AWC 気まぐれ月光 7   永山


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#534/1159 ●連載
★タイトル (AZA     )  07/05/15  00:35  (392)
気まぐれ月光 7   永山
★内容
 剣豪というのは、僕らと同じ一年生で、剣道部の音無亜有香のこと。一ノ瀬
は腕の立つ音無さんを剣豪と呼ぶが、当人はあまり快く感じてはいまい。ちな
みに、僕の理想の女性は音無さんタイプだ。
「そのことなら。あれから考えてみたんだけど、大した意味はないんじゃない
か。凶器を外から調達するより、学園内にある物を使っただけとかさ。あるい
は、自分で用意すると足が付く恐れがあるので……」
「矛盾矛盾矛盾矛盾」
 踏切の警報みたいなリズムで、一ノ瀬が云った。実際、ついさっき、線路を
越えて来たばかりある。
「凶器が被害者から加害者に渡ったらしいこと。剣豪の携帯電話に犯人と思し
き人物から電話が入ったこと。これらの事実と符合シナイ半島」
 ……それもそうか。一ノ瀬の語尾に突っ込むのも忘れ、僕は考え込む。
「恐らくさあ、とんでもない非常識な事実が隠されているんじゃないかな。殺
人そのものを隠そうとしていないもん、この犯人。それどころか、逆に早く知
られたがってる。そうまでするからには、より大きな秘密があると考えるのは、
さほど無理がないでしょ? 殺すにしたって、わざわざ学校の中でやる理由が
分からないし」
「うん。むしろ、何て云うか……見せしめ?」
「おおっ、みつるっち、冴えてるねっ!」
「そ、そうか?」
 ちょっと、いや、だいぶ嬉しい。が、一ノ瀬はすぐにひっくり返してくれる。
「もち、それが正解とは限らないけれどね。可能性の一つ」
「またかよ」
「真実は、神のみそスープ」
 ……分かってて云ってるだろ、それ。
「ところで、みつるっち」
 僕に嘆息する遑すら与えず、一ノ瀬は口を開く。
「どーして、ミーにだけこの話をしたの? さっき、十文字さんのいるところ
ですればいいのに」
「だって、そりゃ、先輩もいい気はしないだろうと思ったからさ。怪人物に襲
われ、足首を痛めた一件なんて」
「にゃんだ。それだけかあ」
 他に何があり得るのだ。僕のそんな疑問を余所に、一ノ瀬の話は次に移る。
「ところでパート2」
 “所デパート”二号店かよ。
「剣豪とはその後、どうだねぃ?」
「どうだねぃって……質問の意味が分からないぞ」
「音無さんとねんねんころりの仲になっているとか、いないとか」
「ねんねんころり?」
「あ、間違えた。懇ろだった」
「……」
 一ノ瀬が男子だったら、回し蹴りの一つでも食らわしていたかもしれない。
「いつの間に、そんな難しい単語を覚えたんだね、一ノ瀬クン」
「てへり。日夜、勉強しているのさっ。えっへん」
 俗語もいっぱい覚えているようだ。
「それで? 音無剣豪とはいかに?」
「何にもない。ていうか、だ。どうして、何かあったと思うんだよ?」
「特に理由はないけれど、折角お近づきになれたんだから、チャンスを活かさ
ぬ手はないんじゃない?」
「ははは。もしも、音無さんがか弱けりゃね。こんな僕でも強がって、欲を出
していたかも」
「そんなことだと、いつまで経っても、駄目だろうなー」
「何でだよ」
 恥を捨ててまともに答えてやったのに。気分を害されたぞ。一ノ瀬に云われ
る筋合いではないとの思いがある。
「剣豪が強かろうが弱かろうが、危ない目に遭ったとき俺が守る、ぐらいでな
いと駄目〜」
「それなら、僕だって。気構えでは」
「だから駄目なんだよー、みつるっちは。気構えの話じゃないです。そもそも
さ、現在の状況、どう説明するにゃ? 今、ミーをボディガードしてるじゃな
い? 明らかにか弱いミーをボディガードしてくれてる。つまり、みつるっち
は剣豪と同じくらい、ミーを好きなのかな?」
「ないない。それはない」
「だったら、剣豪にはもっと特別なことをしてあげなくちゃ。気を惹きたいの
ならね」
 一ノ瀬に恋愛の初歩を講義されるとは、夢想だにせず。愛だの恋だのとは縁
遠そうなのに、飛び出す話は一理あるように聞こえる。もしや、受け売り?
