#36/1165 ●連載
★タイトル (AZA ) 02/05/31 23:05 (499)
かわらない想い 19 寺嶋公香
★内容
四月に入って、公子は新しく制服やかばん、靴に体操服等をもらった。
「こっちはブレザーなのよね」
制服を掛けたハンガーを手にしていると、うきうきしてくる。
「あ、そうだ」
ハンガーを戻す公子。その手はそのまま、別のハンガーを選び出した。下が
っているのは緑のリボンのセーラー服。前の高校での制服。
「確か、入れっぱなしだっけ」
胸ポケットに手を入れ、彼女が取り出したのは、深草色の表紙をした生徒手
帳。これも前の高校の物。
公子は手帳を一ページ、めくった。表紙裏、透明なビニールに挟んであるの
は一葉の写真。
「だいぶ傷んじゃった」
そっと取り出し、手のひらに乗せる。角が少しほころんでいるそれには、秋
山が写っていた。天文館の建物を背景に、レンズの方を振り向いた秋山の上半
身が収められている。
中学二年のいつだったか、みんなで遊びに行ったとき、父親から借りて用意
したカメラで撮った物。もちろん、他にも色々と撮って、できあがった写真を
みんなに渡したけれど、誰にも内緒でこの一枚、焼き増しした。
「今度は、こっちに入っててね」
独り言を口にしながら、公子は写真を真新しい生徒手帳の表紙裏に挟んだ。
大事な宝物でも取り扱うかのように、そうっと。
そのあとで、ふと気づいた。
(今度の生徒手帳、たくさん、書き込むところがあるのね)
余計なと言っては語弊があるかもしれないが、前の高校のにはなかった付録
が新しい生徒手帳にはあった。スケジュール表やアドレス欄はともかく、身だ
しなみのチェック項目一覧、宿題の覚え書き欄、春、夏、冬休みといった長期
休暇用の一日の予定表等、まるで小学生扱いしている。持ち主自身のことを記
載する欄についても、身長・体重やら血液型、果ては座右の銘でも書かせるつ
もりらしい、四角い枠が取ってあった。
(学区内では名門校だもんね。校則はそんなに厳しくないけれど、こっちの方
はうるさい感じ。でも、まあ、最初が肝心だから)
公子は面白半分のつもりで、書き込みを始めた。書き込むのは生徒手帳の背
に備え付けの細い鉛筆。これも、前の高校の手帳にはなかった。
記入が済んで、青革の生徒手帳をブレザーの胸ポケットに滑り込ませると、
試着に取りかかった。
(買うときに着たんだから、合うのは分かっているけど、やっぱりね)
着終わって、姿見の前に立つ。最初、真正面を向いていたのが、右に左と向
きを換え、次に肩越しに自分の後ろ姿をチェック。最後に一回り。ふわりと、
わずかにスカートの裾が持ち上がる。
「髪、短くしようかな」
声に出しながら、手で髪を隠してみる。今の公子は、ロングヘアを朱色のゴ
ムバンドでまとめて、お下げにしている。
(昔みたいにボブカットぐらいにした方が似合うかな、こっちの服には。そう
なってくると、髪留め、いいのがほしくなるのよね)
新しい学校生活に向けて、今の公子は、ほんの小さなことでも心が弾んで仕
方がなかった。
(秋山君と同じ学校に戻って来られたんだ)
朝、いくらか緊張しながら、新しい制服に身を包ませマンションを出た公子
を、秋山が待っていた。
「ど、どうしたの?」
うれしさよりも先に、驚きが立ってしまう。
(カナちゃんのところへ、迎えに行かないの? 家が遠いから? 学校が違う
から? ――私のところに来るのは何故?)
