#583/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/09/14 22:14 (452)
BookS!(20)■BookS2■ 悠木 歩
★内容
■BookS2■
「ところで迫水先輩、ずいぶんとお疲れのご様子ですけど?」
「別に疲れてなんかいないよ」
半ば冷かすような紫音に、黎は強がって見せた。しかし実際のところ身体が
酷く重たい。気を抜けばいつ眠りに落ちてもおかしくないほど疲労していた。
「見栄を張っても仕方ないわよ。それとも公園でのあの動きは、万全の体調で
のものだったのかしら?」
「ああ、疲れているよ。今日は宗一郎と、結構激しい稽古をしたからな」
最早否定する意味はない。と、言うより公園で紫音とやり合った際の動きを、
全力と思われるのが癪であったのだ。
「やだ、呆れた。あなた、まだ気づいてないんだ………」
紫音はこれ見よがしに溜息をつく。まるでコミックの登場人物のように、両
掌を天に向け、首を振った。
「気づいてないって、何をだよ」
露骨な紫音の態度に、少しばかり腹も立つが、現状黎は教えを乞う身である。
努めて感情を押さえて、訊ねる。
「あのね、思い出してみて。その鳴瀬で戦った後も、暫く動けなかったんだよ
ね?」
「ああ、人生の中で、命の危険を感じて逃げ回るなんて、初めてのことだった
から」
「それと今日のことよ。公園に入るまではどうだったのよ」
「えっ?」
「そのときから、そんなに疲れていたか、ってことよ!」
「いや、言われて見れば………あっ」
苛立ちも露な紫音の声に、黎はある考えに至った。
「そうだ、どちらもブックス、彼女たちを呼んだ後だよ。酷く疲れたのは!」
「やーっと気がついた」
大きく息を吐き、紫音はその身体をソファの背もたれへと預ける。
「何のために彼女たちはこの場に来ないで、姿を消したかってことよ。それは
あなたにこれ以上、体力を消耗させないために他ならないわ」
「ま、待ってくれ。ってことは、ブックスを呼び出すには体力がいる、ってこ
となのか?」
「そうよ。元々本を完璧に読めない以上、ブックスも完全な姿では呼び出せな
い。つまり私たちの前に現れるブックスは、一部の封印だけを解かれた、仮初
めの存在なの。彼らをこの世界に留めるためには、呼び出した者、リーダーの
体力が必要となる」
「つまり、リーダーは自分とブックス、二人分の体力が必要になる」
「ええ、あなたの場合は、三人分ってことになるわね」
それは深刻な事実であった。
ただ存在させるだけならともかく、戦いとなれば体力の消耗は激しいものと
なろう。もし今回の紫音のように、相手のリーダーが仕掛けてくれば黎自身も
戦わなければならない。いくら鍛えてはいても、三倍の消費に耐えられるほど
に、黎の体力は膨大でない。
「えっ、けど、だとするとだぞ」
「なに?」
「久遠、お前は化け物か?」
「何よ、突然。失礼ね!」
どうにも紫音と言う少女は、喜怒哀楽が明確に表情に現れる性質を持ち合わ
せているようだ。真剣な話をしつつも、黎はその豊かな表情の変化に、笑いを
堪えると言う試練を科せられていた。
「だって俺と同じようなことをしてだぞ。いまもこいつを、呼び出したままじ
ゃないか」
そう言って黎が指さしたのは、銀髪の男、リアードであった。
「君は、庭に水を撒いたことはあるかね?」
黎の指の先で、リアードは言う。
「それくらいのことは、あるけど。それがどうしたって言うんだ」
「ホースで水を撒くときよ。遠くへ撒きたいときって、どうするかしら。水の
勢いを強くする?」
今度は紫音が、リアードの言葉に続ける。
「いや、そんなことをしなくたって、こうやってホースの先を潰してやれば…
……」
黎は指先でホースを潰す真似をして見せた。
