AWC 撃てない弾丸   永山


    次の版 
#371/567 ●短編
★タイトル (AZA     )  09/10/30  22:17  (452)
撃てない弾丸   永山
★内容
 かれこれ五十年近く前のことになるか。
 祖父の書斎に施された仕掛けに私が気付いたのは、火遊びのおかげだった。
 火遊びというのは文字通りの意味で、子供の頃の私は一時期、蝋燭が燃え、
蝋が溶けて流れ落ちていく様に興味を強く抱いていた。仕掛けに気付いたその
日も、親の目を逃れるため、祖父が亡くなって以来開け放しにされた書斎に蝋
燭とマッチを持ち込み、心ゆくまで炎を眺めていようと思ったのだ。とはいえ、
机に蝋燭を立て、火をともしていては、いざというときにごまかしようがない。
誰か他人にドアを開けて入ってこられても、死角になる位置に蝋燭を立てる必
要があった。
 私はその条件を満たす場所として、書架の最下段に空きスペースを見つけた。
書斎と言っても、机と椅子と本だけがある訳ではもちろんなく、ダッシュボー
ドや小さなクローゼット等があった。しかしやはり主役は書架である。四つあ
る書架の内、私が着目した物は、床から天井まである立派な木製の本棚で、ほ
とんどのスペースを書籍で埋めてあるのに、一番下の段の左隅だけが幅三十セ
ンチ分ほど、何故か空けてあった。当時の私は深く考えることなしにそこへ蝋
燭を立てると、火を着けた。床に俯せに寝そべり、真正面から揺れる炎を眺め、
やがてこぼれるであろう蝋を心待ちにしていた。
 一分か二分経っていただろうか。かちゃっと乾いた音がした。音の方向に目
をやるまでもなく、蝋燭を設置した真横、書架の側面から外向きに、板がはが
れた風に見えた。バナナの皮を剥き始めたところといった格好だ。
 まさか火の熱で壊れた?と不安を覚え、腰を浮かして確認する。と、板がは
がれたのではなく、小さな扉が上向きに開いたのだと分かった。元々このよう
な隠し扉が付いており、何かの弾み――あるいは壊れて?――で開いたものと
思われた。祖父は生前、家具職人をしており、確かこの本棚も自作だった。遊
び心から、隠し扉の仕掛けを施したのかもしれない。
 もちろん、その瞬間の私は幼かったせいもあり、そこまで考察する余裕はな
かったように思う。それに、小さな隠し扉の中身に、意識を吸い寄せられたの
だから。
 扉に入っていたのは、拳銃。
 S&WのM19だということは、だいぶあとになって調べて知った。定期的
に手入れが行われていたらしく、その表面はくすんでいない。弾はリボルバー
に五発が装填されており、予備は見当たらなかった。祖父が銃を購入・所持し
ていたとは聞いたことがないから、恐らく非合法な形で入手し、そのまま護身
用のつもりで隠し持っていたのだろう。使うことはなかったようだが。いや、
リボルバーには六発装填できるから、一発だけ試射したのかもしれない。
 私は驚きでしばしぼーっとしていた。はっと気付いて、とりあえず、蝋燭の
火を消した。それから拳銃を持ったまま、書架の扉を押してみた。軽い力で側
面に押し込まれ、開いたときと同じような乾いた音がしたかと思うと、ロック
された。指を引っかけられるような突起は皆無で、扉の形を示す切れ込みも、
木目がカムフラージュを果たして巧妙に隠されている。
 凄い発見をしたぞと興奮したのも束の間、隠し扉を開ける方法が分からない。
手にしたままの拳銃をどこに仕舞えばいいのか、少しの間、途方に暮れた気分
を味わった。しばらく考え、子供らしい単純な発想で、同じことを繰り返して
みようと思った。すなわち、蝋燭に再び火を着けたのだ。
 大正解だった。
 着火してから二分足らずで、扉は開いた。私は拳銃を戻すと、扉を閉め、次
に蝋燭をのけた。ぽっかりとできたスペースが、今や、やけに目立つように感
じられた。ここに本を入れて隠さなければいけない。そう感じたものの、書斎
