#356/567 ●短編
★タイトル (AZA ) 09/04/20 00:26 (255)
お題>スキップ>変更 永山
★内容
Sカードなる物を手に入れたのは、偶然としか言えない。
会社からの帰途、その老人とすれ違った。片手に何か持ち、電話しながら歩
いていた。よほど通話に意識が行っていたのか、私とすれ違った直後、赤信号
に気付かず、車道に踏み出し、車にはねられた。後に聞いたところだと、病院
に救急搬送されるも、亡くなったという。
この事故のとき、私の足下には、一枚のカードがはね飛ばされて来た。恐ら
く、老人が手にしていた物。白地に緑色のSがデザインされた、手のひらサイ
ズのカードだった。紙かプラスチック製と思ったが、拾ってみると、どことな
く感触が違う。何か惹かれるものを感じたのか知らないが、そのままポケット
に入れてしまっていた。
Sと印刷されたのと反対側に、使用説明っぽい文章があるのを見つけたのは、
家に帰って落ち着いたあとのこと。
1.本品の使用者欄に名前を当人が記入することで、使用者が決定される。使
用できるのは、名前の当人のみとする。使用者変更はいかなる形でも不可
2.本品の使用は、希望する行き先と時間を明確に思い浮かべながら、「スキ
ップ」と発声し、本品を足下に放ることでなる(本品は移動した先に着いて
行きます)
3.本品の移動可能範囲は、使用者ごとに条件が付く。つまり、使用者の現に
存在する時点より未来、過去の方向にかかわらず、使用者が生存している時
間に限る。これを超えて使用した場合、使用者の生命に関わる
4.本品により移動した先での滞在時間は、三時間を上限とする。これを超え
て滞在した場合、弊社は使用者の身体の安全及び元の時点への帰還を保証し
ない
5.本品により移動後、元の時点に戻るに際しては、直行に限る(換言すれば、
寄り道をしてはならない。これに反した場合、元の時点に戻れません)。帰
路に関しては、「Rスキップ」と発声して本品を足下に放るだけでなる
6.本品は使用限度を六回とする(使用後は、単なるカードと同等になります)
7.Sカード製品全般並びにスキップ技術について、いかなる形でも口外して
はならない。これに反した場合、使用停止及び本品の返品に加え、相応の賠
償を請求する権利を弊社は有する
8.同じ時空へ重ねて行かれることは、なるべくお避けください。これに反し
た場合、弊社は全ての安全を保証しかねます
9.万が一、本品に不具合が生じた場合、本品を手にしたまま、下記の連絡先
へお知らせください
一通り読んで内容を頭に入れてから、使用者欄とやらを探してみると、それ
らしき横長の升目があった。空欄だった。
あの老人、字がよく見えなかったのかなあ。だから名前を書き込まないまま
使おうとして、うまく行かず、電話で問い合わせを……なんて流れを想像して
から、馬鹿らしくなる。
こんな夢みたいなカード、実際に存在するはずない。時間旅行ができるって
ことでしょう? あり得ない。
そういう風に否定しつつも、手はしっかりとカードを握っていた。試すだけ
なら害はない。誰かに見られていたら恥ずかしいけれども、今は部屋に一人。
全然、気にする必要なし。
私は名前を記入した。長辺愛美。
それから適当な場所と時間を思い浮かべ、試すつもりだった。
でも、もし本当に使える物だったら……説明の書き方から判断して、多分、
行って帰ってですでに二回だろうから、実質、三度の時間旅行で終わり。そう
考えたら、一回たりとも無駄に消費したくなくなった。
時間旅行ができるとして、何がしたいかっていうと、色々ある。けれど、ぱ
っと思い付いて、なおかつあとに形ある物が残るのは、お金儲けじゃない?
