#480/1159 ●連載
★タイトル (AZA ) 06/03/28 19:34 (202)
そりゃないぜ!の恋24 寺嶋公香
★内容
出発前から疲れてはかなわん、というわけでもないのだが、早めに家を出
ることにした。三井さんの自宅までは割と距離があるが、歩いていく。腹ごな
しのためだ。いや、お腹が鳴ったら格好悪いと思うあまり、昼飯を詰め込みす
ぎたきらいがあるもんで。
「失礼のないようにするのよ」
何かを期待しているかのような目をした母親の声に送り出され、僕と泉は出
発した。
三井さんの家まであと少しだと告げると、泉が小走りになった。詳しい住所
を教えていないんだから、勝手に行かれては困る。幸い、先へ先へと急ぎなが
ら、道が分かれている地点に差し掛かると、「どっち?」と振り返るので、見
失わずにすんだ。
「こっちも初めてなんだ。確認ぐらいさせろよ」
そんな風にして、三井さん宅の前を通る道路に出たのが、午後一時四十五分。
まだ少し早いなと思いつつ、遅刻するよりはずっといいと、歩みを進める。ほ
どなくして家並が見えてきて、見当が付いた。
と、そのとき、泉が叫「あ!」と叫んだ。
何ごとかと見下ろすが、泉は真っ直ぐ前を向くばかりで、答えやしない。仕
方なく、僕も妹の視線を追った。
そうこうする内に、泉が走り出してしまった。
だが、うなずけた僕は止めなかった。広海君が外まで出て来て、待っていた
のだ。早速、身を寄せ合うようにして話し込む小学生二人を見ていると、いつ
の間にこれほど親密になったのだろうと不思議に感じ、かつ、多少羨ましくな
る。友達以上なのは、間違いない。
そこから視線を起こし、前を向くと、これまたいつの間にやら、三井さんの
姿が。静かなので、気付くのが遅れた。
「こ、こんにちは」
焦ることないのに、どもってしまう。しかも、我ながら、おかしな台詞じゃ
ないか。道でばったり出会ったんじゃないんだ。
「早く来すぎたかな? だったら、もう少し、そこら辺をぶらついているけれ
ど」
「ううん。ぶらつかれたら、目立つわ。早く中に」
微笑みつつも、周囲に意識を払う様子の三井さん。よっぽど、あらぬ噂を立
てられるのを警戒しているらしい。僕の方は、複雑な心持ち……。
泉に「ようこそ」云々と歓迎の言葉を掛けてから、僕らをいそいそと招き入
れる。広海君までもが急ぎ足になり、危うく蹴躓きそうになった。転ばずには
済んだが、その有り様を泉にしっかり見られ、「どじー」と笑われる。
「行儀よくしろよ。それと言葉遣いも」
妹に釘を差してから、玄関のドアをくぐった。
家の人への挨拶は、案外あっさりと終わった。緊張していたのは僕一人。ち
ょっと考えてみれば、当たり前だ。三井さんの親からすれば、どうってことな
い存在にしか映るまい。むしろ、この時季にクラスメートとは言え男を連れて
きた娘に対し、呆れているような雰囲気がちらっと垣間見えた気がする。
そんな状況だから、三井さんの部屋に入れるという期待は、無惨にも?打ち
砕かれ、劇の披露には奥の和室が宛われた。
と言っても、着いた早々、劇の練習というのも忙しない。出されたお茶とお
菓子を口にしながら、四人で雑談。正確には、高校生二人と小学生二人に別れ
て、だ。
「広いね」
僕は部屋をざっと見渡す素振りをした。あまり関心はないのだが、万が一、
親御さんに聞こえても当たり障りのない話題と言えば、まずはこれくらい。
「部屋もだけれど、家も大きい」
続けて、大学教授って儲かるのかな、なんて口走りそうになった。関西育ち
で身に染み着いた癖かもしれない。言葉をぐっと飲み込む。
「私はこの部屋、あんまり好きじゃないの。もちろん、家は気に入っているけ
れどね」
気になることを言う三井さん。僕が聞き返すまでもなく、理由も話し始めた。
「由良さんが父に、私のことを正式に頼みに来たとき、この部屋を使ったわ。
私も居合わせて、それはそれは空気が固くて……」
「……」
えっと。
何て言えばいいんだろう。
僕の戸惑いを感じ取ったのかどうか、三井さんはさらに続けた。
「それにもう一つ。小さい頃、お稽古事のいくつかは、この和室でさせられた
のよね。こっちは乗り気じゃないのに、お花やお茶や踊り……同じ年頃の友達
