#2992/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 3/19 9:28 (194)
十三の瞳 3 永山
★内容
* *
「何てことだ……」
うめくように、金野卓也。ペンションを取り仕切る彼は今、その玄関で立ち
尽くしていた。地震が収まって、真っ先に駆けつけたのは、客の部屋ではなく、
ここであった。
先ほどの地震はかなりのものだったらしく、玄関横の壁の一部がくずれてい
た。かけらが床に散らばっている。
「くそっ!」
一声、怒鳴ると、手に取ったかけらを叩きつける金野。
(この状況は誰にも見せられない。何かで覆ったとしたら、どうか……。いや、
不自然だ。他にも崩れた壁はあるだろう。ここだけ覆うってのは、かえって疑
われるんじゃないのか)
金野は頭を抱えた。
(しかし、隠さぬ訳にはいかぬ。見られてはいかんのだ)
彼の目に、下駄箱が映った。地震の揺れの影響だろう、下駄箱の戸が少し開
き、木の棒が覗いていた。
金野の脳裏に、ある計画が浮かんだ。
(やるしかない)
意を決したように唇を結ぶと、彼はその棒を手に取った。
棒の先端には、鈍く光る大きな金属の塊が付いていた。斧であった。
(扱い慣れたこいつで、全員を)
そう思っている矢先、玄関の向こうでかすかな音がした。
(……忘れていた。外に出ているのがいたんだったな。玄関を通す訳にはいか
ない。あの二人から取りかかるか)
先手必勝とばかり、金野は玄関の扉のノブに手をかけた。
* *
吉村は、背中の坪内遥子に声をかけた。
「まだ痛む?」
「うん。だいぶ……」
弱々しい声が返ってきた。
それにしても凄い揺れだったなと、吉村は思った。
夏の夜の散策は、よい雰囲気であった。土地柄か、蒸し暑いようなことは全
くなく、ときどきそよぐ風は気持ちがいい。
空に月はなく、星ばかりが輝いていた。わずかな外灯を頼りに、二人は歩い
ていた。
そんな情景を一変させた揺れは、街の夜景が見渡せる場所まで来て、吉村が
用意してきたカメラを構えたときに起こった。
「カメラ、大丈夫……?」
坪内が耳元に囁きかけてきた。吉村は、わざと無愛想に答えてやる。
「分からない」
「ごめんなさい、私を助けてくれたせいで」
一段と声が小さくなる。
坪内の言葉も事実であった。ガードレールの上に、不安定な格好で腰かけて
いた彼女は、地震でバランスを崩し、危うく向こう側に転落しそうになったの
である。
次の瞬間、吉村は、自分でも信じられない素早さで彼女の手を掴まえ、一気
に引っ張り上げた。そのはずみに、二人は折り重なるようにして山道に倒れ込
んだ。その折に、坪内は足首に怪我をし、吉村のカメラが異音を立てたという
訳だ。
「別に気にしなくていいよ。命あっての物種って言うだろ」
「え? 命あっての物だねえ?」
坪内の口調に、吉村はおかしくなった。訂正しないでおこう。「命あっての
物だねえ」でもあながち、間違いとは言い切れまいと思えたから。
「あ、やっと見えたぞ」
すこし息を荒くしていた吉村は、前方にペンションの光を見つけ、安堵した。
元々、体力があるとは言えない上に、坪内の体重は同年代の女性の平均的それ
を、少しばかり上回っているらしかった。
「もう少しね。みんなは無事だったのかしら」
「さあね。とりあえず、電気が消えてないのはありがたい」
力を振り絞って、吉村は坂道を上っていく。この辺の道には、外灯がないの
で、慎重に歩を進めないといけない。左右に背の低い木が植えられており、そ
のぼんやりとした輪郭が目印になる。
「見て、あそこの木、半分に割れてる」
坪内の言った方向がどこなのか、吉村は分からなかった。でも、
「ああ、そうだね」
と、相づちを打っておく。
ペンションまで、二十メートルも残していないところで、吉村にばてが来て
しまった。
「だ、だめ。ちょっと休憩」
「えー? あと少しなのに」
さっきまでのしおらしさはどこへ行ったのか、坪内は不満を漏らした。
「一人で歩けるなら、行ってくれ」
「そんな」
「だろ? だったら、少しだけ待ってくれよ。回復したら、また担いであげる
から」
吉村は腰をさすった。そうしながら、カメラも気になる。フラッシュが無事
なのは分かったが、あとはどうなっているのやら……。
「よし、行こうか」
吉村が背を向けると、
「ありがと」
とだけ言って、坪内は負ぶさってきた。
吉村は第一歩をふらついたものの、ゆっくりと最後の十数メートルを進み始
めた。
(ん?)