の他の場所から本を持ってくると、かえって目立つ。子供の自分が手持の本を
持ち込んでも同じだ。やむを得ず、このときはそのままにして場を離れた。
 自分の見つけた秘密がいつばれるか、その後、一ヶ月ほどはどきどきして過
ごした。よい隠し方を求め、頭を悩ませもした。だが、心配は杞憂に終わる。
大人達が、祖父の書斎の本棚にある小さな空間に注意を向けることはなかった。
祖父が亡くなった直後なら、書斎への人の出入りも多かったように記憶してい
るが、すでに十ヶ月ほどが過ぎ、関心は失われていたのだ。
 少年の私はひとまずの安心を得ると、両親の言うことをよく聞き、勉強に励
んだ。両親は、一人息子の“改心”と“成長”を、喜び、歓迎していたものだ
が、私の目的は祖父の書斎を自分の物にするためにあった。火遊びもやめた。
その意志を表すため、隠し持っていたマッチは全て捨て、蝋燭は親に返した。
そんなことをしなくても、年長になるに従い、蝋燭の炎に対する興味は加速度
的になくなっていたのだが。その代わりに、あの拳銃への興味が日増しに大き
くなっていた。書斎への出入りを禁じられていた訳ではないので、拳銃を取り
出そうと思えば、いつでも可能だった。しかし、まだ自分自身の世界が広くな
い子供にとって、拳銃の試し撃ちをするのにふさわしい秘密の場所を見つける
のは、なかなかに難関だった。秘密の場所はいくつかあったが、それは大人に
対してのみ。同年代の親しい男友達には秘密でも何でもなく、共通の場所だっ
たのだ。
 高校に入ると、行動範囲もある程度は広くなったものの、それは主に都会方
面のこと。私の思い描く、拳銃の試し撃ちに適した空間からはかけ離れていた。
鉄橋下の河原という選択肢も頭に浮かんだが、他人の現れる可能性が山などよ
り高いことを考慮すると、ためらわれた。結局、夏休みの一日を利用して、自
転車で駆け回り、ようやく理想の場所を見つけるに至った。自宅から小一時間
ほどの距離にある山の麓で、近くには鉱山があり、採掘作業の発破がしょっち
ゅう音を轟かせている点が気に入った。
 後日、改めて出直した私は、拳銃の試射を行い、満足を得た。発射音が想像
よりは小さく、乾いた感じだったので拍子抜けした。逆に、撃った反動の重さ
は想像を遙かに上回り、驚かされた。

 大学に入ると同時に、祖父の書斎は私の物になった。私は時間と機会を見つ
けては、隠し扉の仕組みの解明に努めることができた。見つけたときから、ず
っと気になっていたのだ。何故、左隅の空間に火を持って行くと開くのか。
 分かってみれば、シンプルなからくりだった。蝋燭の火で発生した上昇気流
が、書架の横板に内蔵された小さなプロペラを回す。その動力でフックが外れ、
隠し扉が開く。ドイツのクリスマスに付きものの、クリスマスピラミッドの原
理と基本的に同じだ。
 祖父のオリジナルかどうかは知らないが、面白い仕掛けだ。加えて、外から
見て扉の型を全く分からないよう仕上げる腕前に、感服させられる。
 このような隠し扉が他にもあるのでは? そう考えた私は書斎内を探してみ
たが、徒労に終わった。本当にないのか、存在するのだが巧妙な作りのおかげ
で見つけられないのか、判断のしようがなかった。
 まあ、どちらでもよい。私は隠し扉一つと、拳銃一丁で満足できる。何故な
ら、これで完全犯罪が可能になるのだから。仮にこの書斎で私が憎い相手を撃
ち殺し、その直後に第三者に踏み込まれたとしよう。私には、拳銃を隠し扉に
隠すだけの時間さえあればいい。凶器の拳銃が見つからなければ、警察は私を
犯人と決め付けられない、という理屈である。硝煙反応の問題をクリアする必
要があるが、
 断るまでもないが、拳銃を見つけた当初から、こんな計画を立てた訳ではな
い。拳銃を所有しているという事実は、未熟な私を支えてくれたこともあった。
だが、実際に誰それを殺そうと考えたことは一度もない。いや、なかった。若
