#3157/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/10/31 2:17 (198)
死線上のマリア 4 名古山珠代
★内容
ところが、不自然なほどの静寂が続く。周りの部屋に生徒がいないせいもあ
るのだろうが、嘉奈子の部屋が沈黙しているのもまた事実だった。
(いないのか。ひょっとしたらまだ寮母のところ? まさか! 二時間ぐらい
経っているのよ)
心中、そんな自問自答をしながらも、結局、真理亜は寮母の部屋に足を向け
た。そこ以外、ここに来たばかりの嘉奈子が行くような場所を思い付かない。
「あっ」
部屋の前で、真理亜は声を上げた。寮母が外に出て行く姿をとらえたため。
「あの、臼井さん!」
彼女の声に、寮母は足を止めた。だが、その態度はどこかそわそわとして落
ち着きがない。
「足利さん、何ですか。私は今、忙しいんですから」
こちらに話すいとまを与えない、早口だった。普段と違う寮母の様子に、戸
惑ってしまう真理亜。
「お引き留めして申し訳ありません。久保さんのことで」
「だめ、忙しいからまた後で」
きつい調子で拒否すると、寮母はそのまま、外へ飛び出して行った。
「あ……」
真理亜は呆気にとられてしまった。そうして、次の段階には、相手にされな
かったことに対する不満がわいてきた。
「何よ、もうっ」
胸の内を言葉にすると、わずかではあるがすっきりする。
まだ、いらだっているけれど、今はそれどころじゃない。嘉奈子を探そう。
真理亜は再度、B−1−9に向かった。
さっきはドアのノブを回してみないでいたことを思い出した真理亜は、最初
にそれを実行に移した。
ノブは、少しの抵抗もなく、くるっと回転した。
「あ、開いた……。嘉奈子、いる?」
いきなり入ってはいくら何でも失礼という思いがあって、彼女はそろそろと
ドアを開けていく。
ドアが開くにしたがって、視界も開けていく。だけど、嘉奈子の姿は見えな
い。ドアが開ききった後も、この部屋の主人は見つからなかった。
「どこへ行ったっていうのよ。……あ」
一つ、閃いたことがあった。
(寮母のおばさん、お風呂のことも説明したのかな。だったら、すぐに入りに
行ってもおかしくない。長旅の後なんだから)
真理亜は、またも方向転換を強いられた。今度、目指すのは浴室。嘉奈子は
そこにいるものと信じた。
ただ、部屋に鍵がかかっていなかった点に不自然さを覚えた。
(いない……)
息を切らせ気味の真理亜は、言葉に出さずに落胆した。額や手に湯気を感じ
る。走ったせいもあって、全身がすぐに濡れそぼってしまいそうな熱気。
真理亜はその場を離れた。
(どこよ、嘉奈子……)
他に行くべき場所がない。
(もう一度、嘉奈子の部屋に行ってみるしかなさそうだわ)
真理亜はそう判断した。今夜、何度目かのダッシュ。
汗が出てきた。幸い、お風呂に入るつもりで準備していたタオルがあったか
ら、それを手拭い代わりにする。
嘉奈子の部屋。ノブに手をかけた。
「え?」
声を上げる真理亜。
当然、開くものと思っていたドアが、開かないのである。さっきは間違いな
く、開いていたわ……それなのに今、何故、閉まっているの?
