#207/1165 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/02/19 23:24 (262)
そりゃないぜ!の恋2 寺嶋公香
★内容
僕は抜け殻のようになっていた、と思う。
いつ家にたどり着いたのか、いつの間に着替えたのか、晩飯が何だったのか、
テレビ番組は面白かったのか……さっぱり覚えてない。気が付くと、自分の部
屋で、大の字でうつ伏せになっていた。
絨毯に頬ずりするような格好で、目を開けたまま、ぼんやり思い出す……。
「何やて?」
三井さんが結婚するのだと聞かされた直後、僕は聞き返した。転校初日、無
意識の内に関西弁が出たのは、このときが初めてだった。
剣持は人差し指を立てて唇に重ね、「しっ」と言うと、三井さんの方を僕の
肩越しに見通す。つられて、僕もちょっと振り向いた。
三井さんは窓の外に意識を向けているようだった。と、そのときちょうど、
彼女の表情に変化が。
……これは何なんだ? 今日一日、三井さんのそばにいたつもりだが、こん
な表情、見せなかった。見せてくれなかった。
極上の笑顔だ。
全身から嬉しさを発散させながら、三井さんは鞄を手に取るや、一目散に教
室を駆け出していった。
待ちぼうけを食らっていた子犬が、飼い主の姿を見た途端に元気になる、そ
んなことを想起させる。
「な。見たろ?」
剣持が微苦笑を交え、僕に気の毒そうな目を向ける。続いて蓮沼さんが、さ
らりとした調子で加える。
「お迎えが来たのよ。だから三井さん、あんなに喜んで飛んでいったのよ」
「お迎え?」
僕がおうむ返しすると、解説者は再び剣持になった。
「ああ。さっき言った、三井さんの婚約者が来たんだ。ほぼ毎日、送り迎えし
ているんだぜ」
「車……って、つまり、そのこにゃくしゃ」
婚約者と言おうとして、舌がもつれた。でも、言い直さなかった。
「大人なのか」
「そりゃそうよ」
蓮沼さんの声が、何だか小馬鹿にしたように響いたが、これは気のせいだっ
たろう。僕の被害妄想だ。
「由良なんとかさんと言って、工学博士で、いくつか特許を取ってて、結構お
金持ちみたい。会社からも引く手あまたで、有望株よ」
「三井さんのお父さんの教え子なんだとさ。そのつながりで――」
「教え子? 三井さんのお父さんて、先生なのか」
衝撃の話を聞いてからだいぶ経ち、僕はようやく思考が回り始めていた。ひ
ょっとしたら、この期に及んで、三井さんのことを知りたいという気持ちが、
けなげにも働いたのかもしれない。
「大学教授よ」
蓮沼さんが教えてくれた。
「私も何度か見たことあるんだけれど、渋くて、物静かな雰囲気の紳士ってイ
メージ。髪の毛がロマンスグレーがかっていて、男なら、ああいう風に歳を取
るのが理想だろうねってところ。岡本君も剣持君も、参考にしたらいいわよ」
「へいへい」
剣持が呆れたように受け答えしていた。こちとら黙り込み、人の気も知らな
いでお気楽なことを……と内心むかむか。
それからすぐ下校し、ショックを抱え込んだまま、帰宅したという次第。
疲れたな。だいぶ、平常心を取り戻せたみたいだけど、神経が疲れ切ってる。
たった半日の間に、とてつもない落差を味わったのだから、当然だよなと納得。
観覧車に乗って、ゆったりと気持ちよく上昇し、てっぺんに着いた途端、一気
に突き落とされた感じと来たら、ジェットコースターかフリーフォール、はた
またバンジージャンプか……どうだっていいけどさ。
「女は結婚できるんだよな。高一でも。できるんだよな」
独り言を繰り返したあと、身体を裏返して仰向けになり、ため息をついた。
と、突然、ドアが開く。
「お兄ちゃん」
普通に喋っているのに、ばかでかい声の主は、我が妹の泉。小学……三年生
だよな、確か。
「泉。入る前にはノックせえと、何度言ったら分かるんや」
僕は、胸に手を当てながら起き上がった。驚きのあまりどきどきと激しい鼓
動を、妹に感づかれやしないかと、変に気になる。いや、心音よりも、さっき
の独り言の方を聞かれたとしたら、説明しにくい。
泉はそんな兄の懸念などつゆ知らず、つかつかと目の前までやってくると、
こっちをびしっと指差した。
「そんなことよりも、お兄ちゃん、学校でいじめられたの?」
「はあ?」
