#320/566 ●短編
★タイトル (yiu ) 07/08/30 16:10 (189)
お題>人外視点>目撃者たち shura
★内容
「これは一体どういう状況だ?」
午前七時十五分。痩せて背ばかりが高い、ネギのようにひょろ長い男がそう言った。
眼鏡をかけているが、不釣り合いなほど大きいせいか少しも似合っておらず、この家に
集まった彼の友人らしき者たちも、彼のことを嫌っているのか他人の身なりに興味がな
いのか、その最大の欠点を指摘してこなかったらしい。男は救われぬまま不調和の象徴
を誇らしげに指で押し上げ、探偵気取りで言葉を続けた。
「誰が第一発見者なんだ?」
男の問に他の者たちが無言で顔を見合わせる。
「あたしじゃないわ。」
まず最初に答えたのは化粧が派手な、品のなさそうな女だった。豊かな金髪が自慢の
ようだが、白い肌にメリハリをつけようと塗りたくった頬紅やアイシャドウが見事にそ
の髪をも色鮮やかに飾っている。着ている服も、値は張るようだがこの家には似合わな
い。およそ周囲の環境には注意を払わない類の、上辺ばかり着飾って自分が目立つこと
だけに夢中らしい人間だ。
「おれでもないよ。彼女が最初にここにいたんだ。」
そう言ったのは軽薄そうな狐顔の男だった。身なりはどこかだらしなく、くわえたた
ばこの灰が服にかかっているのにまったく気にかける様子もない。そのくせやけにぴか
ぴかと光る時計や指輪をはめて、当人は洒落者のつもりだから始末に負えなかった。
それに対して、その男が示した『彼女』の何と完璧なことか。つややかに伸ばした髪
は自然に肩にかかり、彼女にぴったりの服の上に神秘的な模様を描いている。化粧は薄
くも濃くもなく、服と同様彼女にとてもよく似合っていた。今現在この家にいる者で、
彼女だけが唯一まともな人間に見える。
そんな彼女に注目が集まり、その視線に応えるように薄いばら色の唇を開いて彼女は
こう言った。
「前から言おうと思って忘れていたけど、あなた、その眼鏡似合ってないわ。ネギが
双眼鏡をかけているようなものよ。そんな物は野菜畑に埋めて何か芽が出るのを待つ
か、いっそ別の物を買った方がいい。もう少しましな物をね。」
そんな彼女の言葉に眼鏡の男も他の男女も唖然としたが、やがて憤然と、自分の持ち
物に酷評を受けた男が反論した。
「今はぼくの眼鏡のことなんてどうでもいいだろ。いや、今でなくても永遠に忘れて
くれていて構わないことだよ、そんなものは。それより聞いてなかったのか、ぼくの話
を? ぼくは質問したんだぜ、第一発見者は誰なのかって。」
「この死体の?」
実にあっさりと『死体』という単語を彼女が口にすると、他の三人ははっとしたよう
に顔を青ざめさせ、唇を引き結んだ。
だが、彼女の方は自分の発した言葉の威力など知ったことではないらしく、何ら影響
を受けた様子もない。肩をすくめ、食卓に思わぬ豪華な朝食でも見つけたかのような口
調でこう言った。
「確かにわたしが今朝ここへ来た時には、もうあったわ。」
「そんな風に言うなよ。」
狐顔の男がやや非難するように言う。「友達だったんだぜ。もちろん、お前ともだ
。」
この言葉に驚愕の表情で彼女は相手を振り返った。
「そうよ、友達だったわ。でも死んでしまった。きっと彼を知る世界中の誰が予想し
たよりも早い死だったんでしょうけど、それは大した問題ではないわ。だって、わたし
もいつか死ぬもの。誰にも例外なんてないんだから驚くことじゃないでしょ。だけどま
だわたしは生きてる。だから、死人とはお友達になれないわ。」
彼女のそんなご高説に、友人たちは憂鬱そうにうなだれたり、怒ったように顔をしか
めたりした。
「冷たいんだな。友達が死んだっていうのに、死んだら友達じゃないだって? こい
つを殺したのはお前じゃないのか。第一発見者がまず最初に疑われるものだぜ。」
やがてそう言った狐顔の男に、黙って成り行きを見守っていたけばけばしい女が「や
めてよ。」と咎めるように口を挟んだ。
「彼が殺されたっていうの? ここにいる、あたしたちの内の誰かに?」
すると、たばこを床に投げ捨てて踏み消した狐顔の男が嘲笑を浮かべてそれに答え
る。
「だって、この家に今いるのはおれたちだけなんだぜ。そしてこの家は、こいつの親
