AWC 入れ替わる 2   永山智也


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#3124/5495 長編
★タイトル (AZA     )  95/ 8/29  23:53  (200)
入れ替わる 2   永山智也
★内容
「江崎さん、でしたか……どういう状況だったのか……話してくれますか」
 隣で夫が言っていた。美沙子も、江崎から何度もその話を聞き出しているが、
すぐにおぼろげになってしまう。忘れたがっているせいなのだろうか。
 江崎は高校のとき、正や進と同じ学年だった子だ。特に、正とは同じクラス
だったこともあって、親しかったようだ。
 去年、正が受験に失敗したとき、美沙子の脳裏には、この女生徒のせいだと
いう考えが、一瞬であるがよぎった。恋愛をすれば男だけ成績が落ちるという
話を聞いて、それを鵜呑みにしていたためだ。江崎と正がそう呼べるほどの関
係だったかどうかは、美沙子には分からない。が、美沙子は江崎のその後の態
度を見て、すぐに考えを修正した。正の再挑戦を、側でサポートしてくれたの
だ。その様は、双子の兄の進よりも積極的だったと言えるほど。
(受験当日だって、進は急に健康診断に行くとか言い出して、逃げたのに……。
江崎さんはついて行ってくれた)
 そんなことを思いながら、美沙子は何度目かの、江崎の話に耳を傾けていた。
 彼女の話があらかた終わったところで、夫が口を開いた。
「どこか上の空の調子で、ふらふらと車道に飛び出した、か……」
 その表情は、ずいぶんと難しげである。
 江崎が、遠慮がちに付け加えた。
「……あの日は朝から正君、様子がおかしかった気がするんです」
「おかしかった?」
 初めて聞く話だった。美沙子は目を見開き、身を乗り出した。
 その様子に気圧されたか、江崎は顔の前で手を振った。
「いえ、あの、おかしかったと言ったって、私が感じただけなんです。ただ、
何となく……」
「それでもいいわ、話してみて」
 求める美沙子の横で、夫は押し黙り、考え込む様子。いや、状況を見守って
いると言った方が適切か。
 江崎が始める。
「はい……。朝、駅で待ち合わせしてたのはご存知ですよね?」
「ええ」
「そのときから、正君、何か様子が変で。どういう風にと言われたら困るんで
すが、ぼんやりした感じでした」
「ぼんやり……」
 正がときどき、そんな様子を見せることがなかったとは言えない。でも、受
験当日にぼんやりなんて、ありそうにない話だ。
「それ、リラックスしていたというのじゃないわね?」
 美沙子の問いに、しばらく考える風にしてから、やがて首を横に振った江崎。
そして続けた。
「私が話しかけてからは、よく喋っていたし、リラックスしていたと言えると
思います。でも、私がプラットホームに上がってきて、彼の様子を見たときは
……ぼんやりとしか言い様がありません」
「英単語帳とか参考書とか、何も見ていなかった?」
「そう言えば……見ていませんでした」
 首を傾げる江崎。
 これには、美沙子も奇異な感じを抱かざるを得ない。あれだけ自信なげだっ
たあの子が、当日、何も見ていなかったなんて。開き直っていた態度の表れだ
ろうか。そうだとしたら、リラックスしていたという話とは辻褄が合う。でも、
ぼんやりというのと開き直りとは、違うのではないか。
「終わってからは、どうでしたか」
 ふっと思い付いて、美沙子は尋ねた。事故に遭う直前も、正の様子はおかし
かったのだろうか。
「終わってからとは、試験が終わったあとという意味ですよね……。そうです
ね、躁鬱病って言うんでしょうか? 凄く気分が高揚している状態と、逆に凄
く落ち込んでいる状態が繰り返し表れる、そんな感じでした」
 分かりにくかったので、美沙子は、具体的にどうだったのかを聞く。
「こんな言葉を口走っていたはずです……『もう大丈夫』って。笑いながら、
何度も『大丈夫』と言って、私の肩に手を回してさえきました。そんなこと、