前方を、何かが横切ったような気がした。うつ向き加減に歩く吉村には、そ
れが何だか確かめられない。
「今、何か」
背中の彼女にそう聞こうとした刹那。
「が」
短い悲鳴がしたかと思うと、左肩を掴んでいた坪内の左手から、力が抜けて
いくのが分かった。
「どうしたの? しっかりと持っててくれなきゃ」
「い、痛い……」
声の弱さとは裏腹に、坪内は吉村の背の上で、暴れ始めた。右肩に伝わって
くる力は、女性のものとは思えなかった。
「お、おい?」
非力な吉村は、簡単に転んでしまった。前のめりだったので、胸や顔面をも
ろに強打した。
「いててて……」
坪内の身体の下から抜け出ると、吉村は顔をさすった。ひりひりするが、ど
こからも血は出ていないらしかった。
ふと、吉村は背中の左上辺りが冷たいことに気付いた。無理をして手を回す
と、指先にぬるっとした感触があった。
「?」
暗いので判然としないが、液体の色はかなり濃い。その臭いを嗅いでみる。
「……血か?」
しかし、彼自身、背中には何の痛みもない。強いて言えば、坪内に強く掴ま
れた右肩に痛みが残っている程度だ。
「おーい、遥子さん。どうしたんだよ」
彼女、上半身に怪我はしていなかったはずなのにな。そんなことを考えなが
ら、彼はうずくまったままの坪内に声をかけた。
彼女からの反応はない。
吉村は近付いて様子を見ようとした。が、そこで奇妙な音が聞こえてきた。
「ううぅ」とか「ええぇ」とか、意味不明の……声だった。坪内のうめき声に
呼応するかのごとく、ざくざくという音もしている。
「誰かいるのか!」
大声を出す吉村。彼はやっと、坪内遥子の背中を切りつける、何者かの存在
に気が付いた。
「よしむ、ら……くん」
辛うじてそれだけが聞き取れた。
暗がりに溶け込んでいたその何者かは、ようやく吉村にも認識できる影をな
した。
「な、何をしている……?」
信じられない思いの吉村。地面には、今の今まで彼が背負ってきた女が、真
っ赤に染まって倒れていた。
影は、それには答えず、坪内の髪を片手で鷲掴みにした。ぐいっと、起こさ
れる坪内の頭。
吉村が呆然と見送っていると、影はもう片方の手に持つ斧を振りかざす。
「や、やめろお!」
影が何をするのか、吉村に分かったときには、もう遅かった。
斧はさめた音を立てて、坪内の首に食い込んだ。ほんのわずかの間、首半ば
にとどまっていた刃は、すぐに反対側へと突き抜けていった。
影の左手には、坪内の頭部が残された。まるで、ギリシャ神話のペルセウス
とメデューサ……。
影が迫ってきた。
「ひ」
一声上げて、吉村は後ずさった。
「た、助けて」
蚊の鳴くような声を出しながら、吉村は相手に背を向けた。そして一気にか
け出そうとする。だが、腰が抜けていたか、足取りがままならない。すぐに転
倒してしまった。
慌てて振り返ると、もうすぐそこに、影の巨体が迫っていた。そう、巨体だ
った。片手に斧を持ち、大股で近寄ってくる。
吉村はすぐにも立ち上がろうとして、手に力を込めた。そのとき、固い物が
手の甲に触れた。
(そ、そうだ)
彼は閃きをすぐに実行に移す。手に触れた固い物−−カメラを構えると、フ
ラッシュを焚いた。目潰しにひるんだ隙に、逃げてやろう。そう考えていた。
(あ?)
だがしかし、吉村の行動は遅れてしまった。
「そ、その顔!」
白い閃光に浮かび上がった顔。その恐ろしい顔に吉村は我が目を疑い、逃げ
出すのが遅れたのだ。
「その顔! 何で−−」
叫ぶ吉村を、鈍痛が襲った。
スクラップ工場でするような音がして、顔の前に構えていたカメラが左右に
割れた。隙間から飛び出してきた斧が、吉村の眉間を砕く。
「ぎゃ」
後方へもんどりうった吉村は、それでもカメラを放さないでいる。
「ぎゃぎゃぎゃ」
彼を襲う痛みは、さっき転んで鼻を打ったときとは比べようもなかった。
その彼の前に、影が仁王立ちする。
とっさに、吉村は第二の攻撃を避けようと、がらくた同然のカメラを握った
ままの両手で、顔をガードした。
しかし、次の攻撃も顔面を襲うという彼の予想は甘かった。影の持つ斧は、
無防備な吉村の腹を狙って飛んで来た。
「ぐえ!」
前屈みになる吉村。そこに第三の攻撃。
影は斧を引き抜くと、その位置から一気に上向きに振り切った。
斧の分厚くも鋭い刃は、吉村の両手をなでた。無論、なでるだけですむはず
がない。両手のガードを押し開くと、斧は吉村の鼻を直撃し、それを彼の顔か
ら持ち去ってしまった。
「いいいいてえ!」
空気の流れがおかしくなったのか、妙な声になりながらも叫ぶ吉村。血と脂
で分かりにくいが、かつて鼻のあった箇所は、ほぼ平らになっていた。あとに
残るは、二つの鼻孔の成れの果て。
喉に落ちてきた血にむせてしまう。吉村は息苦しくなって、口で激しく呼吸
した。
その大きく開いた口を、最後の攻撃が襲う。
影は水平に斧を構えると、その方向のまま、腕を素早く動かした。
ずしゃっ。
奇妙な音と共に、斧は吉村の両手を切り飛ばした。切り飛ばされた指先とカ
メラの一部を乗せたまま、刃はさらに進み、吉村の上顎を引っかけた。当然、
上顎ごと吹き飛ばす。
ガードの甲斐はあった。吉村の頭部上顎から上は吹き飛ばされることなく、
皮一枚を残してうなじにぺたりと張り付き、ぶら下がっていたのである。
そして、今まで頭のあったところには、何本かの指とカメラの部品が生えて
いた。
−−続く