#2107/3137 空中分解2
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悪魔の誘い−−4 永山
★内容
「まだ犯人は捕まりませんか?」
何度目かの訪問を受けた小佐田の顔は、うんざりした様子がありありと見て
取れた。
「目下、鋭意捜査中です」
「これも、その一環ですか」
平成の言葉に皮肉っぽく答えた小佐田。そんな彼に対して、警部も真っ向か
ら対した。
「その通りです」
「無駄なことをしているもんだ。私は犯人じゃない。だいたい、殺人事件とい
うのが本当なんですか? あの子は自殺じゃなかったんですか」
「そのことで、ちょっとお見せしたい者がありましてね」
そう言って、平成は小出に合図した。コピーされた例の遺書が、ガラスのテ
ーブルをすべる。
「これは?」
何も説明しない刑事達を牽制してか、小佐田は紙を手に取ろうとしなかった。
小出が促すと、ようやく手に取った。
目を走らせる小佐田を、二人の刑事の四つの目が見据える。助教授の顔に、
変化は見られなかった。
「これは?」
相手が同じ言葉を繰り返したところで、平成は切り出した。
「小佐田さん。それはですね、菊地櫻さんが身につけていたフロッピーディス
クから、発見された文章をコピーした物でしてね。遺書らしいんですな」
平成は言いながら、観察を続けた。だが、小佐田は単に驚愕の表情をしただ
けである。それが演技なのかどうか、刑事らには分からなかった。
「遺書があったんですか……」
「はい。あなたとの交換日記に使っていたフロッピーディスクの中にね。どう
思われます?」
「どうと言われましても……」
小佐田は言葉尻を濁し、何度か文章を読み直した様子だ。
「これ、本当に遺書ですか? いや、本当に彼女が書いた物なんですか?」
「は?」
刑事二人にとって、これはかなりの衝撃であった。刑事達が考えていたのは、
遺書が偽物であり、それは小佐田が作ったのだろうということだったのに、ま
さか、小佐田からそう言われるとは……。
「ど、どうしてそんな考えを?」
「この『生きてゆく』です。僕は、一年近く交換日記をしましたから気付いた
んだと思います」
小佐田は興奮しているのか、口調が熱っぽい。一人称も、「私」から「僕」
へと変化した。
「『ゆく』という使い方をしたのを、見たことがないんです。彼女はいつも、
『いく』あるいは『行く』という言葉を使っていました」
「本当ですか!」
思わず、平成は立ち上がった。
「疑うのでしたら、交換日記の彼女の文を見て下さい。絶対に、間違いありま
せん」
小佐田の態度に、平成は一種の感動を覚えてしまった。これほどまでに、熱
心に読んでいたとは……。これは、単に国文学助教授というだけでは済まされ
ない。
「大変、参考になりました。ついでにもう一つ。部室の暗証番号ですが、あな
たは知っていたので?」
「一応。名前だけの顧問でしたので、はっきりとは覚えていませんでしたが、
教えられたことは認めます」
「では、その番号を菊地さんに教えられたことは?」
「……いや、ありませんでしたねえ」
「そうですか。いや、どうも、お邪魔しました」
平成は、来たときとは正反対に、感情を込めて挨拶をした。
「どういうことなんですかね、これは?」
小出がアパートの前の道路で、警部に尋ねてきた。
「小佐田は犯人じゃないってことだ。あいつが犯人なら、あんなことを言い出
すはずがない。それに、あんな細かいことを覚えていること自体、無関係の証
明みたいなもんさ」
「ええ、そんな感じは受けましたが、事件の方はすっかり訳が分からなくなっ
てしまいましたよ」
「弱音を吐くんじゃない。捜査は振り出しに戻ったかもしれんが、全くのゼロ
じゃあないんだ。現場の暗証番号を被害者が知らないってことは、少なくとも
