#556/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/07/30 22:16 (331)
BookS!(09)■First friend■ 悠木 歩
★内容
■First friend■
宗一郎の家を訪れた黎は、まず初めに新聞を借りた。昨日の件がどう報じら
れているのか、気になっていたからだ。場合によっては、自分も警察に出頭し
なければならないだろう。ただ黎の話をまともに受け止めてくれるか、甚だ疑
問ではある。
ところが新聞を隅から隅まで目を通しても、昨日の一件は記事になっていな
い。念のためにとパソコンを兼ねたテレビでワイドショーをチェックするが、
こちらでも全く報道される気配がない。
少なくとも磯部の机、階段脇の壁が破壊されているのだ。事件として扱われ
るのに、不足があるとも思えない。あるいはやはり、夢であったのか。夢遊病
者のように彷徨う中、何処かで額に傷を作り、本を手に入れた。少し無理のあ
る解釈ではあったが、昨日の出来事よりは余程よほど現実的とも思える。
「アイスコーヒーと、コーラがあったかな。黎、どっちがいい?」
「うーん、えっと、コーラがいいかな」
「よし、ちょっと待っていろ」
台所に向かった宗一郎の背中を見送った後、黎は首を左右に倒す。こきこき
と骨が音を立てた。
一人残された黎は、既に自宅のように馴染んだ部屋を見回した。
六畳の室内に、仄かに漂うのは畳の香り。最近張り替えたばかりだと聞く。
障子には庭の紅葉の枝が影を落としており、風流を感じさせる。室内にものは
そう多くない。ぎっしりと中身の詰まった本棚。やはり剣道関係の書籍が多い
ようである。しかし高校生らしく、漫画の量も決して少なくはない。ただし大
半は黎たちの父親世代がその昔、熱中したような古いスポコンものが占めてい
た。障子を右手に見る形で座卓が置かれている。総じて純日本風、やや時代が
かったイメージの部屋であった。座卓の上の比較的新しい型のパソコンだけが、
現代人らしさを感じさせる。
「しかし残念だったな………おじさんたちが留守とは」
上段者に稽古を付けて貰おうと訪れた椚家であったが、宗一郎の父と祖父は
不在だった。父親はどこかの大学で、夏季合宿の特別コーチに招かれたそうだ。
とても七十代とは思えぬほど元気な祖父は、軍人会の集まりだと聞かされた。
「まあ晩飯にあり付くだけでも、善しとするか」
明日香の弁当を平らげて、まだ三時間余。だが若い胃袋は消化をとうに終え、
次なる仕事を求めていた。
昼間の狂気の沙汰とは思えない陽射しも、そろそろ一段落し始める時刻であ
った。軒先の風鈴が心地よい音色を奏でる。
さすがに剣道の道場を営んでいるだけのことはある。日本の古くも良き趣を
残した椚の家は、来訪者を心から落ち着かせてくれた。が―――。
突如静けさを打ち破る者が現れる。
それはけたたましい足音と共に、この部屋を目指し、迫って来る。
不躾に激しく、障子が開かれた。決して宗一郎ではあり得ない。
「よう、黎。来てたか!」
現れたのはよく陽に焼けた、幼い少女。
プールに出掛けた帰りなのであろう。手にはビニール製の袋を携えていた。
「久しぶりだな、元気だったか?」
と、少女は黎の首に抱きついた。油断していた黎は、そのまま後ろへと倒れ
てしまう。危うく、襖を頭で突き破るところであった。
「相変わらず元気だな、リナ坊は」
「リナ坊じゃなあい!」
小さな拳が、渾身の力で黎の腹部を打つ。一瞬、息が止まってしまう。
少女の名は椚理奈子、宗一郎の妹である。
「はあーっ」
果たして何度目であったか。明日香は深くため息をついた。
それから激しく、頭を振る。
「ばかばかばかばか! 私ったら、何嫉妬しているんだろう」
そしてまた、ため息。
空はまだ淡くではあったが、朱色に染まり始めていた。影が長く伸びつつあ
る街中を、明日香は一人歩いていた。
手にしたスーパーの買い物袋をゆらゆらと揺する。その揺らめく影を、少女
はじっと見つめる。
自分の愚かさが悲しい。
すべき相手でない者への嫉妬。それはあまりにも無意味であると、分かって
はいた。分かっていながら、止めることが出来ない。
嫉妬の相手は椚宗一郎、彼女が籍を置く剣道部の主将である。
「私も男の子に生まれていたら、あんなふうに、黎ちゃんと楽しく出来たのか
な?」
黎ちゃん、もう何年もしていない呼び方。小学校を卒業して以来、黎ちゃん
は迫水先輩となった。呼称が変わると同時に、距離感が生じる。
幼い頃は、暗くなるまで一緒に遊んだものだ。それがいまでは部活動のわず
かな時間だけが、共に在れる貴重なものとなっていた。そう、運動神経に乏し
い明日香が剣道部に入部したのも、黎と同じ時間を共有したいがためであった。
明日香にとって、黎の両親の海外赴任は、突然降って湧いた好機と言えた。
一人暮らしとなった黎を食事に招いたり、訪ねたりする口実となる。
しかし少女の予想していたほど、それを実現するには至らない。
高校に入学して、宗一郎と言う友人を得た黎は、少女と過ごすより彼と遊ぶ
時間を好むようになっていた。
今日もそうであった。
ようやく自分で納得出来る味を出せるようになった、クリームコロッケ。今
夜は黎を家に招いて、それを振舞うつもりだった。しかし黎は宗一郎に取られ
てしまう。
少女はまだ気づいていない。
幼馴染みの少年は青年に育ち、少女の中で兄のようなものではなく、もっと
特別な存在に変わっていたことを。
「やだ………私、ほんと、ばか、みたい………」
宗一郎に嫉妬する自分が、堪らなく嫌であった。
朱色の街が目に霞んで映る。溜まった涙の仕業であった。
想いに耽り、涙を浮かべた少女に周囲への注意を求めるのは、難しい話であ
ったのかも知れない。
角に差し掛かった明日香は、接近してくる人影に全く気づかなかった。
「ふはーっ! しんどー!」
建物を出た紫音は、まるで糸の切れたマリオネットの如く、肩を落とす。
「甘く見ていたわ………歌手デビューするのに、こんなにレッスンがハードだ
とは」
たったいま、紫音はダンスレッスンを終えたばかりであった。他にも亀田社
長の手配で、声楽のレッスンも受けている。美しい立居振舞いを身に着けるた
めと、茶道や日舞までやらせられた。本来は奔放で、行動を縛られるのを嫌う
紫音である。もし竹村の家を出るためと言う目的がなければ、とうに逃げ出し
ていたかも知れない。
「あ゛ーっ、こんなに疲れるとは………あいつを自由にさせとくんじゃなかっ
たなあ」
紫音の持つ本、そこから呼び出される銀髪の男。彼を現世に留めるためには、
紫音自身の体力が消費されてしまうのだ。
暮れ始めた街の風が心地いい。
激しいレッスンの末、汗で張り付いたシャツを、風がそっと剥がしてくれる。
「ふうっ、早く帰って、シャワー浴びたいな」
幸いマンションは近い。ゆっくり歩いても十分もあれば辿り着ける。しかし
思い立ったことは、すぐに実行しなければ気の済まない性質であった。
「久遠選手、スタートラインに着きます」
スポーツ中継の口調を真似て、クラウチングスタートの形を執る。
「よーい、スタート!」
自らの掛け声で、アスファルトを強く蹴った。そよぐ程度だった風が強く流
れ、少女のツインテールを躍らせる。勢いよく、街の風景が後方に去り行く。
「さあ久遠選手、コーナーに差し掛かります」
実際の陸上トラックにあり得ない、右曲がりのコースを取る。曲がり角であ
った。
「あっ!」
粗忽、と非難されても仕方ない。
いや、粗忽などと簡単な言葉で片付けられる行為ではない。後に冷静になっ
て考えれば、その時の紫音は無謀この上ない行動を執っていたのだ。
気づいた時にはもう遅い。角から現れた人物を避けきれず、正面からまとに
ぶつかってしまった。
「きゃっ!」
短い悲鳴は相手のもの。悲鳴の主が、どのような転び方をしたのかは分から
なかった。紫音自身、派手に尻餅を突いたため、相手のその瞬間を確認出来な
かったのである。
「ご、ごめんなさい!」
自分に非があることは、充分分かっていた。尻の痛みを堪えて立ち上がり、
すぐに頭を下げる。
「あっ………いえ、私のほうこそ………ぼんやりしていて………ごめんなさい」
激しい罵声を覚悟していた紫音に掛けられたのは、心底申し訳なさそうな言
葉であった。
見れば髪の長い少女が、妙に艶かしい姿で倒れている。中学生くらいだろう
か。短めのスカートが捲れ、白い太腿が露となっていた。
「そんな………悪いのは私のほうよ。本当に、ごめんなさい」
少女の持ち物であるのは間違いない。スーパーのロゴが入った袋を中心に、
食品の類が四散していた。紫音は急いで、それらを拾い集める。
「やだ………ダメになっていなければいいんだけど」
確認した上で、弁償しなければならないだろう。と、生憎いまは持ち合わせ
がなかったことを思い出す。
「大丈夫? ケガはないかしら?」
拾い集めたものを袋に収め、紫音は少女へと手を差し伸べる。細い指をした
手が、それに応えた。
「ええ、大丈夫です………あっ!」
立ち上がり掛けた少女は、突然顔を顰めてよろめいた。あっ、と声を上げて
紫音はそれを両腕で支える。
「ああ、大変! どうしよう」
紫音は少女の右膝が出血しているのを発見した。アスファルトに擦ったので
あろう。
「えっ、あ………だ、大丈夫ですよ、このくらい」
そう言いながらも、少女の顔は青ざめていた。傷が痛むのか、あるいは血そ
のものが苦手なのか。小さく震える手で、仔猫のキャラクターがプリントされ
たハンカチを取り出し、傷口に宛がおうとする。
「あっ、ダメよ。そんな可愛いハンカチ、汚しちゃ」
「あっ、え? きゃっ!」
戸惑いの混じった悲鳴は、少女が発したものだった。紫音が少女の身体を背
負ったのだ。
「少しだけ、我慢してね。私のウチ、すぐ近くだから」
少女を背負って、紫音は走り出す。もちろん同じ間違いを再び犯さないよう、
周囲へ注意を払いながら。
マンションに少女を運んだまでは良かったが、薬の類が何もないことに気づ
く。少女を待たせ、紫音は薬局へと走った。しかしその途中、金銭の持ち合わ
せがないことを思い出す。進路を変え、まずは銀行に向かい金を下ろした後、
再び薬局へ。
「うわーっ、私ってホント、バカだわ」
結局少女を部屋に運び、傷の手当を終えるまで二十分以上の時間を要してし
まった。
体力には少なからず自信を持っていた紫音ではあったが、今日は忙し過ぎた。
複数のレッスンに加え、自分のミスが原因とは言え、都合三十分近くに及ぶ全
力疾走。さすがに身体に堪え、少女の手当てを終えると同時にへたり込んでし
まう。
「はあっ、疲れたぁ〜」
両手を背中側からフローリングの床に突き、大きく息を吐く。
「本当にごめんなさい………私のせいで、いろいろとご迷惑を掛けてしまって」
紫音から見れば、少女はとんでもなく人がいいようだ。己に非のない事柄に、
頭を下げたのは何度目になるだろうか。
「いいの、気にしないで………って、違う、違う。どう考えたって、悪いのは
私。これくらいは、して当然よ」
紫音には、幾度も頭を下げる少女がいじらしくも、可愛らしく思えた。妹と
言うのは、こんな感じなのだろうかと考える。
「あの、私、神蔵明日香といいます。今日は、本当にお世話になりました」
ぺこり、と小さな頭がまた下がる。
「あっ、そっか。まだ名乗ってなかったわね。私、久遠紫音といいます」
少女を真似て、紫音も頭を下げた。
「あの、それで、紫音さんはもしかして、お一人で暮らしているのですか?」
「ん、あ、ええ、そうよ」
どうして分かったのだろうと思いつつ、紫音は室内に視線を巡らす。そして
得心した。
ものが少ないのだ。
ワンルーム、キッチン付きの部屋に置かれていたのは、テレビと冷蔵庫。テ