造だった頃はブレーキが効いたのに、人生経験を積んだ今になって、人殺しを
決意するとは……所詮、未熟者の域を脱せられなかった訳だ。

 誕生日に決行することにしたのには、単純だが理由がある。
 誕生祝いのパーティ名目で、我が家に人が集まる。すなわち、事件の関係者
が多くなり、容疑者の範囲も広くなるというメリットにつながる。いくら凶器
の存在しない殺人を演出しても、屋敷に被害者と犯人の二人きりでは、疑いか
ら逃れられまい。そもそも、殺害時に書斎の近くに証人がいなくては、私の完
全犯罪は成立しない。凶器を室外に捨てる時間があったと見なされては、水の
泡だ。
「お誕生日、おめでとうございます。お義父さん」
 リーガン・ウェイコムは書斎のドアを開ける前から、満面の笑みだったよう
だ。作り笑いにしか見えない。
「機嫌取りかね。この年齢になっておめでとうもないものだ」
 座ったまま椅子の向きを少し換え、私は皮肉をあからさまに言ってやった。
リーガンは一瞬ひるんだようだが、すぐにまた笑顔に戻る。百面相を想起させ
る素早さだ。
「いやだな、義父さん。長生きはめでたいことですよ。ホリーのためにも長生
きしてください」
「そうだな。長生きすれば、娘に下の世話をさせることになるかもしれんが、
ホリーなら喜んでやってくれるだろう」
「そ、そういう話はまだまだ早いでしょう」
 答えるリーガンの何とも言えない表情は、愉快な見物だった。
 下手の横好きも他のことならよいが、ギャンブルでは困る。私の財産をあて
にしているこの男に、どうして一人娘のホリーはぞっこんなのか、いまだに理
解できない。私が死んだあと、ホリーを通じてリーガンが遺産を使うのだと考
えるだけで、むかむかと腹が立つ。それを防ぐためには――リーガンとホリー
が別れない限り――、リーガンに死んでもらうほかない。どうせリーガンも私
の長寿を望んでなどいない。かまうものか。
 娘が悲しみに暮れるのは本意でないが、それは一時のこと。じきに立ち直る
であろうし、いずれこれでよかったのだと思う日が来ると信じている。
「いつものプレゼントを持って来たので、飲んでください」
 手に提げた紙袋から、酒瓶を取り出すリーガン。前回くれた物を開封してい
ないことを、この男は知らない。私の勘繰りすぎかもしれないが、身体に悪い
薬物でも混入されていてはたまらない。
 形だけ受け取ったところで、ノックの音がした。名乗ったローマン・トンプ
ソンに、私は入室を許可した。
「ウェイコムさん、今日は――ここにいたのか、リーガン」
 リーガンは機嫌を取らねばならない相手が増えて、忙しそうである。トンプ
ソンはリーガンのよき友人だが、大金を貸したことをそろそろ悔い始めている
のではないか。おおっぴらに返済を催促するようになってきた。だからこそ、
今日のパーティに、“容疑者候補”として呼んだ訳だが。
「やあ、ローマン。別に君から逃げているんじゃあない」
「そんなことは言ってない。今日はウェイコムさんの祝いの席だ、無粋な真似
はしないさ。ただし、ポーカー遊びだけはストップをかけさせてもらう」
 去年の誕生パーティで、ポーカーに興じたリーガンは、例によって負けが込
み、借金を増やしていた。金を貸した側として、同じ轍を踏ませたくないのは
当然。
 私は唇の両端を上げ、二人を見上げながら、わざと逆のことを言った。
「トンプソン君。やらせてみてはどうかね。大勝する可能性もゼロではない、
と本人はきっと思っておる」
「いえいえ、とんでもない。義父のめでたい席で、個人的趣味に走るのはやめ
ておくのが賢明かと」
 昨年の失態を繰り返し、私の機嫌を損ねるのを恐れているに違いない。リー
ガンは心にもないことを言った。
「その決心をずっと続けてくれることを祈るよ。――ウェイコムさん、男の私
からでは嬉しくないでしょうが、箱根細工のよい物が手に入ったので」
 トンプソンはきれいに放送された直方体の小箱を、私にくれた。内外の雑貨