大勢と習えたら、楽しかったかもしれないのに」
「へえ」
先生を招いての個人レッスンだなんて、いくら掛かるんだろう……いかんい
かん。無理に話を合わせようとすると、何故かお金のことになる。
「それじゃあ、どれも中途半端に? もったいない。どうせなら、三井さんの
点てるお茶、飲んでみたかったな」
そう言ってから、手元のコップを口に運んだ。三井さんはこちらに横顔を見
せて、ため息混じりに返事をした。
「うーん、できなくはないけれど、人前ではちょっと」
できなくはないのならぜひぜひ、と頼んでみることを思い付かなかったわけ
ではない。子供じみていて、冗談に受け取られると判断した。代わりに。
「恥ずかしい、とか?」
「正直言って、そう。自信を持てないまま、やめちゃって、随分経つもの」
「ふーん。劇は恥ずかしくないんだ?」
今日の本題に話を引き寄せるために言ったのであり、意地悪のつもりはない。
でも、三井さんは慌てた様子で首を横に振った。
「恥ずかしいよ! 自信を持てないから、こうやって来てもらって、練習をし
ようと思ったの!」
向き直った彼女の赤面と語調に、最初、圧倒された僕だったが、すぐさま笑
いをこぼしてしまった。必死な感じが伝わってきて、同意できるとともに、か
わいらしかった。
「何で笑うかなあ、岡本君」
「いやいや、別に。じゃ、ぼちぼち、練習に入りますか。早くしないと、泉達
が飽きてしまうだろうし」
僕は、すでに膝立ちの姿勢で、何やら言葉遊びめいたことを始めていた泉と
広海君に目を向けた。
総体的に見て、順調に運んでいたと思う。
台詞はほぼ完璧に頭に入っており、相手とのタイミングもこの頃には慣れて
きていたから、あとは実際の動作だけ。簡潔な会話と素人演技で、観ている人、
特に小さな子供にどれだけ伝わるかが、肝心であり、こうして土曜返上で練習
をする目的でもある。
そんなことを意識しながらやってみせた一回目。我が妹から「お熱いでんな
あ」「いっそのこと、ぎゅうっと抱きしめちゃえ!」などと、冷やかしの声が
上がった。無論、その場で、真面目に判断しろと叱りつけた。
とは言うものの、泉がそんな反応をしたってことは、演出の意図がちゃんと
伝わっている証拠ではないか。悪くない。
「この分なら、いいんじゃないかな。三井さんが心配していたほど、下手じゃ
ないってことで」
いささか饒舌になり、僕は同意を求める。三井さんはしかし、小さく、ゆっ
くりと頷いたあと、首を傾げた。その唇から、「うーん」という考え込むよう
な声音も出た。
「まだ何か不満? 完璧主義者だっけ、三井さんて」
「そういうわけじゃなくて……」
広海君達に背を向け、声を潜める。
「ひょっとしたら、単なる、その、ラブシーンに映ってるんじゃないかしらと
思えて」
ラブシーンというフレーズを、ちょっぴり意識してしまった。急いで話の内
容に追い付く。
「つまり、オーバーアクションになってた? そないなことなかったと思うけ
どな」
「ううん、そういうのとも少し違う。――感情を抑えながら、でも観ている人
に伝わるようにしなきゃいけない場面でしょ。なのに、感情がそのまま出てし
まっている。だから、泉ちゃんや広海には、私達が恋人役を演じているように
見えたんじゃないかな、と思ったの」
そこまで求めるのって、やっぱり完璧主義なんじゃあ……少なくとも、高校
生の文化祭レベルでは。
だが、三井さんがそういうつもりでいるのなら、こちらも恥ずかしくないよ
う、がんばらねば。望んでいる高みに届くかどうかは別として、安易な妥協は
せずに、努力しましょ。何たって、好きな人のため。
「よっしゃ、分かった。では、演技指導をよろしく」
「あ、ずるい。私だけじゃなく、岡本君も意見を出してよね」
「いやいや、仰せのままに、お姫さま」
そんなやり取りを繰り広げると、泉のやつ、すかさず言ってきた。
「リハーサル、再開した? それとも、ひゅーひゅー?」
――と、こんな調子で進んで、非常によい雰囲気ができあがり、演技の方も
それなりに三井さんの理想に近付いたようだ(ようだというのは、何度も同じ
場面を演じる内に、観せられている泉達もさすがに飽きてきたらしく、反応が
鈍くなってきたため)。
途中、休憩を挟み、他のシーンの練習や宿題もしつつ、結局、六時過ぎまで
続けた。外が暗くなり出したこともあって、今日はそろそろ辞去しようと腰を
上げたら、どうしてだか、三井さんのお母さんが夕飯を食べて行けばと声を掛
けてくださった(言葉遣い、おかしいかな?)。
当然、社交辞令だろう。泉だって、その辺りの空気は察せられる。兄妹揃っ
て、丁寧に辞退した。しかし、これが三度繰り返され、加えて「実は、この子
のお父さんが急な仕事で、今晩は帰れなくなったと電話が少し前に」云々と言
われては、心もぐらつく。
泉もころっと態度を変え、「もったいないお化けが出ないよう、ここは協力
してあげるべきよ、うん」と来た。
「ばか。それなら、うちの方にもったいないお化けが出るじゃないか」
「あ、そうか」
「電話して、聞いてみれば?」
と、これは三井さん。うむ。彼女まで同じ食卓を囲むことを望んでいるのな
ら、乗ってもいいぞ。この状況なら、全然、厚かましくないし。
「それじゃあ……」
自宅に電話し、呼び出し音を聞く頃には、「おかん、承知してくれ」と念じ
るようになっていたから、現金なものである。
そして実際、あっさりと承知してくれた。カレーだから、残った分は明日の
昼、下手をすると晩にまで回るよという注釈付きで。連続カレー地獄を想像す
るとげんなりさせられるが、三井さん家での食事の方が魅力だ。補って余りあ
る。
予想外の展開に落ち着かない気分ではあったけれど、食事までの時間、暇つ
ぶしにゲームをすることになった。もちろん、泉と広海君も入れて。二人きり
でないのが残念と言えば残念。でも、こうして三井さんの部屋に入れる!のは、
四人だからこそ、なんだろな。この瞬間ばかりは、泉を連れて来てよかったと。
女の子にしては、ファンシーというのか、メルヘンというのか、その類の飾
り付けやぬいぐるみはほとんどなく、かといって芸能人のポスターが張ってあ
るわけでもなく、目に付くのは立派な勉強机と背の高い本棚という部屋だった。
「最初に言っておくと、ベッドや箪笥は別の部屋だからね」
「なぁんや。ちょっと、いや、だいぶがっくし来たわ」
心中を見透かされたようで、ぎくり。関西弁が飛び出した。
「てことは、ここは勉強部屋?」
「うーん、テレビやゲーム機を置いてあるから、違うことになるのかしら。ど
ちらかと言えば、もう一つの部屋が寝室って感じね」
「二部屋あるいうんは、うらやましいなあ」
関西弁になってるから、お金の話題もOK……という気にはなれず、それよ
りも貴重な時間を楽しく過ごそうと、ゲームに向かう。ゲーム機には、さして
使い込んだ跡がなく、きれいなものだ。お父さんの影響で、勉強優先なんだろ
うかと短絡的に考えた。
とにかく、ゲームをスタートしてから十分ほどすると、泉がもじもじし始め
た。長いこと家族をやってると、すぐにぴんと来る。ストレートに言ってやっ
てもいいのだが、今日は泉に感謝してるし、少しは気を遣ってやろう。ゲーム
の切れ目を見計らい、広海君に声を掛けた。
「広海君。トイレどこかな。教えてくれるか?」
「うん? いいよ」
コントローラーを置き、さっと立ち上がる広海君。僕は続こうとせず、斜め
後ろの泉に視線を向けた。
「泉、代わりに聞いとって」
「えっ?」
「ちょうどいいタイミングやないかと思ったんやけどな?」
面食らった様子で目を丸くした泉に、畳み掛けるように言う。すると、我が
妹は反論することもなく、即座に腰を上げ、広海君よりも先に部屋のドアに到
着した。
「案内して」
そう急かす泉と、広海君の姿が見えなくなると、呆気に取られていた三井さ
んが僕の方を向いた。
「泉ちゃん……トイレに行きたがってたのね」
「そうやったみたい。ここに来てから一度も行ってへんかったし」
「……岡本君は?」
「まだ大丈夫。なんやろ、クラスメートの家に初めて来て、緊張しとったせい
かも。緊張が解けたら、駆け込むかもしれへん」
冗談めかす僕を、三井さんは「やだもう」って風に、左手で叩いてきた。笑
っている表情を見れば、本気で嫌がっていないことは明らか。勢いで、こうい
う下ネタ一歩手前の話をしてしまったけれど、セーフだったみたい。
――続く