「秋山君の家、昔と変わっていないんでしょう? だったら、遠回りになるん
じゃあ……」
「遠回りは遠回りだけど、そんなに変わらないよ」
微笑む秋山。
公子は、二年前に戻ったような錯覚を感じてしまう。
「住所を聞いて、ちょっとびっくりしたんだ。公子ちゃんのマンション、結構、
近いんだなって」
確かに、距離で言えば、中学のとき公子が暮らしていた家よりも、現在のマ
ンションの方が、秋山の家に近い。
「それにしたって、わざわざ待たなくても……」
歩き始めながら、公子は申し訳なさでいっぱいになった。
「迷惑?」
「ううん。そんなことない」
強く頭を振る。
「でも、待ってもらうの、悪いわ。部屋に来てくれたら、私、急いだのに」
「何階の何号室かまでは聞いてなかったからね」
そうだっけと頭に手をやり、公子は部屋を教えた。
「七階、いいな。眺めがいいんじゃない?」
後方に建つマンションを振り返った秋山。
「それはもちろん。初めて部屋に入ったときなんか、ベランダから外の景色を
見るだけで楽しくなっちゃった。あ、そっか! 秋山君、飛行機、今でも好き
なのよね?」
「そうだよ。二年前から変わりなく、ずっと子供っぽいままなもんで」
「うふふ、それでいいよね」
「そういう反応で助かったよ」
大げさに息をつく秋山。
「前に話したときから、二年、いやほとんど三年経つことになるから、不安だ
ったんだ、実のところ」
「外見だったら、秋山君、中学生のときの学生服と比べると、だいぶ大人っぽ
くなった感じ」
「見た目はおじんになったって? はは、この制服のせいだ」
軽く襟もとを引っ張った秋山。それから視線を公子に向けた。
「公子ちゃんこそ、制服、似合ってるね」
「そ、そうかな?」
ちょっと照れてしまう。結局、髪はまだ切らずに、お下げのままにしている。
それで似合ってると言ってもらえるんじゃあ、なかなか切れなくなるかもしれ
ない。
(秋山君は、いつも髪を切れなくするのね)
そんな思いを抱きつつ、公子は右のお下げに触れた。
「似合ってるって。少なくとも、野沢さんよりはぴったり来てるよ。って、こ
れは、野沢さんがいないからこそ、言えるんだけど」
「あら。二人並んだとき、どう言うのかしらね」
少し意地悪心を起こして尋ねる公子に、秋山は薄く笑って切り返す。
「それは困るなあ。とりあえず、さっきの言葉は、野沢さんには内緒にしとい
てよ」
「どうしようかな? ――気分がいいから、そうしときましょ」
ひとしきり、笑いが起こる。
それから、秋山がふと思い出したように、つぶやいた。
「このまま行けば、うまく合流できるな」
「何のこと?」
「道順、思い浮かべたら、すぐ分かるはずだよ」
「えっと」
頭の中で浮かべてみる。高校に行くには……。
「ああっ! 何だ、ユカの家からも、同じ道を通るのね? だから、合流って」
「正解。当然だけど、頼井もね」
おかしそうに笑う秋山。きっと、口喧嘩している二人を想像したのだろう。
それからものの二分も歩かない内に、交差点を迎えた。そう、悠香達二人が
出て来て、合流する地点になるはずの。
「おはよう!」
公子が見つけるよりも先に、悠香の元気のいい声が耳に届いた。
そちらを見れば、手を大きく振って、坂道をかけてくる悠香の姿が目に入っ
た。その後ろ、幾分しんどそうに、頼井がついて来ている。
「今日はもめてないみたいだね」
「ほんと」
顔をこちらに向けた秋山に、公子は笑顔でうなずいた。そうして、こちらか
らも悠香達に向かって手を振る。
「おはようっ!」
校門を通り抜け、校舎へと続く道をしばらく行く。まだ桜が残っていて、花
びらが目の前を右上から左下へ、ちらちらと流れて行く。
校舎の手前に、大きな木製の掲示板が三枚並んでいた。その前に人だかりし
ているのは、新学年のクラス名簿が張り出してあるから。まだ始業式には早い
はずなのに、相当の混雑ぶりだ。
「同じクラスだといいね」
掲示を見る前に、悠香が公子に言った。
「うん」
「今年こそ、ユカといっしょになりませんように」
公子の後ろにいた頼井が、手を合わせて拝んでいる。
「あんたには言っとらん!」
「じゃ、じゃあ、ユカと頼井君、去年も同じクラスだったの?」
