#2965/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 2/21 7:52 (199)
ミステリマニアの殺人 2 永山
★内容
「雑誌の編集にいたときから、冴場さんとは知り合ってましたから、部屋の方
もよく知ってます。寝室にまっすぐ行きましたが、姿が見えません。それで引
き返し、書斎の方に行ったところ、冴場さんが首から血を流して倒れているの
を見つけたんです」
「どこにも触りませんでしたか?」
「はあ。玄関のドアとか部屋のドアには触りました。でも、冴場さんを見つけ
てからは、どこにも触らないよう気を付けて、管理人室へ飛んで行きました。
電話を借りようと思ったんです」
先ほどから何度も、梶場は、ストローの先を噛んでいた。そのため、吸い口
はがたがたになっている。
「管理人さんは、どんな反応を?」
「初めは信じてもらえなくて……。しょうがないですから、一緒に部屋に行っ
てもらったんです。で、やっと事態を分かってもらって、部屋には鍵をかけて
もらいました」
「鍵をね。何故、そのようなことをしたんですかな?」
「現場保存と言うんでしょうか? それが大事だと思って、僕が管理人さんに
お願いしたんです」
「そいつは賢明な振舞いでしたよ。それから電話をされたと」
「はい」
「我々が到着するまで、誰も部屋には来なかったですかね?」
「少なくとも、外から来た人はなかったですよ。管理人室の前を通らずには、
入れませんから」
「出て行ったのは?」
「それはいましたが……」
「その中に、あなたが知っている人はいましたか?」
「……いえ。いなかったと思います。注意して見ていたんでは、ありませんけ
ど」
「それはそうでしょうな。いや、そこまで我々は求めていませんよ」
肩をすぼめて恐縮している様の梶場を見て、気持ちをリラックスさせるため
に、吉田は言った。
「では、お手数ですが、署の方まで来てもらえませんかね」
「え?」
「いえいえ、そんな顔色を変えることじゃない。少しだが、あなたは現場に触
った。その指紋と、他の指紋を区別するために、ちょっと採らせてもらうだけ
ですから」
吉田の説明で、梶場はほっとしたようだった。大きく息をつくと、彼はアイ
スコーヒーをすすった。
「時間が取れなければ、またの機会でもいいんですがね」
「ああ、いえ。今日で大丈夫です。でも、社の方に連絡したいんですが」
「どうぞ、ご自由に。ただし、事件について、多くを漏らさないよう願います。
冴場さんが亡くなったとだけ伝える程度にとどめてください」
吉田が言うと、梶場は二度うなずいて、財布を取り出しながら立ち上がった。
テレフォンカードでも入っているのだろう。彼は、レジの正面にある公衆電話
に向かい、やがて戻って来た。
事件発生から三日が経過していた。
「死亡時刻は、やや狭まって、九時四十分から十一時十分ぐらいと推定される」
鑑識課員が報告をしている。
(今度の事件は、縁起がよくねえ)
吉田は思った。彼にとって、今度の鑑識課員は虫の好かない男だからだ。若
く見える風貌だが、彼がかつらを使っていることを、吉田は知っていた。その
ままで何がいけないのか。吉田は常々、そう感じていた。
「死因は、鋭利な刃物によって、頚動脈を開かれたことによる失血死。凶器は、
現場に落ちていたカッターナイフに間違いない。凶器の表面からは、指紋は出
なかった。
現場には指紋がいくつも残っていたが、被害者のがほとんどで、テーブルや
らドアには念入りに拭き取った痕跡が見られた。まあ、犯人の指紋はないと考
えるのが妥当だろう。他の指紋が誰の分か、気になるのなら、そちらで集めて
調べることですな」
鑑識課員はどこか傲慢な目を、吉田ら刑事に向けてきた。
「そういった判断は、我々で下す。先に行ってくれ」
「……ためらい傷が見られなかったことや、傷の角度から、自殺の可能性は薄
い。また、傷の角度は、被害者が後ろから襲われたことを強く示している。角
度からもう一つ、犯人はカッターナイフを右手に持っていたんじゃないかとい
うことが、窺える。右利きじゃないかってことだ。
特徴的な毛髪、足跡、泥、種子、繊維の類は全くなかった。掃除機をかけら
