AWC ミステリマニアの殺人 1     永山


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#2964/5495 長編
★タイトル (AZA     )  95/ 2/21   7:49  (200)
ミステリマニアの殺人 1     永山
★内容
主要登場人物
桜井仁(さくらいじん)       桜井香代(さくらいかよ)・旧姓牧村
冴場鋭介(さえばえいすけ)     朝日奈美保(あさひなみほ)
軽井沢弓子(かるいざわゆみこ)   赤堀克毅(あかほりかつき)
下坂信義(しもさかのぶよし)    梶場周一(かじばしゅういち)
吉田警部(よしだ)   浜本刑事(はまもと)   釜堀(かまほり)

 サングラスをかけた男は、夏に合わせて短くした髪に手をやりながら、ビル
に掛かる電光掲示板で時間を確かめた。午後九時十分。じっとりとした闇の中
に、ようやく、そよ風が吹いてきた。
「ごめんなさい、遅くなって」
 振り返ると、これもサングラスをした若い女性が、小柄な身体をさらに小さ
くするようにして、申し訳なさげに立っている。その服装は、押さえたグレー
で地味な物だ。
「気にしなくていいさ。仕事だったんだろ? ミホが来てくれるだけで楽しん
だよ、俺は」
「冴場さんたら、口がうまいんだから」
 女性は声を立てずに笑った。
「ところで、今日はあのうるさいマネージャーは?」
「いないわ。ウチ、スターを抱えていてもまだまだ弱小だから、人手が足りな
いのよ」
 彼女の答に、冴場と呼ばれた男は、気取った身振りでうなずいた。満足した
らしき笑み。
「どこがいい?」
「この間のあそこ。展望レストラン。人が少ないし、夜景がきれいだったし」
「OK。車、取ってくるから待っててくれ」
 冴場はキーを一度宙に投げて握り直すと、さっときびすを返した。

「香代じゃないか?」
 どこからか、そんな声がした。桜井香代は何度かその声がするのを聞き、も
しかして自分のことかと考えた。キョロキョロと辺りを見回す。
「やっぱり。牧村香代だ」
 香代は自分の旧姓を知っている男を、まじまじと見つめた。黒サングラスか
ら始まり、白いYシャツに青っぽいネクタイ、折り目のきちんとしたズボン。
靴は立派な革物だった。
「あ」
「やっと、思い出したかね?」
「冴場さんですか?」
「お、『さん』とは参ったな。まんざら知らない仲でもないのに、昔のように
『鋭介』と呼んでくれないか」
「……」
 香代は沈黙した。
 彼女は昔、あるミステリーマニアの会に入っていた。七人しか会員のいない
そこで牧村香代は冴場と知り合った。年は冴場の方が上だったが、入会は当時
大学生だった彼女の方が早かった。
 年齢の近い二人は、好みのミステリーのジャンルこそ違えど、次第につき合
うようになっていった。月に一度の例会では飽き足らなくなり、お互いに相手
のところへ出向き、個人的なレベルにそれはなる。
 そうなるまでの時間が短かったのと同じように、二人の仲が壊れるのも早か
った。原因は主に、冴場の浮気症にあった。しかし、それによってひびの入っ
た二人は、お互いの些細な癖までもが嫌に感じるようになっていたのかもしれ
ない。
 二人は別れた後も会に残ったが、居心地はよくなかった。そんなとき、会で
殺人事件が起こった。その過程で、二人は昔の仲を取り戻したとされ、危うく
殺人の共犯にされそうになった。
 結局、事件はその後、真犯人が逮捕され、二人への疑惑は晴れたのであるが、
仲は元通りとはいかなかった。牧村香代は大学でのクラブの同輩である桜井仁
と結婚。冴場の方は、どうしていたのか……。
「……あの、一冊だけ本を出されていましたわね。読みました」
「ああ! それは光栄だな。で、感想は?」
 大きく両手を広げ、冴場は香代に聞いてきた。ルポライターだった彼は、コ
ネもあってか、一冊だけ小説を出していた。
「ハードボイルドは分からないわ」
「ふん。昔と変わらないな、ミステリーの好みは。身体の方はどうかな」
 言うと冴場は、いきなり香代の腕を掴んだ。
「何を」
「今、暇なんだ。折角、運命の再会を果たしたんだ。来いよ」
「冗談よして! 私、結婚したのよ」
 振り払う香代。往来なので、何人かが振り返った。
「へえ。旦那はどんな奴だい? 大方、どこかの真面目なサラリーマンだろう。
冒険してみたい頃合じゃないのか? 俺も人妻はあまりないしな」
 本気なのかどうか計り難い笑みを浮かべ、冴場はまた手を伸ばしてきた。
 それから逃れると、香代はさっさと歩き始める。
「いい加減にして! あなたなんか、あの事件でついでに殺されていればよか
ったのよ」
「穏やかじゃないな。ま、いい。昔が恋しくなったら、いつでも電話してくれ。
番号は変わってない」
 そんな声を無視し、香代はマンションに急いだ。自分と夫だけの平穏な城に
……。