を扱う商売をしている彼は、ホリーとも学生時代に知り合った仲で、私との付
き合いも短くはない。箱根細工のような絡繰り箱を私が好むことを知られてい
るのは、ちょっとばかり気になるが、まさか書架の隠し扉に気付くこともなか
ろう。
「これはありがとう。じっくり楽しむとするよ」
 プレゼントを仕舞ったところで、今度は家政婦の声がノック音とともにした。
「ウェイコムさん、準備が整いましたので、ぼちぼち食堂の方へ……」

 テーブルに着いた面々を眺めつつ、私は心の中で、リーガン殺害の“容疑者
候補”を数えてみた。
 まず私自身とトンプソンで二人。
 娘のホリーはリーガンを愛しており、動機がないのは明白だが、警察はそう
は見ない可能性大だ。できる限り、ホリーにアリバイがある状況で、殺害を実
行したい。
 私の妻のタミアは、リーガンに対して含むところはない。トラブルがあった
とすれば、ホリーと結婚する前に、やかましく禁煙を告げたことぐらいか。私
よりずっと年若いタミアは、筋金入りの煙草嫌いである。彼女が嫁に来て以来、
ウェイコム家からマッチやライターが消えた。私が隠し持っているマッチ箱が
数個あるのみ。また、ウェイコム家への来客は皆、マッチやライターを彼女に
預けるしきたりになっているほどである。後に一度だけリーガンが誓約を破り、
屋敷内で喫煙をしたが、タミアにばれてこっぴどく叱責されていた。二十年ほ
ど前のことであり、今では動機と見なされまい。
 タミアの旧い知り合いであるハロルド・ロンドンは、ホリーに恋心を抱いて
いた時期がある。リーガンにかっさわれたときは、傍目からもはっきり分かる
ほど落ち込んでいた。今でも多少未練を残している。表面上は穏やかに接して
いるが、機会さえあれば、リーガンの廃除を考えておかしくない。
 ポール・アンダーソンは、私との仕事上の付き合いが縁でこの家に出入りす
るようになり、リーガンとも知り合いになった。温厚な男で、誰に対しても人
当たりがよい。唯一、事件後に警察が問題視するであろう事実がある。アンダ
ーソンの妻は病気で亡くなったが、その病に倒れた際、運転免許を持たない夫
に代わって車で病院に夫人を運んだのがリーガンだった。しかしリーガンは道
に迷い、病院への到着が遅くなった。それが夫人の死亡に直結するかどうかは
分からないが、助かる可能性を低めたのは確かである。アンダーソンはそれで
もリーガンを恨んでいないかもしれない。だが、警察の見方は恐らく違う。
 同じことは、彼の息子のケンにも当てはまる。ただし、ケンは今小学生で、
警察が容疑者リストに入れるとは考えにくい。
 他には、家政婦のナタリア・ポリッシュがいる。リーガンを好ましく思って
折らず、暇さえあれば、彼を陰で悪し様に言い、ときに私に進言してくる。別
れるように、お嬢さんにそれとなくおっしゃってはどうですか、と。
 本日ウェイコム家に滞在するのは、以上で全てである。警察の捜査陣如何だ
が、リーガン殺しの容疑者は五、六人を数えることになろう。それだけいれば、
“真犯人”はひとまず安心できるというもの。あとは実行のタイミングを誤ら
ないことだ。
 この食事が散会すれば、特段の予定は控えていない。皆が私に内緒で驚かす
ための演出を用意していたらまずいが、まあ、ないだろう。それでも念のため、
しばらくは様子を見るつもりでいる。何事もないようなら、いよいよ計画の実
行に移る。夜遅く、リーガンを書斎に呼びつけ、折と隙を見て撃ち殺す。綴っ
ただけなら実に簡単な作業に思えてくる。本番では緊張から手が震えるかもし
れない。至近距離でも外すかもしれない。それでも四発あれば、目的は達成で
きるだろう。その代わり、一発で仕留められないときは、想定以上に素早く拳
銃を隠さねばなるまい。
 私は食事の間、全員の夜の予定を把握することに努めた。誰もが夜十一時ま
でには、あてがった部屋に入って就寝するつもりだと分かった。ホリーにだけ
