AWC 気まぐれ月光 1   永山


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#402/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  05/03/31  23:11  (221)
気まぐれ月光 1   永山
★内容
 西日はまだオレンジ色になっていない。校門を出るとき、何人かとすれ違う。
丁字路の交点に立ち、しばしの逡巡の後、直進を選択した。その矢先。
「っ――もしかして」
 かしましいお喋りに混じって、斜め後ろからハスキーボイスでそんなフレー
ズが聞こえても、二階堂早苗は気に留めずに歩を進めた。
 学校のある日、二階堂は特別レッスンをほぼ毎日受ける。が、今日は講師の
急な用事でなくなった。思い掛けず浮いた時間を、いつもの彼女なら自己練習
に当てるところだが、父親の誕生日が近いこともあって、気まぐれを起こした。
誕生日プレゼントの買い物ついでに、たまには“普通の女の子らしいこと”で
もしてみようかと、考えを巡らせていた。そんな思考過程を辿るのは、二階堂
には珍しい。
「ああ、待って。二階堂早苗さん? バイオリンの」
 名前を呼ばれて初めて気付き、二階堂は足を止めた。背後から追って来てい
るであろう相手を待つ。
 やがて前に回り込んだ声の主は、学園指定の制服ではなく、ラフな格好をし
ていた。光の具合ではっきりしないが、黒みがかった青の上着を着こなしてい
る。サイズが大きく、だぼっとしているのに、だらしない感じがない。前髪を
立てているのは、小柄な体格を大きく見せようとする狙いだろうか。そういっ
た計算を抜きにしても、似合っている。
「確かに二階堂はわたくしですが、あなたは」
 こんな場面で、普段なら相手が先に名乗るのを待つのが二階堂のスタイル。
であるが、今回は特例として先に口を開いた。一見しただけでは相手の性別が
分からず、警戒の意味を込めて声を発したのだ。
「オレ、四谷成美。あなたと同じ、総合芸術コースの一年生。専攻は声楽及び
作曲だけどね」
 自らを指差すと同時に、生徒手帳をズボンのポケットから覗かせ、名乗った
相手。声ではやはり男女を判断できず、名前にしても決め手にはならない。
「独学で作詞もやってる。ま、平たく云えば、シンガーソングライターって訳」
「自己紹介もよいですけれども、用件を」
 とりあえず、同じ七日市学園の生徒らしいと知り、警戒のレベルを下げる。
「そうそう。早く会いたかったのに、二階堂さんて放課後、たいていレッスン
を受けてるからなかなか掴まえられなくて」
 つまり、かなり以前から何らかの用事があったということね。それもさほど
急ぎではない……。二階堂はそう解釈した。
「わたくし、このあと予定があります。時間が掛かるようなら、パスというこ
とに」
「ああっと、ちょっとだけ、付き合ってほしい。いや、付き合ってください」
「……」
 二階堂は耳たぶを触った。間を取ってから、確認のために口を開く。
「まさかとは思いますけれども、わたくしに交際の申し込み?」
「交際? いや、違う。付き合うの意味を激しく取り違えていると、指摘させ
て貰います。交際と呼ぶくらいなら、むしろ交友かな」
「それでは、どのような付き合いを?」
 軽く首を傾げてみせるに二階堂。四谷はくぐもった声で呻き、同じように首
を捻った。そして正面を向くと、やおら云った。
「えっと、ずばり云うと、あなたと組んで唱いたい」
「……」
 怪訝な表情をしたのが、自分でもはっきりと分かった。今度は耳たぶは触ら
ない。代わりに、おでこにできたかもしれない軽い皺を消すかのごとく、二階
堂は額に手を当て、微かに俯いた。結果、頭痛を覚えたときのポーズみたいに
なった。
「話が見えません」
「時間をくれたら、きちんと説明する。予定を変えさせるのは心苦しいが、そ
こを何とか」
「――いいでしょう」
 手を拝み合わせ、頭を下げてきた相手にそう返事し、微笑んでみせてから、
二階堂は条件を付けた。
「ただし、あなたの我侭を聞く代わりに、わたくしの我侭も聞いて貰います。
往来で立ち話なんて、味気ない。女の子らしいシチュエーションで、話の続き
をしましょう」
「……ははあ。案外、面白い人なのかな、二階堂さんて」
 およそ十分後、二人はクレープがメインのファーストフード店にいた。
「こういうのが、今時の女の子らしいのかしら」
 適当にオーダーを済ませ、向かい合って席に着いてからも、二階堂は物珍し
さから店内をしばらく見回した。といっても、じろじろするのは、はしたない。
横目で観察する程度にとどめる。
「それをオレに聞くのは間違ってる」
 四谷が云い、ストローの先をくわえる。先の台詞と、その仕種を目の当たり
にした二階堂は、相手が女生徒だと確信した。なるほど、こうしてちょうどい