「語るほど経験あるのか、一ノ瀬って」
「十文字さんに倣うと、恋人の名は、こん・ぴゅー太、だよ」
「……何も云うまい」
 マンションが見えた。一ノ瀬と一緒にこの辺りまで来たのは、今日で三、四
度目になる。
「寄ってかない?」
 誘われるのも三、四度目。書くまでもないが、艶っぽい成り行きからではな
い。全然ない。
「豪華絢爛な食材とシステムキッチンが、君を待ってるよ〜」
 一ノ瀬は僕に料理を作らせたがっている、それだけなのだ。より正確な表現
を用いるのなら、自分で料理するのが面倒なだけだろう。
「豪華絢爛て……そんなにいい物を買う余裕があるなら、外食で済ませたらい
いのに」
「パソコン触りながら食べられるとこ、近所にないんだもん」
「そうか? ファミレスなんかだとノートパソコンOKの店、あるんじゃなか
ったっけ」
「じゃなくて、うちのパソコン」
 自宅と店をケーブルでつなぐ気か! そんな店、どこを探そうとあるかよ!
「宅配サービス、探したらどう? 豪勢なおかずを運んでくれる店が、きっと
ある」
「ミーはこう見えても結構グルメで、同じ味だと飽きちゃうのだ。毎回、手作
りだったら、味も毎回、少しずつ変わるなり」
「……」
 沈黙したのは、グルメという単語に引っ掛かったから。学校での食生活しか
知らないが、一ノ瀬の料理に対する拘りって、全然大したことないんじゃない
かと思えてならない。
「じゃあ聞くけど、実際、どんな物を食べてるのさ? これまでに口にした中
で、特に美味しかった物でもいいから教えてくれ」
「えっとねー。ビーフストロンゲストマンコンテストとか」
 グルメというのが嘘なのか、ギャグなのか、あるいは料理名を間違えて覚え
たのか。この返答だけでは分からない。黙って続きを待つとする。
「ラセーヌ、じゃなかった、テリーヌも好み。特に鮭のテリーヌ。冷製テリー
ヌだと、フロマージュ・ド・テートが気に入ったんだけど、牛の頭を使ってる
と聞いて、ちょっと食欲減退しちゃった。他には……ナポリで食べたナポリタ
ンじゃないスパゲッティも美味だったよ。じゅるる」
 片手の甲を口元にあてがい、涎を拭う仕種をしてみせる一ノ瀬。ますますも
って、猫っぽくなる。
 こっちは、どう判断していいのか混乱させられただけだった。必要ない気は
するけれども、念のため、もう少しだけ聞いておく。
「洋食ばっかだなあ。和食は嫌い?」
「ノンノン、そんなことありませーん。大トロの炙り丼、大好き。それに、最
高級の鰹節で取っただしを使った物なら、たいていは行けるにゃ!」
 さすが、猫だ。
 というのはさておき、つまるところ、一ノ瀬は舌は肥えているかもしれない
が、食べ物に関する執着は全然強くないように思う。名前の覚えはいい加減だ
し、挙げたのだってほとんどが美味くて当たり前の料理だ(ほとんどは僕が口
にしたことのない料理だが、美味いに違いない)。
「そーゆー訳で、作りに来てくれたらお得ですぜ、旦那。作った人も食べる人
になれるから」
「僕は料理なんて、ほとんどできないぞ。だいたい、材料があるんなら、トロ
の炙り丼ぐらい、君にだって楽々作れるはずだ」
 そう云った僕の顔の斜め横を、一ノ瀬の視線が通り過ぎるのを感じた。僕の
後ろに、誰かがいる。振り返った。
 世界標準の美女が立っていた。この人なら、どんな服でも着こなせそうだ。
たとえばワインレッドのボディコン服でも、違和感なく普段着にできるんじゃ
なかろうか。
 今は洗いざらしのシャツにジーパンといった出で立ちだが、それでも(だか
らこそ?)スタイルの良さは充分に滲み出て、アピールして来る。年齢は二十
代半ばから三十代前半にかけてぐらいか。ううん、分からない。
「メイねえさんだ!」
 一ノ瀬の声に僕は視線を戻し、二人の顔を交互に見た。
 姉妹にしては、あまり似てない気がした。かなり身長差があるが、それ以上
に年齢差が気になる。
