AWC ライクアタック殺人事件   永山


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#531/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/02/23  21:02  (312)
ライクアタック殺人事件   永山
★内容
 俣野《またの》刑事はメモに視線をメモ書きから起こして、話し始めた。
「被害者は鬼塚龍輝《おにづかりゅうき》といって、**大学の二年生。セットの設営
で余った針金で絞殺されていました」
「一介の学生がライクアタックの王子たぁ、珍しいな。**って大学も有名じゃないだ
ろ。チャレンジャーの女達は何に惹かれるってんだ?」
 権藤《ごんどう》刑事は目を剥き、すぐに反応した。
 俣野は再びメモに目を落とした。
「アプリの開発で成功して、一財産間違いなしだそうですよ。何でも、ネットに上げる
写真を解析して、個人の特定につながる情報を自動的に加工し、危機管理の一助とする
んだとか。ピースサインの指紋とか、道端のマンホールの文字やデザイン、行き交う車
のナンバープレートにある地名、瞳に映った景色まで、設定したレベルに応じて不自然
でない別物に置き換える」
「そりゃ便利なこった。ただ、犯人の追跡も難しくなりそうだな」
「犯人?」
「一般論を述べたまでだよ。この殺しの犯人じゃあない。さあて、容疑者の四人に会う
とするか」