頼井を怒鳴りつけた悠香の迫力に、公子はたじろぎながらも、声をかけた。
「そうよ。ついでに言うと、中三のときもいっしょだったの。ったく、洒落に
もなんない」
「ほんと、腐れ縁ね。全部で何クラスあるの?」
「八クラス。確率、そんなに高くないはずだけどな」
肩をすくめる悠香。
(八クラスか。秋山君といっしょになれたらって期待してたんだけど、八分の
一じゃあ、望み薄よね)
秋山を見やる公子。
その秋山は、すいすいと人混みを縫って、掲示板の前へと進んでいる。彼の
あとに、公子ら三人も続いた。
「っと……俺、四組だわ」
割と背の高い頼井が、自分の名前を真っ先に見つけた。それでもまだ、何か
探している様子。
「げ。やっぱり」
あきらめたように、頼井がこぼした。
「どうした?」
秋山が振り返って、頼井を見やる。
「まただよ。ユカといっしょのクラスになっちまった」
「何?」
少し低い位置で、うめくような声を上げたのは悠香。背伸びして、四組の名
簿を食い入るように見つめる。
「あちゃあ、本当だわ。どういう基準でクラス分けしてるか知らないけど、陰
謀を感じる」
「俺も」
頼井が言うと、あんたに言われたくないとばかり、悠香は頼井の脇腹に肘打
ちした。
「あーん、見えないっ」
公子はなかなか確かめられずにいた。目の高さが原因ではない。むしろ、視
力が悪くなっているのかもしれないなと、嫌でも自覚してしまう。
(もっと近づかなくちゃ)
そう思って、前のいる人達の間に身体を滑り込ませようとしたとき、ふっと
肩をつかまえられた。
「あったよ」
秋山が、掲示板の一点を指さしていた。
「どこ?」
「三組の最初の方」
最初の方ということは、男女の別なしに五十音順に並んでいるらしい。公子
は目を凝らした。
あった。最初から数えて確かに三番目。朝倉公子、と。
「公子は三組かあ」
残念がる悠香。
「でもまあ、体育は二クラス合同でやるから、多分、いっしょだよ」
「うん。忘れ物したときはよろしくね」
「お互い様」
ふふっと笑ってから、公子は秋山の方を見た。
「秋山君は何組?」
「あ、ひどいな。ちゃんと見てほしかった」
「え? どういう……」
公子がお下げを揺らして首を傾げると、秋山は再び、小さく指さした。
「公子ちゃんの名前のすぐ上」
その言葉を耳にして、公子はどきっとした。
「じゃあ――」
もう一度、目を凝らす。
自分の名前を見つけ、その上に視線を移した。
「あ、本当……」
秋山広毅とあった。
「よかった。いっしょのクラスになれて」
秋山が微笑みかけてくる。
「知っている人間が一人でもいた方が、心強いでしょ? ほら、公子ちゃん、
昔から人見知りする方だったから」
「うん。思い切り、頼りにさせてね!」
うれしくてたまらない。公子は大げさにお辞儀した。
玄関、下駄箱、廊下、階段、また廊下。ここまでは四人いっしょ。三組の前
に来て、二人ずつに分かれた。
「とりあえず、出席順か」
先に教室へ入った秋山がつぶやく。
出席簿の順番に従い、右端の前から着席するようにと、黒板に書いてある。
その上、ご丁寧にも席順を示した表まであった。格子状の枠一つ一つに、名字
で各自の席が記されている。
表を見なくても、右端の列の前から二番目が秋山の席、公子はそのすぐ後ろ
だと、すぐ分かる。
机の列は六。各列七脚だから、一クラス四十二人の計算になる。
他には、「始業式は九時から体育館で 五分前には移動完了のこと」と赤い
チョークで記してあった。
「同じ中学だった奴は……他に二人か」
黒板の座席表を見ている秋山。
「坂口と若菜だけど、公子ちゃんは知らないんだっけ?」
「男子? だったら、ほとんど知らないから」
新学年のクラス。その独特の雰囲気に、転校生の身ということも併せて、公
子は伏し目がちになってしまう。
(うらやましいな。秋山君のことだから、中学が違う子でも、たくさん友達に
なってるんだろうね)
その証拠に、公子が秋山に話しかけようとしたら、それよりも早く、彼の横
に男子が二人、集まった。
「秋山、また同じクラスになれたな」
「室田かあ。たまには自分で宿題しろよ」
「ひっでえ」
