AWC 気まぐれ月光 8   永山


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#535/1159 ●連載
★タイトル (AZA     )  07/05/17  19:18  (385)
気まぐれ月光 8   永山
★内容
 学内カフェテリア“デューロ”は、総合芸術科の校舎に、ほぼ隣接する形で
建つ。価格設定がかなり高め(その分、物がいいのは確かだ)で、七日市学園
の生徒でも芸術科の、裕福な家庭の子らが占めるサロンというイメージが強い。
 事実、敷居の高さやカラーの違い、あるいは物理的な位置関係といった理由
から、ここを利用する生徒の九割以上は、総合芸術科コースの者だという。そ
の教会を思わせる建物は、天井までが遠く、静かで独特の雰囲気の漂う空間を、
世間からきれいに切り取っている。
「おぉ……すごい」
 そんな場所へ初めて足を踏み入れた僕、百田充は、だからこんな感嘆の声を
上げてしまった。色彩豊かなステンドグラスの光が柔らかく射し込み、曲名は
知らないが耳に馴染みのあるクラシック音楽が、当然の存在のように流れてい
る。一角には、絵の展示スペースが設けられており、中は覗えないが、卒業生
の優秀な作品が飾られているという。
「早くも眠くなってきたなり……」
 横手で一ノ瀬が云った。半分以上閉じた細い目をし、あくびをかみ殺すよう
な仕種をする。放っておくと、日向ぼっこ中の猫になりかねない。
「大変よい環境だな。思索にもふさわしい。これでコーヒー一杯が安ければ、
頻繁に利用してやってもいいのだが、如何せん、我々庶民には高嶺の花だ。節
約して月に一度の贅沢を楽しみにするという行為は、僕には似合わない」
 十文字先輩の方は若干、憤慨気味だ。ただし――感心するそぶりはないが、
全然感心していないかというとそうでもない様子で、でも素直に感心するのは
自分自身が許せない、故にこういう態度を取ってみました的なニュアンスを含
む。
「さてと。どこにいるのかな」
 十文字先輩はやや胸を反らし、右から左へと視線をゆっくり振る。やがて、
確信を持った足取りで、建物中程の窓際のテーブルを目指した。見れば、なる
ほど、そこには四谷成美ともう一人の女子生徒が、並んで座っていた。僕らに
気付き、二人とも立って会釈をする。
「僕が十文字だ。放課後とはいえ、忙しい合間を縫って来てくれて感謝するよ。
早速、本題に入ろう」
 他の二人――一ノ瀬と僕のことだ――は自己紹介しなくてもいいと決め付け
たような格好で、先輩が始めた。オーダーは、テーブルに着く誰か一人でもし
ていればいいらしい。
「まず、そちらは?」
 四谷の隣の子に目を合わせる先輩。
 髪を三つ編みにした彼女は、人目を引く整った顔立ちで、良家のお嬢様とい
った印象を僕は受けた。初対面の二年生を前にし、かしこまっているが、その
容貌、特に目つきや口元には、プライドの高さが滲み出ているような。
「二階堂早苗、です」
 言葉を区切って名乗ると、総合芸術科コースでバイオリンを専攻しているこ
とを告げ、彼女は逆に先輩に尋ねた。
「十文字さんは何故、殺人事件を調べているのでしょう?」
「僕は名探偵だからさ」
「誰かの依頼を受けた訳ではなく?」
「依頼人については守秘義務があるが、今回は依頼人はいないよ」
 しれっとして答える十文字先輩だが、そもそも正式な依頼を受けて事件解決
に動いたことなんてあるのだろうか。あったとしても、数えるほどだろう。
「結構。分かりました。何なりと聞いてください」
「君だけでなく、二人に聞きたいんだが、現場近くに行ったとき、気付いたこ