 そんな感想を持った僕の前を一ノ瀬が通り過ぎ、“メイねえさん”へと駆け
寄った。
「おぉ、元気そうじゃないか。まずは一安心てとこだね」
 美人は見た目に反し、結構男っぽい言葉遣いで応じた。でも、白くてきれい
な歯並びと相俟って、何だか格好いい。僕が元々、男勝りな女性を好みにして
るのを差し引いても、お釣りがたっぷり来る普遍的な魅力を持っている。
「心配してくれるなんて珍しい。何かあった?」
「何かって、あんたの通う学校で、殺人事件が起きたじゃないか。しかも未解
決と来れば、心配にもなる。それで――その前に、この人は」
 目線がこちらに向いた。見下ろされる格好だが、悪い気はしない。それどこ
ろか、どきどきさせられてしまう。音無さん以外にこんな感情を抱くとは……
不覚だ。浮気性ではないつもりなのに。
「クラスメートで通称みつるっち。本名は……えーと?」
 紹介してくれるのはいいが、僕の名前を失念するなよな。
「百田です。百田充といいます。初めまして」
 一ノ瀬への文句はあとにして、頭を下げつつ、名乗った。当の一ノ瀬は横で、
「ああ、そうだったにゃ。……そうだったっけ?」などと呟いていたが。
「百田君か。ありがとう。私の名は一ノ瀬メイだ」
 何に対してのありがとうなのか理解できなかったが、聞き返さなかった。当
面の興味は、二人の関係である。
「あの、一ノ瀬さんとは――つまり、一ノ瀬和葉さんのお姉さんですか?」
「いや、親戚。あんまり云いたかないのだが、おばさんに当たる」
 どういう血縁なのか詳しく聞きたい気もしたけれど、「云いたかない」と前
置きされては、気が引ける。あとで一ノ瀬――和葉の方に聞けば分かるだろう。
「百田君、今日は和葉に用事? 家に寄って行くとか?」
「えーと、一応、ボディガードのようなものでして、送り届けたら帰ります」
「それならば、今日はもう大丈夫だ。君こそ気を付けて帰ってほしい」
「はい、そうさせてもらいます」
 話す内に、呑まれそうな心地になってきた。この人なら、男を騙すくらいお
茶の子さいさいなんだろうな。普通に話していてこれなんだから、色仕掛けと
なれば……。
 なんてことをぽやっと考えていると、いつの間にか、二人の一ノ瀬が遠ざか
っている。別れの挨拶をし損ねたようだ。話し込む様子が見て取れたので、今
さら改めて声を掛けることもあるまい。
「そういえば、バイクはどしたの?」
「ちょうどいい機会だから、メンテナンス中。どうせしばらく厄介になるし、
必要ないわ」
「泊まっていくんなら、料理作ってにゃ」
 結局、作って貰うつもりか。

「誰かと思ったら、あなただったの。こんな時刻に誰かしらと、あれやこれや
と考えてしまったじゃない」
 四谷からの電話に二階堂は意外さを感じつつ、耳を傾けた。
「その云い方、電話を掛けてくる相手の選択肢に、オレは入ってない訳?」
「今この瞬間から、選択肢に入ったわ。用件は?」
 少々不満そうな口ぶりだった四谷は、すぐに機嫌を直したようだ。
「ほんとは直接会って聞くべきなんだけど、時間がないから、電話でごめんち
ゃ」
「ちゃ?」
「あ、口癖だから。堅い話を軟らかくするための。それで相談なんだけどさ、
この間、マジカルワールドランドの中に入ったときのこと、他の人に話しても
いいかな」
「……意図を今一つ、掴みかねますけれど、とりあえず、話す相手によるわね」
「同じ学校の生徒。二年生と一年生に」
「名前を出せませんの?」
 焦れて、二階堂の声が大きくなる。
「ううん、云ってもかまわない。十文字先輩と一ノ瀬さん」
「……もしかして、辻斬り殺人と関連が?」
「うーん、分からない。つい最近、マジカルワールドランドの敷地の中で、人
が死んだんだってさ。そのことを聞きたいみたいなんだけど、そもそも、そう
いう事件があったって、知ってた?」
「いえ。新聞やテレビは、さほど熱心に見ないし」
「ああ、同じだ。こっちも今日、十文字先輩から聞かされて、初めて知った。