はアリバイができるようにしてやりたいが、下手に誘導しようとしても、作為
が透けて見かねない。干渉はほどほどにして、成り行き任せにするのが賢いだ
ろう。
 そう考えた矢先、ホリーが思い出した風に口を開いた。外国に行っている友
人と、電話でおしゃべりをするつもりよと。時差の関係で、午後十一時辺りが
お互いにとってよい時間帯だという。
 この機会を逃す手はない。ホリーの通話中に犯行をなせば、ホリーのアリバ
イは確保できよう。携帯電話を片手に、拳銃を撃てないことはないと警察は判
断するかもしれないが、全くのアリバイなしよりはずっとましだ。
「皆に改めて礼を言いたい。こんな場を設けてもらって、ありがとう」
 食事の最後に私はこう述べた。他の全員が拍手を短く返してくれた。無論、
リーガンも。

 夜空は晴天で、気温は暖かい。申し分ない。
 断るまでもないが、書斎の窓は開け放しておいた。一方、唯一のドアは内側
から施錠しておく。私は別に、殺人を怪異の仕業に見せかける魂胆は持ってい
ない。容疑者を増やすために呼んだ面々に、積極的に濡れ衣を着せるつもりも
ない。何者かが窓の外から室内のリーガンを射殺した、という状況ができあが
ればよいのだ。
 硝煙反応を防ぐ手段は、大きなこうもり傘を用いることにした。
「妻が誕生日プレゼントに、古い大型のこうもり傘をくれたんだが、私に似合
うかね」
 自然な感じで傘を持ち出し、開いてみせる。傘を横に向け、リーガンの視線
を遮ったところで、前もって懐に入れておいた拳銃を取り出す。そしてこれま
た前もって切れ込みを入れて作った傘の隙間に銃口を差し込み、狙いを定めて
撃つ。
 すべては計画通りに行った。弾は見事にリーガンに命中した。音を聞きつけ、
皆が集まってくる頃には、絶命していた。その間、私が銃を例の隠し扉に収め
たのは言うまでもない。傘は畳んで、本来置いていた書架の最上段に戻した。
誰も気に留めまい。妻からの誕生日プレゼントというのは事実であるが、もら
ったのは遙か昔のこと。
 ドアの向こう、廊下側から、戸惑いの不安のにじんだ声が次々と上がってい
る。
「ウェイコムさん、どうされました?」
「銃声のような音がしたが……」
「あなた! 大丈夫なの?」
 私は唾を飲み込み、演技に入る心の準備を整えた。ドアの鍵を解除しようと、
手を伸ばす。
 そのとき――クローゼットの扉が開いた。
 私はびくりとして動きを止めた。声すら出ない。
 クローゼットの方を見つめていると、中から人影が現れた。
「お、おじさん。ごめんなさい。凄い音がしたから……」
 ケン・アンダーソン少年が現れた。

 退屈紛れに屋敷を探検した挙げ句、書斎を覗いていたとき、大人がやってく
る気配を感じたので、クローゼットに隠れた――ケンはそう弁解した。
 私は頭の中で、冷静かつ素早く、分析に取り掛かる。
 クローゼットの中から部屋の様子は見えないはずだ。通気のための横細の穴
は六つか八つほど空けてあるが、全て下向きで、目をこらしても見えるのは床
だけ。クローゼットの扉の向きから考えて、私やリーガンの足下すら目撃不可
能に違いない。
 銃声音の発生源にしても、クローゼットの中で聞いた分、正確な判断は無理
であろう。
 よし、まだ行ける。
 私は当初の計画通りに振る舞うことに決め、他の者全員に事情を説明した。
リーガンと話をしていたら、いきなり激しい音がした。ほぼ同時に、リーガン
が倒れた。窓から弾が飛んできたと思い、恐怖を押しとどめて振り返ったが、
犯人の姿は闇に紛れて見えなかった等々。
 私はことさらに演技が得意な訳ではないが、妻や娘、家政婦はもちろんのこ
と、友人達も、私の話を頭から信用した様子だった。一つだけ気懸かりがある
とすれば、クローゼットに隠れていたケンだが、この子の聞いた物音に矛盾す
るような証言はせぬよう、万全を期した。終わってから振り返ってみると、リ
