AWC 夢とボケ(2)    [竹木 貝石]


    次の版 
#140/569 ●短編
★タイトル (GSC     )  04/01/01  01:44  ( 95)
夢とボケ(2)    [竹木 貝石]
★内容
   12月21日(日)

 自分で言うのもおかしいが、私は結構辛い人生を送ってきたと思う。おそら
く適応性の悪い性格に起因するのだろうが、いわゆる「世渡り下手」なのであ
る。
 乳幼児期の5年間、寄宿舎生活の9年間、苦学生時代の6年間、教職に就い
てから、札幌での11年間・母校の名古屋に戻って25年間、楽しい思い出も
無くはないが、概ね苦しい日々の連続であった。毎朝が鉛のように重く、毎夜
の夢も不安と悲哀がつきまとっていた。
 そして6年前、私は喜び勇んで退職し、責任のある仕事から一切解放されて、
今は趣味三昧の平穏な毎日を過ごしている。
 パソコンのキーボードで文章を打ち込んだり、盲人用将棋盤で定跡手順を並
べたり、尺八で虚無僧の本曲を吹いたり、ナツメロをMDに録音編集したり、
情報処理試験(シスアド)の問題集を勉強したり……、私は毎日目の回るよう
な忙しさだが、これらはいずれも趣味道楽の類であって、それによって給料を
もらっている訳でもないし、社会的責任も義務も一切無い。
 同級会で久々に集まった折り、ある友人が次のように言っていたが、正に名
言である。
「退職した現在、やりたいことはいくらもあるが、やらなければならないこと
は一つもない。こんな幸せがまたとあろうか!」
 このように老後の幸せをかみしめながらも、私はふと考えてしまう。
「今頃は、会社とか学校とか自営業やサービス業など、世間ではみんな懸命に
働いたり勉強したりしているのに、自分だけがこんなに気楽にしていていいの
だろうか? 皆さんの労働による税金のおかげで、私はほそぼそながらも年金
暮らしをしていられるのだ。」
「この不況の折りに、のんびり遊んでいるとはけしからぬ」
 と言われれば確かにもっともな面もあるが、36年間、身の縮む思いで勤め
てきたのだから、死ぬ前のわずかな年月、せめて安穏に過ごすことを許してほ
しい。

 そんな心境の日常の中で、今朝ほどもまた夢でうなされた。
 その夢の様子を書く前に、私が長年勤めていた盲学校について、若干説明し
て置かねばならない。

 わが国における学校職員の組織は、いつの頃からか『五段階方式』になって
いて、校長→教頭→主事→主任→平教員という具合に、意識的あるいは無意識
的に差をつけて管理する仕組みである。
 主任には、学科主任・教科主任・学級主任・公務文章の各係り主任などがあ
り、盲学校においては、理療科主任が最も重要なポストである。
 すなわち、盲学校の高等部は典型的な職業専門高校であって、理療師(マッ
サージ師・鍼師・きゅう師)の養成課程が中心だからである。他の科目、例え
ば、国語・数学・社会・体育などの教科では、担当者がせいぜい数人で、教科
主任はほぼ年功で決まる。ところが理療科の担当教員は20人も居て、主任は
年功というよりも、理療科会議で推薦した人を校長が認証する形式になってい
た。
 学校における主任は、会社でいう課長クラスだろうか? 手当(基本給にプ
ラスする給料)こそ付かないものの、理療科主任の役割は重く、仕事が多忙で
発言力も強い。見方によっては、主事や教頭と同じくらいの実力者でなければ
ならないのだ。
 私がまだ40歳にもならない頃、その理療科主任に推薦されて、5年ほど勤
めたことがある。当時私はまだ中堅職員で、理療科教員の中でも後輩より先輩
の方が数が多かったから、とても大任を果たせる年齢ではなかったが、諸般の
事情と、ちょっとした対立関係の中で、私におはちが回ってきたのである。

 − − − − − − − − − − − − − − − −

 自分は現在理療科主任である。
 このたび、ごく重要な問題について、規則改正の案を練り上げ、理療科会議
で審議・承認を経たので、いよいよ校長を説得することになった。
 私は日頃教職員組合の立場に立って、学校長と徹底的に対決し、職員会議等
ではほとんど喧嘩腰で議論している(実際にそうであった)。
 けれども、今回の改正案は組合活動と一切無関係であり、いわば理療教育や
生徒の将来にとって死活問題ともいうべき重要な案件である。
 過去の行きがかりや個人的感情を抜きにして、とにかく学校長の理解を得、
職員会議の議決をとって、教育委員会に提出し了承してもらわねばならない。
 私は準備万端怠りなく、校長を説得出来る自身と意気込みを持って、校長室
のテーブルの前に腰掛けた。
 テーブルの向かい側には、校長と二人の教頭及び高等部主事が座っている。
 さて、私はおもむろにファイルを取り出して、点字の資料を開こうとした。
ところが、何故か大切な資料がファイルの中に無いのである。
「おかしいなあ。間違いなくこのファイルに綴じ込んで置いた筈なのに……。」
 私は他のファイルをテーブルの上に並べて、あちらこちらと調べたが、どう
しても見つからない。
 かれこれ10分くらいも捜しただろうか? 私はいったん職員室へ帰って、
自分の机の引き出しをひっくり返して捜したが、全然無い。再び校長室に戻り、
念のためファイルを捜す。
 再度職員室へ行って、ロッカーの中を捜し、理療科の戸棚を捜し、二階の更
衣室のロッカーも調べたが、確かに先ほどまで在った筈の資料が何処にも無い
のだ。
 真っ青になって校長室に戻り、ファイルを1枚1枚入念にめくっていると、
校長が小声で教頭にささやくのが聴こえた。
「竹木さんも、あんなに神経質になってしまっては駄目だなあ。」
 私は長年の自信も信念も誇りも、一挙に崩れさるのを感じた。
「どんなに立派なことを言い、いかに大きな志を抱いていても、自分の身辺整
理や資料の管理が出来ないようでは、到底話にならないし相手にもされない。」
 …………。

 − − − − − − − − − − − − − − − −

 夢から覚めると、今日も平穏でのどかな朝であった。
「ヤレヤレ、夢で良かった!!」
 と一安心したが、もしもこれが老年ボケであったなら、永遠に目覚めること
は無いかも知れず、それを思うと、私は暗澹たる気分になるのだった。

      [2003年(平成15年)12月31日   竹木 貝石]





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●短編」一覧 オークフリーの作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE