#2919/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/12/29 9:28 (199)
海の泡と消ゆ 7 武雷暗緑
★内容
まず、マルシャンが答える。
「私は……その、昼前に誘ったときが最後だ。あれは午前十一時五十分になっ
ていたかな」
「時間は憶えてませんが、私は、今朝、廊下で何度かお見かけしたぐらいです」
プーパルダンは話し方こそはっきりしているが、その内容は曖昧だった。
「オルレアン先生、あなたはいかがです?」
「ほとんどマリー夫人に付き添っておったからなあ。確かに、アンドレ氏はち
ょくちょく、夫人の部屋を訪ねてこられた。その最後は……朝の十時ぐらいだ
ったかな」
「なるほど……。アーキンスさん、あなたにも聞いておきましょう」
「私は、展示開始前、十一時頃に、お部屋を訪ねたのですが、折悪しくご不在
でした。それ以前となると、昨夜のことになるかと」
アーキンスは、宝石のことだけでも手一杯な上に、殺人事件が発生し、困惑
しているのが見て取れた。
「分かりました。みなさん。それぞれ、アンドレ氏を最後に見たとき、何かお
かしい様子は見受けられませんでしたか?」
刑事はぐるりと見渡した。四人とも黙っていたが、やがてマルシャンが答え
た。
「私が昼食に誘ったとき、彼は気分が悪いと言っていたものの、顔色はよいよ
うに見えた。どちらかと言えば、何かに気を奪われているようだったと取れな
くもない」
「そうですか」
考え込むカーター刑事。果たしてマルシャンの話が役立つのかどうか、判断
しかねるといった体だ。
「次は関係者の把握を。乗客の内、アンドレ氏と何某かのつながりがある者は、
この場の我々の他、マリー夫人、息子のジル君の二人だけですか? まあ、ク
レイル・ブローニュ嬢もあなたを介して関係がありますが」
「ああ、それだけのはずだ。いや、カーター刑事。もう一人、お忘れだ」
マルシャンの言葉に、刑事は色めき立った。
「何ですって? 誰なんです、そいつは?」
「気味のよく知る人物。ユニコーンだよ。かの怪盗も、関係者だ」
「それはまあ、そうですが」
何だというように表情をゆがめた刑事。それが気に入らなかったのか、マル
シャンは声を高くした。
「ユニコーンこそ、最有力容疑者じゃないのかね? アンドレ氏の宝石を狙っ
ているのだ、賊は」
「お言葉ですが、マルシャンさん」
冷静な声は金沢だ。
「まず間違いなく、ユニコーンは犯人じゃありません」
「何だ、君は。泥棒の肩を持つのか!」
「新聞等で、ユニコーンのことはご存知でしょう?」
「まさか、人を殺さぬ怪盗というあだ名のことを言っているのかね? ふん、
馬鹿々々しい。いいか、あんなもの、あてにならんのだ。ユニコーンは絶対に
殺人はしない? 分かるものか、人を殺さなかったときだけユニコーンカード
とやらを残しているんじゃないのか」
「マルシャンさん、お静かに願えませんか。自分はね、そんなユニコーン神話
だけで判断したんじゃない。論理的理由があります」
「……言ってみろ」
マルシャンはようやく興奮が収まったか、低い声で言った。
「仮にユニコーンがアンドレ氏を殺したとして、状況が変わるでしょうか?
