AWC 最も疑われない容疑者   永山


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#340/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  09/01/28  21:53  (247)
最も疑われない容疑者   永山
★内容
 このような文章を書き残すのは、危険な行為かもしれない。もし他人に見ら
れれば、私の身に重大な危険が及ぶことは、想像に難くない。
 それでも私は書く。書かずにはいられない衝動が、身体の内で暴れ回り、も
う止められそうにない。

 本当に書きたい事柄は別にあるが、冷静さを取り戻す意味を込めて、自分自
身について記すことから始めてみる。
 私はみなしごであった。捨てられていたところを拾われ、施設に入れられた。
雨のそぼ降る夕刻だったと記憶している。
 幼いというよりも小さかった私に、その頃の記憶は明瞭でないが、施設の中
の暮らしは可もなく不可もなく、ただ生きる分には快適だった気がする。
 十年ほどが経ち、私はあるお金持ちの家に引き取られることになった。一人
娘――カリーナの遊び相手がほしかったらしい。数多くいる施設の仲間の中か
ら、何故、私が選ばれたのか、今でも不思議に感じる。多分、カリーナと同年
齢である点を買われたのだろう。拾われた時点で私が二歳だったとすれば、確
かにカリーナと同い年になる。このことを、私は天に感謝すべきであろう。
 初めてお会いしたときのカリーナの第一印象は、「写真で見たお人形さんの
ような女の子」。愛くるしい姿で、執事とおぼしき男の傍らに身を寄せつつ、
大きな目をぱちぱちとさせ、私を物珍しげに見つめられていたのを思い出す。
「初めまして。私、カリーナ。カリーナ・エルメネンス。あなたのお名前は?」
 右手を差し出しつつ、そんな挨拶で会話はスタートした。
 私はしばらく考え、下の名前だけを答えた。施設の副所長がくれた名前であ
る。名字はないも同然なのだ。強いて付けるなら、施設の名称になるが、言う
必要もあるまいと考えた。
 するとカリーナは、どう聞き違えたか、「サリーっていうのね?」と言った。
私は首を振り、正しい発音を二度、繰り返してみた。
「ああ、シャーリーね。ごめんなさい」
 カリーナはそう答えたが、「シャーリー」でも微妙に間違っている。
 でも、私は訂正せず、その呼び名を受け入れた。素直に謝る彼女の態度が気
に入った。初対面で、私のような者に対し、こんな風に接してくれるなんて。
今までになかった体験に、私は動揺した。それ以上に感動していたかもしれな
い。
 エルメネンスのお屋敷は、非常に大きく、立派な動物園ほどの広さがあった。
私が知らなかっただけで、普通の人なら誰もが知っている、大金持ちの成功者
一家だという。
 身分違いの私は、徹底的に躾けられた。今だから分かるのだが、恐らくエル
メネンスの人々にとっても、成り上がり者と後ろ指を指されぬよう、自らの立
ち居振る舞いから何から、上品であらねばと努めたはずである。その意識は当
然、愛娘の遊び相手にも及ぶ。同じ敷地内に住まわせているのだから、よそか
らは使用人と同等に見なされるに違いないのだ。おかげで、私のような者でも、
ダンスを踊れるようになったし、食事の際のマナーも自然とこなせるようにな
った。お使いに出されても、恥ずかしくないだけの振る舞いをできた。
 執事やメイド頭らによる厳しい指導を受けたおかげで、私は相応の品を身に
付けられた。実際のところ、自分ではよく分からないのだが、周りの人達が合
格の判定をくだされたのは、皆の反応で理解できた。
 それでも、どうしようもない領域はある。たとえば、私が学校に通うことは
ついぞかなわなかった。カリーナと同じ学校は言うまでもなく、そこいらの普
通の学校に入ることさえ。尤も、使用人風情と同等の私にとって、これは過ぎ
た願いであったと、今なら分を弁えられる。何にもましてありがたいことに、
エルメネンス家は、私に家庭教師を付けてくださった。私は学ぶ喜びを知り、
知識を吸収し、知恵を身に付けていった。今この瞬間にも、改めて感謝したい
と思う。

