AWC 週明けの殺人者 2   永山


    次の版 
#382/1159 ●連載
★タイトル (AZA     )  05/02/04  02:52  (449)
週明けの殺人者 2   永山
★内容

 刀と血痕だけなら極秘処理もできなくはないかもしれないが、死人が出たと
なると最早不可能だ。
 七日市学園の対応は迅速だった。僕と音無が異変を知らせると、学園長兼オ
ーナーの七尾陽市朗(ななおよういちろう)先生は暫時、沈思黙考したあと、
手を打った。現場保存のため、体育館から全生徒を退出させ、以後、立入り禁
止とした。警察への通報は直接ではなく、知り合いの警部だか警視だかを通し
て行われたらしい。手回しが奏功してか、警察側は学園や僕ら生徒に配慮し、
パトカーではなく、一般車両と区別の付かない普通乗用車で静かにやって来た。
 遺体の搬出が最難関であったが、急病人が出た風を装い、毛布で全身をすっ
ぽりと覆ったまま担架で運ばれていった。こればかりは救急車を要請したが、
救急隊員も呼ばれたからには蘇生を試みなければならず、無駄な行為を繰り返
し施したことだろう。万丈目先生の死は明白だったというのに。
 先生は心臓を一突きにされていた(らしい。遺体を目の当たりにしても動転
していた僕は分からなかったが、参考人聴取の際にそう教えられた)。相当な
手練の仕業と見なされたようだ。凶器が竹刀から見つかった刀かどうかは未確
定だが、蓋然性は高い。死亡推定時刻は、幅を広めに取ったものとして、同日
火曜の午後三時半からの二時間との見解。
 また、補足的事実として当日、万丈目先生は四限目の授業で二時まで教室に
いた。その後は職員室に戻っていない。恐らく、資料室に向かったものと想定
されている。
「聞いたよ、みつるっち〜」
 事件の翌日、学校に着いた途端、背後から首を絞められた。細いが節くれだ
った指は、一ノ瀬のものだ。本気で絞めてるんじゃないかと疑いたくなるほど、
皮膚に食い込む。爪を切ってあるからまだいいようなものの。
 僕は振り払ってから、ごほごほと咳込んでみせつつ、周囲を窺う。第三者か
らじゃれあっていると思われては心外だ。幸い、校門の近くに人影はまばらで、
こちらに注目する者はいない。
「何をする」
「聞いたよ、事件があったんだって」
 のっけから会話を成立させる気がないな、こいつは。
 いや、それよりも。
「何故、知ってるんだ?」
「人の噂も四十九日」
 訳が分からない。たとえ四十九が七十五の間違いだとしても、全く意味が通
じないじゃないか。今後のために訂正してやってから、僕は改めて聞いた。
「万丈目先生の事件なら、まだ公表されていないはずだぞ。新聞にも載ってい
なかった」
「ふみふみ。ミーはそんなことまでは知らなかったよ。口が軽いねっ」
 嬉しそうに云うな。見事に引っかけられてしまった僕も僕だが。
「噂になってるんだな。どこまで出回ってる?」
 校舎には向かわず、ひと気のない場所まで引っ張っていき、訊ねた。
「昨日夕方、体育館が封鎖され、救急車が来て誰かが運び出されたとこまでは、
この目で目撃したよん。そのあとは、学校から追い出されちゃった。出るとき、
氏名のチェックを受けたから、変だにゃと。で、今朝聞いたのは、みつるっち
や剣豪が遅くまで学校に留め置かれたといったよーな」
 剣豪って、音無のことか。
「ミーの腕前なら、適切なところにばれないように潜り込み、捜査情報を覗き
見ることもできるんだけど、早すぎたのかなあ、詳細はまだデータ化されてい
なかったみたい」
 警察か新聞社か知らないが、不正アクセスしたのか。一ノ瀬のことだから恐