ーブルに四脚の椅子。他には包丁に鍋などの調理用具が少々。それらは、亀田
社長が気を利かせて用意してくれたものである。どうにか最低限の暮らしは出
来るものの、現代人の生活としては侘し過ぎる。とても家族と共に生活する部
屋には見えない。
「うん、ちょっと訳ありでね。三日前に、田舎から出てきたばかりなんだ」
元々、紫音は人見知りをしないほうであった。加えて、明日香と名乗った少
女は、何故か紫音の心を和ます。特に社長から箝口令が敷かれていた訳でもな
く、つい詳しい話をしてしまう。
「そんな訳でね、私も晴れて東京人の仲間入りをしたって訳」
「あの、紫音さん。まさかとは思いますが………」
何やらもごもごと、明日香は言いにくそうにする。
「ん、どうかしたの?」
「あの、分かってらっしゃると思いますが………ここ、東京じゃありませんよ」
「えっ?」
「確かに東京には近いですけど、ここは隣りの千葉県ですよ………紫音さん?」
少女の呼び掛けに、反応はない。
鳩が豆鉄砲を喰らった、と言う表現はいまの紫音のような表情を指すのであ
ろう。
暫しの間、紫音は氷塊と化したが如く、固まっていた。
「そう、そうなの。それでね、その亀田社長が言うにはよ、あははっ、本当に
笑っちゃう」
大きな口を開いて笑い、夢中になって話す。育った家では、常に緊張を強い
られていた紫音にとり、それは久しぶりのことであった。
聞き手一方に回った明日香も、紫音に比べ控えめながら、くすくすと楽しげ
に笑う。
性格は対照的な二人であったが、互いにその相性は悪くないようである。
「あっ、そだ。ところで明日香ちゃんって、何年生なの?」
「私ですか? 一年生ですよ」
「えっ………うわっ、見えないなあ。へえ、じゃあ、半年前までは、ランドセ
ルを背負っていた訳だ」
「………あの、もしかして、何か勘違いされていませんか………私、高校一年
生ですよ」
むっ、とした表情で明日香が紫音を睨みつける。
「あ………えっ………じゃあ、私と同い年………ご、ごめんなさい」
紫音は瞬間顔を顰め、頭を下げた。
自分の粗忽さに、つくづく呆れながら。
活発な性格ではあるが、紫音は人の心が理解出来ないほどの無神経ではない。
この年頃の少女、いや女性が年齢を低く見られるのは決して愉快なことではな
いと知っていた。
自分の不注意で怪我をさせてしまった上、心まで傷つけてしまった粗忽さに
腹が立つ。
ただ紫音のミスも致し方ないとも言える。外見上、明日香は幼い顔立ちをし
ていたのだ。
「嘘、嘘ですよ、紫音さん。私、怒っていません。こういうの、慣れてますし」
破顔しながら、明日香は笑う。それに安堵しながらも、紫音は更に頭を下げ
た。
「本当にごめんなさいね」
「いいんですってば。それより………」
心は誠心誠意詫びる紫音であったが、どうやら身体のほうはそうではないら
しい。何かを言おうとした明日香を妨げたのは、紫音の腹の虫が鳴く音であっ
た。
「あ………またまた、ごめん」
さすがの紫音も、これは気まずく感じて、頬を染める。
「紫音さん、一人暮らしですよね。お食事は、どうされているんですか?」
「う、うん。ほとんど外食かな………あとは中食。自炊するにも、ほら、私、
料理は苦手だし」
ほら、と言われても出逢ったばかりの明日香が知る由もないのだが。
「あのもし、ご迷惑でなければ、私に作らせて貰っていいですか?」
「えっ、ま、まあ、それは嬉しいけれど。でも冷蔵庫には飲み物くらいしか…
……ああ、レトルトのご飯くらいはあったかな」
「充分です。材料はほら、これがありますから」
そう言って、明日香は買い物袋を掲げて見せた。
「でも、それって………」
「ああ、いいんです。これ、私の練習用に買ったものですから。では、キッチ
ンをお借りしますね」
紫音が返事をするのも待たず、鼻歌を歌いながら少女はキッチンへと向かっ
た。
その手際のよさは、熟練の職人を思わせる。大袈裟ではあったが、明日香の