今までになかったからびっくりしちゃって」
 江崎の言葉に、美沙子も少なからず驚かされた。いくら試験が終わって開放
的な気分になっていたにしても、あの子がそんな振る舞いをするなんて、考え
にくかった。進ならともかく、どちらかと言えば引っ込み思案の正に似合わな
い。
「かと思ったら、突然、黙り込んでしまって……。ずっとうつむいたまま、ど
んどん先に行ってしまうんです。『だめだ、だめだ』みたいなことをぶつぶつ
言いながら」
「……普通じゃないな」
 夫がようやく口を開いた。
「だが、自分から道路へ飛び出したというんじゃなかったんだろう?」
「はい。それこそ、ぼんやりしていて、あっと思ったときには、もう……」
 唇を噛みしめる様子の江崎。
 話が途切れた。息子の死の瞬間の話が出れば、それに続くものはない。
 その内に、夫がつぶやいた。
「……進の奴、まだ帰ってこないのか」
 それについては、美沙子も気になっていた。
 とうの昔、健康診断を受けた病院に連絡を入れ、事故の発生を知らせている。
それなのに暗くなった今になっても、帰って来る気配がない。
「どうしたのかしら……」
 まさか、あの子まで事故に遭った? そんな妄想を美沙子が抱いたとき、よ
うやく、玄関の方で音がした。
「進?」
 美沙子は名を呼びながら立ち上がった。玄関へと通じる廊下に出ると、暗が
りに人影が見えた。電灯はつけていたはずだから、帰ってきたこの子が消した
のだろうと、美沙子は判断した。
「……ただいま。遅くなって、ごめん」
 言いながら、生き残ったもう一人の息子は、美沙子の横をすり抜けるように
して居間に入った。
「どうしていたんだ?」
 美沙子の予想していたよりもずっと静かな口調で、夫が聞いた。もっと怒る
と思っていたのだが……。外からは窺い知れないが、この人にも正を失ったシ
ョックが渦巻いているのだろうか。美沙子はそんな心配を抱いていた。
「やあ、江崎さん……君も来ていたの」
 夫の言葉−−息子からすれば絶対的であるはずの父親の言葉を無視して、双
子の片割れは言った。目は江崎優佳の方を向いている様子。彼女の方は、戸惑
ったような表情から、黙礼を送った。
 やがて視線を戻すと、彼は震える声で答えた。
「弟……正が死んだと聞いて、凄くショックを受けて……。受けたというか、
衝撃みたいな感覚が、身体の中を貫いたような……。それがさ、実は、事故の
連絡を受ける前に、感じていたんだよ。あとで聞いたら、その時間、正が交通
事故にあった時刻と重なっているんだ」
「す、進……」
「双子だけにある、精神感応っていう奴なのかな……。今まで信じちゃいなか
ったけれど、実際に体験して、初めて信じられた。
 どうしていたのか、だっけ。何だか分からないんだけど、ずっと身体に伝わ
る物があって……帰るに帰れなかった。さっきも言った、精神感応だと思うん
だ。弟の声が聞こえる気がして……『置いて行かないでほしい』って」
「どこにいたの?」
「色々と……日の高い内は公園にいた。それから図書館に行ったり、喫茶店に
入ったり。さすがに映画館には入る気になれなかったよ」
 ため息混じりに言うと、彼はついと居間を出て行こうとした。
「待って、明日の話とか」
「もうしばらく、一人でいさせて」
 美沙子の言葉に、息子は冷たい声で応じた。話している言葉は決して冷たく
ないのだが、その口調は……。
 美沙子は仕方なくなって、夫の方を見た。
 彼は、うむという風にうなずくと、子供の背に声をかけた。
「進」
「……何、お父さん」
 振り返った息子の目は、光が感じられず、まるで精気が抜けてしまったよう
であった。
「気が向いたらでいい。あとで部屋に来なさい。話がある」
「……分かった」
 ゆるゆると意志表示をすると、彼はまた背を向け、これもゆっくりとした足
取りで階段を上がり始める。
 黙って見送るしかない美沙子。
「……進君、大丈夫でしょうか」
 その姿が見えなくなるのを待っていたように、江崎が言った。