とを全て話してほしい。とりあえず、思い付くままに。足りない点は、あとで
細かく聞く」
「気付いたことって云われても……な」
 四谷が戸惑いを露わにし、二階堂と顔を見合わせる。
「死体を見た訳じゃなし」
「不自然な点ならありましたけど、それでかまわなければ」
 四谷の後を受け、二階堂が云った。先輩は気忙しく頷いた。
「とても細長い三角形をした足跡が、泥に残っていたんです」
 彼女達が建設予定地を訪れた日は、地面が湿っており、奇妙な足跡がいくつ
もあったという。十文字先輩は興味を抱いたようだ。問題の足跡の歩幅が、約
一メートルほどから突如、三倍になっていたとの証言に唸り、塀の間際まで続
いた足跡が、そこで途切れていたと聞かされるに至り、湧き出る喜びから手を
打った。
「面白い。それはパワライザーのようなジャンピングシューズを使った痕跡に、
まず間違いない。パワライザーって、知っているかい?」
「あ、それならオレも考えてました」
 くだけた調子で意見表明した四谷。十文字先輩は若干、不機嫌になったよう
だ。顔をしかめ、左手の人差し指でテーブルを軽く叩いてから、早口で続ける。
「ふむ。そこまで気付いていたのなら、僕が実際に見る必要すらないな。肝心
なのは、何の目的でそんな道具を使ったかだ。跡地を管理する会社関係者なら、
正面から堂々と入ればいいものを、そうしなかった。恐らく、殺人決行に適し
た場所だと踏んだ犯人が、痕跡を残さずに出入りする目的で、パワライザーを
使ったんだ。そして、犯人は管理会社の関係者ではないと推測できる」
 傍らで、一ノ瀬が「被害者の侵入方法が気ににゃる」と呟くのが聞こえた。
多分、先輩の耳にも入ったはずだが、反応はなし。推理の一端を披露したのは、
四谷と二階堂に能力を示すためなのだろう。あとは聞き込み優先の姿勢を貫く。
「他にないかな」
「特に……遺体があったっていう建物も、外から見ただけじゃ、異常なかった
し。あ、でも、これまでなら開いていたドアに、鍵が掛かっていた」
 四谷の証言を受け、十文字先輩はしばし待てというサインなのか、左手人差
し指を額の前にかざし、遠くを見つめた。
「鍵のタイプは覚えているかい?」
「ええっと、外からは普通の鍵穴があって、内側は……押しボタン式っていう
の? ドアを閉めてから、ノブの真ん中にある出っ張りを押し込むと、鍵が掛
かるやつだった」
「結構。誰でも施錠可能という訳だ。管理会社の人間に拘らなくていい根拠が、
新たに一つ。その鍵は、ボタンを押してからドアを閉めた場合、掛かるのかど
うか分かる?」
「一度試したことがあって、掛からなかったです」
「ふむ。密室の謎は残るか。厄介だな」
 その割に、頬を嬉しげに緩ませる辺り、この人は名探偵という生き物なんだ
なあと思わされる。
 それにしても、十文字先輩はすでに把握していることまで、何故聞くんだろ
う? 再確認なのかもしれないが、警察から得た情報が誤りである可能性は極
めて低いだろうに。
 証人二人が他に気付いた点はもうないことを述べると、先輩は鼻筋を軽く揉
んで、「質問の方向を少し変える」と宣言した。
「君達のどちらか、もしくは二人ともでもいいんだが、他人から恨まれる覚え
はあるかい?」
「素直に従って答えるには、流石に聞き捨てなりません。質問の意図を教えて
くださいます?」
 四谷を制する形で、二階堂が素早く応じた。
 十文字先輩は一瞬、迷う素振りを見せたが、じきに語り出す。
「この殺人が、君達のどちらか一人、あるいは両方を陥れるために仕組まれた
可能性を考えたい。他殺体を発見・通報するか、殺人現場の近くで目撃される
かすれば、警察からある程度疑われることを覚悟しなければいけない訳だから