れては、当然だな。おっと、掃除機にも指紋はなかったぞ。浴室内、それに残
り湯も調べてみたんだが、血の跡なんかは出なかった。
ただ一つ、台所の洗い場に、血痕がいくつか確認されている。多分、犯人が
手に付着した血を洗い落としたんだろう。
それから、現場にあった血は、全て被害者の物に間違いない。犯人の奴は、
怪我なんかを負ってはいないってことだ。とまあ、こんなところだが、質問は
あるかね?」
「死亡推定時刻の判定は、どのようなものに拠ったんだ?」
間髪入れず、吉田は聞いた。
「ふん。まず、遺体自体の傷み具合い、硬直の進み具合いだな。ついで胃の消
化物。何ら疑問点はない。胃ポンプなんかで食い物を送り込んだとは思えん。
どうだね、これで?」
「結構」
「もうないか?」
「何かあったら、また聞くさ。今はいい」
そう言われて、鑑識課員はゆっくりとした動作で書類をまとめ、これものろ
のろとした歩みで部屋を退出した。
「さて、分かったことをたたき台に、事件の概要をまとめるか」
吉田は浜本を含め、若い部下達を眺めた。さっきまで鑑識課員がいた場所に、
浜本が立つ。そして、彼が喋り始めた。
「犯人は昨夜の十時前後、被害者・冴場鋭介の部屋を訪ねたと思われます。被
害者が飲物まで用意している様子から、犯人とは顔見知りだったんでしょう。
犯人は被害者の隙を見て、背後に回り、両腕を回し、右手に持ったカッターナ
イフで被害者の頚動脈を切りつけた。凶器が被害者自身の物であることは、ほ
ぼ確定です。犯人はつまり、凶器をも被害者の隙を見て、奪ったとなります。
犯行を終えた犯人は、返り血を浴びなかったのか、そのまま台所で手に付い
た血を洗い流したり、飲物のグラスを洗ったり、部屋に掃除機をかけたりと、
証拠の隠滅を謀っています。掃除機の中身も持ち去ったらしく、現場にはあり
ませんでした。また、あのマンションの壁は防音がほぼ完全であるため、犯行
そのものや掃除機の音が、隣の部屋に聞こえたなんてことはないようです。事
実、両隣の住人は、犯行があったと思われる時刻に、大した物音を聞いていま
せんでした。
部屋には灰皿がありませんでした。被害者が禁煙していたことが分かってい
ますので、犯人が吸わなかったのか、吸うのを我慢したのかは分かりません。
留守番電話の内容は、ご承知の通り、なかなか興味深いものがありました」
浜本の言葉を聞いて、吉田はテープの内容を頭の中で反すうした。
『ミホです。只今、ホテルから電話中。これから向かいます。到着するまでに
帰ってなかったら、怒るわよ。じゃあ』
「ミホなる若い女性の声で入ってました、問題の録音は、事件当日の午後九時
になされてます。ホテルがどこにあるか知りませんが、女性の到着が死亡推定
時刻に重なったことは、充分に考えられます。要するに、この女性が犯人であ
る確率が、かなりあるということになるのではないでしょうか。
あと、アドレス帳の名前ですが、仕事の仲間らしい名前や、身内のなんかは
そのまま書いてあるんですが、友人、ことに女性関係は、ほとんどがイニシャ
ルで表してあるんです。よって、ミホなる女性をすぐに見つけることは無理な
訳でして、とにかくMが付くイニシャルを、片端からあたっているところなの
は、ご承知の通りです」
「ミホという女は、冴場の仕事仲間も身内の者も、誰も聞いたことがないと言
っているんだったな?」
「そうです、吉田警部。聞いたことがないのも確かなようですが、冴場は結構、
遊び人らしく、不特定多数の女性と関係を持っていた節があります。そういっ
た関係の女性にも、もちろん、殺人の動機が発生し得るでしょうし、またそれ
故、電話作戦も進みが遅くなっているのですが、どの女性も、遊びと割り切っ
ていたようで、どうも的外れな感触で」
「ああ、その感触は、わしも感じているよ」
吉田は、相づちを打った。果たして、ミホなる女性が冴場の本命であったか
どうかは分からないが、それ以外の女性は、完全に遊びと割り切っていたのは
間違いない。
「今までにあたった女性が、留守番電話に声を残したことを思い出して、嘘を
ついている可能性はないでしょうか?」
若い刑事の一人が発言した。
「それは有り得る。有り得ますが、声紋の鑑定も併せて行っており、現時点で
