#2922/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/12/29 9:37 (187)
海の泡と消ゆ 10 武雷暗緑
★内容
「しっ。ちょっと恥ずかしいことをするつもりだから、君は先に帰っていいよ」
そう言われても、記述者としても友人としても帰る訳にはいかない。私は立
ち止まった。
金沢は軽く肩をすくめ、大きく深呼吸をした。そして、彼は大声を張り上げ
たのだ。
「ああ、マリーに会いたいねえ! どうしているだろうか!」
「お、おい」
夜の船尾デッキにも、まばらとは言え、人がいるのだ。私は慌てた。が、そ
んな気も知らず、金沢は意気揚々と言ってくれた。
「さあ、帰ろう」
「全く、何てことを……」
周囲の視線を必要以上に感じながら、私は金沢の少し先を、早足で歩いた。
部屋に戻るまで、時間が長く感じられたことか!
「訳を聞かせてもらおう。どういう意味があるんだ、あの行動は?」
私は金沢の服の袖を引っ張った。
「ユニコーンへのリクエストさ」
「リクエストぉ?」
このときの私は、間抜けな顔をしていただろう。
「はっきり言ってくれないか」
「マリーってのは、もちろん、マリー・レオドのことだ。彼女に会うことが重
要だと、僕は考えている。それなのに状況はご覧の通り」
お手上げのポーズをする金沢。そして続ける。
「そこで、ユニコーンに見てきてもらおうと考えてね。協力をすると言ってき
たのだから、期待もしようじゃないか」
「つ、つまり、えーと、怪盗の腕を、その、『覗き見』に使ってもらおうと」
あまりに奇妙な展開に、私は適切な表現を見つけられなかった。
金沢は、何度目かの微笑を見せただけだった。そうして、彼はまた廊下に向
かった。
「さあ、横になる前に、まだ仕事がある。カーターに知らせておかないとね」
四日目の朝。目覚めてみると、金沢は大変な喜びようを見せていた。
「ロック、これを見たまえ。さすがユニコーンだ」
と言って、彼が私に見せたのは、新たなるユニコーンカードだった。その内
容は、確かにマリー・レオドのことについて記してあった。
『彼』は、手にしたナイフを握る手に力を込めた。
(多くの人のためだ。仕方がない)
己に言い聞かせるように、頭の中で言葉を反芻する。もう、何度目のことだ
ろう?
彼はそっと扉を開けた。部屋の主には、朝食の折りに、睡眠薬を入れた飲み
物を与えておいたから、すっかり眠り込んでいるはず。
後ろ手に扉を閉め、少し奥に進むと、思惑通り、ベッドで毛布にくるまって
いる相手の姿が確認できた。その脇へ、そっと近寄る。
(許せ)
ためらわないためか、ほとんど間をおかずに、彼は眠っている相手の喉へナ
イフを当てようとした。
「そこまでです」
背後で声がした。
びくっとして振り返る彼。開かれた入口からの光が照らす、その顔は、アン
トニー・マルシャンだった。
「やっぱり、マルシャンが犯人だったのか」
今回はさして意外な顔もせず、カーター刑事が言った。
金沢が付け加える。
「それと共犯としてプーパルダン。オルレアン医師も協力していたようだね」
「マルシャンが犯人だとは、直感的に思っていたせいもあって、納得している。
だが、全体の様相はさっぱり見えていない。金沢、説明してくれないか」
カーター刑事は素直に言った。それは私の気持ちと同じだった。
「私からもお願いします」
アーキンスが言った。
「社への報告書を書くためにも……」
「いいでしょう。ここにジル君がいないのは幸いかもしれない」
金沢は水を一口飲んでから、姿勢を改め、始めた。
「まず、ユニコーンに感謝を。あっと、アーキンスさん、顔色を変えないで」
見ると、アーキンスは片眉を吊り上げている。
「今度の殺人事件を解決できたのは、ユニコーンからの情報によるところが大
きいのです。ユニコーンからの接触を受けた僕は、相手にマリー・レオドの様
子を見てくれるよう依頼しました」
どうやって依頼したかまでは、金沢は話さなかった。さすがに隠しておきた