らく、証拠を残しちゃいないだろうけど、多少なりとも危ない橋を渡るのはや
めた方が……と常日頃から思う。だが、当人は危ないとは全く考えていまい。
「それで、何があったのさっ?」
「昼前に警察から発表があって、夕刊には載るはずだから、今云わなくても」
「新聞より早く知りたいよー」
 好奇心が服を着て歩いている、というやつだ。何故こうも気にするのかを聞
いてみた。一ノ瀬はコンピュータと数学が最大の友達で、世俗的な話題には関
心がないはずなのに。
「平穏無事な生活を送ろうとする限り、味わえない体験だからさっ」
「体験? ひょっとして、それ、僕のこと云っているのか?」
「もっちろーん、住宅ローン、クライオトローン!」
 人差し指を立てた右手を真っ直ぐ上にやり、飛び跳ねた一ノ瀬。どうでもい
いけど、最後の単語は何なんだ。
「なかなかできない体験てあるよね。その一つが、倫理的にセーブを掛けられ
ているやつ。犯罪なんかがそう」
 不正アクセスは犯罪じゃないのか。
「他殺体を目にするっていうのは、これに近いものがあるんじゃないかな。現
代日本で他殺体に巡り会える機会は少なく、かといってこれを自らの手で作り
出すのには抵抗がある」
 うんうんと独り頷く一ノ瀬。だから、不正アクセスは犯罪じゃないのか。
「ていう訳で、滅多にできない体験をしたじゅうちんから、お裾分けしてもら
おうって思うのは自然な欲求じゃないかな」
「まあ、話せる範囲で話してやってもいいけど。いや、僕はまたてっきり、音
無さんに疑いが掛かるのを面白がっているんじゃないかと思った」
「ぶー、面白がるとは極めて不穏当な表現だけれど、彼女に疑い? 興味ある
なあ。どういう脈絡でそうなるっす?」
「そりゃあ、音無さんは剣道部に所属して、第一発見者で、剣の達人だから」
 僕もはっきりと聞いた訳じゃない。だが、刑事の話の節々に、音無を疑る雰
囲気が織り込まれていると感じたのだ。なお、本来なら僕も疑われてしかるべ
き状況であるが、そうならなかったのは、アリバイがあったのが大きい。
 僕らのクラスは六限目まで授業があり、引き続いて十分足らずのホームルー
ムが行われたから、三時半から四時四十分までは僕も音無もアリバイがある。
ちなみに時間割は、一限目8:30〜9:30 二限目9:45〜10:45 
三限目11:00〜12:00 四限目13:00〜14:00 五限目14:
15〜15:15 六限目15:30〜16:30となっている。
 問題はここからだ。掃除当番の僕は、五時まで同じ班の面々と顔を突き合わ
せ、更に五時十五分頃まで、コンピュータ室に一ノ瀬を訪ね、雑談をした。
 一方、音無は当番でなく、部活もない日だったため、放課後は単独行動をし
ていた。本人の供述ではホームルーム終了後、学園長室横の展示スペースに行
き、刀がまだ戻らないことを確かめて帰途に就いたというが、証人はいない。
せめて刀の件で学園長と顔を合わせていればよかったのに。
 学校を四時五十分頃に出て、徒歩で最寄り駅に向かった音無だが、運悪く、
ここでも目撃者がいない。尤も、昨日の今日の出来事故、今後の調べで目撃者
が現れ、彼女のアリバイを証言してくれる期待は充分に残る。
 駅まであと二十メートルを切った五時五分過ぎ、携帯電話に万丈目先生を名
乗る人物から連絡が入り、学校に引き返す。そうして五時二十分頃、僕と音無
は通学路で鉢合わせした訳だ。
「おかしいね。心臓を一突きにできたからって剣の達人とは限らないのに。強
いてゆーと、医学の知識が必要じゃんぬ」
 説明を聞き終わった一ノ瀬が、腕組みをし、首を傾げる。
「そんな単純な理屈が通るなら、警察って楽だぁ。昨日云ってた辻斬り殺人だ
