにも強そうに見せる。それさえうまくや
ったら、向こうが口を滑らせるかも)
真理亜はその点、自信を持っている。小学生の頃からトランプゲームによく
興じている彼女は、偶然に左右されるゲームよりも、技術が物を言うゲームが
得意。ポーカーに置き換えることで、彼女は道が開けたような気分になれた。
札−−知っている情報を伏せておくことの重要さを学んだ真理亜であったが、
あと一人、話を聞きたい人物がいた。多少の危険を冒してでも、その人にはこ
との次第を確かめてみたい。
理事長である。まだ、理事長先生には話を聞いてないだけに、気にかかる。
理事長がことの次第を知っているのかどうか、確かめなくては気が収まらない。
と言っても、理事長に会うなんて、一生徒にとっては大仕事。しかも、夏休
みに入ってしまっているから、学校にはもういない可能性が高い。
ともかく、真理亜は学校に行くこうと決めた。理由は単純。学校だけは、特
に外出の許可願いを届けることなしに、ただ告げるだけで、自由に行けるから
だ。白雪寮の寮母の目につかず、動けるのがよい。
夏休みに入ったとは言っても、学校は全くの静寂に包まれることはない。運
動系のクラブが、この猛暑の中、練習をするために集まるのがその理由。もち
ろん、女子校なのだから、日焼けを避ける意味で、陽が高くなれば体育館に場
所を移すのだが。
真理亜が学校の校舎にある時計で確認したところ、時間は午前十時を過ぎた
ぐらいだった。そろそろ暑くなる頃合。さっきまで運動場にいたクラブ活動の
生徒らは、見る見る内に体育館に吸い込まれていく。
運動場は静かになり、代わって体育館から反響したようなかけ声やボールの
跳ねる音が聞こえてくる。
その横を通り抜け、校舎内に入る真理亜。額に手をやると、わずかではあっ
たが、もう汗がにじんでいた。それは暑さのせいばかりでない。
真理亜はまず、月谷先生の姿を探すことにした。別段、話さなければならな
いことはない。ただ、その様子を見ておきたくなったわけである。
職員室の戸を、そっと開けた。見渡したところ、月谷先生の姿は見つからな
い。
とりあえず、緊張が解ける。内心、胸をなで下ろしてから、真理亜は一番近
くにいた教師に尋ねた。
「失礼します。あの、月谷先生はいらっしゃらないのでしょうか」
−−続く