#2993/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 3/19 9:31 (176)
十三の瞳 4 永山
★内容
テレビで流れた速報によれば、この辺りの揺れが一番激しく、震度四だった
らしい。詳しい被害状況は分からないが、津波の心配はないという。もっとも、
この山にいれば、よほどのことがない限り、波は襲ってこないと思うんだけど。
「まずは安心できたな」
沼井はテレビから視線を外し、私の方を見やってきた。
私達−−私と沼井友彦、千田幸正、阿川潤の四人は、コスモスの部屋に集ま
っていた。私の部屋に集まったのは、ここが一番、被害が少なかったから。他
の部屋は、家具が倒れたり、窓ガラスが割れたりしていた。
「それにしても、帰って来ないね」
阿川がぽつりと言った。
「吉村と遥子のこと?」
「そう。何かあったんじゃないかな。最悪の場合、地滑りとかがあって……」
「冗談、やめてよ」
私は声を高くした。そして笑おうとしたけれども、顔がひきつってしまう。
「冗談とも言えないんじゃないか、この状況では」
四人の中では一番落ち着いているらしく見える沼井。
「もう少し時間が経って、戻ってこなければ、探しに行く必要がある。懐中電
灯はある?」
「え、ええ。各部屋に一つずつ、停電に備えてあるはずよ」
私の言葉に、沼井は立ち上がり、入口近くの壁にかけてある懐中電灯を取り
外した。壁から外すと、点灯するようになっている。
「よし、ここは大丈夫だ。他の部屋の分も調べておくのがいい。僕は自分の部
屋のを見るから、他のみんなも」
そう言いつつ、彼は廊下へと出て行った。千田と阿川が続いた。
一瞬、一人でいることが恐くなる。一人取り残されたこの感覚は、長く耐え
られそうにない。それに、この部屋の天井だけが落ちてきたりしたら……なん
てことまで想像してしまう。死ぬのは嫌!
様子を見に行こうと腰を浮かしかけたら、三人が戻って来た。
「どの部屋のも使える。もちろん、吉村と坪内の部屋は鍵がかかっていて、確
かめられないんだが」
沼井が言った。
「叔父から鍵を借りれば」
私が言い終わらぬ内に、これまで黙っていた千田が口を開いた。
「そうだよ、そのおじさん、何してんのかね? あんだけの地震があって、俺
達のことを見に来ないなんて、おかしいぜ」
「そう言われれば……」
同意する阿川。
「ひょっとしたら、叔父が怪我を」
その気もないのに、両手で口を押さえてしまった。あまり親しくないとは言
っても、身内は身内。急に不安がこみ上げてくる。
「しょうがないな」
腰を上げたのは千田だった。滅多に見せたことのないような、真剣な表情を
している。
「俺が見てくる。沼井、おまえはみんなを守っていろよ」
「言われるまでもない」
苦笑を返す沼井。どうしたことか、ここに来て二人は意気投合した観がある。
緊急事態なんだから、協力してくれるに越したことはない。
「頼んだぜ」
千田は片手を上げて、一人、廊下へと出て行った。
「達江、心配するな」
ドアが閉じる寸前、千田のおどけた声がした。隙間から見えた彼の顔は、も
ういつもの表情に戻っていた。
千田が真っ先に駆けつけたのは、平沼達江の叔父が使っている部屋だった。
が、そこには誰の姿もない。家具なんかは全く無事で、何かの下敷きになって
いるとは考えられなかった。
「おじさん、どこだい?」
彼は部屋を出ると、そう言いながら、歩き回った。食堂や風呂場、遊興室、
しまいにはトイレまで覗いてみたが、金野はいない。
「しょうがないなあ、あのおっさんも」
つぶやいた千田の目に、玄関へ通じる廊下が留まった。廊下の板には白い粉
がうっすらと積もっているように見える。その上に足跡があるようなのだ。が、
いかんせん光量が乏しいこともあって、はっきりしない。
「まさか、外に出たのか?」
またしょうがないなと思いながら、千田は玄関を目指した。急いでも結果は
同じだという思いから、ゆっくりした足取りになる。
「ん?」
玄関を目の前にして、千田は異常に気付いた。玄関横の壁が、一部くずれて
いる。その正面、壁と向かい合うようにして大きな人影が立っていた。
「おじさんか?」
人影の背丈から判断し、千田は声を弾ませた。そしてどんどん近付く。
「無事だったんだ。いやあ、心配しましたよ。よかったよかった」
突然、千田は声を出せなくなった。同時に、口に激しい痛みを覚える。
千田の口には、異物が押し込められていた。
「?」
血の味を感じながら、千田は必死に異物を取り出そうと、手を口に突っ込ん
だ。上と下の唇のつなぎ目が切れているらしく、じんじんと痛みが走る。それ
をこらえ、彼は指先に力を入れる。
「ぷはっ」
ようやく異物は取れた。
「な、何だよ、これ」
歯の根が合わないまま、口を動かす千田。
彼は口の中にあった異物を見つめた。それは赤く染まっていたものの、確か
にコンクリート片であった。
「何で」
相手を問い詰めようと振り向いたところ、彼はいきなり右手首を捻られた。
ごみ収集車に巻き込まれたらこうであろう。そう思えるほどの勢いで、千田の