って、剣の達人の仕業にしちゃえばいいことになっちゃうよ。ぷんぷん」
「辻斬りかぁ。そうそう、肝心なことを忘れてた。部室で見つかった刀と血痕
に関してなんだ」
 相手の台詞に触発され、僕は重要な点を思い出した。警察から口止めされた
ので、他言無用、秘密厳守と前置きして説明を始める。
 竹刀の内側に付着した染みは、人血に間違いない上、一種類ではない模様と
のことだ。詳しい検査結果はまだだが、恐らくは万丈目先生以外の人間も、あ
の刀の餌食になったと推測される。
 そして……辻斬り殺人が起こり始めた時期と、刀の盗まれた時期とがちょう
ど符合する事実。盗難の方が先であったことは云うまでもない。辻斬り殺人被
害者の傷口との照合はこれからだが、もしかすると、同一犯であるかもしれな
い。
「推測が当たってたら、大事件に発展しかねないね」
 声を潜める一ノ瀬は、やはり楽しそうだ。
「繰り返すけど、今のは他言無用だぞ」
「ミーを信じなさい」
 いつも軽い調子の一ノ瀬だが、実は口が堅いことを、僕は知っている。喋る
なと頼まれれば、まずは口を割るまい。僕は念押しして安心を得ると、再び事
件の話に戻った。
「辻斬りと同一犯としたら、ますます音無さんは犯人であるはずがない。毎週
月曜に犯行を起こす暇は、あの人にはない」
「そうだろうねー。朝練が月曜にあるのかな。早くから竹刀を振っているのを、
ミーも見掛けたことあるよ。放課後は剣道部の活動に出て、夜は家の門限に間
に合うように帰る」
 よく知ってるじゃないか。まさか、学園のサーバーに不正アクセスして得た
情報じゃあるまいな。遠回しに訊ねると、一ノ瀬は「推測半分」と答えた。
「音無家って結構名門みたいだしねっ。剣豪と付き合う男の子は大変だよ、き
っと。あ、付き合うと云っても、竹刀で突き合うのとは違うからねっ」
「どっちも大変なのは間違いないな」
 僕が感想を述べると、一ノ瀬は腹を抱えて笑った。そんなに面白いことは云
ってないぞ。

 確かに噂は流れていた。
 朝方、一ノ瀬が僕に話したことの他には、万丈目先生が死んだってよ、それ
も殺されたらしい、といった程度。生徒間に好奇心を纏った動揺が広がってい
る。勿論、超然としている者も多かったけれども。
 もう一つ、音無の姿がなかった。担任教師の話では、昼から来るという。理
由は明らかにされなかったが、恐らく事件絡みに違いない。
「話を聞かせてもらいたい」
 一時間目と二時間目の合間、一組に僕を訪ねて来たのは、十文字龍太郎(じ
ゅうもんじりゅうたろう)という二年生だった。この人も校内有名人で、聞く
ところによると、パズルの天才として推薦枠合格を勝ち取ったそうだ。中学一
年からパズルの創作を始め、専門誌に投稿。掲載されること十数度に及ぶに至
って、才能を認められ、パズルの単行本を出す。その後、海外のパズル雑誌で
年間最優秀賞受賞を機に世界的にも知られる一方、数学ワールドゲームスにも
参加、日本チームの優勝に大いに貢献するとともに、個人戦でも歴代日本選手
最高位となる銀メダルを獲得。プロポーザーだけでなく、ソルバーの才能をも
垣間見せた。
「話って……昨日の体育館の、ですか」
 恐らくこれだろう、と当たりをつけて訊ねる僕。とぼけるという選択肢もあ
ったが、先輩相手に気が進まなかったのさ。
 果たして、先輩は気取った笑みを浮かべて頷いた。
「今は時間が足りないから、昼休みに頼めるかな」
「返事の前にお聞きしたいことが、いくつかあるんですが」
「何だろう」
「事件について聞いて、どうしようというんです?」
「解くべき謎がそこに見出せれば、解かねばならない。この僕が」