それで新聞を見てみたら、確かに載ってる」
「それで……わたくし達があそこに足を運んだ前後に、事件が起きたとでも?」
「そうみたい。詳しくは出てなかったが、土曜の晩の内に死んだと警察は考え
てるんだってさ」
「つまり、あの時点で遺体があった……」
 ぞっとする一方で、それらしき物を見た覚えが全くない故、腑に落ちない。
この疑問を口にすると、先方からすぐに理由が明かされた。
「鍵の掛かっていたコンテナがあったっしょ? あの中で見付かったってさ」
「……」
 納得はできたが、気味悪さは増した。壁一枚を隔てて変死体と隣り合わせて
いたのだから。
「どうかした? 気分悪くなったのなら――」
「いえ。このまま電話で続けるような話題でもなさそうだから、他に何かある
のかと、言葉を待っていただけのこと」
「ない。これでおしまい」
 強がりから出た二階堂の台詞に、四谷は即答で返した。
「あと、十文字先輩達って、直接オレらに話聞きたいみたい。できれば、だけ
どさ」
「かまいませんわよ。専門は違えど、尊敬できる方だと思いますし、わたくし
も同席するとしましょう」
「じゃ、決まりだね」
 弾んだ口調で云った四谷は、先輩達と会う時間や段取り等を決めにかかった。
二階堂はおかしなことに巻き込まれつつあるのを感じる一方で、イレギュラー
な日常に多少の興奮を覚えもした。
 そして、これというのも四谷と関わりを持ったのがきっかけだわ、と思った。
その感情が表に出ることは、いつもならない。だけれど、今夜はちょっとだけ
こぼれてしまった。くすくす笑いとして。
「いきなり笑い出して、どうしたのさ?」
 怪訝さいっぱいの口調で尋ねてくる四谷に、二階堂は笑い声を収める。
「大したことじゃありません。ただ、あのとき受けていれば、同じように興味
深い展開が待ち受けていたのかしらと思って」
「あのときって?」
「あなたは知らないことよ、四谷さん。わたくし、実を云うと昔、一度だけバ
イオリンソナタでパートナーにと誘われたことがあってね」
「ていうことは、えーっと、相手はピアノだね。そっかあ、オレより先に二階
堂さんにアプローチした生徒が、ここにいたか」
「そうじゃない」
 二階堂が否定すると、きょとんとしているのであろう幾ばくかの静寂を挟み、
四谷は反応を返した。
「どこか違ってたっけ。うろ覚えだけど、バイオリンソナタはバイオリンの独
奏か、それプラスピアノの伴奏だと記憶に……」
「七日市学園に入る前の話」
「あー、納得した」
「その方は一年上の先輩で、わたくしをとても買ってくださっていました。成
績を認められて、卒業演奏の場が与えられたその方は、二年生のわたくしをパ
ートナーに指名された」
「へえ。どうして断ったの」
「当然です。その方の選んだ曲は、バイオリンソナタ第9番でした」
「……二階堂さん、分かりません。説明を」
「技術的に難易度が高いことが一つ。いえ、充分な時間をいただけていれば、
当時のわたくしでも応えられたはずですが、それでも心身の面で力量不足に終
わったことでしょう。
 それにこの曲は、ピアノとバイオリンが対等であると見なすのが、一般的な
のです。ベートーヴェンの他のバイオリンソナタなら、ピアノが主役なのに、
先輩は何を思われたのか、9番を……」
「卒業演奏で、在校生が卒業生と対等ではまずい、ってことか。なるほど」
「そもそも、組んで卒業演奏に臨む場合は、卒業生同士でというのが、我が校
の伝統です。いくらわたくしでも、その伝統を壊すことはできなかった。別の
機会なら喜んでお引き受けしたのに」
「結局、その先輩の卒業演奏はどうなったの?」
「ピアノソナタに変更されました。矢張り、ベートーヴェンのピアノソナタ第
14番、『幻想曲風ソナタ』に」
「……」
「通称『月光』と云えば、聞き覚えがあるんじゃないかしら」
「あ、有名な曲だよね。確か――」
 ハミングでメロディを表す四谷。二階堂は「そうそう」と、知らず頷いた。