犯人は番号を知っていた。この事実は揺るぎようがないんだから、これに基づ
いて進めりゃ、犯人を絞り込める」
平成は言った後、小出の背中をバンと叩いた。
それからの捜査は、牛歩よりも歩みが遅かった。
暗証番号で犯人を絞り込むと、小佐田頼彦か推理小説研究会部員、及びその
友人ぐらいに限られてしまう。その内、推理小説研究会の部員は合宿に行くか、
家族旅行に行くかで三月十一・十二日のアリバイがある。同じく、細山や船越
という友人も、旅行やバイトといったアリバイがあった。
そうなると残るのは、小佐田になってしまうのだが、平成の頭脳に訴えてく
るのは、彼は無罪だという声だった。どう考えても、小佐田が遺書を偽物だと
証明したことがネックとなる。
「警部、ちょっと気になることがあるんですが」
「何だ?」
活気のなくなりつつあった捜査本部で、小出が平成に声をかけた。
「遺体発見の翌日、被害者の両親が来ましたよね。そのとき、こんなことを言
ってたんです。覚えてます? 『あの子はどこか変わってましてねえ。高校の
担任からは、国公立も充分に狙えるとお墨付きをいただいたのに、どうしても
このN大学がいいのだと言って、聞かなくて』と言ってるんです」
「それがどうした? 受験生の私立指向は今に始まったことじゃないだろう」
「ですがね、彼女は奨学金を受けるほど親思いなんです。学費のことを考えて
います。そんな彼女が、国公立よりお金がかかると分かり切っている私立を、
どうして希望したんでしょうか?」
「……ちょっと待て。何が言いたいのか、分かってきたぞ」
平成は小出の顔をまじまじと見つめた。
「誰かを追って大学に入った。あるいは誰かと約束があって、この大学に一緒
に入ろうと決めてあった。他には……。そうだ! 目当ての教師がいたとか」
「はい。そんなところが考えられると思うんです。ですが、我々は小佐田に目
を奪われてしまって、友人関係については人当たりがいいなで済ませてしまっ
てました。これじゃ駄目なんです。徹底的に、洗い直すべきです。友人関係、
特に大学受験前から関係のありそうな奴を」
「そうだ。そうなんだ」
平成は思わず、叫んでいた。
だが、そううまく話は進展しなかった。同じ高校の出身者というのは確かに
いたが、全く接点がない者ばかりであった。大学関係者の中に知り合いを求め
ても、それは徒労に終わった。念のために付け加えると、小佐田とも、大学に
入ってから知り合ったことが確かめられた。
そんな折、一通の封筒が、捜査本部に届けられた。中味は二枚の紙片。一枚
は「N 5625 70 ス」という数字と文字がボールペンで書かれた物。
もう一枚は、その説明であった。特に関係のある箇所を抜粋すると……。
<……娘をあやめた人物を捕まえる手がかりとして、N大学につながる物はな
いかとのお電話をいただき、思いめぐらしましたところ、三年前のある事件を
思い出しました。櫻の従姉妹に、N大学志望の人がおりました。その人は、受
験の下見に行った日に行方不明となり、一ヶ月程経って、N大学近くの山中に
埋められているのを発見されました。死因は首を絞められたためとか記憶して
おります(この辺りの事情は、そちらで調べて下さるのがより正確でしょう)。
その方が握りしめていたのが、同封しました紙片です。一年くらいの間、警察
の手元にあった物でしたが、捜査に関係なしと判断されたのか、返されました。
本来は、亡くなった娘さんの親御さんの手元にあるべき物ですが、櫻の強い希
望で譲り受けました。こちらの事件は迷宮入り(このような言葉を使うことで、
お気を悪くなさらないで下さい)になったと聞きます。どうか、櫻の事件まで
も迷宮入りにさせないで下さい。何かのお役に立ちたくて、これを送ります…
…>
達筆な中にも、どこか急いで書いた節のある文面であった。
「警部。事実、そんな事件が起こってますね。当時、かなりセンセーショナル