 パズルの天才は、謎があれば解かずにいられない質らしい。ついでに、探偵
願望も持っているのかも。まあ、どんな職業を望もうと人それぞれ、自由だ。
憲法も謳っている。
「僕の他にもう一人、現場に居合わせた生徒がいますが、そちらには……」
「剣道部の音無君のことを云っているね? 無論、聞く。今は姿が見えないよ
うだが、問題ない」
「事件の真相を突き止められたら、その後どうするつもりですか」
「解いた時点での最善の選択をする」
 犯人を警察に突き出すとは限らない訳か。僕の関知するところではないが、
生徒が犯人というケースもあり得る。適切な判断が求められよう。
「訊ねることはもうありません。説明はしますが、ご期待に添えるかどうか、
分かりませんよ。大して役立つ話はないと思います」
 警察に口止めされた事項については、云わないでおこうと心に決める。知り
合ったばかりの相手に、ぺらぺら話すことじゃない。
「持つ者は己の持つ物の真の意味を知り難い、と云う。君が気にすることでは
ないさ」
 そんな格言、あったっけか? 初めて耳にする。まあ、どうでもいいけど。
「話はどこでします?」
「こちらからまた出向くから、教室で待ってくれていればいい。それとも君は
学食に行くのかな」
「普段は教室ですが、学食に行った方が、食べながら話せていいかもしれませ
ん」
「なるほど。君がかまわないのなら、そうしよう」
 決まった。
 そうして昼休みを迎え、学生食堂に向かおうとすると、一ノ瀬が着いてきた。
「困ったな」
 理由を聞いても軽くあしらわれるだけと思い、構わずにいたが、代わりにつ
い、こぼしてしまった。案の定、彼女は弁当片手に好奇心丸出しで、「何が何
が」と返してくる。適当に答えておこう。
「いくら食堂が広いと云っても、弁当持ち込みの生徒が増えたら、さぞかしみ
んなに迷惑だろうな」
「苦労性だね! 食堂は食事する場所さっ。問題ナッシング、フェンシング!」
 何で僕が苦労性なんだ? 数秒間考え、恐らく心配性の誤りだと見当付けた。
 注意するいとまもなく、食堂に辿り着く。日頃と変わらない喧騒があった。
 学園の食堂は広大だ。全校生徒の半数が一度に座れると聞く。席と席、若し
くはテーブルとテーブルとの間が広く取ってあって通りやすく、隣のグループ
の会話が嫌でも耳に届くなんてことはない。さっき僕が一ノ瀬に、いかに適当
に答えたか、よく分かる現実がここに。
「ほら。空席が結構ある!」
 勝ち誇って胸を反らせる一ノ瀬。漫画なら、背景に“エッヘン”と大書する
ところだろう。
 僕は十文字先輩を探した。割と背の高い人だから、いればすぐ見つかるはず
だが……どうやらまだらしい。食堂内をぐるっと回っても、結果は同じ。
 しょうがない。二年生は二年生なりに忙しいに違いない。授業が延びたのか
もしれない。考えてみれば、こちらから先輩の教室に行き、待っていればよか
ったのだ(逆でも可)。
 思慮の浅さを悔やむとともに、十文字先輩がどうしてこんな簡単なことに気
付かなかったのか、疑問に思わないでもない。もしかすると、あの人もパズル
の天才というだけで、それ以外は欠点だらけなのかもしれない。
「みつるっち〜、ミーはあの席がいいな。位置がチャーミング。幾何学的に美
しいよっ」
 この一ノ瀬と同じように。
 とにもかくにも、僕らはその席に着き、先に弁当を開いて食べ始めた。すぐ
さま、一ノ瀬が小さめの声で事件の話題を口にする。
「あれから考えたんだけどさ〜。疑問点に順位を付けるとしたら、これが一番
かなっていうのが、犯人は何のために、竹刀の中に凶器を隠したんだろうね?
