AWC 当たり前になる前に   永山


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#536/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/04/02  21:16  (125)
当たり前になる前に   永山
★内容
『――あ、誰か来たみたいです。先生、話の途中で申し訳ないんですが、かけ直し―
―』
『いや、待つよ。長引きそうならかけ直してもらおうかな』
『すみません。なるべく手早く――あなた誰?』
『え?』
『……邦夫《くにお》? な、何よそんなマスクなんかして。――きゃあ! いやぁ
!』
『どうしたんだ、上条《かみじょう》君? 何があった?』

 スマートフォンに残された音声を聞いているのは、持ち主で大学教授の大前《おおま
え》の他、刑事が一人、犯罪捜査アドバイザーと称する探偵一人の計三名だ。
「このあと、しばらく待っても反応がなくて。もしもしと何度も呼び掛けたが、やっぱ
り同じ。そしていきなり通話が切られた」
 大前は確か三度目になる説明を刑事相手にした。尤も今日の説明は、初対面になる犯
罪捜査アドバイザーの男のためなのは間違いない。
「名枯山《ながれやま》さん、どう思う?」
 刑事がそのアドバイザーに聞いた。刑事の名は増田《ますだ》と言った。
「大前先生は、亡くなられた上条さよさんをかつて指導した縁で、結婚式披露宴でのス
ピーチを依頼された、とのことでしたね?」
「ええ。ウイルスの流行が収まらないようであればリモートで、という点も含めて」
「ああ、そういうご時世ですね。で、それだけ上条さんと先生とは親しいと考えてもい
いでしょうか」
「親しい?」
 引っ掛かりを覚えた大前が片眉を上げると、名枯山は素早く首を横に振った。
「ああ、変な意味ではなく、師弟の関係ではあっても気遣いの必要がないくらいだった
かどうか、知りたいんです」
「気遣い無用と言えるほどには親しくなかったと思いますが……どうしてそんなことを
知りたがるのか、聞いてもよろしいですかな?」
「かまいません。単純な話です、上条さんが先生をちょっとからかうつもりで、演技を
した可能性を想定している訳でして」
「演技……あ、彼女のこの声は全て私をかつぐための演技だったと?」
「仮説の一つです。名前を呼ばれた邦夫は、元彼の遠藤《えんどう》邦夫と思われます
が、彼には当日、完璧なアリバイがありました。一人でキャンプに行く予定が、交通事
故に遭って、急遽取り止め、入院と相成った。彼が犯人ではなく、他に“くにお”とい
う容疑者も見当たりません。
 現場にいられるはずのない邦夫さんを現場に立たせる一つの仮説として、上条さんが
芝居を打ったケースを考えてみるのは当然の道理でしょう」
「だが実際に上条さんは刺殺されている……犯人が彼女に言って、芝居をさせたと考え
ているのですか」
「はい。いかがでしょう?」
「いや、折角のお考えだが、ないですな。上条さんはとても生真面目で、目上の者に冗
談を仕掛けるようなタイプではない。もし仮にこの数年で性格に変化があったとして
も、結婚式のスピーチを頼む相手である僕に、そんないたずらをする意味がないんじゃ
ないかな」
「なるほど。先生の話は、他の方の見解とも一致しています。上条さんは冗談を仕掛け
る人ではない、と」
「そうだろうね。捜査方針に反するような証言はしたくないが、嘘はつけない」
 軽くこうべを垂れる大前に、名枯山は慌てたように両手を振った。
「いえいえ、先生がそんな気にすることじゃありません。それに捜査方針と言うより
も、一個人の単なる思い付きですから」
 名枯山のこと言葉を耳にし、大前は増田刑事の顔を見た。
「そうだったんですか?」
「そうだったんです」
 苦笑交じりに返事する刑事。
「あ、これは失礼。ただ、この名枯山さんの本命の仮説は、別にあるんでね。つい」
「別の説、ですか」
 再び名枯山に視線を戻す。
「ええ。先生が否定してくれたおかげで、もう一つの説が補強された気がします」
「ふむ。よければ聞かせてもらえますか、その別の仮説とやらを」
「もちろんいいですよ。着目したのは、犯人の行動の不可解さです」
「行動って……犯人は上条さんの家に勝手に入り込んで、いきなり襲ったとしか分から