いらしい。
「翌朝、ドアにはユニコーンカードがありました。それによって、僕は知った
のです。マリー・レオドがすでに死亡していた事実を」
何度聞かされても、この点は衝撃的である。金沢の推理とマルシャンの自供
を総合すると、こういうことになるらしい。
マリー・レオドは、精神的ショック回復の荒療治のため、今回の船旅に参加
した。ところが、この治療法は全くの失敗だったらしい。一日目の深夜に、マ
リーは手の着けられぬほど錯乱し、暴れ、そして……夫であるアンドレ・レオ
ドをナイフで刺し殺してしまったのだ。
一瞬、正気に戻ったマリー。しかし、夫を殺してしまったという己の行為に
対する恐怖と自責の念で、すぐに錯乱状態に戻ってしまい、周囲の者−−マル
シャンやオルレアン−−が止める間もなく、同じナイフで自殺してしまった。
大いに戸惑ったと、マルシャンは語ったらしい。マルシャン、プーパルダン、
オルレアンは策を講じた。
最初、そのまま知らせようという意見も出たことは出たらしい。が、これは
即座に却下された。各人の思惑があったためだ。
マルシャン並びにプーパルダンは、遺産のことが頭にあった。事件を素直に
届けると、アンドレ・レオドの遺産はジル・レオド一人に渡る。言ってしまっ
ては何だが、ジル青年には事業家の才がかけらもない。彼に全財産を渡してし
まえば、アンドレの取り仕切る事業の大部分が破綻を来す恐れがある。それは、
資金援助をしてもらっているマルシャン個人にも言えた。
また、オルレアン医師は、医者として治療法の選択の失敗が公になることに、
耐えられなかった。隠し通せるものなら隠し、名誉を保とうと考えたのだ。そ
れに、マルシャンへの負い目も手伝って、彼はマルシャンらの計画に加担した
らしい。
ジルへ全財産が行くのを妨げ、かつ、オルレアンの名誉を守るには、まず、
アンドレだけが殺されたことにしなければならなかった。こうすれば、遺産は
マリーとジルの二人に均等に分けられる。
ここで三人の間で意見の衝突が起きる。分け前をも欲したオルレアンは、い
っそジル・レオドを殺し、全財産をマリーの物にしようと提案した。一方、マ
ルシャンは、さすがに血縁者のジルを殺すという考えに抵抗を覚えたらしく、
誰か犯人役を作り、それで終結させようと言ったらしい。
結局、立場上有利なマルシャンらの意見が取り入れられ、実行に移された。
当初の計画では、マリーがアンドレを殺し、自殺にも使ったナイフを、第三者
の部屋に置いて、気の毒にも濡れ衣を着てもらおうというものだった。誰がや
るかは、あっさりとプーパルダンに決まった。
が、いざ、実行しようとして、意外に他人の部屋に入り込むのは難しいこと
を思い知る。ほとんどの客は部屋を離れるときは鍵をかけるし、仮に開け放し
たままの部屋を見つけても、部屋の主がいつ戻ってくるか分からない状況では、
落ち着いてナイフを隠せないと、プーパルダンは不平を漏らしたという。
そこで考え出されたのが、転落事故を起こし、客を部屋から飛び出させ、そ
の間にナイフを置いてしまおうという計画だ。これならば、少なくとも船が停
止し、不幸にも転落させられた客が救助されるまでは、部屋の主は帰ってこな
いと計算できる。実行にあたり、念のためにプーパルダンは時間を計測しよう
と考えたらしい。客が転落してから救助されるまで、短く見積もって五分間と
踏んだ。安物のデジタル腕時計を調達し、ストップウォッチ機能で五分間を計
るつもりだ。
まずまずの計画だと思われたが、実際には予想外の結果を招いた。停船の衝
撃が考えていた以上に大きかったため、プーパルダンは転倒し、手にしていた
ナイフを自分の脇腹に突き刺してしまったのである。刺さった場所が悪かった
のか、ほどなくプーパルダンは絶命。万が一に備えて、部屋の鍵を内からかけ
ていたために、密室状態になったというのが真相だ。
だが、その真相が、マルシャンやオルレアンに分かるはずもない。プーパル