ってことなんだ」
「……あのさ、一ノ瀬。隣の家を訪ねるために市役所まで遠回りして来たよう
なその喋り方、何とかならないのかい」
「うん? ならないでもない。ミー的最大の疑問は、犯人が竹刀の中に凶器を
隠した理由である。これでいいっしょ?」
「じゃあ、頼むから、その調子で話してほしい。仮にも殺人事件だぞ。探偵ご
っこだけでも不謹慎だけど、どうしてもしたいのなら、真剣に取り組むべきだ」
「ふみぃ。凶器が刀だけに、真剣に取り組みまっしょ」
 それが巫山戯てるっての。
「で、みつるっちの見解を聞きたいな」
「見解って何の? ああ、さっき云った疑問点についてか。学園内で人を殺し
たはいいが、凶器の始末に困ったから竹刀に隠した。これでいいんじゃないか」
「ブッブー。あまりにもご無体な答。凶器は元々、校内にあった物だよ。それ
を盗んで一ヶ月足らず隠し仰せた犯人が、犯行後に竹刀の中なんてすぐ見つか
る場所を選んだのは、不可解の極みっしょ」
「極みは行き過ぎだと思うけど、確かに」
 犯人がどうしても音無の刀を凶器に使いたかったのなら、犯行直前に盗めば
事足りる。一ヶ月も前に盗む危険を冒す意味がない。
「そこでミーは考えた。犯人にとって盗むチャンスは、ひと月前の某日にしか
なかったのかもしれないね」
 自らを指差しながら、一ノ瀬が述べる。僕は頷かされた。
「なるほど。それが犯人を絞る条件になるか」
「だから、その十文字て人が名探偵なら、きっと盗難時の状況を詳しく調べて
いくねっ」
 一ノ瀬が食事に没頭しようとしたとき、小柄だが肩幅のある女子生徒がテー
ブルのそばまで近寄ってきて、「あなたが一年生の百田君ですか」と僕に声を
掛けてきた。お構いなしに食事を始めた一ノ瀬はおいといて、僕は相手を観察
した。丁寧な話し方だが、学年章で二年生と分かる。
「百田充は僕ですが、先輩は……?」
「私は二年の五代春季(ごだいはるき)。同じクラスの十文字君から言伝を頼
まれて、百田君に伝えに来たのよ」
「そいつは……どうも済みませんでした。十文字先輩、何か急用でもできたん
ですか?」
「話す前に――彼女は?」
 一ノ瀬に視線を向ける五代先輩。彼女のことならいいんですと云いたいとこ
ろだが、それで通るものでもなかろう。五代先輩からすれば、伝言を引き受け
た責任上、僕以外の者に聞かせたくないはず。
 と云って、一ノ瀬にどこかに行ってもらうのも、なかなか難しい予感がある。
仕方がない。
「それじゃあ、ちょっと外に」
 席を立ち、食堂の外、中庭に出る。人目ゼロという訳ではないが、広いから、
第三者に聞かれることはあるまい。
「単刀直入に云うと、十文字君は来られなくなったわ」
「そうなんですか。理由を伺っても……」
「そのために来たのだから、当然話すわ。何者かに襲われて、怪我を負ってし
まったのよ」
「えっ」
 息を飲む。校内でも怪我をすることはあるだろうが、何者かに襲われたとは、
穏やかでない。
「ひどい怪我なんですか? いつ、どんな状況で?」
 十文字先輩とは今日初めて言葉を交わしただけの関係とはいえ、前々からそ
の存在を知っていたこともあり、多少なりとも安否が気になる。
「聞いた話だと、さっきの休み時間、廊下を歩いていたとき、後ろから殴られ
たって。うなじに手刀を入れられたみたいだと云っていたわ」
 口ぶりから判断して、重傷ではないようだ。しかしそれだけのことで来られ
なくなるとは、気絶でもして、目覚めたあとも気分が優れないのだろうか。
「倒された際、足首を捻ってしまって、今、保健室で休んでいる。捻挫の可能
性が強いけれど、知らせを受けた家族の方が心配なさって、念のため、病院に
行くことになりそうよ。学校は今のところ、公にするつもりはないみたい」
 なるほど。一応は頷けた。何が起きたのかは飲み込めたが、何故起きたのか
がまだ分からない。