室田という名前らしい男子は、にきび跡が目立つ顔で、快活に笑った。縦に
も横にも、なかなか大きな身体をしている。
「俺、やっぱり端っこだぜ」
もう一人の男子が、愚痴をこぼす。
「だろうな。わ行の若菜クン」
すぐに応じる秋山。
(あ、この人がさっき言ってた、若菜君なんだ。うーん、やっぱり、見た覚え
ないよー)
「いいことじゃないか。少なくとも一学期の初めは、一番後ろの席が確定して
るようなもんだ」
室田は本気でうらやましがっているみたいだ。
「それはそうだけど、今度のあの席、ちょっとな。女子包囲網が」
若菜の言葉に、秋山と室田は黒板の座席表を確認した。
「なるほどね。前が横部さん、右斜め前が本庄さん、右が松崎さんか。見事に、
離れ小島ってわけだ」
秋山達は、冷やかすように笑った。
(うわぁ、女子の名前まで覚えているんだ)
ちょっと気になる公子。ちょうど反対側の、若菜の席の付近を振り返ってみ
た。さっき名前が出た女子なのだろう。めがねの子と、ぽちゃっとした子と、
三つ編みの子が、かしましくお喋りに興じていた。にぎやかすぎて、内容まで
は聞き取れない。
身体の向きを戻して、ぽつねんとしてしまう公子。まだ秋山達は喋っている。
(秋山くーん……と、こんなことまで頼っちゃだめだ。私も話せばいいのよ。
誰でもいいから)
と、強く意識したものの、公子は周りの席を見て、ためらってしまった。公
子の席の左隣は、まだ来ていない。来ているのかもしれないが、着席はしてい
ない。後ろを見れば、男子がちょうど来たところ。斜め後ろも斜め前も、男子
だ。せめて女子でないと、話しかける勇気は出ない。
(私もひょっとして、周りは男子ばかり? もしそうだったら、秋山君だけが
頼りよ!)
内心、叫びながら、秋山の背中を見つめる。
「えーっと、朝倉、さん?」
不意に後ろから呼ばれ、びくっとした公子。その驚きがはっきり表に出てし
まい、一層、恥ずかしくなる。
「はっはい」
小さな声でどもりながら返事し、ゆっくり振り返った。
先ほど来たばかりの男子が、いくらかきょとんとしたような表情をしていた。
(えーっと、この人の名前……)
振り返ってから、黒板の座席表で名前を見ておけばよかったと後悔した公子。
「あー、いきなり呼んでごめん。そんなにびっくりするとは思わなくて」
多少かすれ気味の声だが、丁寧な口振りだった。
「い、いえ」
「朝倉さんて、多分、初めて見る名前だと思うんだけど、転校してきたとか?」
「そう、そう」
必要もないのに、二度、返事してしまった。顔もうつ向き気味になっていく。
「あ、飯田」
前で声がした。
(秋山君! 私、まだ話せないみたいっ)
大げさでなく、公子には、秋山が気づいてくれたのが、天の助けに思えた。
「公子ちゃんは人見知りする方だから、あんまり恐がらせるなよ」
「恐がらせるつもりなんてないけどな」
飯田という男子は、おどけたように笑った。
「ただ、一年のとき、同学年の女子全員を記憶したつもりの自分としては、知
らない子がいると、つい気になっちゃうわけ」
「それはよくない趣味だ、飯田クン」
秋山はつっと立ち上がると、公子の前を通り過ぎ、飯田の机に片手をついた。
「軽音はよほどもてるらしいねえ」
「いや、それほどでも」
両手を胸の高さに上げ、「押さえて押さえて」のポーズをする飯田。
「おい、秋山」
そこへ、先ほどの若菜が加わる。
「さっき、『公子ちゃん』って言ったっけ? 何だか親しそうだな。その子、
転校生なんだろう? なのに、どうして知っているのか、詳しく聞きたいぞ」
「どうでもいいだろ」
「よくない」
飯田、若菜、室田の三人は、にやにやし始めた。
(何か……)
公子はあ然としていた。
秋山を見ると、少し顔を赤くしてるような気がした。
(何か……うれしい)
「若菜、おまえと同じ中学だぜ」
秋山は決心したように、口火を切った。
「へ?」
「ま、知らなくても無理ないかもな。公子ちゃんは中二のとき、一度、転校し
ているんだ」
「そういう点はともかくとしてだ。どういう関係?」
飯田は座ったまま、公子と秋山を交互に見つめてきた。別に他意はなく、単
なる好奇心から聞いている。そんな態度だ。