戚が今回特別に好きに使っていいって貸してくれた物だ。自分の親戚の家で自殺しよう
なんて思う理由はないだろうし、そんな全く知らないわけでもない場所で、こんな事故
なんて起こらないだろう。それなら……。」
「事故は予測できない突発的な不幸だから、事故というんじゃないの? 起こると判
りきったことは運命というのよ。」
「よせよ。」
話の腰を折った彼女を制止したのは腰を折られた当の男ではなく、眼鏡の男だった。
「今話すべきことはそんなことじゃないだろ。それに家の中で事故に遭うことはあ
る。バスタブで足を滑らせて溺死するのだって立派な事故だぜ。」
そう言ってレンズ越しに一同をぐるりと見やり、どこか得意げに言葉をつぐ。
「第一発見者は判った。それで、状況としてはこうだな。最初に発見された時にはす
でに彼が床に倒れていた。首からは大量の出血。血は乾いてないが、そんな怪我を負い
そうな物は――一通り見回してみたところ、この部屋の中に見あたらない。もちろん彼
の手にも何もない。窓は閉まってる。玄関をはじめ、他の扉や窓も昨日の夜にぼくらは
手分けして戸締りをしたから、侵入者はいないはずだ。一応、どこか破られていないか
調べてみるけど。その先は、警察の仕事だ。誰も呼んでないんだろ? 誰も”彼”に触
っちゃいないだろうね?」
「わたし、触ったわよ。」
またしても衝撃の言葉を発した彼女に他の者たちは一斉に目を向けた。
「触ったって、”彼”に?」
化粧の派手な女が彼女に訊き、彼女は「そうよ。『彼に触ってないか』と訊いたんで
しょう?」と平然と言った。
「まだ生きていたら救急車を呼ばなくちゃって思ったの。それで声をかけて触ったけ
ど、もう死んでたわ。首に何か刺さったみたい。他は何もいじってないわよ。わたしが
触ったのは死体だけ。」
けばけばしい女は、そんな彼女の返答に気味悪そうな顔で、床に横たわっている男を
一瞥した。彼が生きていた頃には決してそんな目で見ることはなかっただろうに。彼女
のように男のことを『死体』と呼ばなくても、本当のところ、この女にとってはもはや
彼は以前のような『友達』ではなく、気軽に『彼』と呼べるものではなくなっているの
だ。化粧で隠した顔のように女の心は、死体を昔のように『彼』と呼びながらも恐ろし
げな目を向けるという、上辺だけのものだった。
「死んでいると判ったんならすぐに警察を呼べば良かったんだ。何故そうしなかっ
た? おれが来た時だってお前は、今と同じようにそうやってそこの時計の傍で突っ立
っていただけじゃないか。」
狐顔の男が言うと、彼女は肩をすくめてこう答えた。
「生きていたら急いで救急車を呼ぶ必要があるけど、死んでいたら急ぐ必要はないと
思ったの。」
「のんびりする必要もないと思うがね。」
電話の受話器を手に取りながら眼鏡の男が言う。そうして彼がダイヤルを回している
間に彼女は、
「思い出していたのよ。」
と呟いた。
「何を?」
けばけばしい女が訊くと、「いろいろ。時計のこととかね。」と彼女は短く答えただ
けだった。
七時五十分、警察が到着。一通り現場を調べたが、死体の首に何が刺さったのかは判
らなかったようだ。家中どこを探しても、血のついた――あるいは血を拭き取った痕の
ある――凶器らしき物も、死体となった男の首にそんな怪我を負わせるような物も見付
からなかったのである。二人の男と、女と、彼女も事情聴取なるものを受けたが、誰に
も動機らしい動機はなかったし、もちろん凶器となる物も持っていなかった。
九時から三十五分に渡り、第一発見者である彼女は特に念入りにいろんなことを訊か
れていたが、やはり警察は有益な情報は得られなかったらしい。
「君がこの部屋に入ったのは何時? その時窓は確かに閉まっていた? 入り口の戸
は? 誰かが部屋に入ったり、出ていったような感じはしたかね? 人影を見はしなか
った?」
「部屋に入ったのは確か七時前。窓は閉まっていたけど部屋の戸は開いていて、死体
になる前は彼だって人間だったんだから戸を開けなくちゃ部屋には入れなくて、いちい
ち戸を閉めるような几帳面な性格でもなかったから開きっぱなしだったのは当然のこと
で、他の誰かが出入りしたような感じ、なんてわたしにはよく判らないけど、わたしに
判る限りそんなものはなかったし、人影も見なかったわ。わたし、全部答えたかしら?