「どうして五代先輩は、そんなに詳しいんですか」
「副委員長だからよ。片足を引きずって教室に戻って来た十文字君を、保健室
まで連れて行った縁ね」
「それじゃあ、その場に居合わせて、十文字先輩を襲った犯人を見た訳じゃな
いんですね」
「探偵の真似事なんて、やめておくのが賢い道よ」
 事情を知っているらしい。五代先輩は忠言を吐いた。
「恐らく、十文字君は事件に首を突っ込もうとしたために、襲われたんでしょ
うから。彼、それでもやめないでしょうけどね。警察に任せておけばいいのに」
「僕は探偵志願ではありませんし、解決しようってつもりもありません。ただ、
自分が狙われるんじゃないかと心配で。第一発見者ですから」
「そうか、ごめんなさい。だけど、目立つ振る舞いは避けるべきよ」
「忠告に感謝します。ただ、十文字先輩が校内で襲われた事実って、重いです
よ。犯人は学園関係者の中にいることになる」
「目立たなくても、いつ襲われるか、気が気でないって? それなら、柔道を
習うのが確実だわ」
「はあ? 柔道、ですか」
「護身術に最適。私もやってるのよ」
 云われてみれば、これだけ肩幅があると強そうだ。注意してみると、指の何
本かには肌色のテーピングがしてあるし、膝の下すぐにも、ソックスで隠れて
はいるがテーピングだかサポーターだかがあるようだ。
「五代先輩って、もしかすると」
「何?」
「高校女子柔道で何十連勝かを重ねている、あの五代春季さんですか?」
「最初に名乗ったはず。記憶になかった?」
 やっと思い出した。この先輩は柔道界期待の星なのだ。一年生の途中で転入
してきたそうだけれど、それまでの柔道の実績で、転入試験のハードルを軽々
とクリアしたという。父親も警視庁所属の有名な選手だと記憶している。
「そ、そうじゃなくて……済みません、僕にとって四大スポーツは野球とサッ
カーとプロレスと相撲で、それ以外は云われれば思い出す程度だから」
「今日から五大スポーツにしてくれたら、柔道人として嬉しい」
 俯いて頭を掻く僕に、五代先輩は気に障った風はまるでなく、快活に云った。
「だから、君も柔道をやろっ」
 それは困る。困るというか、向いてないと思うのだ。食わず嫌いじゃなく、
実体験から物申す。僕だって男だから、格技の授業でね。
「自己防衛できなくてもかまわないの?」
「勿論かまわなくはありませんが、一日二日で身に付くものではないでしょ? 
悠長に習ういとまがない……。ボディガードを雇う方が効果的ではないかと」
「残念」
 男子部員を一人増やせなかったからといって、そんなに惜しいもの? 僕み
たいなのが入ってもしょうがないでしょうに。
 と思ったら、僕の解釈は間違っていた。
「時間があれば私がボディガードを引き受けるところだけれど、練習があって
駄目だなぁ」
「そ、そんなことはお願いしてませんよ。ええ」
「一人、推薦しようか。百田君と同じクラスかどうかは知らないけど、一年の
男子に打って付けのがいるわ」
「いえ、結構です。ほんと、ありがたい話ですけど」
 男に四六時中(?)べったり引っ付かれるのは、嬉しくない。それなら武器
の一つでも携帯しておく方が、手っ取り早くていい。
「話を戻しますが、十文字先輩に事件の説明をするっていうのは、どうなるん
でしょうね? 中止ですか」
「そこまでは聞いてない。足を運んであげれば、喜ぶだろうけれどね」
「見舞いに行けってことですか? 探偵には、事件の話が一番の良薬とかどう
とか云って……」
「さっきも云ったつもりだけど、私は反対。でも、百田君自身が考えて決める
ことよ。平穏無事な生活を送りたいのなら、どっちを取るべきか」
 平穏無事に過ごしたいのは山々、でも見舞いに行って事件の話をしようがし
まいが、僕が第一発見者の立場にいる限り、否応なしに巻き込まれる危険性充
分なんですけど……と云おうとしたが、堂々巡りになるのでやめる。