い具合の明るさのところで見ると、ボーイッシュな格好をしているが、顔立ち
は女性のものに間違いない。
「オレもこういう喧しい場所は苦手で、好んで入ったことはないな」
「そう? 意外だわ。でも、他校の生徒もいるし、あながち誤りでもないので
しょう」
「二階堂さんは休みの日に、何してるんだろ? 外を遊び歩くとか」
「たまにします。やるべきことを済ませたあとに」
 クレープに手を伸ばす二階堂。
「さあ、ここでのやるべきことに取り掛かりましょうか。食べながら、話して
ちょうだい」
「どこから話せばいいかな。……五月の連休明けにあったデモンストレーショ
ンで、二階堂さんの演奏を聴いた」
 七日市学園では、特別枠で入ってきた新一年生の中で芸術関係の者を対象に、
腕前を披露する場が用意される。それが五月上旬のデモンストレーション。新
風祭だか新風展だか、垢抜けない名称が付いているが、生徒の誰もそんな呼び
方はしない。
「凄い音楽だと思った。クラシックには全然詳しくないオレでも、この人はこ
の人だけの音を生み出している、っていうのは分かったよ。聴いてよかった」
「光栄ね。知らない人にも何かしらの感動を与えることができたとしたら、そ
れは最高の誉め言葉の一つだわ」
 食べ慣れないクレープに苦戦しながらも、二階堂は流暢に返事した。
 一方、四谷は、店には滅多に来なくても、クレープはよく食べるのか、いつ
の間にやら大方を胃袋に収めていた。
「で、オレは高校に入るまで、アマチュアバンドやっていたんだけれど、この
人の演奏で唱いたい!と思ったことはなかった。あ、勿論、ホンモノの人達は
除く。雲の上の存在で、今は現実味ないから。飽くまで、知り合いの範囲」
「そんなあなたが、わたくしの演奏で唱ってみたいと思った、と」
「そうそう! 勘がいいね」
「誰にでも察しが付くんじゃないかしら」
「うん、そうかもしれないけど。オレ、本当はこんなはしゃいだキャラじゃな
いんだよ。でも、二階堂さんを前にして、今は興奮でこうなってる。あとは、
あなたが引き受けてくれさえすれば、最高だ」
 落ち着きのあるところを見せようというつもりか、四谷は両手をはたくと組
み合わせ、テーブルの下に持っていった。多分、膝上に置いたのだろう。そう
して二階堂を見つめてくるのだが、その視線にはまだ興奮の残滓がある。
「急な話で面食らいました」
 軽く息を出し入れして、二階堂は答に取り掛かった。
「けれども、お断り。少なくとも現時点では、あなたのお話に魅力を感じませ
んし、あなたの歌声も知りませんから、断るしかないでしょう」
「じゃあ、聴いてよ」
 当然の要求をする四谷。放っておくと、今この場でも唱い出さんばかりだ。
「その前に。余計なことに時間を割くからには、わたくしがあなたと組んでど
のようなメリットがあるのか。また、いかなる目的あるいは目標があるのか、
説明して貰いませんと、歌を聴いても仕方がありません」
「うーん、目標はないな。別に大会に出ようって訳じゃないし、組んでプロデ
ビューを目指す訳でもなし。とにかく、あなたの演奏で唱いたいってだけで」
「そんな理由で、わたくしに流行歌を演奏しろと?」
「流行歌というかロックを希望だけど……もしかして、クラシックよりもレベ
ルが低いと見下してるの?」
「そんなことは断じてありません。ただ……喩に相応しくないかもしれないけ
れど、和服を着て白鳥の湖を踊るような気恥ずかしさを覚えます」
「それはそれで、きれいに踊るやり方はある気がする。まっ、いいや。結局、
オレはどうすればいい?」
「わたくしを巻き込みたいのなら、わたくしを揺さぶってご覧なさい」
「揺さぶる? 二の腕をぎゅっと掴んで、前後に揺さぶる……のとは違うか」
「普段の平静な感情を乱す何か、ということ。楽しがらせたり恐がらせたり、
興味を惹くのでもかまいません。クラシックとロックの融合だけでは、心揺れ
ない。組み合わせによる新奇さに魅力を感じませんし、そもそも目新しくも何
ともありませんから」
「そいつは……難問だね」
 呟くように応じると、飲み物を干して紙コップを凹ませた四谷。その音と、
紙コップが元の形に戻る音が立て続けにしたあと、言葉をつないだ。
「オレの歌を聴いてくれたら、魅力を感じて貰える気がする。自信とまでは行
かないけどね」
「わたくしは歌のために弾きません。『この人の歌に演奏をしてあげたい』と
思うこともない」
「じゃあ、望み薄かな。ううーん、あれは失敗だったな。あのとき、あなたを
引き留めて、無理矢理にでも歌を聴かせておけばよかった」
「あのとき、とは?」
 クレープをやっと片付け、トレイ上を整理していた二階堂だったが、その手
が停まった。面を起こし、前に座る四谷を見る。彼女はにっ、と笑んだ。
「デモンストレーションのときさ。オレ、舞台袖に控えていたのね。順番を待
ってた」
「……あなたも特別枠で入った人だったの」
「特別レッスンはして貰ってないけどさ。あのときの二階堂さんたら、演奏し