 感謝の念はエルメネンス家の人全員に抱いているが、私にとって一番大切な
存在は、カリーナである。
 本当なら、このように呼び捨てにすることすらおこがましく、カリーナ様と
呼ぶべきなのだけれども、彼女から「様」付けではなく、呼び捨てになさいと
半ば命令、半ば懇願されたため、従っている。もちろん、そう呼べることは私
にとって名誉であり、この上ない喜びであると言ってもいい。友達扱いをして
くださっている、明らかな証であるのだから。
 友愛の情は、これだけにとどまらない。最初はおやつを分けてくださったこ
とに始まり、頼みごとをされたり、内緒話を打ち明けてくださったり、あるい
は持ち物を貸してくださったり、ダンスの練習に付き合ってくださったり。ど
れもが、私には新鮮でありがたくて、感激した。
 特に嬉しかったのは、お洋服を貸していただけたときと、お風呂にご一緒し
たときだ。カリーナの気持ちが嬉しかっただけでなく、彼女のきれいな身体を
目の当たりにして、私は内心、ほーっとため息をついたものである。バランス
の取れた四肢、透き通るような肌……年を追うごとに女性らしさを増すカリー
ナ。胴長で手足もひょろっと長い、浅黒い肌をした私とは大違い。同性として、
こうも差があるものかと落ち込む以前に、見ほれてしまうレベルだった。
 そんな私のとあるパーツを、カリーナがうらやましがったことがある。ぱっ
ちりとした目だ。大きいだけで、長所だなんて意識はまるでなかったのが、以
来、自慢できるチャームポイントになった。ただ、もし仮にカリーナが私のと
同じような目を持ったとしても、あまり似合わない気がする。カリーナは今の
ままで充分。足したり引いたりする必要は、どこにもないと思う。
 十五を迎える頃には、立派なレディに成長したカリーナだったけれど、異性
とは縁がなかった。両親が強く躾けていたせい。カリーナは、この年頃ならご
く当たり前の思いを持っていたから、密かに反発していた。その気持ちを、私
にだけ打ち明けてくれた。残念ながら、私にはどうすることもできない相談だ
ったけれど。
 引っ込み思案なところのあるカリーナは、親の言いつけに不満を持ちながら、
隠れて男女のお付き合いを実行に移すなどという真似はおろか、男性に声を掛
けることさえできないでいるようだった。そんな彼女が代わりとしたのが、恋
愛小説の類。
「ああ、この物語のような恋がしてみたいわ」
 お小遣いで買った本を読み終わると、決まって出て来る感想がこれ。そうし
て、同意を求めるかのように、本を私にも見せてくれた。最初はちんぷんかん
ぷんで、どこがどう面白いのか全然理解できなかった。けれど、しばらくする
と、私にも分かるようになった。カリーナの熱意にほだされたのかもしれない
し、私がカリーナを理解しようと努めた結果かもしれない。

 ある日、呼ばれてカリーナの部屋に行くと、彼女は秘密めかした笑みを浮か
べ、ドアを閉めるように言った。それから、学生鞄の奥をごそごそとやり、一
冊の小説を取り出した。赤と黒を基調に色付けした人がたを中央に置いた、暗
い印象の表紙絵がまず注意を引く。筋書きは、女性同士が恋に落ち、周りの者
との関係に歪みが生じた挙げ句、殺し殺されの事件に発展する、というもの。
濃密な、獣めいた性交渉の模様も描写されていたようだったが、私には甚だ退
屈な代物で読み飛ばした。そこを除けば大変美しく、理想的に描かれた物語。
成功するかに思えた犯罪が、失敗に終わる点は好き嫌いが分かれそうである。
 正直な感想を述べている間、カリーナは嬉しげに何度かうなずいた。
「人殺しの話だと言って、お父様達は私から遠ざけていたけれど、こんなに面
白い物だったのね。ずっと手元に置いておきたいのに、本棚だと見つかってし
まう」
 友達から借りて、この手の小説に接し、今日、初めて買ってきたのだという。
なるほど、カリーナの両親についてなら、私も多少は心得たつもり。このよう
な本を禁じるであろうし、万が一にも本棚にこのような本を発見したら、即座
に廃棄した上で、娘をきつく叱りつけるに違いない。
 私は少し考え、カリーナに提案した。私の部屋に隠すのはどうでしょうかと。
お読みになりたいときは、言ってくだされば私が密かに持って参ります。
 内心、妙案だと自画自賛し、自然と身振り手振りが大きくなった私。その目
の前で、カリーナは思案げに目線を走らせた。
「いい考えだわ。でも、もしも――もしもよ。あなたの部屋でこの本が見つか
ったら、あなたはどう説明するつもり?」
 それは……私は口をつぐむしかなかった。上げていた両手も、力が抜けて下
を向く。
「こういうのはどうかしら? 百科事典のケースだけをいくつか集めて、張り
合わすの。中の邪魔な部分は切り取って、何冊かの本を隠せるようにする。こ
れを本棚に並べると、一見しただけでは単なる百科事典に見える」
 悪くない考え。私は目を輝かせ、賛意を表した。そして、ぜひ私の手でその
作業をやりたいと志願した。