「今日一日、様子を見ることにします」
 当たり障りのない返事をしておいた。汚れを洗い流してシンクの内側はきれ
いになったが、排水孔の網には引っかかっているものがある。そんな感じ。
 五代先輩に礼を述べてその場で別れてから、僕は食堂に急いで引き返した。
 幸い、弁当は無事だった。一ノ瀬が思索に耽り、何かのきっかけで深く入り
込んでしまうと、周りが見えなくなる。他人の食事だろうが無意識に平らげる
ことだってあり得るのだ。
「遅かったねー。逢い引きにしては短いけどー」
 ひと欠片残っていたハンバーグを頬張る一ノ瀬。それから「あいびき、あい
びき」と唱うように云った。
「そういう単語を連呼するなよな。人聞きの悪い」
「ん? ミーはこのハンバーグになった合い挽き肉、美味しいなあって気持ち
を歌で表したんだよ」
 しれっとして、今度はお茶を口に運ぶ。やーい引っかかったと心の中で舌を
出して喜んでいるに違いあるまい。
「それで、あの柔道の人、何て?」
 一ノ瀬でも、五代先輩が柔道選手だと知っていたのか。
 それはさておき、僕はあったことを話して聞かせた。念のため、今度も他言
無用としておく。声が自然に小さくなる。
「十文字って人は、じゃあ、負傷退場だね。舞台に出て来たと思ったら、すぐ
に引っ込んじゃった。名探偵役じゃないのかにゃ〜?」
「またそうやってすぐ茶化す」
「何で十文字さん襲われたんだろうね?」
 こっちの台詞が耳に入っているのやら。
 ともかく、僕は自説を展開した。すると一ノ瀬の反応は「殺人犯の警告ぅ?」
と、意外そう。
「だとおかしいよお。犯人が真っ先に狙うのは、剣豪かヒャッキー。これこそ
ロジカルな行動」
 そうなのだ。五代先輩から話を聞いて僕が気になっていた点を、一ノ瀬は云
い表していた。
 殺人犯が警告を込めて十文字先輩を襲ったとすれば、どうして僕や音無より
も先に、先輩なのか。普通なら、第一発見者を口封じするもんじゃないか。話
し手ではなく聞き手を狙うのは、労多くして効果少なし。
「あっ。もしかして、十文字さんには事件解決の実績があるのかな。だとした
ら、十文字さんが乗り出したと知った犯人は先手を打ったのかもね、鴨葱鴨葱」
 一ノ瀬の見方は、なるほど、理屈が通る。
「そうであることを願うよ。僕の身は安全だ」
「でも、うーん、リアルじゃないんだよねっ、この考え方も」
「何故?」
「十文字さんの探偵力を畏れるくらいなら、学園内で殺人をしでかさなきゃい
いじゃん。外でやらかした方が、十文字さんに介入されにくいはずだよっ」
「それもそうか。そうだよな」
「元々、この殺人犯、不思議行動してるよ。ロッカーに死体隠して、何の意味
があるのさ。隠し場所としての有効期限は、保って一日」
「突発的、発作的な殺しと考えたらどうだろう? 遺体の始末に困って、やむ
を得ず、ロッカーに一時的に隠した」
「ブッブー。みつるっち、駄目。凶器の問題があるっすよ〜。校内に飾ってあ
った物を盗み出してるんだからねっ。辻斬り殺人をやる分には都合いいけど、
校内の殺人に使ったら駄目駄目」
「いや、それはつまり」
 僕は食事を急ぎながら、思考のための脳細胞を精一杯稼働させた。
「万丈目先生は何らかの理由で、辻斬り殺人犯の正体を掴んだ。それはこの学
園の関係者だった。自首を勧めるつもりで、警察に通報する前に、先生は犯人
と二人きりで対面した。犯人は、まさか自分の犯行が見抜かれたとは予想して
おらず、万丈目先生の追及に恐慌を来した。結果、犯人は咄嗟に先生を殺した。
凶器の小太刀は、辻斬り殺人に用いるため、肌身離さず持っていた……」
「いい線行ってるねっ。でも、やっぱり納得できないなあ。凶器を竹刀の中に
隠した行動に説明が付かない。持ち去ればいいっしょ」
 簡単に否定され、僕は首を傾げるしかなかった。それでも、苦しい理由付け