「帰ってきてから、ずーっと目がうつろだったし、何を聞いても生返事ばっか
り。お父さんもお母さんも、ちょっと心配してたよ」
“生返事”とは、この年頃にしては泉のやつ、難しい言葉を知っているなと
感心してから、僕は頭を振った。
「誰がいじめられとるって? そんなことないない」
「本当? いじめられたと思いたくなくて、無理矢理、自分はうまく行ってい
ると信じ込もうとしてたりして」
「おまえね、今の内からそういう複雑な考え方をするんは、やめておけ。精神
年齢、早く老け込むぞ」
「でも、気になるんだもの。兄がいじめられっ子という立場に置かれちゃあ、
私だって、立つ瀬なくなる」
「けったいな心配、せんでいいっての。帰って来て元気がないように見えたと
してもだ、それには別の理由があるんや」
言ってしまってから、口を押さえる僕。これは余計なことまで喋ったなと後
悔した。
「何なに? 別の理由って? 聞きたい」
ほら来た。お下げを左右に揺らしながら、泉が顔を寄せてくる。僕はその両
脇に手を入れ、持ち上げるようにして押し戻した。こうしないと、つばきのシ
ャワーになりかねない。
「子供には関係あらへん。僕も子供だが、おまえよりは大人だからな」
先手を打って釘を刺すと、泉は困った風に黙り込んだ。その口が、波形にな
っている。ちょうど、「〜」こんな感じだ。
「他人のことを気にする余裕があるのなら、泉はさぞかし順調にスタートを切
ったんだろうな」
「それはもう、順風満帆よ」
笑顔に戻り、胸を張る泉。妹は元々、僕ほどは関西弁口調を使わないが、こ
っちに来てから、磨きが掛かったように思う。きっと、意識してセーブしてい
るに違いない。
「早速、クラスのボスキャラ、じゃなくて、リーダー格に接近して、取り入っ
たわ。懐柔成功」
難しい言葉を知っているのは悪くないが、意味を分かって使っているのだろ
うか。リーダーに対して懐柔成功ということは、つまり泉自身がリーダーにな
ったのか? いくら何でも変だ。
その点を問い質すと、泉はあっけらかんとして応じた。
「私がオンリーワンのトップとは言わないけれども、リーダーの神原さんとは
ツーカーの仲になったよ」
「……女上位か」
「そうそう。神原さん、私達の中では頭一つ背が高いのよ。それで運動神経が
よくて、私と互角」
なるほど。初日から体育の授業があったんだな。それならまあ分かる。何は
ともあれ、泉の方は順調そうで、よかったよかった……。
「あとねえ、割と格好いい男子が多いんだよ。やっぱり、こっちは洗練されて
るのかなあ」
聞く気を段々失っていた僕は、適当に相槌を打った。泉は知ってか知らずか、
嬉々として話を続ける。
「同じクラスだけでも、五人はいい感じのがいる。特に目に着いたのがね、え
っと、三井君と由良君」
「ふんふん」
そういえば宿題をやらなくてはと起き上がり、机に向かいかけた僕の足が、
ぴたりと止まる。首から上だけ、妹へと振り返った。
「三井に由良、だって?」
「何よ。お兄ちゃん、急に怒ったみたいな声を出して、変なの」
これから空手の試合を始めるみたいに、腰を落として身構える泉。僕は完全
に向き直ると、短絡思考に走った。
「――その二人、兄貴や姉貴がいると言ってなかったか?」
「ええー? そんなことまで、話せてないよ。今日会ったばかりで、男子と親
しくなれるはずないでしょ。はしたない。そのぐらい、分かって欲しいわ」
泉はかわいくない形に顔をしかめ、軽蔑の眼差しを作る。どこで覚えてくる
んだ、こんな仕種。
「だったら、明日聞き出せ。命令だ」
「うーん。これ次第ね」
右手の親指と人差し指で円を作った泉。我が妹の将来を思うと、頼もしさと
不安を同時に覚える。
「他のことはないんか。宿題を見て欲しいとか、おやつがおまえの好物だった
ときは俺の分を全部そっちにやるとか」
しかめっ面になりながらも水を向ける。泉は鼻で笑うような仕種を見せた。
「がきじゃあるまいし」
お子さまは言った。
「お金が一番便利なのよ。たいていのことに代用がきくから。今の私なら、愛
は買えなくても問題ないしぃ」
よくないテレビ番組を見ているに違いない。両親に言って、やめさせよう。
何故、僕が直接注意しないのかというと……泉の要求に応じる決意を固めた
からだ。
「なんぼ欲しいのか言ってみ」