考えてもみてください、ユニコーンが標的としている『生命の環』は、展示室
にあるのです。盗みがし易くなることはない」
「……陽動作戦かもしれん」
「どういう意味です?」
と、これはカーター刑事。
マルシャンは難しい顔で、説明をする。
「今まさに、ユニコーンが宝石を狙っているかもしれんということだよ。こう
して我々が集まることで、警備が手薄になるではないか。その隙をついてだな」
「それはないでしょう。少なくとも、そんな連絡は入っていない」
「巧妙にイミテーションとすり替えたとしたらどうだ? それに気付かないで
いるだけかもしれん」
「まさか……」
刑事の返答に続くのは、アーキンス。
「ご不安でしたら、すぐに鑑定士を向かわせますが」
「うむ。いや、そこまで私が口出しすることではない。法律上、あの宝石はマ
リーとジル君の物と見なせるんじゃないのか? 彼らの判断だからな」
「いや、私も心配になってきた。すぐに調べましょう」
気持ちが揺らいだか、刑事はそう申し出た。
すぐさま、鑑定士のゲルシイ・ポンパドゥールを伴い、展示室に向かった。
いきなり展示室を閉め切るのも無理なので、この際、数人の客に異変を察せら
れるのは致し方ない。
「本物」
短く、鑑定士は断定した。レンズ片手につまらなそうな態度だ。
「異常がなかったんですから、当たり前でしょう」
ぶつぶつ言いながら、ポンパドゥールは退出した。
「どうです、マルシャンさん。納得されましたか」
どうだという態度で、カーター刑事は胸を反らせた。やはり彼も、ユニコー
ン神話を信じているのだ。
「分かった。だが、警備の手はゆるめないでくれたまえ」
先ほどの、宝石の持ち主は自分じゃないから云々はどこへやら、威厳を保つ
ためか、マルシャンはそう吐き捨てた。
場所を再びアーキンスの部屋に移す。問題は、アンドレ・レオドの死をマリ
ー夫人はともかく、息子のジルに伝えるべきかどうかということになっていた。
その模様をここに記す必要はなかろう。結論を簡単に述べると、息子と言っ
てもジルはもう学生なのだからと、カーター刑事とマルシャンの口からすぐに
も伝える、となった。
「これは一応なんですが」
一段落したところで、刑事は何気なく始めた。
「マリー夫人を調べさせてもらえませんか?」
「何だって? 君はマリーを疑っているのか!」
マルシャンはまた怒鳴り始めた。
「カーター刑事、その考えは絶対に誤りだ! 彼女の精神がどうこう言う以前
に、マリーはアンドレを愛していた。いや、アンドレの死を知らぬのだから、
今でも愛しているだろう」
「ですが……」
食い下がろうとする刑事に対し、新手が現れた。オルレアンだ。
「時間の節約のため、医者としての意見を述べましょう。刑事さん、マリー・
レオドを取り調べることはまかりなりません」
「何も尋問させろと言ってるんじゃない!」
刑事も声を張り上げた。
「夫人の衣服に血痕が付いていないかとか、そういった外面的な点を調べたい
のです。もし血痕が付着していたとしても、彼女が犯人だということに直結し
ません。ひょっとしたら、犯行後、マリー夫人は一人でアンドレ氏の部屋に足
を踏み入れたかもしれないじゃないですか」
「僕もカーター刑事に賛成だ」
控え目に金沢。彼は平坦な物言いで続けた。
「オルレアン先生。あなたはたいてい、マリー夫人の容態を見ているようです
が、一日二十四時間という訳ではありますまい。夫人も出歩くことは可能なん
でしょう? だったら、カーター刑事の意見を受け入れていただかないとね。
陸に着いたとき、ややこしくなりますよ」
珍しく、金沢が警察の権力を振りかざしたところ、相手はひるんだらしかっ
た。マルシャンとオルレアン、さらにはプーパルダンの三人は互いに顔を見合
わせ、目で相談を始めた。
「やむを得まい」
マルシャンが代表する形で答える。
「ただし、マリーに直接、会うのは勘弁してくれ。私が、いや、私が信用でき
ないのなら、オルレアン医師に彼女の衣服を調べさせよう。それでどうだね?」
「……どうだ、金沢?」
決めかねたか、刑事は金沢に意見を求めた。
金沢は軽く頭を振り、
「僕が決めることじゃないが……うん。マルシャンさんの申し出でもかまわな
いが、もう一つ、条件を付けたい」