ね」
「……そのような考え方もあるんですのね。もしそれが当たりだとしたら、犯
人の標的はわたくしではなく、四谷さんである可能性が高いかと」
「マジカルワールドランドの土地に、頻繁に出入りしていたのはオレだけだも
んね」
 四谷自身、よく承知している風に何度も首を縦に振る。
「けど、殺人の罪をなすりつけられるほど恨まれる覚えは……不法侵入を見ら
れていて、きついきついお灸って感じ?」
「いや、管理会社とは無関係だと考えられるから、その線は薄い。ずばり聞く
が、脅迫状なんて物は受け取っていないね?」
「全然、心当たりないです」
 今度は横に首を振った四谷。その隣で何やら考える顔付きをしていた二階堂
が、静かに小さく手を挙げ、発言を求めた。
「わたくしや四谷さんの七日市学園での立場を悪くする、ということはあり得
るかもしれません。殺人の起きた現場に出入りしていたと噂が立つだけでも、
悪印象を持たれてしまうでしょう。ただ、そんなことのために殺人を起こす必
要は――」
 彼女の台詞の後を受け、先輩は「そう、必要は全くない」と云い切る。
「立場を悪くする程度の目的なら、不法侵入の一事で充分だろうね。ふむ、君
達に恨みのある者の犯行という仮説は、どうやら消してよさそうだ。――他に
検討しておきたい仮説は……」
「わたくしや四谷さんが犯人であるパターン、でしょうか」
 十文字先輩が云い淀んだわずかな空白を拾うかのようにして、二階堂。これ
には僕も驚かされてしまった。「えっ」と声が出そうになるのを飲み込む。
「ありがたい。君達がそのつもりでいるのなら、遠回しに聞く算段を立てなく
て済む」
 先輩は表情を、苦笑いから本当の笑いに変化させた。
「被害者に関する情報が非常に乏しいため、人間関係どうこうの質問はできな
い。代わりに、アリバイを聞くとしよう。どうかな?」
 先輩の質問のあと、変な間ができた。しびれを切らしたように、二階堂が口
を開く。
「……時間帯を云っていただかないと、答えようがありません」
「ああ、そうだったね。土曜の夜午後九時から日曜の午前三時にかけてだ」
「その時間帯全てにアリバイがある人は、よほどの夜遊び好きか、偽のアリバ
イを作った人です」
「でもない。たとえば公共の乗り物に乗っていた、というのが考えられるだろ
う。寝台列車なんかに乗っていれば、アリバイ成立し得る」
「そうですわね。でも、わたくしは残念ですけど、自宅にいました。家族や同
居人の証言では、証拠能力はゼロなんでしょうね」
「ゼロとは言わないが、極めて低く判定するしかない。四谷君はどうだろう、
アリバイ?」
「いつもなら夜遊びに出歩いて、誰かと顔を合わせる可能性、結構あるんだけ
ど、その日は寝坊しないように、早寝しちゃったっけ。何せ、次の日、二階堂
さんと会う約束があったもんだから」
「ふむ。理屈は通っているが、アリバイはなし、と」
 先輩は脳内の人物リストにメモ書きするかのように、二度、首を縦に振った。
「今の段階で、僕からは以上だ。一ノ瀬君、百田君、何か聞いておきたいこと
はないかな」
 急に問われておたおたする僕。対照的に、一ノ瀬はさっと挙手した。よく見
ると、彼女の手が猫のそれのように半端な形に握られている。
「はい、ありますにゃ。――二人は現場に行ったことを、誰かに話した?」
「いいや。わざわざ云い触らすようなことじゃないし」
 四谷が答え、二階堂を見る。二階堂は同意を示した後に答えた。
「殺人事件のことがなくても、秘密にしているつもりでしたから。わたくしに
とって、本来はしたなくない行為です」
「それをわざわざやってくれて、感謝感激してるよっ、オレは」