こういう場合、こちらから額を提示すると、間違いなく、その一割分ほどを
吊り上げられる。相手に言わせるのが賢明だ。高けりゃ値下げ交渉となる。
「千円でいいよ。それだけあれば、前から欲しかったおもちゃが買える」
おまえ、指で硬貨の形を作っておいて、札を要求するのか。不条理に首を傾
げつつも、僕は学生ズボンのポケットに手を伸ばした。
財布を取り出すと、泉の目尻が下がった。
転校二日目。学校に着いてから、僕はあっと思った。
何も泉に金を払って頼まなくても、僕自身がクラスメートから聞き出せば済
む話じゃないか。そりゃあ、三井さんに直接聞くことはちょっと難しいが、剣
持達なら知っているだろう。いくら昨日はショックが大きかったからと言って
も、迂闊にすぎる。
千円の損を大きな歯ぎしりで噛みしめ、着席。幸いと言うのもおかしいけれ
ど、三井さんはまだ来ていないようだ。
さてここで誰かを掴まえて、聞き出すべきかどうか、しばらく迷う。それと
なくクラスを見回した。
三井さんに弟がいるかどうかを知ること自体は、それほど大事なのではない。
由良某に弟がいるかどうかも、似たようなものだ。由良某なる男がどんな奴か、
これに尽きる。
「ちょっとは慣れたかい、岡本君?」
唐突なその声の主は蓮沼さん。昨日最後の一件がなかったなら、転校二日目
にして他の女子と親しく会話を交わすのは避けるところなのだが、今は宙ぶら
りんの状態なので、別にいい。三井さんに見られても。
「なれへんなあ。東京人になるんは難しいわ。まだ七割ぐらいは関西人かなあ」
「それ、『なれ』違い」
おっ。ちゃんと突っ込んでくれた。案外、乗りがいいね。現在の僕には、こ
んな些細な反応が優しく感じられる。僕はいい機会だと判断して、蓮沼さんに
聞くことにした。
「ところで。三井さんが来ない内に聞いときたいことあるんだけど」
「ああ。結婚の?」
当たらずとも遠からず。ここで否定するのもどうかと考え、成り行き任せで、
「うん。クラスで結婚祝いとかしたのかなと思って」などと言ってみる。
「それなら計画進行中よ。何なに、カンパしてくれる? 転校生なのに友情に
厚いわねえ」
「もちろん、喜んで」
胸の内では舌打ちとともに首を振る。「喜んで」は嘘だぜ、僕。
ともあれ、自分にとっての本題につなごう。
「ついでに教えて欲しいんだけれど、三井さんに弟、いる? 小学生の。うち
のちびが名前出しててたんだ。同じクラスになったらしくて」
「いるいる。すっごくこましゃくれて、きかん坊って感じのが。えっと、名前
は……三井……三井弟で覚えちゃったからなあ……」
天井を見上げて考える様子の蓮沼さん。あの、下の名前は別に教えてくれな
くてもいいんだけど。
と、そのとき、背中の方から三井さんの声がした。
「弟の名前なら、広海よ」
「あ、そうそう」
手を打ち、彼女を指差す蓮沼さん。僕は胸に手を当て、気を落ち着けてから
振り返った。
「おはよう、三井さん」
よかった。普段通りの声を出せたことに、我ながら感心したよ。
「おはよう、岡本君。早く慣れてね。分からないことがあったら、私にでも誰
にでも聞いて」
「ありがとう」
今朝も婚約者の車に送られての登校だったのかな。そんなことをぼんやり想
像した。
すると、三井さんが学生鞄を胸に抱いたまま、身体を折って僕の顔を不思議
そうに覗き込んできた。
「ど、どうかした?」
赤面しないようにと意識したが、少しはしただろう。
三井さんは顔を引っ込め、席に着いてから答えた。
「うん。岡本君、昨日に比べたら何だか喋り方が丁寧になった気がする」
「そうかなあ? まだ慣れてないからやな、きっと」
声のボリュームを若干上げ、さらに関西弁を挟むことでごまかす。
「ふうん。それで、どうして私に弟がいると分かったの?」
訳を話そうとした僕だが、蓮沼さんの方が早かった。ぺらぺらぺらと小気味
よい調子で一気に喋る。
説明が終わるや、三井さんは両手のひらを合わせ、凄い凄いと呟いた。
「兄弟姉妹(きょうだい)揃って同じクラスになるなんて、凄い奇偶だね。何
か縁があるのかもしれないよ」
昨日、結婚の事実を知らない内にこの台詞を聞けていたら、また舞い上がっ
ていたに違いない。今ですら、嬉しいのだから。
どうしてこんな思わせぶりなことを口にするのか。婚約者がいるくせに。罪
ってもんじゃあ、ないのかい?