下された判定は、そのような事実はないというものでした」
自分より若い刑事からの意見だったせいか、浜本は最初、いわゆる「である
体」で答えていた。だが、すぐに元に戻った。全員に聞いてもらうためであろ
う。
「聞き込みの方だが……」
吉田が言った。
「当日の被害者の行動、特に問題のメッセージが残された時刻、被害者がどう
していたのかを、重点的に調べる必要がある。本当に留守にしていたのか、犯
人に拘束されていたのか、眠っているか仕事しているかして電話に出なかった
とか」
「仕事をしていた様子は、なかったですよ」
「そうだったな。何にしても、この時間の被害者の動きを確かめておきたい。
今のところ、有力な証言は得られていない。引き続き、聞き込みを続ける」
命じながら、吉田は管理人のことを思い出していた。管理人は、いかにもマ
ンションに出入りする人物をチェックしているようなことを言いながら、実際
はほとんど何も見ていないことが分かったため、捜査陣を落胆させた。
(とにかく、ダイヤルMを廻せ、か)
映画のタイトルを思い出しながら、吉田は会議を散会させた。
「ごめんください。昨日、お電話させてもらった警察の者ですが」
香代が玄関を開けると、野太い声が言った。二人組の男達は、はっきりと警
察手帳を示し、それぞれ吉田と浜本だと名乗った。
「ああ」
とだけ応え、香代はどう続けるべきか、考えてしまった。「待っていました」
ではかけ声のようになるし、「お待ちしていました」とか「どうぞ」とかは、
へりくだりが過ぎると思った。
「ここでよろしいでしょうか? それとも、中へ……」
「できれば中がいいですな。長くなるかもしれませんので」
何の気なしに言った香代の言葉に、刑事は乗ってきた。彼女は、応接間と食
堂を兼ねている部屋に、二人を案内した。
「いやあ、暑いですな。夏の昼間はちょっと歩くだけで、汗をかいてしまう」
比較的若い方−−浜本刑事がこう言ったので、
「何か冷たい飲物でも……?」
と聞いた。
「いえいえ、そんなつもりで言ったんじゃありません。ついさっき、食事を取
りましたから、お心遣いはご無用です。それよりもお話を」
「分かりました。冴場さんが殺された一件ですね」
「その前に、一つ。ご主人は今、お仕事で?」
質問を始めたのは、吉田刑事の方だった。
「はい。と言うよりも、二日前から出張でT県の方へ行ってるんです。明日の
夜遅くに帰って来る予定になってます。仕事柄、出張が多くて……」
「なるほど、大変ですな。さて、まず最初に、これは念のためということで、
冴場鋭介さんのお顔の確認を」
吉田刑事の言葉を待っていたかのように、浜本刑事は写真を取り出した。何
故か、三枚もある。三枚とも別人で、冴場鋭介の物は一枚しかなかった。
「あの、これ」
一枚ずつ受け取りながら、香代は声と目で尋ねた。
吉田刑事は、あまり似合わない笑みを顔に浮かべてから答える。
「確認ですからね。どなたが、あなたの知っている冴場さんです?」
「そういうことでしたら……この方が」
一枚を選び出し、刑事らに示す。大きな動作で、無言のうなずきが返ってき
た。
「事件を報じる新聞に顔写真が載っていましたから、間違いようがありません
わ」
「それもそうでした」
そう言いながら、浜本刑事は写真を受け取ると、丁寧に懐にしまった。
そうしていると、吉田刑事が質問を始めた。
「昨日の電話では、冴場さんが殺されたことはご存知だったようですね?」
「はい。テレビの方で見ました」
「こちらのことを知ったのは、死んだ冴場さんのメモ帳の片隅に、『KMと再
会』と走り書きがあったからなんですな。そのすぐ横に、電話番号が書き足し
てありました。電話でもこちらの表札を見ても、お名前は桜井とおっしゃるよ
うですが、どういうことなんですかね?」
「それは、あの人−−冴場さんと会った頃、私は牧村という姓でしたから、そ
のせいだと思います。少し前に、街でばったり会ったときも、『牧村香代』っ
て、あの人は私を呼んでましたから」
「牧村……それでMですか。その、再会したときのことを、もっと詳しく」
香代は、どこまで話そうか迷った。迷った挙げ句、隠してもためにならない
と思い、正直に話すことにした。
−−続く