ーガンが撃たれる間際に私の名を叫んだり、「何をする!?」というような声
を上げたりはしなかったのは、非常に幸運だった。もしもそういった声を上げ
られていたら、ケンは私に疑惑の目を向けただろう。たとえケンがリーガンを
憎んでいたとしても、私の証言の嘘を指摘し、警察に告げたかもしれない。
 私はこのあと、警察の事情聴取も無事に切り抜けた。捜査官らは犯人の痕跡
を追うとともに、凶器も探していたが、書斎のあの隠し扉に気付くことはなか
った。

 事件から半年ほどが経ったとある晩。私は屋敷に一人でいた。
 この日は元々、ナタリア・ポリッシュに休みを与える約束になっていたのだ
が、そこに加えて、妻と娘も家を空けることになった。タミアは禁煙運動団体
の講演会に招かれ、ホリーは亡夫リーガンの両親に呼ばれ、泊まりに行った。
 広い屋敷で一人きりになるのは久しぶりだった。両親を相次いで亡くしたと
きでも、親族がひっきりなしに出入りしていた。まあ、この年齢になって、独
身気分を満喫するでもない。静かにのんびりとすごそうと、考えるともなしに
考えていた。
 だが――ひとときの安閑は意外に呆気なく打ち破られる。
 用足しを済ませて、食堂に向かおうとしていた私の背後に、人の気配が忍び
寄った。充分に振り返る間もなく利き腕を背中側にねじり上げられ、悲鳴が漏
れそうになる。が、眼前に光る刃物を近付けられ、声を飲み込んだ。強盗か。
 賊はご丁寧に、刃物を移動させ、刃先を私の喉元へ当てた。一歩も動けない。
「言う通りにしてもらう。騒ぐなよ。騒げば喉をかっ切る」
 冷静さと冷酷さが腕を組んでいるような冷たい声に、身が縮み上がる。
「何が望みだ?」
 どこから侵入してきたのか。防犯には金を掛けたつもりだったのに。メーカ
ーへ不満を思い切りぶつけてやりたいが、今はそれどころではない。金を惜し
んで命を落としては、馬鹿々々しいにもほどがある。
「言っておくが、大金は置いていない。ほとんどが銀行だ」
「目的は金じゃない。時代物の宝飾品を秘蔵しているという噂を耳にした。拝
ませてもらおうか。我が探し物であれば、いただいて行く」
「宝飾品? そのような物に心当たりは……」
 ない、と言い切るのが恐ろしくて、語尾は濁したが、心当たりがいないのは
事実だ。我が家には宝石やアクセサリーの類があるにはあるが、どれも現代の
職人による品である。祖父や父が代々受け継いでいるという話も聞かない。
「知らないはずはない」
 賊は冷たい声で言い切った。厄介なことになった。金なら銀行からおろして
でも希望の額を払えるが、ないものは渡せない。それを果たして納得させられ
るだろうか?
「隠し場所なら見当が付いている」
 賊の声に得意げな響きがわずかに混じる。
「ウェイコム家はおまえの祖父の代まで、伝統的に家具職人だった。それも相
当に腕のよい。家具に素人目には分からない隠し場所をこしらえるくらい、朝
飯前だろう」
「……」
 賊の言葉に、私はしばし応じられなかった。確かに、とある家具には秘密の
隠し場所がある。しかし中身はお宝ではない。拳銃だ。
 そこまで脳裏に描き、私は賊を撃退する妙手を思い付いた。
「察しが付いているのなら、ごまかすのはあきらめた」
 私はせいぜい落胆してみせた。賊が「それが利口だ」と囁く。
「君に言う通りにするから、ことが済めば無事に解放してくれ」
「おまえ次第だ。さあ、早く案内しろ」
 最初に拘束された姿勢のまま、廊下を進み、私は書斎までたどり着いた。そ
の間に賊を見ることができたが、スキー帽をすっぽり被っており、顔は分から
ないままだった。
「ここにある」
「この部屋の何に隠してあるんだ? 机か? ベッドの天蓋か?」
「ここは書斎だからベッドはない。私にしか取り出せない仕掛けになっている
んだ。もう少し、自由にしてくれないかね」
「仕掛けにはおまえ自身に触らせてやる。だが、妙な気は起こすな。言ってお
くが、自分は東洋武術の心得がある。老いぼれを優しく眠らせることも、派手