ダンの死は、残された二人を混乱させた。本当の殺人者がいるのではという疑
念も浮かんだようだ。
精神的動揺を突くことでは、オルレアンの方が一枚上手だったらしい。今度
はオルレアンの意見に、マルシャンが丸め込まれてしまった。つまり、ジル・
レオド殺害に同意したのだ。考えてみれば、ジルがいなくなればマルシャンに
とってもメリットが大きい。厄介な存在のジルを排除できるだけでなく、全財
産はマリーの物になり、やがてそれはマルシャン自身の物となる。マルシャン
は最終的には大いに乗り気になっていた、というのはオルレアンの弁だ。
だがしかし、この時点で、すでに計画は露見していたも同じだった。ユニコ
ーンのおかげでマリー・レオドが死亡していることを知った金沢は、次に狙わ
れるとすれば、それはジルだと見抜き、朝食の段階でジルの飲み物に何かを投
薬するオルレアンを認めたのである。これはいよいよ殺人を行うつもりだと悟
り、とりあえず、手先の小技で飲み物を普通の物と取り替え、その場をしのい
だ。これは、投じられたのがもしも毒薬であった場合を考慮しての行動である。
そしてジル・レオドに状況を説明し、彼に、自分の部屋で熟睡しているふり
をしてもらうよう頼んだ。そして、金沢やカーター刑事らは、その周囲で犯人
が現れるのを待っていたというのが最後のいきさつである。
「最後は証拠に乏しいため、ああいった手段を取ったが……ジル君へのショッ
クは、やはり大きかったようだ」
「うーむ。確かに、遊び倒していた薬とするには、あまりにもつらいでしょう」
金沢とカーター刑事が話していると、アーキンスが割り込んできた。
「あの、殺人事件の方はよく分かりましたが」
「ノン! 実際は殺人はなかったに等しい。マリーがアンドレを殺したのだっ
て、心神喪失で罪に問われたかどうか分からない」
金沢は鋭い調子で言った。
「あ、いえ、そういうお話でなくて」
人が死ぬという事態が発生して以来、ずっと萎縮気味のアーキンスは、か細
い声で言った。
「ユニコーンの件はどうなるのでしょうか?」
「もちろん、忘れてはいませんよ」
金沢は、すっきりとした表情で宣言した。
「今日を含めて残り四日。全力で守り抜いて見せましょう」
「いえ、あの、『生命の環』の持ち主が誰になったのか、分からないので、い
ったい、どうなるのかと思いまして」
「ああ、なるほど!」
ぽんと手を打ち、金沢は刑事と顔を見合わせた。そして二人とも苦笑してか
ら、
「船上での警備は我々に任された訳であり、それはまだ有効でしょう。とにか
く、警備しますよ」
と言った。
ユニコーンが本格的に動いたのは、六日目の展示中であった。五日目に動か
なかったのは、殺人事件の事後処理が済む猶予をこちらに与えてくれたのだろ
うか。そして六日目、かの怪盗は、意外にも強行突破を仕掛けてきたのである。
昼食どき、展示室に客は二人か三人だった。私と金沢も、その場をカーター
刑事に任せて、昼食を取ろうと席を外してしまっていた。そこがユニコーンの
狙い目だったのかもしれない。
突然の非常ベルに、私と金沢は事態を察知、すぐに展示室へ引き返す。展示
室は赤紫の煙が充満し、視界が効かなくなっていた。
金沢はそこにいた警備員をつかまえ、
「しっかりしろ! 何があったんだ?」
と、相手を揺すった。
目をやられているらしい警備員は、頭を振りながら答えた。
「ジーンズ姿の女−−多分、ユニコーンが、何か弾を床に叩きつけて……」
「この煙が出たんだね? それはいいから、その女やカーター刑事はどこへ?」
「カーターさんは女を追っていきました。女は……この出入口を突破し、そっ
ちの方へ」
弱々しい手つきで、彼は一本の廊下を指し示した。
その通路を行くが、刑事と怪盗が追っかけっこをしているような騒がしい場
所は見つからない。何度か角を曲がり、やがて遊戯室にぶつかった。
「ここで行き止まりだ。ん?」
金沢は、遊戯室内に目を走らせていた。
私にも、そこにカーター刑事の姿を見つけることができた。
−−続く