 ネット番組の「ライクアタック」は、一人の王子もしくは王女を巡って、四人がゲー
ムなどで競い、一人の勝者を決めるバラエティショーである。ネット番組にありがちな
えげつなさよりも、唱和レトロな味わいを目指したことで、他の類似番組と差別化がは
かれ、それなりの人気を得ていた。
 事件の起きた今回は、在学中にIT企業を起ち上げて成功しつつある鬼塚を王子に、
芸能界に身を置きながらなかなか成功できないでいる四人の女性が争うというコンセプ
トで行われた。
 鬼塚龍輝殺害の犯行現場は、直径が約三十五メートルの人工池の真ん中に設けられた
浮島状のコテージと推測された。コテージといってもゴムやビニールを素材にした、お
とぎ話に出て来そうな小屋で、広さは六畳あまり。四つの浮桟橋で池の岸とつなげるこ
とで、バランスを保つ構造だ。二日分の食糧が前もって運び込まれ、その上何とトイレ
まで完備されている(無論、池に垂れ流しではなく、タンクに溜める)。
 浮桟橋もまたコテージと同じ材質からなり、それぞれは四人の女性チャレンジャーの
いるペンション風の独立した部屋と直につながっている。さらに四つのペンション及び
人工池をぐるりと囲う高さ五メートルの塀があり、夜間は門も閉じられ、明け方六時ま
で外部との行き来ができなくなる。
 そして鬼塚の死亡推定時刻、換言するなら犯行時刻は午前三時から四時までの一時
間。当然、門は封じられていた。緊急事態を知らせるボタンを押せば、外部で待機する
スタッフに連絡が行き、サイレンが鳴り響くと同時に門は解放されるが、当日サイレン
が鳴ったのは三時五十分。鬼塚を殺せたのは塀の内側にいた四人の女性に絞り込まれる
理屈だ。
 ところが別のハードルがあった。
 門が閉じられる間は、浮桟橋は空気を抜かれて人工池の底に沈められ、各ペンション
から浮島へは、泳ぐほかなくなる。もちろん、浮桟橋が完全になくなると浮島が不安定
になるため、競技プールのコース分けのようなガイドラインがあって、芯を通るしなや
かなで余裕のあるワイヤーロープのおかげで、浮島は漂わずにいられる仕組みになって
いた。桟橋が浮上中は、その両サイドにガイドラインは取り付けられ、橋の安定にも役
立つ。
 四人の女――タレントの中上妙子《なかがみたえこ》、グラビアモデルの北野成実保
《きたのなみほ》、元キックボクサーの滝田貴美《たきだたかみ》、声優のたまご江利
《えり》ノエルは、いずれも泳げる。しかし彼女らは皆、豊かな髪の持ち主で、泳ぐに
当たって髪を濡らさずにすむ手段を持ち合わせていなかったし、濡れた髪を短時間で乾
かす方法も同じくなかった。
 ペンションにはシャワーキャップや水泳帽といった物やその代用となりそうなラップ
は置いてなかった。また、ドライヤーの類も用意されていなかったのだ。
「夜這いを掛けたくてもできない状況を作りたかったっていうプロデューサーだっけ
か、スタッフの説明は奮ってたな。夜、王子にこっそり会いに行くには、身体を濡らさ
ずにはおられないからばればれになるっていう」
「でも、実際のところ、どこまでそのつもりがあったのかは怪しい。深夜はカメラを回
していなかったというのだから」
 容疑者四名の待機するペンションをこれから順に回る。まずは現時点での最有力容疑
者からだ。
「滝田さんは緊急ボタンを押しましたか?」
「いいえ」
 元キックボクサーの滝田(二十七歳)は、女性にしては低い声で否定した。
「誰が押したか、心当たりは」
「あったら言ってます。あんな早い時間帯に、何が起きたか分からないのに緊急ボタン
を押すなんて、まるっきりそいつが犯人だと言ってるようなものだもの」
 滝田は額から頭部に掛けて手でなで上げた。そう、四人の中で彼女だけが、スキンヘ
ッドなのだ。と言ってもこの番組に参加した結果、こうなったというのだが。
「滝田さん。犯行時刻と発覚時間から推して、犯人は濡れた髪を乾かす余裕はなかった
と思われます」
 俣野刑事が探りを入れるような口ぶりで言った。
「その点、あなたは関係ない。でもこの番組の収録前には、立派な黒髪がありましたよ
ね。どういった経緯で丸坊主に?」
「ちょっと前に婦警さんに言ったんだけど」
「もう一度、お願いしますよ」
 権藤が片手で拝む格好をすると、滝田がじろっと見やってきた。
「……いいけど。さっき頼んだ返事がもらえてないのよね」
「スタッフさんへのお尋ねの件でしたら、ことがことだから全部話しても仕方がないと
のことです。何の話なのか、非常に興味があるのですが」
「……まず、私がスキンヘッドになった経緯は聞いてるの?」
「大まかには。昨日の午後に行われたゲームで、滝田さんが負け残り、ペナルティで髪
を切られたと。バラエティ番組にしては過激だなあと感じましたよ」
 穏やかに話す若い俣野の横で、権藤は辛抱たまらなくなった。任せるつもりでいた
が、つい、口を出す。
「水上ボードの上で、押し出したら勝ちってゲームだったらしいが、そんなルールで元
キック選手のあんたが、タレントや声優に負けるとは不可解だな。一度ならまだしも、
負け残りトーナメントって聞いたから、二回続けて負けたことになる」
「だからそこを話せるように、スタッフに確認取る必要があったのよ。いい? 他の
ゲームは違うけれども、水上押し相撲に関しては出来レースで、私が負けることになっ
ていたの」
 滝田は怒ったみたいな調子で一気に喋った。
「それはまた何で?」
「他の三人、誰も坊主になりたくないのは分かるでしょうが。いくら売れてなくたっ
て、事務所が許さない。この番組で優勝して注目されたとしても、しばらく丸坊主じゃ
あ仕事が限られて損だもの」
「じゃあ、言ってみれば汚れ役を引き受けたと」
「ええ。元々、スキンヘッドにしてもいいなと考えていたしね。逆に負けるのが大変だ
った。最後なんて、相手の子が勝手に転んで落ちそうになるもんだから、やばいって思
って、当てたら反則だけどハイキックを派手に空振りして、自分から落ちてあげたんだ
から」
「なるほどー、そんな裏があったんですか」
 感心した風に、しきりに首肯する俣野。
「容疑は晴れた?」
「うーん、完全にはまだ。スキンヘッドになったあと、犯行を決意するに至ったかもし
れないので」
「そんな。鬼塚龍輝って子とは、昨日が初対面だったのに。何で殺そうなんて思うの
よ。彼が丸坊主の私を見て嘲笑した、なんて証言でもあった?」
「いや、ないですね。むしろあなたの潔い刈られっぷりに、感嘆していたとか」
「でしょう? 動機がないのに殺すはずがない」
「動機と言えば、あんたが汚れ役を引き受けた動機は?」
 権藤は再び割って入った。
「え?」
「滝田さんの言葉を借りれば、動機がないのに汚れ役を引き受けるはずがない、ってこ
とになるだろう? どんなメリットがあったんだい? 他のゲームで勝たせてもらうの
かとも考えたが、他のゲームに八百長はないという意味のこと、あんた自身が言ったの
を思い出したよ」」
「――さすが刑事。ちゃんと気付くんだ」
 驚いた顔からにやっと笑った滝田。手を叩くポーズをしつつ、続けて言った。
「お金よ。身内に病気の者がいてね、その治療費の一部を負担してくれる約束なんだよ
ね」