「あ、そうか」
意識することなしに、彼女はひらめきを声に出した。
「戻って来てるのね、嘉奈子。私よ、真理亜よ。開けて」
言いながら、軽くノックする。コンコンと、二度。
しかし、それでも部屋の中から返ってくる声はなかった。
「嘉奈子。いるんでしょ? もう寝ちゃったの?」
声を大きくした真理亜。不安をぬぐい去りたくて、無理にでも自分の考えを
信じ込もうとしている。
ノックする強さも徐々に強くなっていくありさま。他の人への迷惑なんて、
考えていられなかった。
やがて、ドアを叩く手が痛くなってきた。ノックはやめた。見ると、手のひ
らに汗がにじんでいる。それにより、さらに焦燥感が増幅される。
急に、真理亜は思い出した。一人、この階の生徒が残っているはずだ。その
子が何か見るなり聞くなりしているかもしれない。そんな期待が起こった。
あの子は確か……。記憶をたぐり、部屋番号を思い出そうとする真理亜。さ
して親しくしていない相手だけに、なかなかはっきりしない。
こんな努力をするよりも、廊下の端から、全部の部屋のノブを回していった
方が早い。そう思い付いた真理亜は、すぐに実行に移した。
かちゃ、かちゃ、かちゃ……。
ノブが回らない、抵抗感。むなしい音が、蛍光灯の冷たい明かりの下、長く
響き渡り続ける。
ついに、スタートした場所とは反対の端にたどり着いてしまった。十一部屋
全部を調べてしまったのに、どの部屋のドアも開かないし、人のいる気配もな
い。
(信じられない! 何よ、これ? 一人は絶対にいるはずなのに。眠っている
にしたって、これだけ騒いでるんだもの、気付いていいはずよ)
一くさり、心の中で毒づく真理亜。そして、最後の期待を込めて、寮母の部
屋へと向かった。
が、その期待も簡単に打ち砕かれる結果が待っていた。まだ、寮母は戻って
おらず、その部屋には誰もいないらしい。
真理亜は激しく頭を振った。
(……そう。入学の手続きとかがあって、学園長や理事長先生のお宅へ寄せて
もらっているのよ。そうに決まってる。夜、遅いけど、夏休みに入ってしまう
前に処理しておきたいんだわ、きっと)
これしかない。そう思って、もう自分は引き返そうと決めた真理亜。自分を
納得させるため、何度もその場でうなずく。
後ろ髪を引かれつつも、不安な気持ちを吹っ切った真理亜。彼女の足が、階
段の方へ向きかけたそのとき、廊下に風が流れ込んできた。夏なのに、やけに
冷たく感じられる風……。
振り返って見れば、玄関の扉が開き、また閉まるところ。そう、寮母が戻っ
て来たのである。
「臼井さん!」
足はまた向きを元に戻し、そのまま走り始める。
戸惑ったような表情をかいま見せた寮母だったが、すぐに威厳を取り戻した
らしく、真理亜を叱る。
「何ですか、はしたない。廊下は走ってはいけないと、常日頃からあれだけ言
っているでしょうが。それに一体、今、何時だと思っているんです」
それにかまっている余裕は、今の真理亜にない。
「久保さんはどうしたのでしょう?」
「……」
この問いかけに、寮母は不思議な表情を見せた。ほんのわずかな間だけ、目
を見開いたように、真理亜には感じられた。が、それは気のせいだったのかと
思いたくなるほど素早く、その表情は次へと移っていく。
「臼井さん……?」
「……足利さん、あなた、何を言っているんです?」
「え?」
今度は、真理亜の方が目を白黒させる番だった。どういうわけか、会話が全
くかみ合っていない。
「何をって……久保さんのことをお聞きしただけですが」
「久保さん? 誰なんです、その方は?」
「は?」
真理亜の方の表情は、いまだ驚きの色が抜けきらない。寮母は何を言ってい
るのだろう……?