「楽しそうだね」
僕の言葉はよほど唐突に聞こえたのか、傍らにいた蓮沼さんが怪訝そうに眉
を寄せた。
でも、三井さんは。
「うん。楽しい。ここのところ、毎日楽しい!」
なんて、元気よく答えるんだもんな。楽しそうと言う以上に、幸せそうに。
泉のクラスメートの由良某が、三井さんの婚約者と関係あるのかないのかは、
なかなか判明しなかった。三井さんが登校してくる前に蓮沼さんから聞き出す
べきだったのに、チャンスを逸してしまった格好だ。
時間を無駄にずるずると消化して、はや昼休み。三井さんの隣でランチと行
きたいのは山々だが、ここは涙を呑んで席を離れる。快晴の空の下、外で剣持
達男子三人とでだべりながらの昼飯を選んだ。僕の狙いが、由良について剣持
らから聞き出すことにあるのは、断るまでもない。
前にいた学校での話、Y新喜劇のこと、大阪にあふれるばかでかい看板の謎
等々について喋っていると、時間はどんどん過ぎた。そろそろどうにかせねば
と話題転換を窺う。
「新喜劇に出てる女で、YO以外にかわいいのっていないよなあ」
「そりゃおまえ、笑いを取るのに綺麗所ばっか揃えても仕方ないぜ。ていうか、
無意味の極地って感じ」
ちょうどいい具合だ。僕は昨日の挨拶で使った「こっちの方がかわいい子が
多い」を再び持ち出した。そうして。
「クラスで一番かわいいの、誰だと思う? こっちと向こうとで見る目が同じ
かどうか、確かめときたいんやけど」
「変な心配する奴だなあ」
剣持が口の中をもぞもぞさせながら言った。歯にさっき食べたカツの切れ端
でも挟まったか。
「でもまあ、一番かわいい・きれいとなると、やっぱ、三井さんだろ」
「ああ。人妻になっちまうけどな。惜しい」
あとの二人がうまい具合に展開してくれた。由良の名前を出すとしたら、こ
こだ。
「あ、自分も聞いた。びっくりしたなあ。相手、由良とかいう工学博士だっけ」
「そうそう。大学院にいる間に、特許ものの発明をしたんだとさ。それが三井
さんの親父さんの目に留まって、いつの間にやらまとまった……と聞いてる」
納得できん。結婚に至る過程が不明瞭じゃないか。
が、今、そのことをどうこう騒いだってしょうがない。僕は妹のクラスに由
良という奴がいることを話した。
一番に反応したのは剣持。
「あ、それ、確か婚約者の甥だ。三井さんが言ってたのを、たまたま聞いた記
憶がある。そういうのも縁になったんじゃないか」
「なんだ。そうだったのかあ」
昨晩からの疑問に答を得て、僕は少しすっきりした。
と同時に、よからぬ(そう、自覚はあるのだ)考えが頭をかすめる。泉を使
ってその甥っ子から由良の欠点を聞き出させ、三井さんに結婚をあきらめさせ
る、という……。
――続く