右腕はねじられていく。勢い、相手に背中を向けざるを得ない。
次に、彼の右手はより大きな手の中に握り込まれた。
「何をする!」
手を振りほどこうとしたが、それはかなわない。右手は無理矢理に丸められ、
拳の形になった。
右手を掴んでいる相手の手は、急な力を加えてきた。捻られたまま、曲がる
ことのない向きへ曲げ続けられる。骨の軋みが聞こえてきそうなくらいである。
「や、やめろっ」
そう言った瞬間、またも口をふさがれてしまった。今度、彼の口中を埋めた
のは拳だった。そう、彼自身の右手の拳である。彼は、自分の右手を食べるよ
うな格好をさせられている。
「あ、あがが」
今回は声が出た。だが、そうしたくて出している訳ではない。吐き気が襲っ
てくる。
すでに前歯は、ほぼ全部がぐらぐらになっていた。唇の切れ目が広がり、血
の混じったよだれがあふれ出していた。
不意に、大きな影は千田の右手を放した。反動で、背中から床に倒れる千田。
拳は口に残ったままなので、倒れた衝撃で、さらに奥深く入ってしまった。
影は跪くと、おもむろに斧をかざし、一気に横に滑らせた。
斧が千田の顔の上を通過したとき、彼は今までにない新たな激痛に悶えるこ
とになる。
ひっ。
声にならない悲鳴を上げる千田。彼の顔にはシャワーのように、血が降りか
かった。血のシャワーの噴き出し口となっているのは−−彼の右手首。そこか
ら先は、まだ千田の口の内部に残っていた。
右拳と口とのわずかな隙間から、げえげえと息を漏らす。拳を吐き出そうと
するが、どうしてもできない。
血で視界が悪くなった。それでも何とか相手の姿を捉えようとした途端、彼
の二つの目は、迫り来る指を見た。
あっと思う間は、全くなかった。二本の指は千田の瞼をこじ開けると、とっ
て返すようにして両目を上の方からえぐり始めた。
相当大きくて固いゴミが目に入っても、これほどまでに痛くはあるまい。そ
んな激痛に悶絶する千田。彼の視界は、それからすぐに、なくなってしまった。
外から見れば、今や千田の顔のかつて目のあったところには、暗い穴ができて
いた。その二つの穴−−岩窟には、どす黒い血が溜まっている。
殺される……。今頃になって、千田は意識した。とにかくこの場から去らな
いと。その一心で、彼は身体を起こした。右腕を床に突くと、彼の気持ちをく
じくかのように、尋常でない痺れの感覚を伴って、つるりと滑った。手首から
先がなくなっている上、散々捻られた関節の「ネジ」が馬鹿になっている感触
があった。
足には自信ある千田だったが、口をふさがれていては呼吸がままならず、す
ぐにばててしまう。ばてると言うよりも、普段通りに走ることすら不可能だ。
痛みと出血がいつまでも続き、意識が薄れかける。何より、突然、視界を失っ
てしまったのだから、どうしようもない。
ふらついた途端、足に衝撃を受けた。激痛に意識は元に戻ったが、足が動か
ない。アキレス腱の辺りを左右一度に切断されたらしかった。
(何で……おっさんが、こんなことを……)
動けなくなった千田は、その場にくずおれてから、その理由を考えた。が、
納得できる理由は何も思い浮かばない。
(他の連中に……知らせよう。それなら、助かるかも……。それには)
彼は左手で、口に突っ込まれている右手首を掴んだ。こいつを引き抜いて、
声を出すしかない。
血糊は固まりつつあった。が、まだ滑る。無理に引っ張ろうとすると、ぼろ
ぼろと涙が出た。
その様を、千田を襲った影が面白そうに眺めていたことを、千田自身は分か
るはずもない。
(くそ)
次の強襲が全く予想できないだけに、彼は焦った。意を決し、左手の人差し
指を、口の端に突っ込む。そして、一気に己の口を引き裂く。心の準備ができ
ていたせいか、さほど痛みは感じない。それまでにもっと強烈な痛みを味あわ
されていたせいもあろうが。
口を裂いて、大きくしたことで、右手首を吐き出せた。
「−−誰か」
救いを求める声を上げようとしたそのとき、彼の一縷の望みはかき消された。
彼の真正面、猛スピードで迫っていた斧は、千田の喉仏を横に切り裂き、何
度か左右に動かされたあと、その首を跳ねることに成功した。
首が床に転がったあとも、身体はびくんびくんと痙攣を繰り返し、その切断
面からは、盛大に血の噴水が湧いていた。
鉄の匂いと汚物の臭い。異臭が立ちこめ始めた。
余震が一度あった。そのときは、また大きいのが来るのかと身を固くしたけ
れど、すぐに静かになったので、緊張が解けた。
「遅いな」
落ち着かぬ様で、沼井がつぶやいた。続けて私に聞いてくる。
「ペンション内を見回るのに、どれぐらいかかる?」
「え……十分もかからないわ。部屋の並びをよく知らなくても、十五分もあれ
ば充分なはずよ」
「十五分はとうに経っているな。……さっきの余震で、下敷きになったとかじ
ゃなければいいんだが」
彼は腰を浮かしかけた。私はその腕にすがりつく。
「どこへ行く気?」
「様子を見て来ようかと思って。あまりにも遅い」
「行かないでよ。あなたはここにいればいいのよっ」
「二人でいれば大丈夫だろ」
と、阿川と私を示す沼井。
「嫌よ。一緒にいて。いなさいよ」
−−続く