に扱われたそうです」
「迷宮入りってのも事実か?」
「はい、残念ながら」
「くそっ。情けない。同じ様な不幸を、ほとんど同じ身内に与えるなんてな。
……絞殺が死因てのは本当か?」
「えーっと、そうです。絞殺よりも扼殺、つまり腕で締め殺したと判定されて
ますが」
ファイルを繰りながら、小出が答える。
「他に身体的損傷は?」
「ううん。一ヶ月目の発見ですから、あまり分かってないようですねえ。ああ、
全身打撲とあります。亀裂骨折を含む、かなりの重傷だったようです」
「打撲? リンチか何かにあったのかね?」
「そういう線でも調べたみたいですが、思わしくない結果だったみたいで」
「ふむ。とにかく、こっちの文字の意味を調べるか」
平成は紙を広げた。しわのある汚れたそれは、すぐに端が丸くなる。
「『N 5625 70 ス』か」
まずは手で書き写しながら、平成はつぶやいた。
「『ス』の後ろ、だいぶ間がありますね。まだ何か書くつもりだったんでしょ
うか」
「分からん。とにかく考えろ。NはN大学のNと考えてよかろう」
「その考えは当時も主流を占めたようです。次の四桁の数字や二桁の数字、ス
については、諸説紛々といったところですか」
「どんなのがある?」
「電話番号とかキャッシュカードの番号だとか、あるいは住所や誕生日なんて
のもあります」
「誕生日? 昭和五年六月二十五日とかか?」
「そうみたいですね」
「うん、まあ、どうでもいい。そういう考えは、全て無意味になったんだろう
?」
「はい」
「じゃあ、発想を変えるんだ。何か数字数字……。番号、暗証番号だ。N大学
のクラブで、そういう番号のがないか調べること。おい、メモしといてくれ」
「分かりました」
「他には……。学生番号。講義番号ってのも登録んときにあったな」
「お言葉ですが、警部。これを遺したのは、N大学に入る前の受験生です。そ
んな人が、そこまで知り得るものでしょうか?」
「ううん……。そうだな。では、暗証番号の線も薄いか。それに数字は四つだ
けじゃない。スってのも気になるな。これは絶対、何かが続いたはずだ」
「ダイイングメッセージですね」
「そんな推理小説の言葉を使うなよ。いらいらする」
「そうですか? 僕なんか、今度の事件の現場を密室だって、どれだけ言いた
かったことか」
ここら辺は、こいつもちょっと変わっているな。そう思う平成であった。
そんな間もなく、続いて小出の口から出た言葉は、平成を思い悩ませること
になる。
「どうでしょう、警部? 推理小説研究会に持ち込んでみては? 三年間の事
件について何か噂を耳にしているかもしれませんし、どうせ、暗号解読も得意
じゃないでしょうか? 彼らへの容疑は、アリバイで晴れてるんですから」
「三年前の事件については、何も知りませんが」
平成警部の説明を聞いた東海は、ゆっくりと口を開いた。四月にしては暑い
この日、狭い部室は十人以上の人間でいっぱいになった。部員の他は、刑事二
人に小佐田助教授である。
「暗号の方は興味あります。どうやら、小佐田先生への容疑も晴れたみたいで
すし」
部長が言うと、平成と小出はすまな顔で、小佐田に頭を下げた。目で返す小
佐田。
「それで、何か閃く物はあったかな?」
「そうピカピカ閃きやしません。じっくり考えたいんですが、このコピー、も
らえますか?」
「そのつもりで持って来たんだ」
「では、いただいておきます。何か閃いたらこちらから連絡しますから。何も
出なくても、何日か経てば、そちらから来てもらえませんか?」
「そうだな。三日。それ以上は待てないだろうな。他にも事件が起こっていて、
どんどん人員が減らされているんだ。それなのに、素人の力を借り続けたなん
てことが大ぴらになると、ちょっとまずいからね」
苦笑いしながら言うと、小出は連絡先を知るしたメモを、東海に渡した。
続く