宝くじとか馬券とか株とか。
その中では、競馬が一番手軽に思えた。宝くじは当たりが分かっても、その
番号がどこで売られているのか、どうやって探り当てればいいのか。株は手続
きが面倒で、三時間じゃ無理っぽい? 今この時代に取引開始の手続きを済ま
せて、それから未来に行って値上がりする銘柄を知り、戻ってからその株を買
う、という風にやればお金儲けにはなるけれど、事前に手間暇掛けた分、カー
ドがいんちきだったらがっくりと来そう。
銀行の金庫内に入り込み、お金を持って帰るというのは、完全に犯罪で、さ
すがに気がとがめる。第一、私一人で運べるお金の量なんて、たかがしれてる。
と、ここまで考えて、金持ちの恋人か結婚相手になれば、もっと確実に人生
を変えられると思い当たった。私が絶世の美女なら、チャンスさえあれば、相
手の心を掴むことも容易いかもしれない。だが、生憎と現実はそうじゃない。
だいたい、絶世の美女なら、今みたいな平凡な人生を送ってない。
三十路を目の前にして、逆転を狙うには、このカードに頼ってみるのも手。
だったら、自分のお金儲けなんて後回しにして、三度のチャンス全てを注ぎ込
むつもりにならなくては。もちろん、一度で成功すればラッキーだけれど、過
去に旅したからって若返る訳でもなし、ここは現実的な見通しで行こうと思う。
これからじっくり作戦を練る。まずは、金持ちの独身男性で、最近、不幸に
遭遇した人のリストをこしらえる。多くはないだろうけど、何人かいるはず。
不慮の事故か何かで、死んでしまった人もいるかもしれない。そんな人を私が
過去に行って助ける。命を救われたら、相手は私に感謝するに違いない。人並
みな容姿の私にとって、それは大きなきっかけになる。
不幸から救うことが簡単にできなければならないんだし、適当な相手を見つ
けるのは一苦労。何せ、過去に行った私は、男性を助けたあと、その時代の私
に会って、これこれこういうことがあったからうまくやりなさいと教えなくて
はいけない。滞在できる三時間を、目一杯使うことになりそう。私に教えるの
は、携帯電話を使えば、だいぶ短く済ませられるとは言え。
……でも、待って。これまで生きてきて、私、そういう電話が掛かってきた
ことないじゃない。自分そっくりの人から、そういうレクチャーを受けたこと
もない。本当に時間旅行して、過去をいじれるのなら、私の身に既にそれは起
きているはずじゃないの? それとも、カードを手にした今の私が、行動を起
こさない限り、いつまで経ってもなかったことに?
……考えても結論は出ない。とにかく、やってみないと分からないのだ。
目を開くと、ついさっき思い描いた場所に、実際に立っていた。プレイラン
ドになっている駅ビル屋上、その隅っこにある用具入れの横。他人に気付かれ
た様子はない。
それにしても……驚いたというしかない。
計画を立ててる間は、Sカードの能力を無理して信じるようにしていたけれ
ど、実際に使ってみて、体感した今では、その素晴らしさに全身が震え出しそ
う。
だけど、夢のような体験に感激している暇はない。私は前もって決めていた
通り、行動を開始した。まず、ビルを出て、新聞などで年月日を確認する。こ
れもSカードを手に念じた通りだ。
次に、近くの別のビルを目指す。時間に余裕を見てはいても、やや足早にな
った。
ターゲットにした男性は、春山重光という外科医。私と同年齢だが、父親の
病院の跡継ぎと目されており、前途洋々としている。
が、今日の午後三時、遅めの昼食を摂るため、外出した矢先、不慮の事故で
死亡する――ことになっているのを、私が助ける。事故というのは、改築中の
ビルに組まれた足場が突風で崩れ、彼の上に倒れかかってくるのだ。外傷は大