「それと一緒」
「これと?」
己の作った指の形を、黎はじっと見つめる。
「戦いが始まれば、お互いに意識しなくても、体力はごっそり持っていかれる
の。でもそこで少しの工夫」
「それが、これか」
黎は作った指を、目の前へ突き出す。
「そう、意識的に自分の体力を、そうやって細く、強く出してやればいいだけ
のことよ」
そのまま、ふふん、と鼻を鳴らしそうな勢いである。話す紫音は、自慢げで
あった。
「だけどなあ………フツー体力を他人に分けるなんて経験はないぞ。理屈は分
かっても、簡単に実践出来るモンじゃないだろう」
「慣れよ、慣れ。慣れてしまえば、どうってことはないわ」
「そうか?」
「そうよ」
恐らくは、立場の優位さを実感しているのであろう。紫音は鼻歌混じりに、
また一口、ミルクティを啜るのだった。
「あっ、思い出した」
「わっ、なに!」
突然上げた明日香の声に、隣を歩いていた理奈子は、飛び跳ねるようにして
驚いた。
「ご、ごめんなさい。驚かすつもりじゃ、なかったんだけど」
「うん、それはいいけど。思い出したって?」
「ほら、さっきの人。古川さんって人のこと」
何処かで聞いた覚えがあると、先刻より考え続けていた二つのキーワード。
明日香はその正体に、ようやく行き着いたのだ。
「テレビ………ニュースで聞いた名前だったのよ」
「えっ、あの人、なにか悪いことしたの?」
「ううん、そうじゃないわ」
そう答えた後、明日香は暫く黙りこくってしまう。
「明日香姉ちゃん?」
古川と教会。二つのキーワードは、報道の中で耳にした言葉であった。ただ
それは、理奈子が心配したように、何かの事件、犯罪を報じたものではない。
しかしまだ子どもである理奈子に話すのには、少しばかり重たい内容であった
のだ。
「古川さんは、ある裁判を起こしているの………」
「さいばん?」
明日香は重たくなった口を、ようやく開いた。幼くとも理奈子は知るべきで
あるし、その権利もあると考えたのだ。
「アジアの国から、日本に働きに来た女の人たちがいたの」
「?」
「その女の人が、赤ちゃんを産んだの。お父さんはたぶん、日本の人」
「えっ、たぶんって、どういうこと? 結婚しているなら、お父さんはわかる
でしょ」
ふっ、と明日香は小さく短く嘆息する。意を決めたものの、それは楽しく話
せるような内容ではなかった。
「お父さんは、どこの誰なのか分からないそうよ。そして女の人、お母さんも、
赤ちゃんを置いていなくなってしまったそうよ」
「そんな、ひどいよ。赤ちゃんがかわいそう」
「うん、それでね、残された赤ちゃんなんだけど………お父さんが誰か分から
ないと、日本人とは認められないらしいの。お母さんもいなくなってしまった
から、お母さんの国の国籍ももらえない」
「なんでさあー、それじゃあ、赤ちゃんがかわいそうすぎるよ」
「私もそう思う。だけど、それが法律なんだって」
「法律って、ひどいんだね」
理奈子は頬を膨らませて憤慨する。
こんな小さな子に理解されない、法のあり方と言うものを明日香は考えさせ
られてしまう。しかしいまここで、それを論じても仕方ない。
「ねえ、だけどさ。それと古川さんて、どう関係あるの?」
話は核心に入らなければならない。いよいよ以って気の重たくなるところで
あった。
「残された赤ちゃんは、一人では生きられないでしょう? ある人が引き取っ
たそうよ。
確か、教会の神父さまだったわ」
「あっ、もしかして、それが古川さん………」
「うん。古川さんは引き取った赤ちゃんの国籍を認めるよう、裁判を起こした
の。それがニュースになって、私、見たんだったわ」
「じゃ、じゃあ、その赤ちゃんが、ナナちゃん?」
「ええ、たぶん………」
それから二人は、押し黙ってしまう。