「誰って、転校生です。今夜、この寮に入った久保嘉奈子さんですわ」
「久保嘉奈子……はて」
いやに古めかしい言葉をもらした寮母。どこか、芝居がかっている様子も見
受けられるが……。
「私は二年生の生徒さんは皆さん、その名前を記憶しています。けれども、久
保嘉奈子という名前に心当たりはないわね」
自信満々の寮母。
真理亜は、頭の中が混乱しかけていた。きれいに盛りつけてあった料理が、
ぐちゃぐちゃにされていく、嫌な気分に似て、どこをどう解釈すればいいのか、
分からなくなってくる。
「嘉奈子は転校生なんです。ですから、まだ知らされていないということはな
いのでしょうか」
「それは絶対にありません。転校生が入ってくるとなれば、当然、私にも知ら
されているはずですよ。それに転校生だったら、かえって記憶に残るはずだし」
寮母は、真理亜をなだめるような目つきで見つめてきた。
「足利さん、あなた、何か勘違いしているんじゃないかしら」
「そんな」
「出なければ寝ぼけて夢とごちゃ混ぜにしているか、誰かにだまされたとか」
「違います!」
必死に言うのだが、相手は最初から信じる気はないらしい。
「まさか、足利さん。私を引っかけようとしているの? だったら、いくら優
等生でも、許しませんから」
「そんなんじゃありませんっ。私は見たんです。久保嘉奈子に会って、話をし
て、部屋に案内して……。その子が今、いなくなっているんですよ!」
「あまりしつこく言うと、私の方としても、何らかの処罰を考えなきゃならな
くなるわね。それでもいいの?」
意地悪なおばあさんのような、寮母の笑み。ぞっとしない。
「でも、私」
言い淀む真理亜。彼女はそのとき、思いだした。
「あ、月谷先生!」
「先生がどうかしたんですか」
「私、月谷先生から頼まれたんです。その子を部屋に案内するように。ほら、
臼井さんにもメモを見せたでしょう。思い出してください。ついさっきのこと
です。忘れるはずがありません」
「残念だけど、何も憶えていないわね。少なくとも、あなたが主張するような
話は、記憶にないわ」
「そんな……。あ、あの、それよりも、だったら、月谷先生に確かめてくださ
い。先生なら、何もかもご存知のはずですから。多分、今はどこかに出かけら
れていると思いますけど」
「こんな時間に、先生を呼び出すの?」
とんでもないことだという感じで、寮母は腰に手を当てた。
「お願いします。ご迷惑をおかけするのは心苦しいんですけれど」
自分でも何を言っているのか、よく分からない。とにかく、真理亜は言葉を
尽くした。月谷先生さえ来てくれれば、私の言っていることの正しさが証明さ
れる……。それを信じて。
その熱気に負けたか、寮母の臼井は、ため息混じりに言った。
「しょうがないわね。何もなかったとしても、私は責任取れないから」
そう断って、寮母は自分の部屋に入っていった。電話をするのだろう。
月谷先生をすぐにはつかまえられなかったらしく、何本か電話をかけていた。
そして五分もしただろうか。寮母は真理亜の前に戻って来た。
「あの、どうでしたか」
恐る恐る、真理亜。
「来てくださるそうよ。十分ほど、待っててほしいって」
「よかった……」
安堵した真理亜は、思わず、その場にへたり込みそうになった。が、それは
何とか踏みとどまって、壁にもたれ掛かる。
十分は長かった。寮母に話すことは、もう何もない。いくら言っても、寮母
ご自慢の記憶からは、久保嘉奈子のことがすっぽりと抜け落ちてしまっている
ようだった。沈黙が続いた。
「やあやあ、遅くなった。悪い」
十二、三分もした頃だったか、にぎやかに言い訳しながら、月谷荘助先生が
白雪寮にやって来た。
「飲んでいたもので、車の運転ができなくて、参ったよ」
「先生、わざわざご苦労様です」
寮母が言った。それから、事情の説明を始める。
「実は、この子がおかしなことを言い出して、困っているんです。全然、話が
合わなくて。そうしたら、急に先生を呼んでくれと言いましたから……」
月谷は分かったという風にうなずくと、真理亜の方に向き直った。飲んでい
たと言う割には、きちんとした格好をしている。
「さて、どうなっているんだ?」
「月谷先生。先生は私に、転校生の久保嘉奈子さんを案内しろって、言いつけ
られましたよね」
真理亜は、イエスの返事がもらえるものと、信じて疑わなかった。しかし。
「……?」
どうしたことか、月谷もまた、奇妙な、戸惑ったような表情になっている。
「まさか、先生まで、そんなことはなかったとおっしゃるんですか?」
「あ、いや……」
片手を後頭部にやる月谷。
「すまんが、憶えておらんのだ。足利、嘘を言ってるんじゃないんだろう?」
−−続く