を捻り出す。
「万丈目先生に知られたんだから、辻斬り殺人を打止めにする潮時だと悟った
とか。だとしたら、凶器はもう用済み」
「手間暇かけて竹刀の中に隠した理由になってないにゃー。辻斬りに終止符を
打つのなら、そのまま現場に転がしておく方が、さっさと逃走できていいっし
ょ。死体を隠したのも同様だよっ」
 答を知っているかのような口ぶりだな。そうでないにしても、何らかの見当
を付けていてしかるべき態度だ。そう思った僕は、一ノ瀬に意見を求めた。
「ミーの意見? そりゃもう莫迦みたいに単純明快さっ。事実を云い当ててい
るかどうかは全然確信ないけれどね、これが一番すっきりすると思うんだ」
「云ってみてくれよ」
「ほんとーに、みつるっちはこれを思い付いてないのかな? 怪しいなあ。聞
いて、がっかりされたらやだな」
「がっかりなんかしないしない」
 大げさに首を横に振ったら、ついでに箸先から御飯ひとかたまりが落っこち
てしまった。昼休みの残り時間も少なくなってきたことだし、ここは食べなが
ら一ノ瀬の話を拝聴。
 だけど、一ノ瀬の見解は思いの外短かった。
「じゃ、ずばり――剣豪に疑いを向けさせる」
「は? 音無さんに濡れ衣を着せるってことか?」
 おかずを食べかけのまま、口を半開きにした僕を、一ノ瀬はにんまりして見
つめ返してきた。
「全ての状況は彼女に向いてるっしょ。現場は剣道部の部室、死体はロッカー
から、被害者は部の顧問、竹刀から出て来た凶器は剣豪の持ち物。そして電話
で呼び出し、第一発見者に仕立てた」
 僕は唸らされた。単純な見方だが、説明は付く。僕自身がこれに思い至らな
かったのは、音無は犯人でないと信じ切っていたこと、一ノ瀬が今朝、音無を
疑っていないと明言したことに影響されたようだ。
 さらに推理を発展させてもよかったのだが、熱中のあまり声が大きくなって
他人に聞かれてはまずいし、いい加減、食事に集中しないと、弁当を残したま
ま午後の授業を迎えてしまう。会話を中断し、今度こそ専心。
「剣豪に何らかの形で恨みを持ち、彼女の携帯電話の番号を知ってて、なおか
つ刀の盗難時にアリバイのない、七日市学園関係者。これで犯人像をかなり絞
り込めるねっ。解決も近い!」
 一ノ瀬は勝手に喋ってる。
「でもさあ、犯人が本当に辻斬りの犯人でもあるなら、恨みを持つ相手に罪を
被せるっていうのは、凄く変かもー。すぱっと斬り捨ててしまえば片付くのに。
剣豪を辻斬るのは難しくて、あきらめたのかなあ」
 物騒なことを云う天才である。“辻斬る”って勝手に動詞にしてるし。
「もしかすると、剣豪に濡れ衣を着せて、冤罪の罠に陥れる狙いかな。死ぬよ
り辛い生き地獄を味あわせてやる!ってか」
 味わわせる、だ。そう注意したかったのだが、口の中が一杯で言えなかった。
「けど、それなら見ず知らずの人間をやたらめったら殺さなくても、一人か二
人で充分足りるのに。あ、いいこと思い付いちゃった。もしミーが殺人をする
としたら、ロジックで辿られないように、わざと変な行動を取ろうっと」
 普段から変な行動を取ることの多い一ノ瀬の、またもや物騒な発言に、口中
の物を噴きそうになる。どうにかとどめ、弁当箱を空にし、お茶を飲み干した。
「食べ終わった? じゃあ、戻るかぁ。あーあ、当初の目的は達せられなかっ
たけど、まずまず楽しかった」
 立ち上がり、組んだ両手を天井に突き上げて伸びをする一ノ瀬。当初の目的
とは、僕と十文字先輩の会話を聞くことだろうな、恐らく。
 僕は彼女に、他言無用であることを重ねて念押しし、教室に向かった。

――続く





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●連載」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE