#2104/3137 空中分解2
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悪魔の誘い−−1 永山
★内容
シンセサイザーで合成した金属音と言ってよいだろうか、ピピッという音が
暗い廊下にこだました。電子錠のボタンを押す音。推理小説研究会の部室。そ
れは、二階への階段を上がったすぐ横にあった。各階にある給湯場には、一番
近い位置にあることになる。
香田利磨は、春休みの家族旅行のため、部活の締めくくりである春期合宿に
参加できないことを、非常に悔しがった。一回生で行けなかったのは、彼女だ
けだったせいもあるが、何よりも推理小説好きのみんなと何日も語り明かすこ
とができないのが残念なのだ。去年の夏合宿での楽しさは、高校までとはひと
味違ったものがあった。その再現を期待していた香田は、こんなときに呼びつ
ける姉夫婦を恨んだものだった。
しかし、それも五日前にあった電話で、少しは気分が晴れていた。と言うの
も、合宿から帰った先輩の一人、部長の東海麟太郎が、
「面白い土産をボックスに置いとくから」
と旅行先に電話してきてくれたからだ。それが何であるのかを明かさず、飽
くまでも謎めかした言い方をしてくれたのが、香田の気持ちをくすぐった。
そうして、ようやく旅行から帰り、一日経った今日、三月十八日になって、
彼女は見に来たのだった。
「どうせなら、届けてくれればいいのに」
そう感じた香田であったが、向こうにも都合があるのだろうと自分を納得さ
せて、学生棟にある「ボックス」に足を運んだ。
ボックスとは、大学側が各クラブに対して連絡を行うときに書面を入れたり、
大学側で受け取った各クラブ宛の郵便物を入れておいたりするための、いわば
郵便受けのような物である。
「わぉ」
大げさでなく、香田はボックスにあった「土産」を見て、そんな歓声をあげ
てしまった。恥ずかしくなった彼女は、慌てて周囲を見渡したが、幸い、休み
中とあって人影はなかった。
土産はグリーンのハンカチで包まれた、一冊の書物であった。そんな物が何
故、香田利磨を叫ばせたのか。答えは簡単、それは絶版になって久しい海外ミ
ステリーの古典だったからである。
<いやあ、元気かね。明智クン、もとい、香田利磨クン。合宿は夏にも増し
て楽しかったよ……。等と嫌みな書き出しはここまでにして、お土産だ。利磨
が前から欲しがっていたアレが、ひょんなことで見つかったので、買っておい
た。正しく、これは地方における奇跡とでも言うべき出来事で、何気なく立ち
寄った古本屋の隅にあったんだ。それも考えられないような安価。古本屋のオ
ヤジに気取られるのが恐くて言い出せなかったが、恐らく、よくこの本の値打
を知らない読者が、またまた値打を知らない古本屋のオヤジに売り払ったのが
真相だろう。いや、全く奇跡だ。この値段なら俺が買うと言うのが、メンバー
の中にいたんだが(誰か、想像つくだろう)、二冊も持つことはないとなだめ
て、ここに贈るとあいなった。感謝セヨ。他の土産話はまた四月だ。それでは、
いい春休みを>
折り込まれていた紙片には、そんな長めのメッセージがあった。
本は多少傷んでいたが、読むのには支障がなさそうだった。しかし、香田は
早く読みたい一心で、部室棟に足を向けたのである。
何も部室にこもってまで読まなくても、と思うかもしれない。だが、本当に
待ち望んだ本は、他人の声騒がしいバスの中、揺られては読めるものではない。
落ち着いて、理想を言えば紅茶を用意して読みたい。
さすがに紅茶を用意することは難しかったので、香田は自動販売機の紅茶で
我慢した。散々迷ったあげく、彼女は冷たいミルクティを選んだ。
そうしたいきさつをもって、彼女ははやる気持ちを押さえつつ、部室の鍵を
開けたのだ。
すると……。
「……みんなったら、悪趣味なんだから」
部屋の中を一目見て、彼女は言った。悲鳴も出なかった。それは彼女の頭の
中では、あまりにできすぎた風景だったのだ。
部屋の奥の壁に上半身をもたせかけた女性。その首からはビニールロープが
天井に続いている。
「とんでもないお土産だわ」
自分を落ち着かせるように呟いた香田は、鼻をつく異臭をこらえながら、ま
た指紋を消してしまわないように気を付けながら、部屋の外に出た。それから
現場保存のために、鍵を元のようにかけた。
電子錠の構造はちょっと面倒な仕組みとなっており、開けるときはCを押し
た後、四桁の暗証番号を入力すればよい。ノブの上にあるポッチを縦にすれば
開く。問題は閉める場合で、扉を閉めた状態にしてからポッチを横にし、再び
四桁の暗証番号、ついでCを入れなければならないのだ。
この作業も、ボールペンの先で注意深く行った香田は、外へ駆け出した。そ
れでも、例の本と紅茶はしっかりと持ったまま。
「第一発見者はどなたですかね?」
平成治明警部は、集められた人間−−連絡のついた推理小説研究会の部員と
顧問、それに学校側の人間一人−−を見回して言った。場所は大学の部室棟一
階、合宿室と名付けられた部屋である。二階でさっき見た現場である部室より、
かなり広い。
「あたしです」
ストレートロングの女性が、勝気そうな答え方をした。
「名前は?」
「香る田圃に勝利の利、それに磨くと書いて、こうだりまと言います」
「香田利磨さん、ね。こちらの学生さん?」
「はい、法学部法律学科の一回生です。学生証、お見せしましょうか?」
挑戦的な物言いに、平成は気分を少し害したが、表には出さずに、続けた。
「仲々気が強そうですなあ。まあ、そうしてもらえるとありがたいですね」