「その方の最も得意とする曲だった。それなのに、当日の演奏は大幅にアレン
ジをして、まるで即興のようで……眉を顰められる先生方もいました」
「……よっぽど、二階堂さんとのバイオリンソナタをやりたかったんだね」
「わたくしがいけなかったと?」
 それは、疑問文でありながら、認めたくないことを認めるかのような物腰だ
った。
「そんなことない。受けるか否か、頼まれた人の自由だって。先輩後輩も、尊
敬しているかどうかも、好きか嫌いかも関係ない。一度仲間になったのなら、
仲間のことも考えないといけないけどさ」
「――最後のは、あなたの経験?」
「あらら、いい勘してる。バンド組んでた関係で、色々とあってさ」
 沈黙がしばらく続いた。破ったのは二階堂からだった。
「もし、わたくしがあなたの頼みを聞き入れ、あなたの歌のために一度だけで
も弾いたとしたら、あなたが今云った仲間になるのかしら」
「難しいなあ。仲間といえば仲間だし、でもバンドのそれとは違うかなあ? 
やってみなきゃ分からない部分あるし」
 難しいと前置きした割に、すらすらと応える。断定するのが難しいという意
味なのだろう。
「分かったわ。今、答を出さなくていいから」
「あ、でも、確実に云えるのは」
 二階堂の話が聞こえているのかどうか、四谷が喋り続ける。
「二階堂さんとオレは、友達だってこと」
「……莫迦ね」
 ため息をつく二階堂。
「ええー、何で莫迦って云うのさー?」
 電話から耳元に届く不服そうな声に、二階堂は早口で返した。
「改めて云うまでもないことだから」

 翌日の朝、僕は教室で一ノ瀬と喋っていた。それ自体はいつものことだが、
話題がいつもと違う。
「あのあと、メイさんはどうしたの?」
「もち、泊まっていった。料理も作って貰って、ミーはおばの味を堪能したの
であった」
 おばの味って……。お袋の味に代わる表現がないからと云って、直接代用さ
れると、ちょっと違和感がある。
「ということは、今もいるんだ?」
「家にいるかどうかは不明なり。今日、ミーが帰るのを待って、一緒に外食し
て、それから出発するみたいなこと云ってたよ。だから、まだこの街にいるの
は確かだと思うよん」
 答を聞いて、少し残念な気がした。メイさんがどうこうとかではなく、一ノ
瀬の一人暮らしが解消されるんだと思っていたから。
「ところで、メイさんて何をしてる人なんだ?」
「職業のことかにゃ? とすると、その質問は凄くとても難しいものになるの
ですよ、これが」
 分からん。
「一言で答えるなら、一言では説明できない、ということに」
「何だ、そりゃ」
「大まかでいいのなら、そだねー、職業・旅人かな。で、旅をするための資金
を得る目的で、色々やってる」
「色々って云っても、今はこれというのがあるんじゃないのかい」
「複数のことでも平気でこなす人なのさっ。ただ、昨日の夜、聞いたところに
よれば、今は旅の途中で、しかも怪盗を追い掛けているみたい」
 唐突すぎて、「かいとう」に当てはめる漢字がすぐには思い浮かばなかった。
「もしかすると、泥棒のこと?」
「そうだよん」
「まさか、メイさんも探偵なのかい?」
「人の話を聞いてないなー、みつるっち。メイねえさんの職業は旅人だって」
 それはちゃんと聞いていた。だが、しかし。
「何で、旅人が泥棒を追ってるんだか……あ、何か大切な物を盗まれたとか?」
「理由までは聞いてないけど、それはない。ないね、うん」
 根拠がよく分からないが、一ノ瀬は自信たっぷりに頷く。
 まあ、盗難の被害者なら、警察に任せておけばいいのも確かだ。
「多分、面白そうだから追い掛けてるんじゃないかなあ。名前のある怪盗なん
て、今の時代に珍しいっしょ」
「名前がある?」
「怪盗ヤマタノオロチだって。しかも、警察が名付けたんじゃなく、本人が云
い出した」
「それはまた……古風な」
 という表現自体、古風かな。
「八つの頭を持つ蛇を描いたカードを、現場に残しておくとか。ミーはヤマタ
ノオロチって知らなかったから、ぴんと来なかった。日本のメドゥーサみたい
な物だよね?」
「うん……いや、だいぶ違う」
 蛇のモンスターという括りで、近いと云えるかもしれないが、似てはいまい。
僕は説明してやった。
「――なるほろ。メドゥーサの枝毛が巨大化した感じ、これだね」
「……」
 そう、きれいに八つに分かれた枝毛だけがヤマタノオロチになる、と即座に
返すことができれば、僕も漫才師になれるかしらん。
「じゃあさ、メイさんはどんな用事で、君のところに寄ったんだ?」
「あれれ。昨日、聞いてたんじゃないのかな? 校内で殺人事件が起きたと知
って、心配してくれたんだって」
「ああ、聞いていた。だけど、それが理由なら、昨日の今日で出発するのは性
急過ぎやしないかと思って。犯人、まだ逮捕されてないんだし」
 逮捕どころか、警察は正体すら掴めていないようだが。学校に出入りする捜
査員もめっきり減ったようだが、大丈夫なんだろうか。そもそも、辻斬り殺人
との関連の解明にも至っていない。校内の殺人以降、辻斬り殺人が止んでいる
のは事実だけれど……。
「メイねえさんに事件について説明したら、まあ大丈夫だろうって思ったみた
いだったよ。ただ、もしも怪盗のことがなければ、ひょっとしたら――」
 話の途中でやめた一ノ瀬。視線の先を追って振り返ると、十文字先輩の姿が。
最早、このクラスの生徒であるかのように、特に断りを入れようともしない。
「何ですか」
 僕は警戒しつつ、尋ねた。先輩はわざとらしく目を丸くした。
「ご挨拶だね、百田君。まずは、おはようの一言ぐらいあってもいいんじゃな
いか」
 一ノ瀬と僕は相次いで朝の挨拶をした。一ノ瀬はにこにこしていたが、僕は
その正反対だった。
 先輩はよしよしと頷いてから、本題に入る。
「昨日の夜、四谷君から連絡があってね。放課後、会う時間をこしらえてくれ
たそうだ。場所は、総合芸術科側にあるカフェテリア。という訳で、二人も一
緒に来たまえ」
「またですか。五代先輩はまだ大会ですか」
「彼女の予定とは関係なく、一旦、関わったからには、途中でワトソン役を降
りられてもらっては困るな」
「まさか、事件簿を書けなんてことは……」
 小説家志望の一面がある僕だが、実際に起きた事件について書くとなると二
の足を踏む。十文字先輩に恐る恐る尋ねると、こともなげな返答があった。
「書いてもらって結構だが、発表は控えるように。少なくとも現時点では、悪
い影響の方が圧倒的に大きい」
「はいはい。冗談なら冗談と、分かり易く最初に云ってくださいよ。どこに発
表するっていうんですか」
「どうとでもできるだろう、今の時代。無駄なお喋りはここらで切り上げて、
正式な返事を聞きたい。君達二人、放課後の予定はないね?」
「あー、ミーは少しあるです。何時ぐらいまで掛かるかによっては、最初から
辞退します」
 メイさんとの時間を多く取りたいのだろう、一ノ瀬は珍しく真面目な口調で
伝えた。
「三十分前後で済むと思う。四谷君達も練習があるから、さほど時間は割けま
い」
「それならいいかな。うん、行きます」
「百田君は?」
「幸か不幸か、特別な予定はありません。宿題を片付けるのが遅くなるだけで」
「結構。では放課後、僕の方から迎えに来るまで、この教室で待つように」
 こちらの軽い皮肉を受け流し、十文字先輩は一方的に云って、さっさと出て
行った。
 思い返してみれば、先輩が僕らを呼び付けるよりも、先輩から出向いてくる
ことの方が圧倒的に多い。名探偵として偉そうに振る舞う割に、足まめな人だ。
相方の確保に苦労しているのかもしれないと思うと、何だか笑える。
 じきに授業が始まるため、僕と一ノ瀬のお喋りも、中途半端なまま終わった。


――続く





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