終わると、競歩選手みたいにさっさと出て行ってしまって、掴まえる暇がなか
った。でもまあ、オレはオレで、カラオケ状態で唱わされて、本領発揮とは行
かなかったから。ついつい、元の歌手のコピーをしちまう。で、癪だったんで、
『アメイジンググレース』をいきなり唱ってやって。あとでどやされたけれど
も、気持ちよかったな」
 ロックをしていた人が何故、『アメイジンググレース』なのだろう。アカペ
ラに適したロックが思い浮かばなかったのかしら――と、余計なことに気を回
す二階堂。頭を小さく横に振った。
「その歌なら、わたくしも嫌いじゃありません。単に聴くだけなら、聴いてみ
たいものだわ」
「いいよ。唱うから聴いてほしい」
「いいよって……わたくしが演奏するしないとは無関係でも?」
「かまわない。これでもプロ志望だから、安売りはしないつもり。とにかく、
あなたに聴いてほしいと、今思った。いつが空いてる?」
「急に問われても……いいでしょう。次の日曜日、午前中なら多分、大丈夫」
「それじゃ、午前十時に……ああ、でも場所が。なるべく、きちんとした空間
でやりたいからね。学園の音楽堂は無理っぽいし、今からどこかのスタジオ、
借りられるかな」
 そこまで拘る相手に半ば呆れつつ、二階堂は意見を述べる。
「難しいわ。音楽室も、諸先輩方が使われているでしょうしね」
「実は、心当たりがないでもないんだけど、二階堂さんが嫌がるかもしれない」
「嫌がる、とは?」
 二階堂は財布に手を伸ばしかけ、中止した。会計のために小銭を用意しよう
としたが、先に払っていたことを思い出したのだ。慣れない店に来るものでな
い。
「針野山駅の近くに、親会社の倒産で、作り掛けのまま放棄された遊園地があ
るのは知ってる? そこの駅から急行で三十分強、行ったとこなんだけれど」
 顎を降って、外を示す四谷。学校最寄りの駅から、と云いたかったのだろう。
「知っています。マジカル何なにという名前だったわね」
「マジカルワールドランド。その敷地の中に、いい場所を見つけたんだ。貨物
列車のコンテナを中で区切ったような長細い部屋で、音と光の体感ゲームをや
るためのスペースだったみたい。当然、未完成だけど、響きはよくて、壁は防
音仕様。百点満点で八十点はやれる」
「いくら会社が倒産して建設がストップしても、どこかが管理してるに違いな
いのだから、不法侵入になるんじゃありません?」
「見つかれば、恐らく。でも、見張りがいる訳じゃなし、これまでに咎められ
たことはないよ」
「これまでとは、どのくらい前から?」
「二年近くになるかな」
 しれっとして答える四谷。目線がレジカウンター上のパネルに行っている。
話が長引いたので、何か追加して食べるつもりだろうか。
「二年、ですって?」
「だいたいね。居心地がよくて、夏なんか足繁く通った。バンドの練習もそこ
でしたいくらいだった。残念ながら、楽器を運び込めなくってね。有刺鉄線や
ら板切れのバリケードが邪魔で。まあ、運び込めたとしても、保存状態に難あ
り、だったろうけどさ」
「有刺鉄線」
「大丈夫、穴はちゃんと広げた。邪魔な針金は、ペンチで丸く曲げたから、服
を引っかける心配もない」
「わたくしは別に、そのようなことを」
「恐いのならよすけど」
「恐くもありません」
「じゃあ、決まりだね」
 得意げな笑顔になって、四谷は手を差し出してきた。握手をしようという意
志は理解できたが、二階堂はため息とともに拒んだ。形ばかり、こんなことを
しても意味がない。そう思っている。
「分かりました。今度の日曜の、そうね、十時じゃ遅いから、朝の九時にそこ
の駅で待ち合わせて、向かうことにしましょう。着いてからの案内はあなたに
任せるわ」
「九時ね。前の晩は早く寝なくちゃな」
 手を引っ込めた四谷は、笑顔のまま云った。
 二階堂は、話は終わったものと判断し、席を立つ。そこを呼び止められた。
「これからどうするの、二階堂さんは?」
「買い物に。最初は、先に買い物を済ませて、お茶を飲んで帰るつもりだった
のに、あなたのおかげで逆になってしまったわ」
「おや。それは悪いことを。お詫びに、買い物に付き添おうじゃない。荷物持
ちさ。それに、辻斬り殺人なんかで物騒だし、最近は学園の中でまで事件が起
きたし。こういう世の中だから、夜道の一人歩きは危ない。オレって一般的な
女よりは力持ちだから、頼りになるよ」
「結構よ。そんなに重い物を買う予定はないし、そんなに遅く帰るつもりもあ
りません」
「買う物って、決まってるんだ?」
「ええ、父への誕生日……何を云わせるの」
 どうしてここまで教えなければならないのか。相手よりも、口の軽くなって
いる自分に腹を立てる。二階堂は四谷の視線を振り切り、歩き出した。

――続く





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