ないのでは」
「はい。正面から刺しています。まったく、酷い犯行だ。そして不可解さも含んでい
る。スマホで通話中の上条さんを襲うという、危ない橋を渡っている点がね」
「――なるほど。電話をしている人間を襲うのは、確かにおかしい。名前を呼ばれたら
通話相手に伝わって、一巻の終わりだ」
「察しがよくて助かります、先生。そうなんです、電話中の人物を襲うのなら、最低
限、背後からそっと行くべきでしょう。なのに犯人は真正面から刺しに行っている。実
際、上条さんは“くにお”と名前を口にしている」
「この不自然な行動を、あなたの仮説は説明できると? 興味深い、早く続きを聞かせ
てもらいたい」
「そんなたいそうな物では。大学の先生なら、ちょっと時間を掛ければ同じ結論に辿り
着かれると思いますよ」
「時間の節約をしたい。名枯山さんの解説をお願いします」
「分かりました。不可解さ、不自然さと言えば、もう一つあるんです。今度は犯人では
なく、被害者の方なんですが」
「上条さんの? しかし彼女が芝居をしたのではないのは、私の他大勢が保証するとこ
ろだが」
「ええ、ええ。その話はもう終わりです。気になったのは、上条さんが侵入者を見て、
『そんなマスクなんかして』と口走ったこと」
「……おかしいかね? マスクをしていても何らおかしくない。むしろ多数派、当然だ
とすら言える」
「そうなんですよ。当たり前のマスクを着用している人物を目の当たりにして、『そん
なマスクなんかして』と敢えて言うものでしょうか?」
「あ、言われてみれば」
「あるとしたら、よっぽど奇抜なマスクをしていたか」
「それはあるかもしれない」
「どうでしょうか。ここで改めて、スマホで通話中の人物を襲う場合、犯人にとっての
リスクを検討してみますと、通話相手に名前や特徴を伝えられる恐れの他、撮影される
危険もあるんですよね」
「そうか。写真か動画に撮られて、どこかに送信されてしまえば犯人にとって不利極ま
りない。マスク程度では顔を隠せないだろうから」
「そこで私は考えました。もう一つのマスクなら隠せると」
「もう一つの――ああ! 覆面だね?」
「ご名答です。プロレスで使うようなマスク、覆面。あれを被っていれば撮影されても
何とか大丈夫。上条さんが犯人を見て、『そんなマスクなんかして』と言ったのも筋が
通る」
「なるほどなるほど。だが、“くにお”と言ったのは何だろう? 覆面をした犯人を見
て、“くにお”だと思ったのか。でも彼女の知り合いの邦夫は犯人ではあり得ないよう
だし」
「想像になりますが、恐らく犯人は覆面のおでこか、上着の胸元辺りに、大きく張り紙
でもしてたのかもしれません。『邦夫』と書いた張り紙を」
「ははあ……覆面をした侵入者を見て、胸元か頭に『邦夫』と書いてあったら、ついつ
い読むだろうな。たとえそいつが誰であろうと」
「賛同を得たようで、何よりです」
 名枯山はほっとしたように小さく笑んだあと、刑事の増田と顔を見合わせた。大前は
二人の様子を見て、直感した。
「犯人の目星は付いているみたいだが?」
 これには増田が応じる。
「具体的にはまだですがね。犯行に覆面を使うからには、事前に入手しておく必要があ
る。元からプロレスファンか何かで所有していたか、そうでなければ急いで買ったこと
になる。どちらにせよ、調べればじきに判明する特徴と言えます。被害者と何らかの関
係がある者で、遠藤邦夫が被害者の元彼だと知っていて、あと事件当日、遠藤が一人キ
ャンプする予定だったことも知っている――これらの条件を組み合わせれば、容疑者は
相当絞り込めるはずだ」
 自信ありげに増田は言い切った。
 そういえば……と心中で呟く大前。
(三年ぐらい前までいた助手、萩原《はぎわら》だったか荻原《おぎわら》だったか。
彼は格闘技ファンだったな。好きな選手が覆面を被って入場するから、同じ物を手に入
れたとご満悦だった。いい歳して、女子学生に不必要なアプローチを掛けるものだから
辞めさせられたが、確か上条君とも面識があった)
「刑事さん」
 まさかとは思いつつも、大前は刑事達にこの件を伝えることにした。

 終わり





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