 四谷が抱きつかんばかりに両腕を広げるのを、二階堂はため息混じりに見や
った。決して嫌がる風ではなく、仕方ないわねといった感じだ。外見は好対照
をなす二人だが、仲はよいらしい。
「答えてくれてミーも感謝感激、どうもです。――みつるっちは何かないの?」
「あ?」
 おたおた、あたふた再び。一ノ瀬が会話をつないでくれたものだから、安心
しきっていた。質問したいことなんて、全く考えていない。なのに、ここで正
直に「ない」と即答できないのが、また僕の悪い癖。
「ええっとー、その、二人は事件後、危ない目に遭ってない? 具体的な暴力
とかじゃなくても、怪しい奴に尾けられたとか、いつもと違う視線を感じると
か、あと、無言電話が掛かってくるようになったとか、脅しの手紙が届いたと
か」
「ないよ」
「わたくしも」
 あっさりとした返事。僕は笑おうとしたが、顔の筋肉がひきつるのを感じた。
冷や汗が出て来る。
「あんた、心配性だなぁ」
 四谷が何故か感心した口ぶりで告げる。
「仮に危険な目に遭っていたとして、守ってくれるのかしら」
 二階堂の方は疑わしそうに、僕を上から下までじろじろと見た。
「い、いや、それは無理だけど、危険なことが起きていたら、犯人の仕業であ
る可能性が高い気がする。だから、それを手掛かりにして、十文字先輩が」
「悪くはない考えだよ、百田君」
 十文字先輩が誉めてくれた、のか?
「剣豪に頼めば、ボディガード、引き受けてくれるかもしれないね」
 一ノ瀬が脳天気な調子で、締め括ってくれた。

 日曜の朝十時十五分。僕と十文字先輩はマジカルワールドランド建設予定地
(だった土地)を前に、立ちつくしていた。
「話に聞いたよりも、フェンスが高く、頑丈になっている気がしますね」
 四谷と二階堂の両名から聞き込みを終えた直後、名探偵は「明日の土曜また
は明後日の日曜に、現地調査を行う」と言い出した。同行してくれという頼み
を、僕は断れるはずもない。一ノ瀬はうまいことを云って逃げた……のではな
く、仕事で受けたプログラミングの仕上げが佳境らしい。
「矢張り、再び犯罪現場になることのないよう、管理を厳重にしたか」
 十文字先輩は身体を九十度、くるっと回転させて、道沿いに歩き出した。確
信を持ったような足取りで、ずんずん進む。僕は慌てて追った。
「どうするんです」
「聞き込みだよ。今回、五代君ルートからの警察情報が期待できない以上、足
で稼ぐしかない。僕のキャラクターではないがね」
「ちょ、ちょっと。高校生が訪ねて行って、答えてくれますかね」
 しかも、僕達は二人とも学生服姿なのだ。
「なあに、やりようはある」
 そこからの先輩のお手並みは、なかなか見事だったと云えよう。“自由課題
の研究テーマとして、騒音調査を行っています。協力していただけたら大変助
かるのですが、お願いできますでしょうか”と、優等生顔で切り出し、事件の
起きた土曜深夜を含めた一週間、近所で大きな物音を耳にしなかったか、した
のならどんな音だったかを聞いて回ったのである。
 そして、メモを取るのが僕の役目だ。
「土曜の夜は、雨がしとしと降っていて、かなり静かだったようですね」
 現場周辺の家々を全て訪問し終え、調査結果のメモを見ながら、僕は云って
みた。駅に通じる道を急ぐ先輩は、しきりに首肯し、応じる。
「だからこそ、『タイヤの破裂したような音』が印象深く残ったに違いない」
 話を聞いたほぼ全戸で、破裂音を聞いたとの証言が得られた。証言者の全員
が、自動車がパンクした音だと受け取っている。だが、外に出ていちいち確認
した者は折らず、せいぜい、カーテンをめくって、ガラス窓越しに外をちらっ
と覗いた程度で済ませていた。
