#542/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/07/07 19:56 (158)
BookS!(01) 悠木 歩
★内容
ぶぉん!
抵抗する空気を砕き、黒い塊が飛ぶ。
「っ………!」
音にならない声を漏らしながら、迫水黎はその身を捻り、塊をかわす。
吹き飛ばされそうな風圧を感じつつも、紙一枚ほどの差で直撃を免れた。し
かし―――
「痛ぅ………」
直撃こそ避けたものの、黒い塊は後ろの壁を砕いていた。大小の破片が黎を
襲う。
倒れ込む黎の耳に、ひゅう、と口笛の音が届く。
「へぇ、直撃を避けたか。兄さん、なかなかいい運動神経をしているじゃない
か」
皮肉にも思える賛辞の言葉を聞きながら、黎はふらつく足で立ち上がる。
額が熱い。
それが出血のためだとすぐには気づかない。いや、気にする余裕もない。
次なる襲撃に備え、黎は目の前の男と対峙する。
「ふふん、いい目をしているな。それでこそ狩り甲斐があろうというものだ」
口元に笑みを浮かべる男。身に纏う鎧は赤銅色。まるで全身に鮮血を浴びた
かのようである。短く刈り込んだ頭に、左手を乗せる。
何より奇異なのは男が右手に持つ武器、いまし方黎の頭部を狙って繰り出さ
れた得物であった。
三メートルはあろうかという細長い武器。しかし槍ではない。
中央部、拳二つ半ほどの持ち手部分を除き、かなりの太さを有す。その太さ
は八角形を成す先端に行くに従って増す。
黎は初めその武器が相手を貫くための槍と比べ、殺傷力に劣るものと考えた。
だがそれが間違いであったと身を以って知ったのは先刻の通りである。
持ち手を中心に回転させたり、突き出したりすることで得られる破壊力は、
大型トラックの激突をも凌ぐ。
また何よりもその武器に大いなる破壊力をもたらしているのは、信じ難い男
の腕力であろう。
見た目にもその武器は鉄のような、非常に硬く重たい金属で出来ていると分
かる。それを男は片手で、いとも容易く操って見せていた。
「スコーピオン、遊んでないでさっさと片付けちゃって!」
男の後方より声が飛ぶ。女であった。
短い髪は剣山のように突き立てられている。両耳、下唇右側にピアス。左目
斜め下には星型のペイント。多分何か音楽、ロックバンドでも組んでいるのだ
ろう。袖なしの黒いレザージャケットで身を包む。
女は右脇に本を抱えていた。なぜこのような場に、本などを持ち込んでいた
のか分からない。ただその本は、黎の持つものとよく似ていた。
スコーピオン、それが男の名前であろうか。確かに赤銅色の鎧、その左右に
三本ずつ、計六本の足のような突起物は、蠍を思わせなくもない。もっとも男
の使う武器は蠍の持つイメージ、「刺す」などという優しいものではないが。
「スコーピオン、ねぇ。その呼び方、あまり気に入らないなあ」
「あら、アンタ、アタシに逆らえるの?」
二人のやり取りは緊迫感に欠けていた。とてもこれから殺人を犯そうという
者同士とは思えない。恋人たちの痴話喧嘩のようでもあった。
しかしそれは黎にとって、千載一遇の好機でもあった。見れば先ほど男の武
器が開けた壁の大穴が外へと通じている。隠れる場所のない廊下に居るよりは、
外へ出たほうが逃げ延びられる可能性は高いように思えた。
男の気が女へと向いている間に、黎は全身のバネを最大限に発揮し、壁の大
穴を潜る。
「ほら、坊やが逃げた!」
ヒステリックな女の声が聞こえた。
「フン、逃がしはしないさ」
そんな男の応答も聞こえた。
その言葉通り、男はすぐ様追って来るだろう。
黎は振り返らず、懸命に走った。その先には林がある。そこへ逃げ込めば、
男の長い武器は使いにくくなるだろう。身を隠す場所もある。
「ハア、ハア、ハア…………ッ」
飛び込んだ林の中でも黎は走り続けた。だいぶ奥まで進み、ようやく足を止
める。肺が酸素を求め息が荒くなるのを、呼吸音を聞きつけられるのではない
かと恐怖する。しかし意に反し、荒い息は簡単に収まらない。
激しく肩が上下する中で黎は右腕に異様な重さを感じる。落とした視線が捉
えたものは一冊の本であった。
一体何の本であるのか皆目分からない。黒い無地の表紙を捲っても、見たこ
ともない文字が並ぶだけで、読むことなど全く出来ないのである。
この本にどのような価値がかるのか、黎には推測さえ及ばない。ただどうや
らこの本のために命が狙われているようなのだ。
「そろそろ息も整ったみたいだな」
突然の声に落ち着き始めていた息が、完全に停止しそうになる。