「……簡単に言えば、小学生のときからの友達さ。ね?」
秋山にいきなり話を振られて、戸惑う公子。
「え? あ、あの、はい。そ、そうなの。四年のときから」
自分の早口に、自分で驚いてしまう。
「すると、単なる幼なじみか?」
室田が念押しするように、秋山に尋ねた。
秋山は、少しの間、逡巡したかと思うと、公子の顔を見て、にっと笑った。
そして次に彼の口から出た言葉は、口調を改めていた。
「うーん、ま、色々ありましたが、今のところ、いい友達ではないかと」
「何だよ、色々って?」
「教えてやらないっ。思い出は人に話すと、それだけしぼむんだぜ」
意地悪い風に笑う秋山。
(あのときのこと、言っている……秋山君。どういう意味? カナちゃんとカ
ップルになったんでしょう?)
公子は表面では声を立てずに笑いながら、そんなことを考えていた。
「何だよー」
ぶうぶう言ってる男子三人を置いて、秋山は時間を確かめた。
「八時四十……七分ってところか。そろそろ体育館に行こう。公子ちゃん、あ
まり分からないだろう?」
秋山の誘いに、席を立った。
「え、ええ。あまりと言うより、全然」
体育館の始業式では、公子は緊張してしまった。と言うのも、こういった式
典や体育ではよくあることだが、男女別に二列になって、背の順に並んだから
だ。つまり、秋山とは離れ離れに。
一時間弱で式は終わり、教室に戻るときはもう、公子は秋山の横にくっつい
ていた。今は周りの目が気になるから、話こそほとんどしないものの、秋山の
近くにいると、それだけで安心できる。
「ちょっと、あなた」
まただ、と公子は思った。後ろから急に呼ばれるのに、なかなか慣れない。
(でも、今度は女子だから)
と、いくらか落ち着いて、公子は声のした方に顔を向けた。
「私?」
「そうよ、あなたよ」
肌の色が比較的白い、きれいな子がいた。つやのあるストレートの髪は長く、
背中の中程ぐらいまであるだろうか。額を少しだけ隠す程度に切りそろえられ
た前髪の下、細い目はややつり気味。民話で聞く雪女をイメージさせる。
(口調がきついみたいだけど……)
にわかに不安になる。
「あなた、転校生でしょ」
「はい……?」
「秋山君とどういう関係なのよ」
「え?」
思わず、立ち止まってしまう。
(いきなり何を言ってるの、この人?)
相手の女子も、仕方なさそうに立ち止まった。
「どういう関係って……」
「もう、ぐずぐずした人ね。いいこと? とにかく、なれなれしくしないでほ
しいの。分かったわね」
それだけ言うと、相手は駆け足になった。そして、秋山に追いつき、何か話
しかけていた。
(な、何よ。自分の言いたいことだけ言って……。でも……話をしているんだ
から、秋山君の知っている子なの?)
最前の女子のことが気になる。が、急がなければならないと思い出し、あわ
ててクラスに向かう。秋山の姿は、もう見えない。
教室に入り、自分の席に座ろうとして、公子はそれに気づいた。
さっきの色白の子が、自分の二つ左隣の席にいたのだ。公子のすぐ左隣の子
と、何やらひそひそ話をしている。
その顔の向きから、着席するとき、公子は相手と目が合ってしまった。
が、相手の子は何ごともなかったように視線をそらすと、続けて話している。
(どういうつもりなんだろ。あの人と秋山君、どれぐらい親しいのかしら)
そう考えて、秋山に声をかけようとしたところで、ちょうどチャイムが鳴り、
ほとんど同時に、背広を着た大人の男――担任の先生が入ってきた。黒縁のめ
がねをかけた中背で、平均より少しやせているか。年齢は三十代半ばぐらい。
才気走ったというのだろうか、目が特徴的だ。
先生は教壇に立つと、教卓に両手を突いた。しばらく間があって、先生はあ
っと何かに気づいたように手を頭にやる。
「あーっと、まだ級長は決まってないんだったな」
ちょっと笑いが起きる。
先生は何とも感じていないように、めがねの奥の目を教室全体に走らせた。
「そうだな、秋山。とりあえず、おまえが号令をやってくれ」
「分っかりましたっ」
秋山の返事に、くすくすと笑い声がこぼれた。
(先生に指名されるなんて、ひょっとしたら優等生で通っているのかしら?