 刑事二人が次に向かったのは、二番目に有力な容疑者である北野成実補(二十歳)の
ペンション。
「えっ、滝田さんで決まりなんじゃないんですかあ?」
 口をまん丸に開いて、意外そうに彼女は言った。そのあと、他に誰がいるのかしらと
ばかり腕組みをして首を傾げたのだが、胸を強調するような位置に腕が来ているのは、
恐らくは半ば無意識の動作なのだろう。薄い青色のTシャツ越しに、形がはっきり分か
る。
「とぼけないで、ご自分のことを説明してもらいに来たんですよ」
「何だか怖いぃ」
 北野の反応に俣野は頭を片手で押さえ、権藤にバトンタッチした。頭が痛いのは権藤
も変わりなかったが、ここは甘い顔を見せている場合ではないと判断したので、交代は
やむを得ない。
「話をそらさんでもらおう。あんた、事件が発覚した段階で、ずぶ濡れだったそうじゃ
ないか」
「それはサイレンにびっくりして、ペンションを飛び出したら、池に落ちちゃったって
いうだけですよぉ」
「犯行に及んだあと、濡れた髪を乾かす時間がないから、咄嗟の判断でサイレンを鳴ら
して、犯行時刻を狭めた上で、水に飛び込んで濡れた髪をごまかした。こうじゃないの
か」
「想像で言わないでくださいよー。いくら夏っていっても、四時前だと暗いんだから。
信じらんないくらいに」
 こっちはあんたの証言が信じられんわいと心の中で毒づく権藤。気を取り直した俣野
が、新たに尋ねる。
「起き出すまで髪の毛が乾いていたと示す証拠でもありませんか。“ライクアタック参
加中”とか言って、写真をネットに上げたなんて」
「そういうの、全部禁止だからぁ。スマホも何もかも取り上げられているの。もし秘密
に持ち込めてもばれた時点でだーめ、失格。それどころか賠償ものだよぉ」
「だったら、ネットに上げないプライベート用の写真なんかもないんですね。参った
な」
「とりあえず、保留だな。あ、そうだ。サイレン鳴らしたのもあんたじゃないんだな
?」
「当然ですぅ」

 三番目と四番目に疑いの差はない。ペンションの位置が近い方から訪ねただけであ
る。
「江利さんは緊急ボタンは……」
「押していません」
 江利ノエル(二十五歳)はりんとした声できっぱり、即答した。それから一転、いか
にもなアニメ声で、にこにこ笑みを浮かべつつ、付け足す。
「尤も、押した人だって『押していない』と答えるに違いないのだから、たいして意味
はありませんよね」
「確かに。ところであなたのペンションは、門に一番近いですよね」
「ええ。すぐ隣って訳じゃないけれども、他の三つに比べたら。それが何か」
「門が開いた瞬間に、出ていく者はいなかったかと思いまして」
「つまり……元々、第五の人物が隠れていて、鬼塚さんを殺害してから緊急ボタンを押
し、開いた門からそっと抜け出た可能性を仰っているんですか」
「はあ。そうなります」
 俣野は丁寧な言い方に戸惑いながらも、会話を続けた。
「面白い仮説だと思います。でも、そのような人物を目撃していれば、真っ先に証言し
てますよ。思いません?」
「思います。だから今の質問は、あなたがその実行犯と共犯か何かの関係にあるのでは
ないかという前提で言っています。いかがで?」
「――あははは。凄い。発想も凄いけど、それをストレートにぶつけてくるなんて」
 ひとしきり笑った江利は、目元を指先で拭ってから否定に入った。
「だけど、脅かしても無駄です。塀の内側にはカメラを向けていなくても、外から門の
ところはカメラがずっと狙っているって、撮影の最初に皆さんに説明がありましたか
ら。出て行く不審者が映っていれば、それが第一容疑者で決まり。なのに全くそんな気
配がないということは、門を出て行った者はいないってこと」
「やれやれ。このお嬢さんは僕より上手みたいです。権藤さんから何かありませんか」
 権藤は頭を掻きむしりながら考え、質問を捻り出した。
「あー、ペンションは四つとも電話でつながると聞いた」
「はい。それが」
「江利さん、あんたは得意の声色を使って、他の三人の誰かを操ったなんて真似はして
ないよな」
「たとえばどんな」
「番組スタッフのお偉いさんになりすまして、命令するんだ。緊急ボタンを押せとか、
コテージにいる鬼塚はダミー人形だから、ちょっと行ってきて首を絞めてとか。売れる
ためなら、何でもやるんじゃないのかね」
「これもユニークな仮説ですこと。でも、残念ながら自分には年配男性のダミ声は無理
ですね。たとえ出せて、電話で殺しをやらせたとして、じきに電話は偽者からだったと
知られる。そうなったら一番に疑われるのは声優ですよね。メリットが感じられない計
画です」
 理路整然と返され、権藤もまた沈黙した。

 最後になった中上妙子(二十六歳)は、特徴といえば髪の一部を茶色に染めている程
度で、どこにでもいそうな平凡さの持ち主だった。クラスで何番目とかではなく、クラ
スに何人もいるタイプ。分類すればタヌキ顔というやつで、男の中にはこんな子が大の
好みだという人もいるだろうと言えるぐらいには愛らしい。両親の離婚で、母親及び仲
のいい妹と離れ離れに暮らさざるを得なくなり、精神的に参っていた時期があったとい
うが、その心労がにじみ出ているようなくたびれた雰囲気があった。
「緊急ボタンなんて押してませんよ」
 同じ質問を重ねてきただけあって、同じ返答に、「でしょうね」と相槌を打ちそうに
なった刑事達。
「他に何か?」
「確認になりますが、あなたの物と思われる髪の毛が数本、このペンションから出る桟
橋のガイドに絡まっているのが見つかりました。覚えは?」
「さあ、抜けやすい髪質だとあきらめていたから、意識はしてなかったかな。昨日は
ゲームで橋を渡ったけれども、途中まででしたから。どの辺に絡まってました?」
「岸辺近くですね。それこそ手の届く範囲で」
「だったら、何の不思議もないわ。何度か渡ったし、一度は顔を洗ったから、そのとき
に抜けた物が絡まったんでしょう」
「顔? 何でまた」
 聞きとがめた権藤が表情を歪めると、中上は対象的に笑みを浮かべた。
「ゲームの一環ですよ。負けたら顔にペイントされるの。言うまでもなく、水溶き絵の
具で。ゲームの名前はハイパー羽根つき、だったかしら」
「そのゲームじゃなくてもかまわないんですが、他のお三方にあなたの特徴的な毛髪が
渡る可能性は?」
「そりゃあ、いくらでも接触はあったんだから、あると言えるけれども」
 質問の意図は?と目で問うてくる中上。
「実は、他のガイドからも同じような毛髪が見付かっていて、恐らく中上さんの物だろ
うという見込みなんです。量の多少はありますが、残り三つとも」
「……多分、ゲームで身体がぶつかった際、髪の毛が移って張り付いちゃったんじゃな
い? そのあと、三人が各々、水に浸かるような機会があって、流れた髪が絡みついた
……」
「濡れ衣を着せられたとは考えられない?」
 権藤が尋ねるのへ、中上は目をぱちくりさせた。
「まさかっ! ガイドに髪の毛が絡んでいただけで、何の証拠になると言うんでしょ
う? 濡れ衣を着せるのでしたら、犯行現場に遺すのが常道というものでは?」
「まあ、最も効果的なのはね。中上さんは、他の方を善人だと信じておられるようで」
「違うんですか?」
 邪気の感じられない眼で見つめ返され、権藤は思わず顔を背けた。

