#2918/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/12/29 9:21 (198)
海の泡と消ゆ 6 武雷暗緑
★内容
「……いずれにしろ」
何か決意した様子の刑事。
「ブレア氏本人−−あるいはブレア氏を名乗る人物−−に接触し、招待状とや
らを見せていただこうじゃないか! 裏がどうあれ、招待状は重要な手がかり
になる」
「船の上でかい?」
さすがにからかう口調になってしまった金沢。刑事が沈黙するのを見て、さ
らに金沢は追い打ちをかける。
「招待状の文字から筆跡またはプリンターの特定、紙に指紋が残っていないか、
切手の裏から唾液が検出できないか、なんて考えているんだろうけど、我々は
今、船上だ。立場としては陸よりも弱い」
「せ、せめて、どんな風にして招待状を受け取ったかを、問い質してだな」
「そこまで構いやしない。お好きに」
金沢は刑事から向き直り、
「さあ、展示の仕上げ、しっかりとやってくださいよ」
と、アーキンスに言った。
午後一時が来た。展示開始である。
金沢はあくまで相手の出方を見る腹積もりか、部屋に待機している状態。が、
自分は心配性なのだろう、最初こそ金沢と部屋にいたのだが、落ち着かないの
で、結局、抜け出してきた。足が向くのはもちろん、展示場だ。
午前中は細かった出入口が、今では何人もすれ違えるほど大きく開かれてい
る。その脇に、制服のガードマンが二人、厳めしい顔で立っていた。彼らが雰
囲気をやや壊しているが、出入口からこぼれる光の洪水は、この場へ足を踏み
入れた客の脳裏からガードマンの姿を消し去ることだろう。
大勢の客に混じって、私も一歩踏み入れる。すぐに、カーター刑事の存在に
気が付いた。相変わらず、ターゲットに張り付いているつもりらしく、目立た
ぬよう、会場の隅にいた。ただ、宝石展示場に男が一人でいるのはやはりおか
しいらしく、嫌でも人目を引く。一応、今の彼はトラブル処理員なのだから、
警備か何かの腕章でもしておけばいいと思うのだが……。
「それじゃあ、入口にいるガードマンと同じになってしまう」
私が尋ねると、カーターは苦笑しながらそう答えた。
「ユニコーンに顔を知られているから、客に紛れてという訳にはいかんだろう
が、なるべく自然に警備しておきたいものさね」
手を軽く上げて私は刑事から離れ、ぐるりと場内を見渡した。
客を観察してみる。予想通りというか、大半は少しばかり年齢のいったご婦
人方だ。そのほとんどが夫(らしき、釣り合いの取れた男性)を連れており、
品定めしている様子。
知っている顔を探すが、なかなかいない。レオド一家やアントニー・マルシ
ャンらの姿がないのは、やはりマリーの容態がよくないためだろう。しかし、
せめてクレイル・ブローニュがその肢体を見せに現れてくれたら。私は宝石の
輝きをも減殺しかねない彼女の魅力を、改めて思い浮かべていた。
「やあ、ロックさん」
私を現実に引き戻した声の主は、トレサックだった。傍らには妹のアンヌ・
ブランヴィリエが寄り添っている。若さのせいか、わずかに他の年輩の客には
見劣りするものの、二人ともかなり決まっていると言えよう。
「首尾はいかがです?」
声を落とすトレサック。無論、ユニコーンの件を指しているのだろう。
「私には何とも言えません」
「心配ですわね……」
アンヌが小さくつぶやく。が、どことなく、楽しげな響きもある。
「『生命の環』はどこに?」
「あちらです。ほら」
私はカーター刑事が立っている側のケースを指し示した。兄妹二人も、見知
った顔を見つけ、合点したようだった。
私達三人は、そのケースへと近付いた。さすがにこの展示場の目玉の一つと
あって、人の輪が一重できている。その輪をそっとくぐり抜けるようにし、ケ
ースの中を覗き込む。
十二の宝石がはめ込まれた、金色の冠が輝いていた。手で触れれば壊れてし
まいそうな華奢な先端があるかと思えば、金の威厳を見せつけるかのようなが
っちりとした箇所もある。宝石の並びは一月から順に左回りになっているらし
く、冠をかぶればガーネットとトルコ石が額の上にくる。各石の大きさやデザ
インは、釣り合いあるいは石自体の特色を考慮したものとなっていた。