「雨降りでなければ、外に出た人がいたかもしれないから、痛し痒しではある。
過ぎ去ったことを嘆いても仕方がない。それよりも問題なのは、車の目撃証言
だよ」
 正しくは、目撃証言のなさ、である。立ち往生する車の目撃情報は、皆無だ
ったのだ。
「このことだけをもって、破裂音は車のパンクではなかったと断じるには無理
があるが、可能性は高まったと云える。さらに注目すべき事実がもう一点。パ
ワライザー及びそれに類するジャンピングシューズで遊ぶ者が、同じく目撃さ
れていない。事件前後に限らず、相当に遡っても、だ」
「恐らく、事件に関係しているということですね」
「うむ。だが、一方で理論的思考が、注意のシグナルを発してもいる」
「どういう意味ですか」
「最初に推理したように、犯人と被害者が強力なジャンピングシューズの類を
履いて、フェンスを乗り越え、敷地内に入ったとする。何のために? 少なく
とも、被害者はいい歳をした大人だ。どんな理由を付けて、シューズを履かせ、
フェンスを越えさせたのか。しかも夜、雨が降る中を」
「ああ」
 云われてみれば尤もだ。犯行現場に入るためという目的には適っているが、
いかにしてそれを実現したのかを考えると、無理が生じる気がしてならない。
「夜というのは、まだいい。大人が玩具で遊んでいるところを、他人に見られ
たくない心理はありだ。だが、雨はいただけない。転んで失敗する危険が大き
いだけで、メリットがあるとは思えない」
「地面に跡が残りますしね」
「……そうだな。百田君の云うような見方もできる」
 暫時、言葉を途切れされた十文字先輩はそう答えてから、黙考に入った。そ
んなにくだらない意見だっただろうか? それとも、僕の何気ない一言が、先
輩に閃きを与えたのか。後者なら嬉しいのだけれど。
 話し掛けにくい雰囲気になり、僕は十文字先輩の背中を追いながら、自分で
も推理を試みた。
 恐らく……犯人は、四谷達と同様に、抜け道を見付けていた。現場にはそこ
を通って入った。パワライザーは、実は殺人トリックに使われたんじゃないだ
ろうか。実物に触ったことはないが、テレビで見た限り、あの跳躍力・反発力
は相当に強い。二足分、つまり四つをうまく組み合わせれば、人一人を宙高く、
飛ばすことも可能では? 飛ばされた被害者はすぐに落下し、墜死体と化す。
 ……殺害方法はこれで当たっているとして、じゃあ密室はどうなる? 死体
を建物の中に運び入れ、外から鍵を掛ける方法が分からない。
 ともかく、赤信号に掴まったのを機に、僕は先輩に考えを伝えた。すると即
座に、こんな反応が返って来た。
「はははは。面白い思い付きだ」
 本当に面白がっているのではなく、小馬鹿にしか響きがある。僕の顔にその
思いが出たのだろう、名探偵はこちらの背中を叩いて、云った。
「よし、僕の推理を話すとしよう。遅くなったが、昼飯を食べながら……ハン
バーガーショップでいいかな。おごるよ」
 五分後、僕らは駅前のハンバーガーショップにいた。そこそこ混んではいた
が、ピークを過ぎていたせいで、割と楽に席の確保に成功。それにしても、休
みの日の昼間に、高校生の男同士、額を付き合わせてハンバーガーとは。
「ごちそうになります……」
 これを食べるとますますワトソン役の深みから抜けられなくなるな、と感じ
ながらも、ハンバーガーをぱく付く。
「早速だが、推理を披露する。おかしな点があったら云って欲しい」
「どうぞ」
「まず、ジャンピングシューズから考えてみた。敷地内への侵入のために使わ
れたとすると、どこか辻褄が合わなくておかしいのは、さっき話した通りだ。
僕が頭を捻っているとき、君の意見が役に立った」