「一通り聞いてみて、容疑者のランキングは変化したか?」
 権藤の問いに俣野は顎をひと掻きしてから答えた。
「滝田がランクダウンしたのは言えますね。押し相撲で負けたのにはちゃんと裏の理由
があった。くわえて、彼女が今、殺しをやらかして捕まったら、病気の身内の面倒を看
る者がいるのかっていう疑問もあります。治療代をこんなバラエティのあぶく銭に頼る
なんて、相当追い込まれているはず」
「やけに肩入れするじゃないか。ま、俺も同意見だがな。んで、必然的に北野が浮上し
た。残る三名の中で、水に濡れたのをごまかせるのは北野だけだ」
「そこなんですが、ちょっと変じゃありません?」
「変だと思ってたら、浮上したなんて言ってないさ。具体的に頼む」
「はあ。緊急ボタンを押したのは犯人。これが前提の一つですよね」
「ああ。犯人以外が押す理由がない。殺人が起きたことを知りようがないのだから」
「では犯人がボタンを押す理由は」
「早く遺体を見付けさせ、犯人は髪の濡れた者だと認識させるため……あれ?」
「ね、おかしいでしょう。ボタンを押したのが犯人なら、それは江利か中上でないと辻
褄が合わないんです」
「……犯行可能かどうかばかりに固執して、こんな単純な点を見落とすたぁ、俺も歳だ
な」
「そんなあからさまに落胆しないでください。自分だって、ずっと同じ思考経路を辿っ
ていたんですから」
 肩を落とした権藤に、俣野は励ましの言葉を掛けた。
「じゃあ、残る二人のどちらかが犯人だろうとも、何らかのトリックを弄したことにな
るな。どんな小細工なんだ?」
「細工を考えるのに向いていそうなのは、江利の方でしたけど……中上には演劇の経験
があるそうなので、芝居をしていたのかも」
「うーむ、しまらんなあ」
 刑事二人が揃って小首を傾げたところへ、鑑識課員により新たな情報がもたらされ
た。
「犯行現場周りの指紋採取、水気のおかげで苦労したんだが、いくらか取れた。と言っ
ても、被害者のものばかりなんだが、ちょっと偏って見付かったところがあってな」
「どこですか」
「ガイドラインと浮島のつなぎ目を中心に、何度も触った痕跡があった。しかも興味深
いことに、かなり先の方まで触ろうとしていたようだ。水を被って指紋は無理だった
が、油脂分は微量ながら残っていたからな」
「先の方って、どのぐらい」
「ざっと五、六メートルは。もっと行こうとしていたかもしれないが、それ以上は油脂
も流されていたよ」
 鑑識課員が立ち去って、権藤と俣野は再度、頭を捻ることになった。
「何かをしようとしてたみたいですね、鬼塚は」
「それも夜中にな。まさか、暗闇の中、ガイドラインに掴まって泳ごうとでもしたの
か? 岸のペンション目指して」
「あり得なくはないですけど、鬼塚の遺体は濡れていなかったと聞いてます。夜が浅い
内に泳いだとして、髪は何とか乾かせても、水泳パンツは無理な気が……」
「穿いてなかったのかもしれん」
「いやあ、そいつもどうかなと。鬼塚の方から夜這いを仕掛けたと考えてるんですよ
ね? 仮に合意の上でも、穿かずにっていうのは他人に見られる可能性を考えると、無
茶でしょう」
「だったら何なんだ。おまえも意見を出してくれよ。一方的に言わせるだけじゃなく」
「……一方的じゃなく、ですか」
「おうよ。交互に出し合って、真相に近付いていく。これがなきゃ二人で考える意味が
ない」
「……近付いていく……一方的じゃなく」
 ぶつぶつ繰り返す俣野。権藤は「おいどうした」と心配になって相手の顔を覗き込ん
だ。そうして目が合った。
「分かったかもしれません」
「犯人がか?」
「いえ、犯人を知るにはもう一度、鑑識の話を聞いてからです。でも十中八九決まりだ
と思いますけどね」

 あとになって思い返してみれば、単純な構図だった。
 犯人ではなく、被害者の方が岸に移動したのだ。それも、身体を一切濡らさずに。
 鬼塚は夜中、闇に紛れてガイドライン二本を手に取り、ゆっくりと、しかし力強く引
っ張った。ガイドを通るロープは長さに余裕があり、しなやかなので、じわじわとでも
進み、やがて岸に辿り着く。そこで予め約束していた女性と逢い、関係を持とうとし
た。
 だが、女の方にその気は実はなく、殺害こそが目的だった。用意してあった針金で絞
殺すると、遺体を浮島コテージごと元の位置に戻そうと試みた。自白によれば、当初は
蹴り出すだけで自然と戻るだろうぐらいに考えていたが、そうはならなかった。慌てて
反対側のコテージまで走り、ガイドを引っ張った。重くて手応えが感じられなかった
が、それでも徐々に動き出したという。途中で左右のペンションにも行き、それぞれの
場所からもガイドを引いてみて、バランスを保ち、どうにかこうにか元あった中央付近
まで浮島を戻すことに成功したという。
 これでもう明白であろう。
 犯人は中上妙子で、四箇所ある各ガイドラインに彼女の毛髪が絡まったのは、犯行後
の工作の過程で偶然、抜け落ちたもの。鬼塚の指紋が集中していたのも、中上のペンシ
ョンへと続くガイドだった。
 ちなみに動機は、中上の名字の異なる妹が鬼塚にお金をだまし取られ、それが元で自
殺未遂を起こしたことにあった。

 終わり





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