いつの間にか、あれほど響き渡っていた蜩の声も、その数をすっかり減らし
ていた。いまでは過ぎ行く夕刻を惜しんで、数匹が鳴いているだけであった。
朱は濃紺に変わりつつある。
街は夜の帳に包まれようとしていた。
「そ、そんな出来ませんよ!」
余りにも唐突で、無茶な話に磯部は目を丸くして驚き、これを拒んだ。
「案ずることはない。例え万一のことがあったとしても、お主を恨んだりはせ
ぬと約束する」
グァである鈴木清太郎は、狼狽える磯部を楽しげに見つめ、微笑んでいた。
目の前、テーブルの上には乳飲料の缶と並んで一本のナイフが置かれていた。
グァは磯部に、それで自分を刺せと言うのだ。
「そう、出来ればこの辺りがよい」
そう言って、右手を左胸に充てる。
「無理です、出来ません」
相手が人間ではない、人間を超えた存在だとしても、抵抗なく承知出来る話
ではない。磯部はこれを強く拒んだ。
「うむ、出来ぬか。ならば致し方ない」
磯部はそれを、諦めの言葉と取った。しかし違う。グァは何やらごもごもと、
口の中で呟いた。
すると磯部の右手は本人の意思に反し、テーブル上のナイフを掴み上げる。
「うわっ、何だ………か、勝手に」
自分の身体が自分の意思に反した動きをする。それは通常、し得ない経験で
あった。決して愉快ではない、いや、不快極まりない経験であった。
「お主が拒むのでな。不本意なれど、我が術を使わせてもらった」
「そんな………やめて………」
ふと磯部の脳裏に、身体を乗っ取られる鈴木の姿が浮かぶ。恐怖感を覚える
光景であったが、一方どこか他人事としてそれを見ていた。だがこうして、己
の身体が他の者の意思によって動かされると言う不条理に、恐怖と共に強い嫌
悪感を覚える。
頭の中では強い抵抗を試みるも、力は全く手足へと伝わらない。磯部の身体
は勝手に立ち上がり、掴んだナイフの柄を握り締め、グァへと向けた。
「うおっ!」
悲鳴と共に、ナイフは真っ直ぐに突き出された。鈍い感触が手に伝わる。見
ればナイフは、その金属部分の大半をグァの胸に収めていた。
「ひ、ひいいいっ」
我ながら不様と思える声が漏れた。身体の自由が戻ると同時に、磯部はナイ
フから手を離し、尻餅を突いた。
「案ずるなと言うたはず」
ナイフを胸に突き刺された状態で、グァはにぃと笑う。そして右手をナイフ
の柄に遣り、力任せに引き抜いた。
「ほれ、ナイフの刺された場所を見るがいい」
「え、えっ………」
促されるままに、磯部はグァの胸元へ視線を送った。ナイフの刃に合わせた
形に、ワイシャツが切れている。しかし、ただそれだけであった。
その異様さは、磯部にもすぐ分かった。
血の一滴も、滴ってはいないのだ。
「えっ………どう言うこと?」
「どうもこうもない」
グァはワイシャツのボタンを外し、胸をはだけさせた。そこには、かすり傷
の一つさえ残されてはいなかった。
「即ち、我が身に傷は付かぬ」
「それは、無敵ってこと、ですか?」
「いや、さに非ず」
再びボタンを掛け直す。これは魔術で処理出来ないのだろうか。
「ブックスを傷つけられるのは、ブックスのみ。ブックスの使う武器こそが、
唯一、ブックスを倒せるものであるのだ」
「ちょっと待って」
磯部は驚く、と言うよりも焦りを持って、発言の意思を示す。
「それではブックス同士の戦いに於いては、あなたは不利だと言うことじゃあ
………いや、何かあなたも武器を持っているのですか?」
少なくともいまのところ、魔術師たるグァが一撃必殺となるような武器を所
持していると、磯部は知らなかった。
「うむ、小物程度は使うが、武器らしい武器は持たぬな」
「それじゃ………」
グァの答えは、磯部を愕然とさせるものであった。
最初に依頼された本に関して、何者かバルスームの側に敵対する存在がある