「え? ということは……足跡が残るっていうあれが」
「うむ。雨の日を選んで決行したのは、故意に足跡を残すためではないか、と
考えてみた訳だ。それも普通の足跡ではなく、ジャンピングシューズの痕跡を」
「何のためにです?」
「僕らが辿ってきたことを振り返ればいい。僕らはジャンピングシューズの跡
が残されていたことを根拠に、犯人と被害者はジャンピングシューズを使って
フェンスを越え、侵入したものと推測した。だが、実際はそうじゃなかった。
犯人の罠に掛かってしまったとしたら?」
「えっと、特殊な靴を持っていることが犯人の条件に……いや、これは同じか。
あっ、実際はフェンスを越えてはいない。別の侵入方法を用いた、ですか?」
「僕も同意見だ。そしてそんな小細工をするのは、敷地に入る別の方法を、他
人に知られているからじゃないかな? となると、殺人事件発覚後、怪しまれ
るのは必至。ジャンピングシューズを使ったように見せかけることで、疑いは
薄まる計算があった」
 十文字先輩は話を区切ると、初めて食べ物に口を付けた。ジュースを喉に流
し込んでから、再開する。
「敷地に入る方法を知る者として、二通りのグループが想定できる。まず、マ
ジカルワールドランド建設計画の関係者。これには現在、土地の管理や手入れ
をしている人間も含まれる。もう一つは、四谷君や二階堂君のように、抜け道
を見付けて勝手に出入りしている者。抜け道を知っているのなら、マジカルワ
ールドランド関係者に濡れ衣を着せる目的は、それだけで達成可能だ。わざわ
ざジャンピングシューズを使う必要はない」
「では、犯人は会社関係の人……」
 途中で気付き、声を潜める。店内に当事者がいないとも限らない。
 先輩は黙って首を縦に振った。
「決め付けるには早い。まだ、この考え方が有力である段階に過ぎないさ」
「でも、当たっているとしたら、密室も解決じゃないですか? 会社関係者な
ら、鍵を持ち出せば簡単に密室が作れますよ」
 興奮気味に語った僕とは対照的に、名探偵は指をちっちと振った。
「そこなんだな。足跡とは逆に、現場を密室にしたのは、会社関係者を犯人と
見せ掛けるための細工のように思える。が、犯人が会社関係者なら、そんな細
工、するはずがない。矛盾が生じる訳さ」
「犯人は会社関係者であって、関係者でない。そして、抜け道を知っていた者
であり、知っていた者でない……と?」
「ああ。こうなって来ると、どちらにも属さない立場の人間が真犯人と考える
べきかもしれない」
 ややこしい。こんがらがりそうだ。目の前に並んだ状況証拠を、どのように
受け止めるのが正しいのか。
「確かに、このままでは行き詰まる。そろそろ被害者に関する情報が欲しいと
ころだ。昨日、五代君が大会だか合宿だかから戻ったので、早速、協力を頼ん
でおいたよ。分かったことをまとめて、メールで送って貰うことになっている」
 休ませてあげた方がいいと思いますが……とは云わなかった。云っても無駄
だろうから。五代先輩に直接きつく叱られた方が、十文字先輩には効くに違い
ないし。
 僕のそんな思惑なぞどこ吹く風といった体で、先輩は携帯電話をいじり始め
た。すぐさま、「おや」と声を上げる。
「メール、着いてるじゃないか。聞き込み前に、一切合切を切ったのを忘れて
いた」
 意外と抜けている一面もある名探偵だ。
「五代先輩、怒っていませんか」
「そんなものはあとあと。彼女は真面目だからね、きちんと情報もくれた。全
て、他言無用の注意付きだ。それだけ重要なんだろう」
 そう云うと、やおら席を立つ。五代先輩からの情報を元に、新たな議論をす
るのにこの店はふさわしくないと判断したのだった。