したことないように見えたが、打ち所が悪くて死んでしまう、らしい。
助け方については、少し考えただけで結論を下した。春山重光が事故現場を
通り掛からないようにすればいい。問題のビルの手前で待ち構え、道を尋ねる
風を装いって声を掛け、足止めすれば充分。その直後、崩れた足場を目の当た
りにして、彼は私に感謝するはず。
それをきっかけに、お付き合いに持ち込めたら、こっちのもの。うまく行く
自信がある。
私は顔写真を思い浮かべ、春山重光が来るのを待った。腕時計を一瞥して、
時刻が全然合っていないと気付く。当たり前か。こっちに飛んできたからって、
時計は私が元々いた空間の時間を刻んでいるんだから。
バンドを緩め、腕時計を外し、どこに仕舞おうか考えていたら――目当ての
彼が現れた。視界に入ってきた途端、すぐさま反応しそうになったけれども、
焦りは禁物。初めから狙いを付けていたみたいに思われては、よくない。幸い、
春山重光の足取りは、ゆったりとしている(尤も、あのテンポで歩いていたか
らこそ、運悪く、事故に遭うんだけど)。
困り顔を作り、私はうろうろしながら、彼との距離を徐々に詰めていった。
足場の崩れる様子を目撃できる、適度な位置になったことを機に、声を掛ける。
「あの、お急ぎのところをごめんなさい。道、教えていただけますか?」
道に迷って困っているのに、満面の笑みではおかしいので、眉根を寄せつつ、
それでも第一印象をよくしようと微笑も試みる。
「どちらに向かうところですか」
春山重光は私をちらと見、ついで私の手元を見やった。地図かメモを持って
いるとでも思われたのかもしれない。そういう用意はしてこなかった。
「えっと――」
口から出任せを言おうとした刹那、風が強く吹く。ぎぎぎっと嫌な軋みが聞
こえ、ほとんど間を置かずにビル工事の足場が崩れ出す。スローモーションの
ように映ったけれど、実際には数秒の出来事だったろう。金属がアスファルト
やコンクリートとぶつかる音が一度に起き、塊になって耳に届いた、そんな気
がする。
私はお芝居でも何でもなく、唖然としていた。表情もそのようになっていた
に違いない。同じく目撃したはずの春山重光の方が冷静で、私の顔を見ると、
「大丈夫ですか?」と心配げに聞いてきたほど。
「え、ええ。あ、あの、は――」
計画を進めようと、焦る気持ちが、彼の名を呼びそうになる。慌てて飲み込
んだ。
「あなたも危なかったかも。あちらに向かっていたようでしたけれど?」
「言われてみると、確かに」
春山重光は歯を覗かせ、笑った。なかなか感じのよい笑顔が、私のやる気を
さらにアップさせる。
彼は高そうな腕時計で時間を確認してから、改めて私に聞いてきた。
「それで、どちらに? もしあちらの方角なら、しばらく通れないようだから、
遠回りすることになるかもしれませんね」
あの感じなら成功間違いなし。
手応えのあった私は、“私”に事の次第を知らせたあと、悠々たる気分で元
いた時空に戻った。到着したら、すでに新しい未来が開けているかも、なんて
期待に胸を膨らませながら。
ところが。
何も変わっていなかった。私は平凡なOLのままだ。
それはまだ我慢できるとして、どうして彼氏ができていないの? さっき、
というかあのとき助けたことで、春山さんは私に感謝し、程なくして付き合う
ようになるんじゃないの?
私は携帯電話の履歴を見た。春山さんとの通話記録はない。まさかねと頭で
は否定しつつも、電話帳機能を開く。
……何で。何で、「春山重光」の登録がないの?
そりゃあ、助けたときには、流石に電話番号を聞くなんて図々しい真似はで
きなくて、(滞在時間の制限もあるから)そのまま別れたけれど、あのあと、
あの時代の私は偶然を装い、春山さんと再会。そこから恋愛へと発展するはず
なのに!