らしいと知れている。今後、ブックス同士の戦いがあり得ると、磯部も予測し
ていたところであった。
もしグァがブックスに通用する武器を持たないのだとすれば、その戦いはバ
ルスームにとって不利なものとなる。
「心配は無用。我が魔術とて、対ブックスの武器となる。それに………」
「それに?」
「こちら側には、もう一冊本があるのだろう? そやつを呼び出せれば、我が
方が俄然有利となろう」
「どうしてそう言えるのです。相手の陣容はまるで分かってないんですよ。こ
ちらにもう一人ブックスが増えても、有利とは言い切れない」
磯部が疑問を口にすると、グァである鈴木清太郎の口元は大きく歪んだ。
笑ったのである。
磯部の疑問は、グァの予想したものであったのだろう。そして望む疑問でも
あったのだろう。
「見当が付くのだ。儂の本と共に、三冊が一つ所に存在していたと聞く」
「ああ、そう言えば」
詳細は不明であったが、磯部もそんな話を真嶋から聞いた覚えがあった。
「自ら言うは、些か口幅ったいが、儂は人々に恐れられ、忌み嫌われた存在だ。
その魔力の強大さ故にな」
誇らしげに言う。
もっとも話を聞く磯部には、それがどれほど事実に基づいているかは、全く
分からない。他に比較する魔術師の存在を知らなかった。更には、グァの全力
での魔術を見てもいないのだから。
「恐らくは、我が本は厳重に保管、祀られていた筈。儂と同等に恐れられた者
たちと共にな」
「ではあなたには、他の二冊に封じられているブックスに心当たりがあると」
「左様、何れが何れかまでは分からぬが。残された一冊が何れであっても、こ
ちらにとって強力な駒となろうぞ」
それが事実であるならば、いやグァが嘘偽りを語らなければならない理由は
ない。事実であろう。
ならば残された本のリーダーを早急に探し出さなければならない。そして何
としても味方に引き込む必要がある。
磯部は知らず知らずのうち、バルスーム側の人間となってといる自分に気づ
いてはいなかった。
「いい? これから私が話すことはリアードから聞いたこと、私が経験したこ
と、それに私の推測も多分に含まれているわ」
「はい、質問、いいかな?」
話の腰を折って、紫音の気分を損ねないよう、黎は遠慮がちに手を挙げた。
「はい、どうぞ」
意外なほどすんなりと、紫音は質問を受け付ける。
「どうして推測が入る? お前の、リアードとやらに聞けば済む話じゃないか」
「あーっ、それはね」
「話してやりたくても、話せないからだ」
質問に答えたのはリアードであった。
「リーダーにも話せない秘密があるってことか?」
「いや、そうではない」
「リアード、彼との話は、私の役目よ」
極めて穏やかな口調ではあったが、紫音の言葉には静かなる怒気が含まれて
いた。己が中心になるべき話を、邪魔されたのが気に入らないのだろう。
「あい分かった。私は黙っていることにしよう」
リアードは小さく肩を竦める。少女の性格について、熟知しているのだろう。
「彼らは本に封印されていて、リーダーに読まれることでその封印が解かれる。
これは理解出来たわね?」
「ああ、理解した」
黎はしっかりと頷く。
少女の気分を損ねないよう、と言うことよりこれからの話が自らの生死にも
関わる重大事と承知していたためである。自ずと、紫音への対応も真剣なもの
となる。
「ところがあなたの読める部分なんて、ほんの一部もいいところよ。呼び出さ
れたブックスも、その力をたぶん千分の一も発揮出来ていないでしょうね」
「反省しているよ。力を付けるよう努力する………方法が分からないがな」
「あのね、別に責めているつもりはないから。私だって、あなたよりは相当マ
シだけれど、完全な形でリアードを呼び出せてはいないわ。えっと、でね、本
に封印されているのは、何も彼らの身体だけじゃないの」