流れるような動きを、紫音はそう感じたのである。
小気味いいリズムと共に、タマネギとマッシュルームが刻まれる。これまで
部屋のインテリアと化していたまな板と包丁が、楽しげに本来の仕事へ従事す
る。
鍋に放り込んだバターを、菜箸で底に広げて行く。そこへ先ほど刻んだ具材
を投入して炒める。更にカニ缶を開き、鍋へと入れると勢いよく蒸気が立ち昇
った。
「あの、何か手伝おうか?」
作業に見とれるばかりだった紫音が、遅まきながら申し出た。
「いえ、大丈夫です。紫音さんは、のんびりしていて下さい」
仮に紫音が手伝いをしたところで、それは却って明日香の作業効率を下げる
だけであっただろう。玄人跣と言うのだろうか。明日香の動きは実に滑らかで、
澱みがない。料理に関しては、才能の欠片も持ち合わせていないと思い込む紫
音に、明日香の技はまるで魔法に見えた。
如何ほどの時間を要しただろか。
ただ見入るばかりであった紫音には、瞬間の出来事にも感じられた。香ばし
い香りを漂わせてそれは完成した。
テーブルの上に、弁当以外の料理が並ぶのは、初めてである。
まだ温かそうに湯気を昇らせる、俵型のコロッケ。レトルトのご飯。一つし
かない鍋で、コロッケを揚げた後、作られた豆腐とワカメの味噌汁。
「そこそこ、上手く出来たと思いますけれど。どうぞ食べてみて下さい」
少し不安そうに明日香が勧める。明日香の手際と、出来栄えを見れば、これ
が万に一つも不味いなどと言うことはあり得ないと思える。紫音は箸でコロッ
ケを小さくちぎり、口へと運んだ。
「うわっ、凄い。おいしいよ、これ!」
世辞を言ったつもりはない。少なくとも紫音の舌に、明日香のクリームコロ
ッケはプロの作品と比べても遜色ない、あるいはそれ以上のものとして感じら
れた。
竹村の家に在って、食事は決して楽しい時間ではなかった。
見栄もあっただろう。使われる食材は、一流のものばかり。調理するのは使
用人だったが、それとて資格を持った者であった。しかし紫音は、それを美味
しいと感じた記憶がない。
あるいは、である。それらの食事は、いま明日香の作ったものに劣っていた
訳ではないのかも知れない。たぶん、一番違っていたのは、食事を摂る環境で
あろう。
妾の子であった紫音が、竹村の家人と食事を共にする機会は少ない。一人で
摂る食事は味気ないものであったが、それでも家人と共にするよりはましであ
った。稀にではあったが、家人と食事の席を同じくする場合もあった。それは
気の張り詰めた、紫音にとって苦痛の時間でしかない。口にした食事の味など、
分かるものではない。
比べて明日香と共にする食事の、なんと楽しいことであろう。それは記憶の
彼方、微かに残る在り日しの、母と共にした食事を思い起こさせる。
この少女は、自分にとってよき友となる。紫音はそう感じていた。
「そうだ」
その見た目と性格を裏切らず、明日香の食事をするペースはゆったりとした
ものであった。のんびりとした箸の動きが突然停止し、少女は顔を上げる。
「話、途中になっていましたけど、紫音さん、私と同い年だって言いましたよ
ね?」
「………う、うん?」
口一杯にコロッケを頬張った紫音の返答は、些か時間を要す。
「じゃあ、紫音さんも高校一年生?」
「ん、そだよ」
「あの、こちらでの学校って、決まっているんですか?」
「決まってるよ。えっとね、緑風高校ってとこ」
「えっ!」
明日香の動きが完全に停止する。酷く驚いたような顔、だが暫しの間を置く
と、それに朱が射して見えた。
「それって、私の学校………」
「うそっ!」
呟くような明日香の言葉に、紫音もまた動きを止めた。
そして、大袈裟ではあったが、少女との出逢いに運命を感じるのであった。
【To be continues.】
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