「−−もうすぐ出張だから、準備しといてくれよ。……どうした? 沈んでる
みたいだ」
「そう?」
 香代は夫の鋭い指摘に内心、どぎまぎしながらも、簡単な返事で済ませた。
「何かあったのか?」
「別に。暑さでちょっと疲れたかしら」
「暑い中、あんまり出歩くことはない。買物なら土日に、僕が車で一緒に行く
よ」
「夏は日持ちが悪いから……」
 夕食の後片付けを終わると、布巾でさっときれいにしたテーブルに、香代は
両肘をついた。そして口を開く。
「ね、子供が欲しいわ。そろそろいいでしょう?」
「うん、まあ」
 いきなりの話題転換に驚いたのか、桜井仁は口をもごもごさせる。
「やっと給料も上がってきたし、子供ができても食べていくには心配ないな」
「でしょう? だったら早く、子供が」
「でも、僕はもう少し、香代、君との二人だけの時間が欲しいんだ。大学を卒
業するかしないかの頃、やっとつき合い始めただろ? それから一年ほど、お
互い働きながら付き合った後、結婚した」
「そうよ。法律事務所の仕事もすっぱりと辞めて、家事に専念するつもりだっ
たのに」
「それは悪いと思ってるけど、もっと恋人みたいな期間が欲しいんだ。せめて
もう一年は。学生時代のようなね。だからさ、幸い、休暇も取り易い時勢だし」
「……そうね。まだ我慢できるわ。でも、一年経ったら、約束よ」
「ああ」
 仁の真剣な眼差しを感じて、香代は満足した。
「そう言えば、あったな。妊婦の出てくる推理小説が」
「ええ。仁木悦子の短編にあったし、お腹の中の赤ちゃんが探偵役っていうア
イディアもあったわ」
「子育ての方じゃ、夏樹静子の長編に、ちょっと恐くて優しいのがあったな」
「あ、その言い方、好き。恐くて優しい、か」
 推理小説好きの夫婦は、大抵こんな風に話が流れていくのだった。