「と、言うと?」
「例えば彼らの武器とか鎧とか、そう言ったものも封印されている」
「そうか、だからだ!」
得心したとばかりに、黎は身を乗り出した。
「鳴瀬で赤いヤツに襲われたとき、ヤツの手に、突然武器が現れたのはそれか」
「粉砕者グラウドだな、そいつは。間違いない」
ちらりと横目で紫音を見遣りながら、リアードが言う。
「武器だけじゃないわ。記憶や知識も、封印されてしまっているのよ」
「ああ、なるほど。それじゃあ話したくても、話せないわな」
「そう言うことよ。だから経験上の、私の推測が入るから、それを頭に置いと
いて。うーん、そうね。あなたの質問に私が答える、って形にしましょうか」
「ああ、助かる。それじゃあ早速。そもそもブックスって何だ? どう言う存
在なんだ?」
「ええっと、これは完全に推測、ってことになるかしら?」
頬に手を充て、紫音は考えるような仕草を見せる。
邪魔をしたリアードへの対応から見ても、紫音は語ることを好む質を持ち合
わせているようだ。話すべきことを頭で整理しながらも、それを楽しんでいる
よう思える。
「リアードの話からして、彼らは少なくても五千年以上前から存在していたら
しいわ」
「五千年………そりゃまた、壮大な」
「たぶんその頃の彼らは、神様みたいな存在だったんだと思う。ほら、ギリシ
ャやローマの神話があるでしょう?」
「オーディーンとか、アポロとかが出てくるヤツか」
「オーディーンは北欧神話、アポロはローマ神話よ」
「そう、だっけか」
「………日本の八百万の神なんかもそうじゃないかと思うけど、後に創られた
神話は、彼らのことがモデルになっているんだと、私は考えているわ」
あり得ない話ではない、黎にもそう思えた。
対グラウド戦、対リアード戦で見せたリルルカとミルルカ、そして敵方のブ
ックスの動き。それは人間の域を大きく凌駕した戦いであった。目の当たりに
した黎には、彼らを超人と称すよりも、神々と考えたほうが余程納得が行く。
「神話のモデルって考えには賛成出来るな」
「でしょ?」
「だけど、だ。それほど卓越した存在を、誰がどうして、どうやって本に封じ
たんだろう?」
「それよ! 私はね、人間の仕業じゃないかと思うの」
何か、紫音は生き生きとして見えた。多分、自分以外のリーダーと交わるの
は、彼女にとっても初めての経験ではないだろうか。リーダーに対し、自分の
考えを述べられるのが嬉しくて仕方ないよう、黎の目には映っていた。
「人間がかぁ? こんな、化け物じみたヤツらを?」
「だって考えても見てよ。リアードたちみたいな者が存在して、一番困るのは
誰? 人間じゃないかしら。もし彼らがそのまま存在し続けていたとしたら、
人間は文明を持つこともなかったんじゃないかと思う」
確かにそれはあるかも知れない。黎の知るブックス同士の戦いは、不完全な
状態でのものだと言う。もしそれが互いに完全な状態で、全力で行われたとし
たなら、周囲にも甚大な被害が及ぶと予想される。どれほどの数、ブックスが
存在していたかは不明だが、それらが各地で全力の戦いを頻繁に繰り広げてい
たとすれば、人の築き上げた文明も片端から破壊されていたであろう。
「人間が発展しようとする中で、彼らは邪魔な存在だった。きっと人間の中に、
彼らと対抗できるような特別な力を持った者が現れたのよ。ほら、彼らを人間
の武器で傷つけられないって話したでしょう? だから封じたのよ」
「うーん、分からなくはないけど………俺にはブックスに拮抗するような人間
が存在したなんて、考えられないなあ」
彼らの戦いは、如何に努力したところで、人に及ぶことの出来る域にはない。
黎にはそれがどんな種類の力であったにせよ、彼らを一冊の本へと封じるなど
不可能としか思えなかった。