ねえ、こんなことをわたしに訊くより、一部始終を見ていた”彼ら”に訊けばいいじ
ゃない?」
「彼らって?」
「この部屋にある物よ。そこに飾ってある絵とか、あそこの花瓶とか――この時計と
かね。これなら部屋で一つ死体ができた時間だって正確に教えてくれるわよ、きっと。
ちっとも狂ってないもの。でも、本当は一時間ごとに人形が出てくる仕掛け時計なの
に、壊れちゃったんですって。いいえ、本当は死んだ彼が昔、その人形が怖いからって
仕掛けをいじって、人形が出てくるはずの扉を開かないようにしたんだって話してくれ
たわ。もちろん死体になる前にね。わたしが『その人形を見たかったわ。わたしなら絶
対気に入ったと思うのに』って言ったら、『本当に気味の悪い人形だからやめておけ。
だから壊したんだぞ』って言ったわ。わたし、そうやって自分の価値観で破壊行動には
しる人って嫌なの。わたしだって自分の価値観で『それはだめよ』とか『それ最高ね』
とか言うけど、力ずくでやめさせようなんて思ったことないわ。あの死体がまだ友達だ
った時、わたしが彼に対して我慢ならなかったのはそれくらいね。あなたはわたしを疑
ってる? 犯人として? でも、むしろこの時計の方が、そんな人を殺す動機があるん
じゃないかしら。自分の存在価値を証明したのなら素敵だわ。ええ、わたし本当にこの
時計のこと、気に入ると思うわ。もう実際、とても気に入っているのだけど。ところ
で、わたしの話を信じないでしょう? だから話してるのよ。友達には話さなかったけ
ど、それはただ面倒だっただけね
。同じ話を二度もするのは面倒だもの。そんなことは一度でたくさん。面倒や、退屈
や、信じてもらえないってことはね。わたしの周りの人はみんな、自分の考えているこ
とが世間の当然だって思ってるもの。」
そんなことを言って警察の人間を困らせたくらいだった。
九時四十分。眼鏡の男は、
「第一発見者は彼女で、彼に――つまり死体に触ったというけど、彼女は犯人ではあ
りませんよ。彼女は怪人ではない、変人だとは思うけど。凶器もなく、あんなことは女
の力でできっこないし、そんなことをする理由もありません。それはぼくらについても
同じことです。ぼくらは同じ大学に通っている友達で、いい付き合いをしてきました。
ぼくにはせいぜい不運な事故としか思えない。凶器が見付からない以上、そうとしか言
えないでしょう。彼が自殺したのだとしても、その手には何もなかったわけだし。何か
に首をぶつけたのなら、その血のついた『何か』が出てくるはずだ。……もちろん捜査
には協力しますけどね、大した成果はあがらないと思いますよ。」
と、やはり探偵気取りでそんなことを言っていた。自分に何も判らないのだから警察
にも判るまい、とでもいうような態度だ。警察に通報したことで自分の義務はすべて果
たしたと思っているのかもしれない。そんな彼とは対照的に、
「あいつ、何か変だ。いや、いつもどこか変わってるのは変わってるんだけど。」
と、彼女に対して疑惑の目を向けたのは狐顔の男だった。
十時五分前。
「おれが朝起きて、七時にこの部屋に来たらあいつが一人で部屋の中に突っ立って
た。足下には――死体があった。『どうしたんだ?』って訊いたら、『死んだ』って一言
さ。そうだ、『死んでる』って言ったんじゃない、『死んだ』って言ったんだ。おれた
ちには自分が来た時にはすでに死んでいたように話してたが、実際はあいつが部屋に来
た時にはまだ生きてたんだ、きっと。……そりゃあ、あいつが殺したとは思えないけ
ど。だって、そんなことをする奴じゃないんだ。あいつと話したんだろ? それなら判
るはずさ、あいつはとにかく――変わってる。だけど、いや、だからこそ他の奴がしそ
うなこと、つまり殺人なんてことは絶対にしない。あいつがするのは決まって誰もしな
いようなことだけだ。」
思うに、この男は友人が死んだことの真相だとか、あるいは彼女が殺したのではない
かということよりも、彼女の存在自体に懐疑的なのだ。自分とはあまりにも違う、輝か
しい彼女が不思議で仕方がないのだ。そして、自分だけがそんな彼女の秘密の断片をつ
かんだような気でいるに違いない。自分だけは特別だと信じ、格好をつけているが、彼
女からすればこの男もまた『周りの人々』の一人に過ぎないというのに。友人の死を自
分の人生の一幕を飾るファッションのように考えているのかもしれない。まったく、勘
違いもはなはだしいところだ。
特別なのは、彼女だけ。彼女だけが物事の真実を見ている。だから美しい。
十時十五分。
化粧でその美しさを作ろうと偽りの美の形成に人生の大半を費やしているあのけばけ
ばしい女は、やはり作り物めいたありきたりなことを言っていた。
「彼とはいい友人でした。誰も彼を殺そうなんて思わない、彼女が殺したなんてあり
得ない。信じられないわ。あたしはただ悲しいだけ。」
そう言って泣いたため化粧が崩れてしまっていたが、あの死んだ男のために涙を流す
人間がこの女だけであることについて言えば、この女にも少しは救いもあろう。何故な
ら、化粧のはがれた顔は彼女にかなわないまでも、派手に飾り立てていた時よりもずっ
と美しかったからである。そちらの方がよっぽど人間らしいというものだ。
もっとも、人間でない『わたし』がそんなことを言うのもおかしいかもしれない。だ
が、『人』ではない『物』にも同じように殺意はあるのだ。この部屋の絵や花瓶や窓や
戸は、彼女の言った通り間違いなくその殺意の目撃者である。しかし、警察には彼らの
口を割らせる術はない。したがって人間たちがあの男を殺した犯人を捕まえることは、
決してかなわないのだ。彼の死が果たして予測できない事故であったのか、あるいは運
命であったのかも判らない。わたしはただ時を刻み、二度と扉を開けたりはしないだろ
う。この罪の扉を開けることはない。その限り、扉は永遠に『壊れた』ままである。