#1156/1158 ●連載 *** コメント #1155 ***
★タイトル (sab ) 22/10/14 16:53 ( 79)
ニューハーフ殺人事件20 朝霧三郎
★内容
副題:もともとタナトス的な人が肛門性愛に走る。
斎藤警視の問いかけに、水戸光男と明子巡査は押し黙っていた。
「そういう難しい事はちょっと」もじもじしながら水戸光男は言った。
「個人的な意見でいいなら、ない事はありません」明子巡査が言った。
「ほー、なんだね。聞いてみたいね」
「池袋のガイシャですが、あれは「母へのおねだり」的欲望を持ったまま
大人の世界に入って失敗したんじゃないかと思うんですが」
「「母へのおねだり」?」
「「母へのおねだり」というのは、
幼児は言葉を持っていませんから、
母親に「おっぱいが欲しいのかな、オムツが濡れているのかな、
それとも何かな」と、あれでもない、これでもない、と、
想像してもらいたいんですね。
あれも、これも、全ての愛を欲しがる、みたいな感じですが。
何を与えられても、泣き続ける赤ん坊の様な感じですが。
だって、何が欲しい訳ではなく、母親の無限の愛がほしい訳で、
それが万能感なのですから。
それは、エロスというよりかはタナトス的な愛です」
「なんだね。フロイトかね」
「そうです」
「フロイトが池袋の事件と関係があるのかね」
「だって、アネロスを持っていたのですから。肛門性愛ですから」
「そうか。まあ、続けて」
「エロスというのは、おっぱいとかうんちとか、母の脂肪とか、
ぽちゃぽちゃしたもので、適当でいい加減で人間的なものなんですね。
一方タナトスというのは、もっとカクカクした完璧なもの、
まだへその緒がつながっていて、永久に栄養が流れてくる様なもの、
人間も微細なレベルでは原子ですから、
原子だったら、元素の周りを電子が規則正しく回っているから、
そういう規則正しさを求める、みたいな欲望がタナトスです。
そういうタナトス的なものを、エロス的なぽちゃぽちゃした母親に求める、
タナトス的な乳児だった」
「池袋のガイシャが?」
「ええ」
「そういう乳児だったと」
「ええ」
「それで」
「だから、当然エロス的母親は人間ですから完璧なものは与えられない。
そこで、このタナトス的な子供は愛されなかったと思う。
愛を得ないまま大人になった。
そして大人の世界に参入する。
大人の世界とは、例えば、伊勢丹メンズ館でスーツを作って、
どこかこ洒落たレストランでランチをする、みたいな世界ですが。
ところがこのガイシャの免許証の写真を見ると、顔が歪んでいるんですね。
シンメトリーじゃない。イケメンじゃない。
となると、伊勢丹メンズ館でもこ洒落たレストランでも笑われる訳ですよ。
ドレスコードに引っかかって入れてもらえないみたいな感じですかね。
ここで、乳児の頃、母親とエロスのやりとりがあれば、
エロス的に、あの店員変な奴だな、ぐらいで済むのですが。
たまには自分の歪んだ顔をバカにする人間もいるだろうが、愛してくれる人もいる、
とエロス的に考える。
でも、エロスを拒否したタナトス的な乳児ですから、
タナトス的に拒否されたと感じて、万人に笑われていると思う。
自分が醜いから愛されないのだ、と。
シンメトリーじゃなから受け入れられないのだと。
そして完璧なものを求める訳です。女なら、すっぴんを捨てて何回も整形を繰り返す。
男だったらボディービルをやって鍛えるような。
ここで、愛がエロスからタナトスに変わるんです。
ぽちゃぽちゃした女性のおっぱいや性器を求めているのではなく、
そんなのは否定して、
つまり女性的なものへの勃起、射精というものではなくなり、
肛門性愛の様な反復的なものになるんです。
何故肛門性愛かというと、女性性器じゃないからですが」
「ふーん。じゃあ、そこで肛門性愛に走ったとして、
何で死なないとならないのかね」
「肛門性愛に走るのは、伊勢丹メンズ館の様な“世界”から母子関係に戻ってきて、
そこで、肛門をいじられるみたいな感じですから、
その先には、へその緒が直結している胎内に戻りたいという欲望があり、
更には受精前の死の状態に戻りたいという「死への欲動」があると思われます。
その「死への欲動」を体現したい訳ですから、
肛門で悶える感じです。
丸で拷問でも受けているみたいに」
「君はそんな事をどこで学んだんだね」
「大学時代、心理学科で」
「どこの大学で」
「中央大学です」
「あの田舎の私立大学かい」と斎藤警視は言った。