下に敷いてある布が灰色なのは、『生命の環』が色とりどりの誕生石を有し
ており、その色合いを考えての選択であろう。
「こう言っては失礼かもしれませんが、もっとごちゃごちゃした物を想像して
いたんです。誕生石を純金の冠にはめたと聞きましたから……」
ため息混じりに言ったのはアンヌ。
「でも、実物を見て改めました。なるべく全ての宝石のよさを引き出そうとし、
かつ、金を含めた全体の印象がうるさくなりすぎないように気を配って。大げ
さに言えば、デザインした方に敬意を表したいですわ」
「これをデザインしたのはマリー・レオド夫人−−持ち主のアンドレ・レオド
氏の奥さんだそうですよ」
私は事前に聞いていた話を披露した。そのマリーは、船に乗ってはいるもの
の、病にふせって皆の前に姿を現せられぬというのは、何とも……。
人が多くなってきたため、警備のことを考え、我々は退出することにした。
アンドレ・レオドの死が伝えられたのは、その直後であった。
カーター刑事らも含めて、緊急に召集がかけられた。
「第一発見者で通報してきたのは、こちら、アントニー・マルシャンさんです」
改まった口調で、アーキンスが言った。
「どこでアンドレ氏は死んでいたのです?」
カーター刑事が聞いた。この船上では、彼が唯一の警察官吏だ。
「彼の船室です。特に理由もなしに話がしたいと思って訪ねたところ……」
「今、その部屋は?」
今度はアーキンスに目を向けるカーター。が、アーキンスは首を振り、
「船に関することは船長に」
と、がっしりした体躯の男を示した。
その男は、帽子を取って頭を下げながら、重々しく、
「ジャスパーと申します」
と言った。
「ああ、これはどうも。それで、アンドレ氏の部屋は?」
「勝手ながら、とりあえず、鍵をかけて誰も入れぬようにしておきました。よ
ろしいですかな?」
「充分です、助かります。最初に伺っておきたいのですが、このような事態、
つまり、航行中の船で殺人事件が発生した場合、どのような処置を、普通は取
るものなんでしょう?」
「港からさほど離れていなければ引き返します。また近くに適当な港があれば、
そこへ緊急に寄港することもあります。が、今度の航行は違います。すでに出
発地であるルアーブルを遠く離れ、近くに港もない大洋を横切っている最中で
す。どうしていいものか、判断しかねます」
思案顔の船長。彼はさらに続けた。
「大勢の乗客の皆様のことも考えねばなりません。不幸中の幸いというやつで
しょう、刑事さんが乗っておられることだし、できればこのまま航行を続行し
ようかと」
「我々はそちらの方がありがたい。混乱に乗じて殺人犯に逃亡されたり、宝石
を盗まれたりしてはたまりませんからね。船旅を続けている間は、殺人犯も手
の内という訳だ。ですが……遺体の保管という問題があります」
「その点の心配はございません。昔は長期の船旅中に何らかの死者−−主に犯
罪とは無関係の−−が出た場合、水葬にするしかありませんでしたが、現在で
は多少、事情が変わりましてね。当船クラスになると、遺体を安置できるスペ
ースが設置されています。低温で腐敗しないようにもします」
船長の言葉に、私は内心、首肯した。水葬を厭い、国に帰って葬ってあげた
いと考える遺族も少なくないだろう。
「それから……どなたかに、アンドレ氏の死を話しましたか? 殊にマリー夫
人には」
「オルレアン医師の判断もあって、マリーには話しておりません。今も彼女は
横になっています。他に、ジル君にも話しておりません。こんな話をしていい
ものかどうか、ためらわれてね。今、彼は船のどこかで初対面の女性を追っか
けているはずだ」
表現のしようがない顔になるマルシャン。ジルのことを非難している気配も
あるが、その一方で気の毒に思っている風でもある。
「プーパルダンには話しています。彼は私の手足となって動いてくれるからね」
マルシャンは、傍らの男を顎で示した。相変わらず、髪をきちっと整えてい
るフィリップ・プーパルダンは、わずかに頭を下げた。
「オルレアン医師はすでに承知しているんですね?」
「ああ。アンドレ氏がああなったのを見つけた後、念のため、オルレアン先生
を呼んで、脈を診てもらったのだよ」