戻しそうになる胃液を懸命に抑えつつ、振り返る。
そこに居たのは予想通り、鎧の男であった。
「ぜいぜい言っているヤツを殺しても、面白くないからな」
黎を脅すつもりではないのだろう。男はごく普通の会話のように言い放つ。
林の中を走った黎の服は所々が汚れている。枝に引っ掛けたのだろう、解れ
も見える。顔には男に割られた額の他にも傷が出来ていた。
しかし男には、顔にも鎧にも傷一つ、泥汚れの一箇所もない。
「な、何をしてるの? スコーピオン。早く片付けちゃいなさい」
遅れて女が到着した。こちらは黎同様に息をきらし、服や顔に傷と汚れを作
っていた。
「待てよ、あんたら。あんたらは、この本が目当てなんだろう。なら、やるよ。
だから………」
無駄かも知れない。望みは四分六分もないかも知れない。それでも黎は命乞
いを試みた。
「そうよ、アタシはその本が欲しいの………でも本を頂くのは、アンタに死ん
で貰ってからでいいわ」
望みは潰えた。
女の言葉を合図に、男は手にした得物を横に振りかぶる。
林立する木々が男の武器を無効化してくれるかも。微かな期待も無駄であっ
たとその時知れる。武器に触れた木々は、初めからそこになかったかのような
容易さで倒れ、空間を男のために譲る。
もう逃げ出す隙も余裕もない。
黎はそれこそ無意味と理解しながらも目を閉じ、唯一手にしたもの、本を盾
代わりにと前方へ突き出す。
「なっ!」
どこまでも余裕のあった男の声に驚きの色が浮かぶ。
いや奇跡を期待するあまり、幻聴が耳に届いたのだ。そう思った時である。
「こいつもリーダーなのか?」
今度ははっきりと聞こえた、意味不明の言葉。続いて手にしたものが熱を帯
びるのを感じて、黎は目を開ける。
「何だ、これは?」
これは黎の口から零れた言葉であった。
無地だったはずの本の表紙に、光り輝くサークルが浮かび上がる。男に向け
られた側の表紙も同じことが起きているらしい。男の顔に光のサークルが映っ
ていた。魔方陣、と呼ばれる類のものにも見える。
「構わないわ、やっちゃいなさい」
動揺も露に女が叫ぶ。それに呼応し、男は武器を振るう。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
初めて耳にする男の気合。黎と対するに圧倒的優位な立場にあった男が、武
器を振るうのに声を上げることなど、いままでなかった。
「くっ、南無三」
再び目を閉じそうになるのを、黎は懸命に堪えた。
あと一秒と待たず、自分は絶命する。
悔しかった。
理由も分からず、見も知らぬ相手に殺される。
その理不尽さに腹が立つ。
最期の瞬間まで目を開き、見届けることだけがいまの自分に出来る、唯一の
抵抗思えた。
男の武器が本に触れる。
多少の厚みはあっても、たかが本。男の武器を防ぎ切る強度など期待するだ
け無駄であろう。何より本を持つ黎自身、衝撃に耐え切れる訳がない。
「チイッ!」
舌打ち。
が、それは黎のものではない。男が発したものであった。
信じ難い話ではあるが、本が男の武器を弾いたのだった。
しかし予想外の事象に対し、予想内の事象も起こる。黎の身体も男の武器の
衝撃を受けて弾かれた。
「ぐっ………」
後方の木に激しく背を打ち付けられ、声にならない声が漏れる。手にしてい
た本が足元へと落ちた。
「な………なん……だ?」
開かれた本のページ。見慣れぬ古代文字らしきものの羅列。
一文字とて黎に読めるものなどなかった、はずである。
これは気のせいであろうか。追い詰められた状況の中で、何か錯覚を起こし
ていたのだろうか。
古代文字の羅列の中、一箇所、ほんの一箇所だけが浮き出て見えたのだ。
「読める………えっ? 嘘、だろう」
確かに浮き出た文字列が読み取れたのだ。いやそんなはずはない。
これが本当に古代文字であるなら、そこに記された文章も古代言語によるも
のであるはず。日本語以外には、学校で習った英語をわずかに知る程度の黎に、
読み取れる理屈はない。
しかしそこには黎のよく知る日本語の文章が記されていたのだ。
いや正しくは日本語ではない。浮き出た文字列を日本語で解したと言ったほ
うがよいだろう。
そこで文字を読み取ったところで、この状況に変化があるとは思えない。言
葉を縋る意味もない。
単に興味だけだったのか。何かを期待したのだろうか。黎はその文字列を声
にして読み上げる。
「右に光、左に闇」
ただそれだけの簡単な文章であった。
「くそっ、やばいぞ」
男の声。
「な、なによ!」
女がヒステリックに叫ぶ。
そして。
【To be continues.】