 吉田はしばらく現場を見渡した後、旧知の浜本に声をかけた。
「遅くなってすまん。被害者の名前は?」
「あ、警部。えー、被害者の名前は冴場鋭介。一人暮し。免許証から見ると、
年齢は二十九。名刺によりますと、職業はルポライターとなってます」
「死因は?」
「頚動脈をカッターナイフでやられたようです。カッターはすぐ側に落ちてい
まして、この家に元からあった物、つまり被害者自身の物みたいですね。アル
ファベットでSaebaと切り込みが入っていた」
「返り血が凄かったろうな」
「そうでもないみたいなんです。被害者が座っているところを、後ろから手を
回し、喉笛をさっと切りつけたような傷跡だったから、犯人はほとんど返り血
を浴びなかっただろうと」
「ふむ」
 吉田は顎に手をあて、ため息をついた。そろそろ伸びてきた髭の感触に、何
故かいらいらする。
「周到な奴だな。厄介なことになりそうだ。死亡推定時刻、大ざっぱなのが出
てるだろう」
「ちょっと待ってくださいよ……」
 手帳を探る浜本。すぐに、黒革の手帳が出てきた。ページを繰る。
「ありました。昨夜の九時半から十一時半だそうです。これにほぼ間違いない
と言われました」
「だいたい、十二時間経過か……」
 吉田は腕時計を見た。朝の十一時をまわったところであった。
「他に何か分かっていることは?」
「遺体については、特徴的なことはないですね。遺体を移動した形跡はなし。
指紋は多数出てますが、拭き取った箇所もあり、検出されるのは被害者の分だ
けではないかと見られてます。座ってたテーブルにコップが一つだけ出てまし
たが、どうも、もう一つコップがあったみたいです。もちろん、洗われてしま
ってますが。アドレス帳が見つかりましたので、そっちの方も名前を控えてい
る段階です。留守番電話は、とりあえず、テープを外しただけで、まだ再生し
ていません。誰かから、かかってくるかもしれませんから」
「髪の毛はどうだ? 落ちていて当然だと思うが」
「それが……もう掃除機をかけたのか、ないんです。掃除機の中を見たら、き
れいに持ち去られてましたから、これは犯人自身が掃除機をかけたんじゃない
ですか」
「ここでも周到だな、全く。自分の髪が落ちるのを見越して、掃除して行くと
は」
「その通りで」
「よし、第一発見者に会おうか。待ってもらってるんだろう?」
「はい、管理人室の方に、待ってもらってます」
 吉田はその言葉を聞くと、すぐさま部屋を出た。
 廊下に出ると、白いマンションがいくつも並んでいるのが見通せた。布団や
洗濯物を干している主婦の姿が、ちらほらと見える。
「怠け者組の奥さん達だな」
 吉田はぽつりと呟いて、エレベーターに向かった。すぐに来た箱に乗り込む
と、一階のボタンを押す。
 管理人室は、エレベーターのすぐ横にあった。管理人らしき男性が、こちら
を窺っている。漠然と想像していたより若い。
「どうも。吉田といいます」
 軽く頭を下げ、中に入れてもらうと、もう一人の男性が目に入った。変哲の
ないスーツ姿に革靴の若者だ。中肉中背で、どこにも特徴が見あたらない。た
だ、顔が青ざめているようではある。
「発見者は、そちらさんですよ」
 管理人は、面倒は御免だという口調だった。
「ここで話を聞かれるのは、勘弁してもらいたいですな」
「では、どこか喫茶店にでも移りますか。えっと、名前は?」
 管理人の非協力的な態度に内心、舌打ちしながらも、吉田は第一発見者に声
をかけた。
「梶場周一、です」
 緊張した響きの答が返ってきた。そして、梶場は両手で身体中を探っている。
「どうしたんだね?」
「いえ、あの、名刺、切らしちゃってるみたいで」
「そんなのかまわないから、どこかへ場所を移しましょう」
 近くに適当な喫茶店を見つけ、二人は窓際に陣取った。店内は狭いが、それ
だけに店全体に光が注いでいる風情がある。
「ブラック。あなたは?」
「あ、アイスコーヒーを」
「じゃあ、それも」
 注文がすんだところで、吉田は質問を始めた。
「お仕事から伺えますかな」
「**出版社に勤めてます。そこの文芸部門に所属してまして」
「ほう。それで、どんないきさつで、冴場さんの部屋を訪ねられたんです?」
「冴場さんはルポライターとして、ウチの出す雑誌にも書いてもらっていたん
ですが、一度だけ、小説の方も出したことがありまして。『蒼炎』というタイ
トルのハードボイルドでした」
「被害者、いや、冴場さんは作家でもあったと?」
「はい。いえ、作家とまで言えるかどうか。その一冊きりでしたから。でも、
評判は割によかったんです。特に若い人に受けましたから、ここらで第二作を
書いてもらおうと一週間前、電話で承諾をもらったんです。その打ち合せを今
朝、十時からやろうとなってました。十時五分前に僕は着きまして、すぐに冴
場さんの部屋に向かいました。呼び鈴を鳴らしても応答はなかったんですが、
そのまま上がり込みました。というのも、眠っていて返事しないかもしれない
から、そのときは勝手に上がってくれと言われてましたから」
「それから?」
 吉田は運ばれて来たばかりのブラックコーヒーに口をつけ、続きを促した。

−−続く




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