「法医学の心得はあるんでしょうかね?」
期待するようにカーター。
「さあ、そこまでは知らない」
「ならば後で聞いてみましょう……。クレイルさんには?」
「彼女には打ち明けておらんよ。話せるはずがない。もっとも、敏感な女性だ
から、黙っていても異変には気が付いているかもしれないが」
「分かりました。じゃあ、そろそろアンドレ氏の部屋に移りますか。オルレア
ン医師も呼んでください。あっと、一応、息子のジルを見つけて、それとなく
見張っておくべきだと思う。アーキンスさん、一人、警備員を私服にさせて動
かせますか?」
「やってみましょう」
不安そうでありながら、アーキンスは承諾した。
アンドレ・レオドが死んでいたところは、一等豪華な部屋であった。空間的
広さは申し分なく、装飾には気配りが感じられ、防音も行き届いているようだ。
大きく取られた窓の向こうに、夕日に赤く染まった海が見えた。こんな部屋を
家族一人々々が別個に利用しているとは、羨ましい限りだ。
旅の間の部屋の主は、無造作に床に転がっていた。頭を入口へ向け、両足は
いくつかある椅子に挟まれるように投げ出されていた。服装は室内着なのか、
気軽な格好だ。その左脇腹辺り、白い布地に赤い染みができていた。
「傷はこれだけのようだ。死因は明らかのようですね」
カーター刑事のつぶやきに、ドクターオルレアンは黙ってうなずいた。
「凶器が見当たりませんね」
あまり口を開かなかった金沢が、ようやく一言話した。
「そうだな。凶器の形状は、小ぶりのナイフみたいな感じかな」
遺体のシャツを必要なだけまくり上げ、傷口にそっと手をやりながら、カー
ター刑事は意見を述べた。
続いて、オルレアンも自説を披露した。
「私もそう思います。専門じゃないので正確ではないでしょうが、死後四時間
程度は経過しているんじゃないかと」
「四時間……」
腕時計を見る刑事。
「昼頃に死亡したということになりますか。昼食はどうだったんですかね?」
「食べられなかったはずだ、アンドレ氏は」
マルシャンが答える。即座に金沢が質問した。
「それは普段からの習慣ですか、船に乗ったときの氏に特有なものですか?
それとも他に理由−−例えば気分がすぐれないとか−−があって、今日の昼食
を取らなかったという意味で?」
少しの間があって、マルシャンは、
「三つ目の理由だと思う。私が昼食に誘ったのだが、気分がよくないからと断
られたと記憶している」
と返した。しばらくして、刑事は次の質問に移った。
「発見時の模様を聞かせてもらいましょうか」
「アンドレ氏の部屋を訪ねた理由は話したね? 午後三時半ぐらいだったな、
そこのドアをノックしたんだが、応答はない。ドアに触れると鍵はかかってい
ないと分かった。扉をスライドさせ、中に入った途端、横たわったままの彼の
身体が見えた」
「アンドレ氏の息がないと、すぐに分かったんですか?」
鋭く切り込むカーター。
「いや、とにかく、急病か何かと感じたから、駆け寄って抱え起こした。だが、
その肌の冷たさにびっくりして、脈を……」
「脈はなかった?」
「医者じゃないが、脈ぐらいは分かる。間違いなく、止まっていた。それから
……部屋の様子を観察したな」
「何者かが隠れていたかとか、なかったですね?」
「ああ、わざわざ明かりをつけたから、見落としはなかったはずだ。ご覧の通
り、部屋には人が隠れられるような死角はほとんどない。そう、クロゼットや
シャワールームがあるが、そこも確認済みだ」
「抜け目がありませんな。クロゼットとかを見て、その後、どうしました?」
「部屋を出、扉を閉めた。次に船員を捜した。船長に知らせなくてはと考えた
からね。それから船長に来てもらって、アンドレ氏の死を確認した。どうしよ
うかとなって、カーター刑事、あなたを思い出したという訳だよ」
「ふむ。筋は通ってましたな」
それからしばらくは、現場である室内をじっと見て回る。刑事は時折、「こ
れは元々ここにあった物か?」とマルシャンらに尋ねていた。
それがあらかた終わったところで、アーキンスの部屋に場を移してから、再
びカーター刑事は質問を始めた。
「生きている氏を見たのは、いつが最後だったんでしょうね」
−−続く