 カリーナのアイディアは、うまく大人の目をごまかした。辞典のケースを利
用するだけではやがて足りなくなり、誰も見なくなった古くて分厚い辞書その
ものの中身をくりぬき、できた空間へ小説を隠すようなこともした。一向にば
れずに済んだ。
 だが、あるとき、屋敷を訪れたドドール・ガストロが、カリーナの部屋を覗
いた折、このからくりを見つけてしまった。ドドールはカリーナの父親とビジ
ネスを通じて知り合った若い男で、お金や土地を右から左に動かして生計を立
てているらしい。外見は上品な紳士風で、口が達者なせいもあるのか、悪く言
われることはないようだけれども、私自身は彼を好きになれないでいた。育ち
のよい人達は何も感じないのかもしれないが、ドドールは獲物を狙う目つきを
常にしている。たまに、私に見られていると気付いたら、その表情を笑顔にさ
っと変えるのだ。もしかすると、この屋敷の財産か何かをいただこうと計画し
ているんじゃないか……と、勝手な憶測を立てたこともある。
 無論、そんな根拠のない憶測を、エルメネンス家の人々に訴える真似なぞ、
できるはずもない。私は今日この日まで、ドドールを他の客人と同様に接して
きた。否、同様ではない。必要以上の関わりは一切避けた。ドドールも、私を
使用人扱いすらしていなかった気がする。
 カリーナの秘密を知ったドドールは、言葉巧みに彼女との距離を狭めてきた。
自分も実は人殺しの話が大好きでね、と内緒めかせた仕種を交えて話し出し、
巧みな弁舌と豊富な話題で、カリーナをたちまち虜にしたのだ。恐らく、エル
メネンス家に深く入り込む目的で、端緒を探していたのではないか。カリーナ
の趣味を知り、裏でほくそ笑んでいたのだろう。
 私はそんな様子を目の当たりにしながら、最初、カリーナの恋愛が始まった
のかもしれないと思い、見守るだけにしていた。ドドールに嫌な感情はあって
も、カリーナが喜んでいるのなら、私は口を差し挟む立場じゃない。
 しかし、三ヶ月ほどが経った頃、私は最初にドドールに抱いた勘が、外れて
いなかったと知るのである。先にも記した通り、彼は私をエルメネンス家の使
用人として認識していなかった。多分、施設から拾われてきた薄ら馬鹿みたい
なものと見なしていたのだ。そうでなければ、私の前であんな物をおおっぴら
にし、平気でいられるはずがない。
 私はその日、屋敷に宿泊していたドドールの部屋へ、彼宛ての小包を持って
行った(ドドールは既に、長逗留を許されるほど、エルメネンス家の信頼を得
ていた)。
 私のノックに、ドドールは気安いが横柄な声で応じた。戸口のところで、荷
物を置いて帰ろうとする私を呼び止め、こちらまで持って来てくれと言う。前
日、テニスをして足首を痛めており、動くのが億劫だったようだ。命令に従い、
私は机に向かっているドドールに小包を差し出した。
 机の上には手帳が広げてあった。見るともなしに、見えてしまった。その内
容に、私は目が釘付けになるのを悟られないよう、自然な振る舞いに努力しな
ければならなかった。
 幸い、ドドールは気付かなかった。さしたる反応を示さず、小包の開封に取
り掛かっていた。私は入ってきたのと同じ歩調で、静かに部屋をあとにした。
 私は自由になる時間が来るのをじりじりとして待ち、それから私が盗み見た
手帳の内容を、カリーナに伝えた。ドドール・ガストロによるエルメネンス家
乗っ取り計画を。

