#533/566 ●短編
★タイトル (AZA ) 23/03/04 20:51 (100)
三途の川縁 永山
★内容
目が覚めると同時に、頭痛に襲われた。しかも尋常な痛みでない。割れるように痛い
とはこのことか。加えて息苦しい。
日常生活で言うところの頭痛じゃないと気付くのに、しばらく時間を要した。
頭を殴られ、血が出ている。
呻き声を上げるつもりが、できない。口にはガムテープらしき物がぴたりと貼り付け
られていた。鼻呼吸だけで息を整えるのが辛い。容態は悪化していると自分でも分かっ
た。
床に横たわっているようだが、身体を動かせない。左腕は身体の下敷きになり、右手
は顔の近くにある。指先に血が付いているのが見えた。
フローリングの床に何か書いてある。赤い文字だ。血をインクにして書いたのか、
所々かすれている。ピント調節してもぼやける距離だが、どうにか読めた。
“はんにん はたなか”
何だこれは。まるでダイイングメッセージみたいだな。
私は死んでないけれども。
そもそも、こんな物を書いた覚えは全くない。頭に強い衝撃を受けて、記憶が飛ん
だ? いや、それもないだろう。その証拠に、こうなるに至った状況を徐々に思い出し
つつある。
床に座った姿勢でいるところを背後から殴りつけられ、倒れた。口は……殴られる前
からすでに塞がれていた。両手首もガムテープでぐるぐる巻きにされていたと思うが、
今は枷はない。
そう。
私は襲われたんだ。自宅に一人でいるところを、半ば強引に上がり込んできた知り合
いの……誰だっけ……北島《きたじま》か。北島の奴が持参した酒を勧めてきて、飲ん
だら意識をなくして、気が付いたら拘束されていた。食堂の床に足を投げ出す感じで座
らされて、北島の奴、恨み言をねちねちと言い立てていた。
五分か十分ぐらい経って、年貢の納め時とかどうとか言って、後ろから殴りやがっ
た。
そのあとあいつが何をしたのかは想像するしかないが、どうやらダイイングメッセー
ジの小細工をしたんだな。
このメッセージは、罪を田中に擦り付けたいのか、畑中に擦り付けたいのかが分かり
にくいな。どちらも私とは因縁がある相手だから、どちらかが代わりに逮捕されればい
いと考えたのか。“はんにん”と“はたなか”の間に少し隙間があるのが気になる。
恐らく“はたなか”と書いてあるのを見付けた畑中が、ごまかすために“はんにん”
と書き加えた――というつもりなのだろう。
と、いけない。意識がまた朦朧としてきた。
犯行の過程なんてあとで考えればいいことであって、今最優先すべきは、助けを求め
る、これに尽きる。どこかに携帯端末があるはず。多分、ズボンの左尻ポケットにある
はずだが、生憎と今、身体の向きがよくない。姿勢を変えないと絶対に取り出せない位
置だ。ともかく、左腕を身体の下から出そうともがき始めたその瞬間、“がさ、しゅ
っ、がさ”という音がした。
アコーデオンカーテンが開け閉めされる音だ。
何者かがいる!?
我が家でアコーデオンカーテンがあるのは、浴室へと通じる脱衣所。この状況で、犯
罪の現場に留まり、何かしらのことをなそうとしているのは、犯人に他ならない。
気配を感じ取ろうと、耳を澄ませる。何かを探しているのか? それよりも、今この
部屋に戻って来たら、私に息があることを察知するのではないか。
察した犯人――北島は、私にとどめを刺そうとするだろう。そうなる前に、攻撃すべ
きなのか?
五体満足な状態でなら、北島とやり合って負ける気はしない。だが、頭に深手を負
い、身体の方もアルコールのせいか薬のせいか知らないが、自由に動くのか怪しい現状
で、北島に勝てるのか? 恐らく、無理だ。不意打ちに成功しても、四分六分で負けそ
うな予感がある。たとえ北島を組み伏せ得たにしても、こっちは出血多量でぶっ倒れか
ねない。
折角、九死に一生を得たと思ったのに、ここで見付かってまた殺されては何もならな
い。
私は死んだふりをした。
瀕死の私が、生きるために、死んだふりをする。
……まだいる。
早く出て行ってくれないか。携帯端末さえ取り出せれば、通報のしようもあるのだろ
うが、今のこの姿勢を崩せないのなら打つ手がない。
北島の奴、食堂のドアの外に立って、何かやろうとしている。時折、ドアを開けて、
ノブの滑りを確かめでもしているかのように、かちゃかちゃと音が聞こえる。一体何が
したいんだ? ドアに物を隠すスペースなんてない! 秘密の抽斗でもあると思ってん
なら、漫画の見すぎだ、馬鹿野郎。
思えば、大人になってからも、子供じみたところのある奴だった。同窓会ではアニメ
や特撮のヒーロー同士の夢の対決を語っていたし、推理ドラマでは探偵が変装を解く場
面が大好きだと公言していた。今まさに私を襲っておいて、ダイイングメッセージの小
細工を施したのも、子供っぽさの表れ……。
まさか。
嫌な予感を伴って、私は閃いた。
北島はこの部屋を密室にしようとしてるのでは?
ドアやノブをしきりにいじっている気配は、用意していたトリックがうまく働かない
ため、何度も試しているのか。
何で、こんな明らかに他殺と分かるやり方を取っておいて、現場を密室にしなくちゃ
ならないんだよ! 意味のない密室なんて作ってないで、さっさと逃げろよ! ガキ
か!
――興奮して血の巡りが激しくなったのか、私の頭からの出血量が増えてしまった気
がする。だめだ。すぐにでも出て行ってくれ。限界が近い、そんな感覚がある。血の温
かさを感じながらも、同時に死の冷たさがひたひたと忍び寄ってくるような。
!
不意に、電話が鳴った。
私の携帯端末だ。誰かは分からないが、誰かが掛けてきた。くそ、出られる状況なら
出て、助けを求めるのに。最早、身体がほとんど動かせない。
何よりも北島が音に気付いたに違いない。何事か確かめに、密室作りを中断して、こ
ちらにやって来る。
私は覚悟を決めた。
必死で死体を演じる。
最後の瞬間、最後のチャンスのために、息を潜め、興奮を鎮め、残りわずかな体力を
温存する。
そうだ。近くまで来た北島は、私の携帯端末を取り出して、誰からの電話なのかを確
かめるだろう。
そのタイミングで、私は北島に掴み掛かり、唯一まともに動きそうな顎で、喉笛にで
も噛み付いてやる。
終