「――こんな感じで、半日、十文字先輩に振り回された」
 疲労感を背負いながら帰宅した日曜の夜、珍しく一ノ瀬からの電話があって、
僕はここぞとばかりに愚痴をこぼした。ほんと、ワトソン役を一ノ瀬に代わっ
てほしい。十文字先輩も、僕なんかより一ノ瀬をそばに置いた方が、話が早く
て楽でしょうに。
「で、五代先輩からもたらされた新情報ってのはー?」
「それは……」
 僕はメモ書きを引っ張り出してきた。そこにある文を読み上げる。

・被害者の身元ほぼ判明。石塚恵治(いしづかけいじ)を名乗るも偽名の疑い
強。肩書き探偵の名刺を所持、実態は何でも屋。店で酔うと、ホステス相手に
「俺は殺し屋だ」と吹聴。殺しに手を染めていたかは不明だが、密輸絡みの違
法な仕事を請け負った事実を確認済み。犯罪前歴者の登録指紋に適合なく、逮
捕歴はない見込み
・マジカルワールドランド敷地内の捜索により、いくつかの異変を発見。
 1.大型送風機を倉庫より持ち出し、使用した痕跡
 2.同じく倉庫に保管の災害時用エアテントの柱に大きな裂け目
   ※1と2はセットで使う
・鍵の管理は万全。持ち出しも複製も極めて困難
・マジカルワールドランドや現管理会社と、被害者との関係は不明。無関係?
・マジカルワールドランド建設計画に絡む怨恨等については目下調査中

「……こんなところだよ」
「動機の煮干しはついてにゃいのかぁ」
 少し考えて分かった。目星だろ。猫だからって煮干しはない。
「裏家業をやっていたんだから、そっちの方でトラブルを起こして、命を狙わ
れたってこと、ないかにゃ?」
「メールで、そこまでは言及して“にゃ”かったよ」
「うーん。にゃんだかにゃあ」
 僕の猫言葉は華麗にスルーされた。一ノ瀬は真面目口調で喋り出した。
「自殺に見せるでもなく、密室を作って、そこに墜落死体を置くなんて、普通
じゃないよね。墜落して死んだのなら、死体は移動させず、そのままにしてお
けば事故と認定される可能性だってあるのにさ。仮に、墜落場所に問題があっ
て、どうしても移動させなければいけなかったにしても、密室の中に運ぶんじ
ゃあ、ぶち壊し。他殺を強く疑われる」
 十文字先輩とは違う切り口で疑問を提示する一ノ瀬に、僕は感心していた。
この分なら、密室にした理由にも見当が付いているのではと期待を込め、聞い
てみた。
「うーん。密室での墜落死体という現象に、意味を見出そうとするなら、見せ
しめとか警告ぐらいしか思い浮かばない」
「見せしめ、だって?」
「そ。悪の組織が裏切り者を見せしめにとか、組織にとって知りすぎた存在に
なった石塚を、力を誇示する意味を込めてとか、そういった理由から、不思議
な殺し方を演出したんじゃないかなって云ってたっけ。さっき聞いた被害者の
プロフィールにも合いそうだし、いい感じ」
「……何か変だな。それ、一ノ瀬自身の意見じゃないとか?」
「半分だけ。メイねえさんと話す内に、形になったんだよん」
「え? 今、いるのかい?」
「いないってば。いるときに事件のこと、詳しく話したのさっ」
 つまり、今日、僕と十文字先輩が調べ上げたことや、五代先輩のメールがも
たらした新情報は、メイさんには伝わっていない訳だ。伝えたとしたら、メイ
さんは密室トリックも解き明かしてしまうだろうか――十文字先輩が解いてみ
せたように。
 それ以前に、一ノ瀬はどうだろう? 僕は率直に尋ねてみた。
「うんとね。見当を付けたアイディアはあるけど、確認が先だね」
「そりゃ凄い。確認したいことって何さ?」

――続く





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