「え? ええ」
 反応できたのは美沙子だった。無理に取り繕って小さな笑みを浮かべると、
美沙子は答えた。
「きっと……大丈夫よ。ね、江崎さん。今日は本当にありがとう。助かったわ。
もう、ここまででいいわ。あんまり遅くなると、何かと大変だし」
「はい……」
 この重苦しい雰囲気から解き放たれて救われたような、その一方で後ろ髪を
引かれているような、そんな二つの感情。その二つが入り交じったような、複
雑な表情で江崎は帰って行った。
 美沙子と夫、二人だけになる。互いに顔を見合わせるも、すぐには会話は再
開されない。
 美沙子は逡巡していた。これからの話をすべきだろうか、正の思い出を語る
べきだろうか。他にもしなければならない話がいくらでもある気がして、頭の
中がまとまらない。
「疲れた」
 不意に、夫がぽつりと言う。
「部屋で休ませてもらおう。進が来るだろうしな」
 それだけ言い置くと、彼はさっさと立ち上がった。
 美沙子も疲れている自分を意識したので、別に止めようとはしなかった。

 自分の部屋、明かりはいつもより一段階、落としていた。立派な机に両肘を
ついて頭を抱えるようにしているところへ、ノックの音がした。
「入れ」
 ぶっきらぼうな調子で言う。それでものろのろと振り返ると、ドアを後ろ手
に閉めている息子の姿を見た。
「お父さん」
 その声はうわずっている。しかし、目はしっかりとこちらを見据えている。
「……正、なんだな?」
 自分で指示したこととはいえ、自信がなかった。目の前にいる双子の片割れ
がうなずいてくれたおかげで、ようやく安心できた。
「とにかく……座ったらどうだ」
 突っ立っている正−−今や一人しかいなくなってしまった息子に、そう言葉
をかけた。素直に応じてくれた。
「どうするんです、お父さん」
 普段の口調だ。だが、大声で詰問されるよりも嫌なものがあった。
「まあ、待て」
 手で制してから、言うべき台詞を考える。こちらも頭の中が混乱しており、
思考にまとまりがない。
「……健康診断のとき、変に思われなかったか?」
「ああ、あの医者なら、兄貴と僕の見分けなんて、元々できていないよ。進だ
と言えば進で通ります」
 正は、どうでもいいというように、早口で答えた。
「それよりも、これからどうなるんですか」
「……今さら、本当のことを明かす訳にもいくまい」
 それだけ言うのが精一杯で、あとは足を組む動作で、気持ちを曖昧に隠す。
「じゃ、じゃあ」
 呆気に取られたような目で、正は私を責める。
「これからずっと、兄さんとして生きろと言うんですか? 松坂正を殺し、松
坂進として生きろと?」
「それしかない」
 一転、強く出る。いつもの威厳を保たねばならない。そうしなければ、丸め
込めるはずもない。
「冗談!」
 声を高めた正を、すぐにたしなめる。外に声が漏れてはまずいのだ。
 すると今度は、言葉遣いが荒くなった。こんな話し方をする正を見た記憶は、
全くない。
「……どういうつもりなんだよ……」
「正……」
「そっちの勝手で入れ替わらされて、もう戻れないって? 全く、冗談じゃな
いよ」
「……」
 強く出るつもりだったのだが、言葉が出ない。
「そっちは替え玉させていたことがばれなきゃ、それでいいんだろう? だっ
たら、こうしようよ。今度のことは、僕と兄さんの間だけで成立していたこと
だってね。そうしたら、そちらには影響がない」
「馬鹿な。そこまでできるか」
 口ではこう言ったものの、心では、そういう道もあったなと考えていた。し
かし、正の言う方法を採ったにしても、私への影響はゼロでは決してない。替
え玉受験をするような子供を育てた親だとか、それほどまでに子供達を追い詰
めた親だとか、とにかく悪い風に書き立てられるかもしれない。その可能性は
大いにある。
「おまえ……」

−−続く




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