「なあんだ、あなたって、思ったより想像力が乏しいのね」
呆れ顔も露に、紫音は言った。
どうもこの少女とは馬が合いそうにない。黎はそう感じるのであった。
「それは無理だな」
グァは緩慢な動きで、頭を左右へと振る。
あるいはグァがリーダーとなり、残された本のブックスを呼び出すことは出
来ないのかと、磯部がした質問への答えであった。
「もし儂が、完全な力を取り戻していたなら分からぬが………いまの力でそれ
は出来ぬ。何処かに存在する、リーダーを探し出す以外、手はないのだ」
仮にも魔術師を名乗る己に、不可能があると認めるにはフライドに傷が付い
たのだろう。グァは瞬間ではあったが、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「あの、あなたは自分の封じられた本も、自分で読むことは出来ないのですか?」
これもまた、彼のプライドを傷付けるかも知れない。そう思いながらも、磯
部は己の好奇心を抑えることが出来なかった。
「そう畏まるな、探求者よ。好奇心は、儂も嫌いではない」
そう言って、グァは笑う。磯部の心中は、読まれていたのだ。
「実はな、先刻、己の封じられていた本に目を通してみたのよ。儂自身の全て
が記された書だ。粗方読むことは出来た」
「えっ、じゃ、じゃあ………」
ならばそれを以って、掛けられた封印を全て解くのも可能ではないのか。磯
部はそう思ったのだ。
「儂も考えた、試して見たのよ。我がリーダーたる男に教え、読ませても見た
が、無駄であった」
「はあ? それって」
リーダーである鈴木清太郎と言う男は、グァに乗っ取られ、身体のみが存在
する。その意識、思考はこの世から消えたものと磯部は信じ切っていた。
「言うたろう? リーダーが本の文字を解した分だけ、我が封印も解かれると。
故にこの男の意識は生かしてあるのだ。文字を解するよう、成長させるために」
それは単に自由を拘束されると言うレベルではない。男は意識を持ちつつも、
何一つ自由になるものがない状態に置かれているのだ。その間、己の身体は己
の意思に関係なく動き、己の口は考えてもいなことを言葉にする。想像するだ
けで、身震いが起こる。
「即ち本は、リーダーとして選ばれた者自身が解し、読まねばブックスは封印
を解かれぬのだ。他人に教えられて読んでも、また他人が読んでも意味はない」
「そうですか」
何か力が抜けるような思いがする。
鈴木と言う男に多少の同情は覚えるものの、所詮は他人事である。さしたる
興味も感慨もない。
それよりも近道かと思われた考えが否定され、どのようにして新たなリーダ
ーを探し出せばいいのか、頭を悩ませていた。
「ああ、そうだ………もう一つ」
抱いていた疑問を思い出す。
「うむ、言うてみよ」
「もし完全に、リーダーが本を読めるようになったとして、これだけ厚みのあ
る本です。封印を解くため、どれだけ時間が掛かるだろうと………」
「フフフッ、アハハハ!」
突如グァは大笑をする。
その理由が分からない磯部は、そんなグァをただ見つめるだけであった。
「いやいや、失敬」
暫くして笑いの治まったグァは、大きく深呼吸して息を整える。超人の類で
も、息が乱れることがあるようだ。
「お主の心配はもっともであるがな。案ずることはない。必要なのは『読める』
と言う事実のみなのだよ」
「どう言うことでしょう」
「読めればいい、言葉通りだよ。『読める』と言う事実さえあれば、一部を読
み上げるだけで、読める部分の封印を解くことが可能なのだ。あるいはリーダ
ーの熟練次第では、任意の封印だけを解除出来るようにもなる。とにもかくに
も、我らブックスはその封印について、リーダー任せと言うことのなだ」
恐らくグァは、ブックスの中でも我の強いほうではないかと思われる。そし