携帯電話の番号すら聞き出せないほど、私は奥手じゃない。ということは、
つまり……要するに……少なくとも恋愛対象としては見なされなかったのね。
ひょっとしたら、付き合いを始めたものの、すぐに別れたって可能性もゼロじ
ゃないけれど、だとしたら、今ここにいる私にその記憶が生まれていていい気
がする。これはやっぱり、前者が正解なんだと認めなくちゃ。
でも。
私は立ち直りに務めた。チャンスはまだ二回残っている。次をどうするか、
考えた方がよほど前向き。過去に向かうのにも、前向きにならなければいけな
い。
まず、失敗の原因を考えてみる。相手が悪かったのか、それとも助けるタイ
ミングが悪かったのか。
諦めるには、春山さんはかなり惜しい逸材。実際に会って、話してみて、好
感度が上がったというのもある。別の男性に狙いを移すのは、まだ早い。それ
に、今改めて思うと、助けるのが早すぎたんじゃない? もっと、間一髪のと
ころを突き飛ばす。そうすることで、春山さんは自分の命が危なかったと本当
に心から実感するだろうし、私への感謝も段違いに大きくなるはずよ。“一度
目にスキップした私”と鉢合わせしないよう、あのときの私よりも早い時点に
飛び、春山さんと会い、そこから事故に遭う寸前まで持って行くようにしなく
ちゃいけないだろうけど、何とかなる。何とかしてみせる。
別の男に狙いを変更するのは、三回目のときでいい。二回目のチャンスは、
春山さんに行使することに賭けてみる。
決意すると、私は練習しようと思った。
人をぎりぎりのタイミングで、安全に突き飛ばす練習。
およそ一年後――Sカードを使ったんじゃなくて、実際に時間が経過した一
年後、私はうきうきしつつ、新幹線のシートに収まっていた。ちょっぴり、緊
張もしていたが、それを遥かに上回る喜びが身体一杯に満ちている。これから、
春山さんの母方の祖父母に会いに、中国地方へ行くところ。婚約の報告のため
だ。
ただ、隣は空席。一人旅の格好になったのは、偏に春山さんが忙しいせい。
今回も、中国地方で開かれる学会に出るため、そのついでに祖父母に報告しに
行く話がまとまった。都合で一緒には来られなかったけれども、駅に彼が迎え
に来てくれる段取りになっている。到着時刻ぴったりという訳にはいかないだ
ろうから、近くのレストランか喫茶店ででも時間を潰しておいてほしいと頼ま
れている。
落ち着いた色合いのスーツを見下ろし、私は乱れがないかをチェックした。
その最後に、ポケットの上から手を当てる。中には、Sカードが入っている。
二回目のチャンスで、春山さんと親密になり、こうして婚約にまでこぎ着け
ることに成功した私は、残り一回分を使わずにいた。最後の特別な能力は、将
来、ここぞっていうときを見極めて使う。そう決めている。
Sカードを拾った幸運に、今さらながら改めて感謝していると、携帯電話の
着信音が小さく聞こえた。私のだ。取り出してディスプレイを見ると、春山さ
んから。
席を立ちながら電話に出る。デッキはすぐそこ。
「重光さん? 今新幹線の中よ。なあに?」
「悪い。予定が少し変わった。一つ先のH駅まで乗ってもらえるかい?」
H駅なら、私も以前、行ったことがある。きれいな駅だった。
「ええ、かまわないわ。でも、迎えに来てくれるっていうのは……」
「大丈夫だ。H駅で待っているから」
「ということは、あなたの方が先に着く?」
「ああ。そっちの新幹線は、十一時五十五分に着くはずだ」
「分かったわ」
「ほんと、すまない。こうなると分かっていたら、もっと都合のいいのがあっ
たろうに」
「しょうがないわよ。あ、車掌さんが来るみたいだから、もうここで変えてお
くわね。じゃあ、H駅で」
「うん。頼む」
通話を終える頃には、車掌が私の背後を通り過ぎそうになっていた。やや急
ぎ気味に、呼び止める。ポケットに手を入れ、中にある切符を取り出そうとし
ながら、用件を伝えようとする。半ば無意識に、H駅の全景を脳裏に描いてい
た。
「あっ、すみません。行き先、変更します、切符――」
切符だけを取り出したつもりが、ポケットからはそれ以外の何かも一緒に出
て、私の足下にひらりと落ちた。
* *
<次のニュースです。H駅の新幹線プラットフォームで人身事故が発生し、死
者が出ました。亡くなった方の身元は現在確認中とのことですが、都内在住の
三十代の女性と見られます。本日午前十時四十分頃、女性がプラットフォーム
から転落し、通過したのぞみ号に折悪しくはねられたものとされていますが、
正確なところはまだ分かっておりません。プラットフォームにいた目撃者の話
によると、女性は突然、宙に現れ出たように見えたという証言が複数上がって
おり、プラットフォーム以外の場所から転落した可能性も含め、調査が進めら
れています。
CMのあとはお天気、そしてスポーツ>
* *
アッスミマセンイキサキヘンコウシマすきっぷ
――終