 当初、カリーナは私の話を信じなかった。おかげで、しばらく主従関係がぎ
くしゃくしたものになったが、やがてある“事件”が起こり、解消した。カリ
ーナの父が事故死したのである。落馬だった。その状況は、私が見たドドール
の計画と、ほとんど同じだったのである。
 カリーナはしかし、警察に訴え出ることはおろか、母親その他家の者にドド
ールの計画に関して、話そうとはしなかった。
「あなたが見たというドドールの計画について、誰にも言ってはいけない。私
とあなただけの秘密よ。いい?」
 私は承知した。カリーナと秘密をまた持てるのが嬉しかったことも多少はあ
るが、それ以上に、薄々感付いていた。彼女はドドールへの復讐を果たそうと
考えているのだと。
 事実、彼女はエルメネンス家当主の“事故死”以来、前にも増して人殺しの
話を読み漁った。何かに取り憑かれたような様で、私は初めてカリーナが恐ろ
しいものに見えた。ドドールを亡き者にしようと、奸計の案出に頭を捻ってい
るのは、明らかだった。
 ただ、鬼気迫る執念に結果が伴うかというと、必ずしもそうはならない。復
讐を画策し始めてから二週間と経たない内に、カリーナは壁にぶつかった。目
の下の隈を薄い化粧で隠した彼女は、とうとう私にその秘めたる思惑を打ち明
けてくれた。
「――ドドールには、死をもって償ってもらうわ! でも、そのために、私が
獄につながれるなんて、まっぴらごめんよ。他の人に罪を被せるのも嫌。何ら
かの計略を用い、あいつを他殺以外で死んだと見せかけたいのよ。事故だと、
お父様の“事故”から程なくして、連続でという点を疑う者が出て来る恐れが
あるわ。かといって、病死は困難が大きい。それにね、考えている内に、あい
つには残酷な死に様が似合っていると思えてきて……。世間に、ドドールの悪
事を知らしめた上で、神の審判によって殺されたように見せたい」
 カリーナの望む条件を適えるには、不可能犯罪を装う必要がある。私が読み
かじった範囲の知識で言えば、代表格は密室での殺人だろうか。ポーの著名作
品の粗筋を、頭の中で追ってみた。
「密室」
 カリーナが呟く。私の思っていることが、頭から外に漏れたのかと、どきり
とした。
「密室で殺すのが一番いいのよ。分かってる。理由のない密室だからこそ、神
の御業だと思わせられるに違いないもの。方法だけ。素晴らしい方法が思い浮
かばない。透明人間にでもなれたら、簡単なのに。現場のドアが開けられたあ
と、こっそり抜け出すだけで済む」
 ――閃いた。
 ポーの作品を脳裏に描いていたおかげかもしれない。素晴らしいとまではい
かないとしても、このやり方なら誰も疑われることはあるまい。何しろ、人殺
しの起きた密室の中には、死体の他に、私しかいないのだから。
 私は紙とペンを使い、カリーナに説明をした。途中、彼女の眉根が寄る。
「シャーリー、でも、これじゃあ、あなたが……」
 首を横に何度も振る私。心配無用。
 世の中、カリーナのような人ばかりではない。そのことをありがたく感じる
ときが来るなんて。おかしなもの。
 私が説明を済ませた段階で、カリーナも意を決していた。足りない点を指摘
し、補うことで、計画を完璧な形に近付ける。程なくして、満足の行く青写真
が描けた。

 結果から記そう。
 私はドドール・ガストロを殺さなかった。
 いざ、計画を実行に移そうとしたその日の晩、ドドールは宛がわれた部屋で
死んでいたのだ。周知の通り、ドドール・ガストロの死は病いによるもの。間
違いない。
 心臓とかで、死の間際は苦しんだであろうと医者は言う。カリーナは僅かで
も溜飲が下だったであろう。
 手を汚さずに済んだ私は、内心、ほっとした気持ちもある。もしも計画通り
に殺し、密室内に身を潜めていた場合、疑われる可能性は皆無ではない、嫌な
予感がしてい

           *           *

 ノックをしても反応がないことを訝しみ、執事のサンテリオは、シャーリー
の部屋に入った。声も同時に掛けたが、昨晩の冷え込みで喉を痛め気味だった
ので、普段よりは小さな音量になっていたかもしれない。
 ドアを開けた瞬間、シャーリーの慌てる後ろ姿が見え、がさがさと音を立て
て何かを隠すのが分かった。
 サンテリオは足早にシャーリーに近付くと、相手の抵抗に気を付けつつ、隠
した物を取り上げた。それは一冊の帳面であった。床には、ペンも転がってい
る。
(まさか……)
 愚にも付かない想像に自嘲を浮かべたサンテリオは、それでも帳面のページ
を繰ってみた。
 そして――帳面を取り落とした。シャーリーはそれを横からさっと拾い、ド
アから勢いよく飛び出すと、あっという間に走り去っていく。
 サンテリオは廊下に顔を出した。小さくなるシャーリーの後ろ姿を、半ば呆
然と見つめながら、呟きが口からこぼれる。
「猿が、言葉を書けるはずが……」

――終





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