言われた香田は、黙って学生証を示した。
「どうも。じゃあ、発見当時の話をしてもらえますかね?」
「はい。こちらの部長が、春合宿に行けなかった私のために、お土産を買って
きたと五日前に電話をもらって、やっと時間の空いた今日、ここまで取りに来
たんです。それは前から欲しかった本でした。すぐに読みたくなったあたしは、
部室に行こうと思いました。そこだと、落ち着いて読めると思ったからです。
途中、紅茶を買って部室棟に向かい、部室まで来ました。鍵がかかっているこ
とを確かめてから、暗証番号を押しました。その後、女性が死んでいるのを見
つけたんです」
「女性が死んでいるとは、いつ感じたんですかね?」
「どういう意味でしょう?」
「つまり、入った途端にこれは死んでいると思ったのか、それとも女性の身体
を触ってみて、死んでいることを確認したのか」
「入ってすぐに、嫌な臭いがしましたから、悪い予感めいたものはあったかも
しれません。だけど、はっきりとあの女の人が死んでいると感じたのは、女性
の首の周りにビニールロープがあるのを見たからです。それに顔も青黒く変色
していましたから」
「なるほど。それでは、あなたは今、鍵がかかっているのを確かめてから暗証
番号を押した。こうおっしゃった。どうして、鍵がかかっているかどうかを確
認したんです? そのまま暗証番号を入れ、開けていいもんだと思うんですが
ね」
警部が目線に力を入れると、香田は平成をにらみ返すようしにてから、答え
た。
「別に、特に意識した訳じゃありません。休み中であっても、誰かが部屋にい
ることはあるかもしれません。それに、ちょっと言いにくいんですが、あたし
達の部のみんな、特に先輩達は、いたずら好きですから、お土産だけボックス
に置いて、いかにも来ていないようにしながら、部室で待ち伏せしていること
もあり得ますわ」
アクセントを付けた香田の言い方に、部員達から軽い笑い声が起こった。
平成は、渋い表情をしながら、場を静める。
「静かにしてもらいたいですな。分かりにくい点があった。えっと、ボックス
というのは?」
この問いには、学生課の人が手短に答えた。
「ははあ。それじゃ、土産はそこにあったと」
「そうです」
これは香田。
「ふむ。現場に手を触れませんでしたか?」
「もちろん、電子ロックのボタンやノブには触りましたけど、他は」
「それはありがたいですな。では、次は、発見してから通報するまでの様子を
お願いしましょうかね」
「最初はそのまま、すぐに出も駆け出そうかと思いましたけど、部屋を誰にも
見られないようにと思いましたから、鍵をするのに時間がかかりました」
「鍵をするとき、またボタンやノブに手を触れましたか?」
「いいえ。ノブはハンカチで回しましたし、ボタンもボールペンで押しました。
直接には、どこにも触っていません。でも、入るときに指紋がべたべた付いた
と思いますから、意味がなかったかもしれませんけど」
「そんなに気を回さなくて結構ですよ。で、こちらの学生課の方へと連絡した、
と」
「そうです」
香田はきっぱり、そう答えた。
「今の話に間違いないですか?」
平成は学生課の人に向き直って聞いた。
「ええ。驚きまして、この人とすぐに確認に走りました。鍵を開けてもらって、
ちょっと中を見て、死んでいる人を見ました」
「ええっと、学長と言うんですかな、一番上の方に知らせてから、我々に通報
したんでしょうかね?」
「はい。学長は今日はたまたま来られていましたから、すぐに学長室の方へ連
絡を入れ、警察に通報するよう言われました」
「今、学長さんはどちらに」
「学長室で、色々なところへ連絡を入れている最中かと」
「ふむ。まあ、後ほど、話を伺わせてもらいましょう。さて、次は部長さんだ」
「はい、何でしょう」
眼鏡をかけた、どちらかと言うと色白の男が返事した。
「君は?」
「経済学部情報科学科二回生の東海麟太郎です。推理研の部長をやってます」
「二回生で部長かあ。凄いねえ」
「いえ、僕が入学した年、推理小説のクラブがなくて、どうしてもそんな関係
の部に入りたかったものでしたから、作ったんです。幸い、同じ様な物好きな
友人二人もいましたし」
「ほう。それにしても凄い。それはともかく、彼女の話の通りなんだね?」
「ええ。合宿の話も土産のことも、本当です」
「では、君が土産とやらを置きに来たとき、君は部室は覗かなかったのかね?」
「はい。もう疲れてましたから、置いてすぐに帰りました」
「最後に部室に来たのは?」
これは全員に向けられた質問だ。
「二月末日、試験の終わった日です。全員が試験を終えてから、合宿の確認を
したんですから」
代表する形で、東海が答えた。
「それ以後、誰も来てないんですね?」
「もちろん。さっき、事件だって急に連絡を受けて、びっくりしているんです
から」
「そうでしょうな、いきなり部室に遺体が現れては、いくら推理小説好きでも。
で、これから死んだ女性の顔を見てもらうんですが、どうか心を落ち着けとい
て下さい。これは他の方も同じです」
「それは、身元が分かっていないということですか?」
「まあ、そうなりますな。学生証を持っておらんのですよ、あの女性は。ああ、
香田さんでしたか。あなたは女性に見覚えありませんな?」
「見つけたときは、ちらっとしか見ませんでしたけど、知らない人だと思いま
す」
「そちらは?」
平成は再び学生課の人間の方を見た。
「ああ、私も確認のため、ちょっと見ましたが、記憶にありません。学生さん
とは割と接しておるんですが」
「では、上がってもらえますか。まだ移していませんから」
警部は上へ行くよう、指で合図した。
続く