てそのための力を持ち合わせているのならば、リーダーと言う他者に頼り、そ
れに従わなければならない状態を逃れようとするのは当然かも知れない。
もし自分がグァの立場であれば、と磯部は考える。
訳の分からない男に従うより、グァ同様、相手と己を同化する方法を執って
いたかも知れない。
「元々の儂は、お主のような者だったのかも知れぬ」
グァの言った言葉が思い出される。
あるいは本当にその通りだったのでは。そのように思える磯部であった。
「で、思うのよ。確か本の発明って五千年は遡らないわよね。四大文明が、四
千年くらい前のことだったし」
「ああ、詳しくは知らないが、そうだと思う」
相変わらず熱弁を振るう紫音へ、黎も相槌を打つ。
「そもそも本って、ブックスが封じられたものを見て、後の人が真似たんじゃ
ないかって」
「それは頷ける、って言うか本当に封印が五千年前に行われていたのなら、そ
う考えるのが自然だろう」
「でしょう?」
自分の意見に賛同を得たことが余程嬉しいのか、紫音は満面の笑みを見せる。
「武器もそうだと思うのよ」
「武器も?」
「うん。当時の人間の武器ってせいせい石斧とか、そう言うものだったんじゃ
ないかしら。剣とか槍とか、弓矢とか、きっとブックスの持ち物を真似たんだ
と思う」
「うーん、かもな」
取り敢えず相槌を打つ黎だったが、これには必ずしも全面的な賛同は出来な
かった。詳しい歴史は覚えていないが、記憶に間違いがなければ旧石器時代は
二百万年前。ならば五千年前までには、充分剣などの武器に発展していた可能
性も考えられるだろう。
「ところでお前、リーダーとして俺より先輩って言うのは分かったが、それに
したって詳しいよな」
「ま、まあ、ほとんど推測なんだけどね」
黎にそのつもりはなかったのだが、紫音はそれを誉め言葉として受けたらし
い。少しばかり照れたように答えた。
「久遠は一体いつから、リーダーになったんだ?」
「ん? えっとね、あれは小学校に入った頃だったから、七つになる前だった
かな」
せいぜい一、二年前の話と予想していた黎は、この答えに絶句してしまう。
どうりでブックスの扱いにも慣れているはずである。彼女にはおよそ十年のキ
ャリアがあるのだ。
「………驚いたよ。どんなきっかけで?」
暫くして黎は紫音が本を手に入れるに至った経緯を訊ねる。
「どんなもこんなも、家にあったの。古い家だったからね。庭に土蔵があって、
その中で見つけたのよ。何でも四百年くらい前、竹村の祖先が手に入れたもの
らしいわ」
「えっ、竹村?」
その姓が紫音のものと異なることに、黎はすぐ気づいた。疑問は条件反射の
如く、口を付いて出てしまったが、それは訊ねてはならないとこだったのかも
知れない。
「ああ、私、妾腹なのよ」
妾腹、それは聞きなれない言葉だった。しかし記憶を辿れば、どこかで耳に
した覚えもある。やがてそれは時代劇か何か、古い時代の物語の中に出てきた
言葉だと思いつく。そして、やはり訊ねるべきではなかったと気がついた。
「つまり愛人の子ってわけ。小さい頃母さんが死んでしまって、父親のほうに
引き取られたの。フン、子どもを愛していたからじゃないわ。世間体よ」
果たして紫音がどのような幼少時を過ごして来たのか、黎には計り知れない
ことであった。ただ紫音の態度から、それが満たされたものではなかったらし
いと、容易に知れる。
不用意な質問をしてしまったと後悔する黎は、そのまま押し黙ってしまった。
そして不愉快な過去を思い出してしまったらしい紫音も、その饒舌ぶりは、
何処かに影を潜めてしまうのだった。
【To be continues.】
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