に打ちのめすことも、思いのままだ」
 書架の隠し扉を開けるため、私は片手で作業を始めようとした。だが、この
書斎には着火道具がマッチしかないことを思い出す。私が小さな子供の頃から、
ずっとそうだった。ライターではなくマッチに慣れ親しんできた私だが、片手
でマッチの火を着ける芸当はできない。
「すまないがライターを持っていないかね? 火がいるんだ」
 火が必要である証拠にと、蝋燭を持ってみせた。
「ない。自分は煙草を吸わないし、放火の趣味もない」
「ここにはマッチしかないんだ。両手が使えないと、火を着けられない」
「……仕方がない」
 賊は意外にあっさり、利き腕を放してくれた。ただし、身体の前に持って来
た私の両手首を紐製の手錠で拘束した格好で、だが。
「これでマッチを使えるだろう」
「あ、ああ、ありがとう」
 一応礼を述べ、低姿勢に努める。私は蝋燭に火をともすと、順序が逆になっ
たが、例の書架の左下隅の本何冊かをどけた。両手首を縛られていて、かなり
やりにくかったが、必死でやり遂げた。賊に代わられては、隠し扉の中を先に
見られる恐れが大だ。
「そこに蝋燭を置くのか」
 勘がいい奴だ。先んじられてはまずい。私は返事をせずに急いだ。蝋燭を持
つと火の熱さを感じたが、気にならない。無言で作業を続け、蝋燭を定位置に
運んだ。絨毯にはうっすらとではあるが、跡ができている。
 準備は整った。隠し扉が開くまでの約二分間、時間を稼ぎたい。こちらが説
明をしないでいると、賊の方から口を開いた。
「どうした? 早くしないか」
「これでいいのだ。上昇気流が起きて、仕掛けが作動する。あとはしばらく待
つだけでいい」
「しばらくとはどのくらいだ?」
「気温や湿度に左右されるが、およそ――」
 適当に応じつつ、壁時計を見やって時間の経過を確かめる。あと十数秒。た
っぷりとためを作り、答える。
「五分でいいだろう」
「五分か」
 賊は辺りを見回すような仕種をした。私はその隙に、書架のすぐ隣に立つ。
扉が開けば、即座に銃を取り出せる。両手首を縛られていても、銃を掴めば撃
てる。賊は刃物で脅してくるからには、銃は持っていないに違いない。形勢逆
転だ。
 隠し扉と賊、両方に注意を配るのはひどく疲れる。集中を途切れさせないよ
う、神経を張り詰める。
 そして――扉が開き始める音がした。
 私はしゃがみ込む素振りで、銃に手を伸ばす。うまく掴めた。人差し指の先
を引き金に掛ける。
 相手に何が起きたのか悟られぬ内に、銃を突きつけ、その後がどうなろうと、
正当防衛として撃ち殺してやる。銃と隠し扉の存在は、たとえ賊が相手でも隠
さねばならない。むしろ、こいつを銃で脅して追い返すだけで済ませていては、
後々の火種になりかねない。
 上半身を起こし、拳銃を構えようとした。
「そこまでだっ、ピーター・ウェイコム」
 私の耳に、私の名前を呼ぶ声が鋭く届く。
 賊の声? それにしては冷たい感じが最前までと決定的に異なる。混乱のお
かげで緊張が若干緩んだ私は、周囲を見る余裕ができた。いつの間に入って来
たのだろう、複数人の制服警官が私に銃を向けていた。顔見知りになった私服
の刑事もいた。反射的に銃を手放し、無抵抗の意志を示す。
「撃たないでくれ! 不審者はそいつの方だ! 私がこの家の者だということ
は、警察なら知っているだろう?」
 必死にアピールし、賊に意識を向けさせる。
 ところが、刑事達の態度は些かも変わらない。私への敵意は維持され、賊に
は関心を払わない。
 そこへ、賊がスキー帽を取り去り、素顔を表した。東洋系の顔立ちをしてい
る。武術の心得というのは本当なのかもしれない。
「少々乱暴を働いたことはお詫びします。ウェイコムさん。私はHテンダー、
私立探偵を生業としています。刑事さん、彼の拘束を解いてあげてください」
 賊だった男の声からは、冷たさが抜けていた。代わりに、心から謝罪する風