頭は前からよかったけど、何だか信頼も厚そう……)
公子は、前に座っている秋山をますますうらやましく、また頼もしく感じた。
その刹那、唐突に秋山が振り返った。
(こんなときに何?)
「『礼』のときは、何も言わなくていいから」
小声でそう教えてくれた。まだ何のことかのみ込めないでいる内に、朝の挨
拶が始まった。
「起立!」
秋山の凛としたかけ声に、みんな一斉に立ち上がる。
「礼!」
二つ目の号令を聞いて、公子はさっきの秋山の言葉をとっさに理解した。
(前の高校では、「おはようございます」ってやってたっけ)
おかげで公子は、一人だけ声を出すこともなく、他の全員と同様に黙礼する
ことができた。
「着席」
座って、秋山君にお礼を言おうとしたものの、すぐに先生の話が始まってし
まった。仕方なく、口をつぐむ。
「えー、君らの二年目を受け持つことになった有馬だ。みんな知っているとは
思うが、担当は数学。分からない点があったら遠慮なく聞いてくれ。まあ、数
学に限らず、すべての科目について言えることだが、高校二年生という時期は、
受験への大いなる助走に当たる。だから、『まだ二年生』でなく、『もう二年
生』の気持ちで臨んでほしい」
それからも先生の言葉は続き、ついで、各連絡事項に移った。それも短く終
わったところで、クラスメート各自の自己紹介に入る。
三番目に回ってくる公子が、喋る内容をまとめるのに焦っているところへ、
「顔がよく見えるように、前に出てやってもらおうかな」
などと有馬先生が言い出した。
「えー、蒼井雄介です」
一人目が始めた。
公子はその内容や顔を覚えるよりも、どういう風に自己紹介するかに意識を
集中させる。
あっという間に終わり、二人目、秋山に回る。
「秋山広毅、十六才」
歳はわざと言ったのだろう。すかさず、飯田から「普通はそうだわな」と茶
茶が入って、どっと沸く。
「つっこみ、どうも。話を戻して、好きな科目は理科全般。好きと得意は違い
ますので、お間違えなく。クラブ活動は地学部で望遠鏡を覗いています。文化
祭では様々な催しを考えてますので、ご期待あれ。趣味は飛行機とかの模型作
り。特技は日本拳法で、護身術を習いたい向きはどうぞ、聞いてください。少
しはアドバイスできるかもしれません。それから、一年のときは一組で、二年
になっても同じクラスになったのがちらほらいますので、安心しました。それ
に、二年ぶりに会えた友達と同じクラスになれた幸運にも感謝しています」
うまいなあと感心し通しだった公子は、最後の言葉に、はっとした。
(ななな、何てことを。他に転校生、いないんでしょ? だったら、私のこと
だって、丸分かりよ)
戻って来た秋山を、恨めしげに見上げてやった公子。
その表情から察したのであろう、秋山がささやいてきた。
「公子ちゃんは、ラッキーと思わない?」
「それは……」
「じゃ、決まり。大丈夫、うまくいくって」
立ち上がったところを、肩をそっと押された。
(ラッキー、ね。違いない)
誰にも分からないよう、深呼吸。気分が楽になった。
教壇に上がると、まず、先生が口を開いた。
「あー、彼女、朝倉さんは二年になって、本校に転校してきたんだ。そのつも
りで聞くように」
そして促され、公子は始めた。気持ちだけでも胸を張って、自分にできる限
り堂々と、元気よく。
「F県の県立南高校から来ました、朝倉公子と言います。父の仕事の都合でよ
く引っ越すのですが、まだ自己紹介は苦手です。今度の転校は、うまく新学年
から始められてよかったです。好きな科目は国語全般と音楽、苦手なのは理系
科目です。クラブは、前の学校では、料理部に入ってました。こちらで何に入
るかは、まだ決めていませんが、楽しみにしてます。趣味とか特技って言える
かどうか分かりませんが、ギリシャ神話を覚えるのが好きです。
えっと、まだ慣れていなくて、学校のこととか、何も分かりませんので、教
えてください。どうぞ、よろしくお願いします」
喋り終わって一礼。丁寧すぎて嫌味にならないように、すぐに顔を上げた。
(うまく行った、かな)
ほっとしているところへ、例の色白の子と目が合ってしまった。公子は急い
で席に戻ろうとした。が、再び先生の声。
「そういうことだから、みんな、分かったな? 一つ、言っておくが、朝倉は
編入試験でとてもいい成績を取っているぞ。そこらは切磋琢磨して、やってく
れ。で、朝倉は秋山とは中学で同級だったな?」
「そ、そうです」
「だったら、とりあえず、秋山に何でも聞けばいいから」
「はい」
ようやく席に戻れた。
「上出来。中学のときより、ずっと話せるじゃない」
「秋山君のおかげ」
笑顔を返す。
「でも、先生が成績のことまで言わなくていいのに」
「それは言えてる」
「こらっ」
小さな声で話していたら、当の先生から注意されてしまった。
「何でも聞けと言ったが、今とは言っておらんぞ」
笑い声と、冷やかしの声が飛んで来た。
(失敗。――それにしても、あの人、秋山君とどういう関係なんだろ?)
公子は落ち着くと、二つ隣の女子を見やった。すました態度で自己紹介――
今やっているのは飯田――を眺めている。公子が前に立ったときは、もっとき
つい目つきをしていたように思う。
やがて、その色白の子の番が回ってきた。
「白木麻夜です」
第一声に、公子は自分の耳を疑った。
(さっき、廊下で話しかけられたときと、全然違う……。こんな、かわいらし
い声じゃなかった。意志が強そうで、冷めたい感じの)
「一年のときは一組でした。得意なのは英語、苦手な科目は作らないようにし
ています。クラブは地学部です。趣味は旅行すること、特技はピアノ演奏です。
よろしくお願いします」
簡単な自己紹介だった。ただ、話しているときの目線の位置が、実にうまい。
人に見られていることを意識し、計算している、そういう感じだった。
席に戻る直前に、白木が視線をよこした。そんな気がして、はっと顔を上げ
た公子は、勝ち誇ったような表情をそこに見た。
(やっぱり、いきなり嫌われてるみたい。考えたら、あの人、一組だったとか、
地学部の部員だとかを強調していたような。つまり、秋山君と同じなんだって
言いたいとか……。あの白木さんも、秋山君のこと)
そこまで考えて、疑問が起こった。
(秋山君、カナのことを誰にも言ってない? ユカはどうだったかしら? そ
う、ユカはカナ自身から聞いたんだっけ。それじゃあ、秋山君の口からは、誰
にも伝わってないのかな。それじゃあ、白木さんから好意を持たれているって、
秋山君は気づいていない? 逆に、カナちゃんが白木さんのこと知ったら、ど
うなるんだろ? ――何だか、こんがらがって来ちゃいそう)
頭を抱えたくなる。
あれこれ考えていたら、四十二人目の若菜の自己紹介も、いつの間にか終わ
っていた。
「さーて、全員の人となりが大まかに分かったところで」
有馬先生は、いい加減なことを言った。さっきの自己紹介程度で、分かるは
ずがない。ことに、転校生にとっては。
「級長を選ばないといかん。これから紙を配るから、男女一名ずつを書くよう
に。得票の多かった男女一名ずつを、級長と副級長にする。その男女二人を比
べて、得票数の多い方が級長だ」
わら半紙を適当に切っただけの投票用紙が配られる。公子が紙の束を後ろに
回すとき、「俺に入れないでねー」と、飯田から冗談めかして言われた。
――つづく