と言った。
「条件とは?」
「マリー夫人−−未亡人と呼ぶべきかな、さっきから気になってはいたんだが
−−が今、着ている衣服を持ち出し、我々に見せていただきたいのです」
「それは……まあ、よかろう。だが、まだ問題がある。今のマリーは、一人で
は着替えができないんだ。アンドレ氏がマリーを着替えさせる手はずだったん
だが、どうするかな」
「船長に頼んで、レストランで働くウエイトレスを二人ほど回してもらいまし
ょうか。船長に権限があるのかどうか、知りませんが」
自信なさそうに提案したのはアーキンス。船長の方は、すでに持ち場に戻っ
ている。
「いや、私がやろう」
マルシャンが断った。
「マリーも、兄の私がやるのなら、許してくれるだろう」
「いいでしょう。くれぐれも余計な小細工はしないように願いますよ」
「どういう意味だね、カーター刑事?」
「万が一、マリーさんの服に血液等、犯行の痕跡が認められたとしても、その
まま我々に提出してくださいという意味です」
「ふっ、分かっているさ」
マルシャンは嘲るような笑みを、こちらに向けた。
差し出されたマリー・レオドの衣服を前に、カーター刑事は言った。
「ない」
端で見ていた金沢も、二度、静かにうなずいた。
「血とか破れとか、その他、殺人事件に関係があるような痕跡は認められませ
んでした」
改めて、刑事は言った。そしてマルシャンに頭を下げた。
「疑って申し訳ない」
「いや、それが君の仕事だ。謝るには及ばない」
そう言ったマルシャンの目は、どこか晴れ晴れとしていた。
「ジル君は、どうです?」
金沢が言った。父親の死を伝え聞いたジル・レオドはショックを受けていた
ようだが、どうにか立ち直った。そこで、刑事と金沢は、彼にある頼みをした。
アンドレの部屋から紛失した物がないかどうか、あるいは増えた物がないかど
うかを調べてもらいたい、というものである。
「まだやってます。何しろ、荷物が多いらしくて」
殺人事件の捜査協力に回った警備員が言った。殺人現場には、いま一人の警
備員がジルに付き添っている。
「何かなくなっていれば、物取りの末の殺人という線も出て来るんだが」
カーター刑事は、独り言のようにつぶやいた。思いも寄らぬ殺人事件に戸惑
っており、さらには先の見えぬ状況にいらいらしている様子だ。
その内、ジルと警備員が戻って来た。彼の回答は大変、分かり易かった。彼
は、首を強く横に振ったにすぎなかった。
「刑事さん、母さんを殺した犯人を見つけてくれ。旅が終わるまでには、絶対
に」
ジルが叫ぶように言った。ふらふらしている学生だが、母親を亡くした衝撃
は相当なようだ。
「ああ、捕まえられるように努力するよ。だから君もマルシャンさんも、他の
関係する皆さんも、ぜひ協力してください」
ここぞとばかり、カーター刑事は訴えた。これにより、マルシャンとの気ま
ずい関係を修復しようという試みらしい。
「宝石の方もお忘れなきよう、お願いしますよ」
アーキンスは不安そうだった。殺人事件が起こって以後、特に彼はおろおろ
しているよう見受けられる。
「分かっています。名高い探偵もいますから、大船に乗った気でいてください。
なあ、金沢」
カーター刑事はそう言ってから、苦笑するような表情を見せた。船旅してい
る者が口にするにはおかしな台詞だと気付いたらしかった。
金沢はそれにはお構いなしに、ぽつりと漏らした。
「ユニコーンが、この殺人事件をどう見なすかだな……」
今後に備え、各自、腹ごしらえすることになった。時間はかなり経っている。
「チャイニーズ料理ができるのか」
メニューを眺めながら、私は言った。この一言で、私と金沢は中華に決めた。
「さて、そろそろ話してくれないか」
箸に苦闘しながら、私は金沢に聞いた。
「あ?」
日本人の血が混じる彼は、器用に箸を操っている。
「事件の展開をどう思っているんだってことだよ。さっきは君、あまり話さな
かったからねえ」
「さっき喋らなかったのは、簡単。皆目、見当がつかないからさ」
邪気のない笑顔と共に、金沢は明言した。こんなことを明言されても、少し
も頼もしくない。
「ど、どうしたんだ。らしくないぜ」
「過大な評価はありがたくも嬉しいが……事実さ」
−−続く