な率直さが加わったような。
「探偵、だと」
 左右の手首を交互にさすりつつ、顔見知りの刑事に顔を向けた。が、説明は
テンダーなる男が続けた。私が取り落とした拳銃は、制服警官の一人がしっか
りと確保していた。
「殺人事件だろうが浮気調査だろうが、依頼は選り好みせずに引き受けること
をモットーとしています。警察が大っぴらにやれない仕事を、代わりに受け持
つ場合もありましてね」
「警察が大っぴらにやれない?」
 まだ分からない。状況を飲み込めないとは、こんなにも不安なものか。
「いくら我々でも、ここまで露骨なおとり捜査もどきをやるには気が引けたの
で、テンダー氏に頼んだのですよ」
 刑事がいかにも残念そうに伏し目がちになり、首を傾げながら言った。おと
り捜査という表現に、私は背筋に冷たいものが走った気がした。
「いったい、何の話をしているのか。分かるように話してもらいたい。事と次
第によっては――」
「まあまあ、ウェイコムさん。強がりはもうよしましょうや。あの拳銃を調べ
れば、リーガンさんを殺害の凶器が判明すると思うんですがねえ」
「あれは……」
 賊が持ち込んだ物を奪ったのだという抗弁を考えていたのだが、テンダーと
警察が仲間らしいと分かった今では、言い訳のしようがない。
「ウェイコム家が代々家具職人であるとの事実から、屋敷内、特に書斎の家具
のどこかに秘密の隠し場所が設けられており、銃を隠せるのではないか。そう
推測した我々は、ではどうすれば秘密の場所をあぶり出せるかに、頭を捻りま
したよ。大した根拠もなしに、家中の家具を分解して調べる訳にはいきません
からな。結果、単純だが恐らく効果的であろう作戦を思い付き、こうして実行
したのです。強盗に押し入られ、身の危険を感じたあなたは、銃を取り出して
応戦を試みるであろうとね。見事にはまってくれた」
「秘蔵のお宝どうこうと言い出したのも、そちらの策略だったと?」
 テンダーを見つめながら、私は尋ねた。別に答を期待していた訳ではないが、
刑事からは「その通りで」と返事があった。ひょっとすると今晩、妻と娘が出
掛けたのも、実は警察に協力してのこと? それは考えたくないが……。
「私を逮捕するのかね」
「無論。拳銃が書斎以外から出て来たなら、まだ他の関係者の可能性もあった
が、書斎の書架ではね。それに、潜んでいたときに見させてもらいましたが、
あの秘密の扉を開ける仕組みは独特ですな。それを知っていたあなたを疑わざ
るを得ない」
 すでに半ばあきらめていた私は、刑事に両手を揃えて差し出した。だが、途
中で動きを止めた。
「もし仮に、『実はケン・アンダーソン少年がやった。銃の隠し場所を知って
いた彼が、リーガンを殺したのだ。私はあの子の犯行を目の当たりにしていた
が、かばうために嘘をついていた』と主張したら、どうしますかね?」
「それはちょいと困るかもしれませんな」
 刑事は困惑気味に答えた。そのすぐあとを、探偵のテンダーが引き取る。
「いえ、さほど困りませんよ。僕はケン君にも色々と聞き込みをしましたから
ね。彼は典型的な現代っ子なんだと分かりました」
「何を言わんとしているのか、分からないな、探偵さん」
「この屋敷に、ライターはなく、蝋燭に火を着けるとすればマッチしかない。
その点は間違いないですよね?」
「……ああ、確かに」
 否定の返事をすればあるいはわずかな光明が見出せるかも。そんな予感を抱
いたが、結局私は正直に答えた。年端もいかぬ子供に濡れ衣を着せるのは、鬼
畜の所行だ。
 テンダーは、多少ほっとしたように息をついた。それから、さらりと言った。
「ケン少年は、マッチが何なのかを知らないんです」

――終わり





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●短編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE