AWC お題>せどり (後)   永山


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#387/598 ●長編    *** コメント #386 ***
★タイトル (AZA     )  11/07/27  00:02  (302)
お題>せどり (後)   永山
★内容
 息子にとって思い入れのある筆名なら、これでもよいが、まだ一作しか使っ
ていないというのは引っ掛かる。本名にすべきか……。仕事の最中でも思い悩
むようになった鬼門を決断させたのは、息子の創作メモらしきファイルだった。
その一部に、見幕志文なる名前を捻り出した経緯らしきメモ書きがあったのだ。

 見幕志文 → みまくしもん → MIMAKU・SIMON → 
  MASUMI・KIMON → 鬼門真澄!!

 この箇所を読み、鬼門は決めた。見幕志文で行こうと。

 関連子会社のトップに思惑を打ち明け、立派な本を作れると確認できた鬼門
は、本格的に計画を始動させた。関連グループ内だけで全てを作るため、カバ
ーデザインなど、いくつかの点で不慣れさ故の手間取りはあったが、亡き息子
のための本作りはほぼ順調に進んだと言えよう。
 やがて完成を見、親馬鹿なところを発揮してのお披露目パーティの算段まで
整ったところで――落とし穴が待っていた。
 自費出版の計画を決めてからは、あまり起動させることのなかった息子のパ
ソコンをその日開いてみたのは、翌日に控えたパーティにおける挨拶で、気の
利いた(できれば少し感動を呼ぶような)スピーチをやりたいとの思いからだ
った。そのヒントを、息子の書き残した文章から探すつもりだった。
 だが、その日はいつもと違い、息子宛のメールが一通あった。息子の死が知
れ渡ってからはぱたりと来なくなったのに、今になって何だろう。怪訝に思い
つつ、それでもなお、深く考えることなく、メールを開いた。
 送信者名は彩紋久万美と表示されていた。さいもんくまみとでも読むのだろ
う。そしてタイトルは、「ただいまとありがとう」。
 他人から礼を言われるようなことをしていたのか。それもパソコン通信程度
のつながりしかない他人から。鬼門は興味をかき立てられ、続く長くはない文
面に目を通した。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
送信日時:****/**/** **:**:** 
タイトル:ただいまとありがとう
送信者:彩紋久万美

 ハロー、真澄。元気にしてた? 私は元気にしてたよ。
 私の日本語の文章力もそれなりに上達したでしょう。ワードプロセッサの助
けを借りたら、これぐらい簡単簡単。
 今日は日本に戻ってきたばかりで時間がないため、急いで用件だけ伝えるね。
 真澄が翻訳してくれた『透き通る剣の風』が、**賞の最終選考まで残った
よ。惜しむらく、受賞ならなかったけれども、編集の人が手紙をくれたのね。
「少し直せば本にして出せるかもしれない。一度会いたい。ただし、貴方が日
本に定着することが条件」とか書いてあった。どう思う? 私はずっと日本に
いられるけれども、今の文章力じゃまだまだだし、だいたい応募作品も真澄と
の合作みたいな物ではないかしらと思うのね。
 そこで相談。真澄は合作の作者としてこの話を受ける気があるかないか。じ
っくり考えて欲しいよ。余裕は十日間ぐらい。その頃またメールを出すからね。
 その他のよもやまばなしはまた今度しようね。
 じゃあ、ばい。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 読み終える前に、鬼門貞一はパソコンやテーブルに添えた両拳を強く握りし
めていた。自らの肉に、爪が食い込むほどに。じきに震え出し、パソコンを載
せたラックがカタカタと音を立て始める。その音を止めるべく、鬼門は慌てて
机から離れた。
「何ということだ」
 知らず、呟く鬼門。
(この彩紋久万美は、帰国子女か何かか。ともかく、海外生活が長く、少なく
ても日本語を書く分には不安がある。パソコン通信で知り合った真澄が英語が
得意だと知り、英語あるいは片言の日本語で書いた小説を訳して欲しいと、メ
ールで頼んだのか。そういえば、パソコン通信には同好の士の者が集まって楽
しむグループのようなものが設置されているんだったな。文学グループで知り
合ったに違いない。彩紋久万美もそこのメンバーに自作の小説を読んでもらい
たくて、真澄に頼んだだけなんだろう。最初から投稿を考えていたのなら、顔
も知らない相手に頼む訳がない)
 鬼門はそこまで直感的に悟った。そして彩紋久万美という名前からも大きな
閃きを得た。
(――そうか! 彩紋じゃなくてサイモンか。英名で綴ればSIMON。久万
美の方は後ろから読めば、みまく、見幕になるじゃないか。くそ、何という偶
然だっ。てっきり、息子の名前の並べ替えと信じていたあの筆名が)
 歯ぎしりの音がした。次いで、胃袋の底に鉛の塊でも押し込まれたかのよう
な、嫌な重さを感じる。吐き気も催してきた。
 今までにない失態をやらかしてしまった。これまでミスをほとんど犯さず、
また犯したとしても小さなミス故、無事切り抜けてきた鬼門貞一にとり、初め
て味わう屈辱的なミス。その感覚に身体がまた震え始めた。
(このまま出版する線は絶対にない。パーティも中止だ。彩紋久万美に事情を
伝え、改めて共著の形を取って出版にこぎ着ける、これならありかもしれない。
だが、それよりも何よりも――私は私が犯したこのばかげた失敗が許せん! 
ああ、できることなら、私は彩紋久万美と賞の選考委員と編集者とを葬ってで
も、計画通りに進めたいぐらいだ!)
 左の手のひらを右拳できつく叩いた鬼門。ここまで思い詰めた彼を、辛うじ
て良識のライン内に踏みとどまらせたのは。
(――そんなことをして何になる? 真澄が書いたんじゃない作品を本にして、
何の意味があるんだ)

           *           *

 中村聖士は鬼門社長の言葉を胸に、夜道を急いでいた。自分の車を駆って、
月田優の先回りを試みる。
(彼女ただ一人が、『透き通る剣の風』を外に持ち出した。どうにかしなくて
は)
 自宅住所は把握できており、駅まで徒歩だということも分かっている。だか
ら、最寄り駅までのどこかで待てばよい。なるべく人通りの多い、明るいルー
トを選ぼうとするだろう。ならばそのルートの過程で、最も人通りが少なく、
暗い場所で待機するのがよい。
 中規模河川の橋の近く、V字に入り込んだ位置にちょうど乗用車を駐められ
るスペースがあった。昨晩から断続的に降った雨で、川は増水していた。時折、
渦巻くような轟音が耳に届く。
 待機を始めてからおよそ二十分後。読みが的中したことを知り、中村はほく
そ笑んだ。ルームミラーを通じて人影を捉え、それが月田優だと分かった。彼
女がしばらく過ぎ行くのを見届けたあと、中村は車を出た。そしていきなり駆
け足をし、息を切らせる演技に入る。
「あー、いた? 月田優さんじゃありませんか」
 名前を呼んで相手の足止めに成功。不思議そうな目でこちらを振り返る彼女
に追い付くと、両膝に手を添えて乱れた呼吸を落ち着かせる、これまた演技を
やってみせた。
「ああ、よかった。月田さん、私ですよ」
「……あ、中村さん。バイトで指導をしていただいた……」
 あまり豊富でない明かりの中、目を細めて誰何する表情だった月田は、頬を
緩めた。
「何か御用でしょうか? ひょっとして、私、バイト先に忘れ物でも?」
「いえ。そういうのとは違います。実を言いますと、先ほど、ちょっとしたト
ラブルが発生した模様でして。私も今日はもう帰るところだったのですが、鬼
門社長に呼び止められ、本の回収を頼まれたのですよ」
「その本て、『透き通る剣の風』ですか? どうしてまた……できあがって、
あとはお披露目を待つだけというところまで来たのに」
「看過できないミスが見つかったとかどうとか」
「へえー。何ページの何行目ですか?」
 興味津々に聞いてくる月田。中村が答えるのを待って、今にも本を取り出し、
該当箇所の確認を始めかねない雰囲気だ。
「いや、とにかく回収をだね」
「回収には協力します。私が自分で持っていきますから、安心してください。
途中、電車の中でそのミスのところを読んでみたいわ」
「……しかとは覚えていないんだ。見れば分かると思う。だから本を出してく
れないか」
 中村の要請に、月田はまた少し不思議そうな目つきをしたが、とりあえずと
いう風に鞄を抱えると、中を覗き込んだ。じきに問題の本を手にした彼女は、
中村に渡そうとせず、「おおよそ何ページぐらいかは覚えてるでしょう? そ
うじゃなきゃ、最初から見て行かなくちゃ」と言った。
「確か……二六〇ページ前後だったような」
 出任せを口にした中村。次の瞬間、月田の顔が厳しいものになる。
「嘘。この本は二百二十九ページまでしかないわ」
「じゃあ二二〇ページ前後だよ、きっと」
「二と六を記憶違いするなんて、あまりないと思いますけど」
 明らかに不信感を募らせている。月田の表情から読み取った中村は突如、強
硬手段に出た。手を伸ばし、月田の胸元と鞄の間にある本を奪いに掛かる。
 が、月田はおっとりした外見からは想像不可能なほど素早く、後ずさった。
そしてくるりと向きを換えると、懸命に走り出した。だが、足の方はそんなに
速くない。鞄の中に本を入れようかどうしようか、迷いながら走っている感じ
だ。
 追い掛けていた中村は、ちょうど橋の中程で彼女の肩を掴むことに成功した。
いや、中村は掴んだつもりだったが、実際は押してしまっていた。背後から急
に押された月田はバランスを崩し、つんのめるように数歩、進んだ。その勢い
で欄干から上半身を乗り出す格好になる。さらに、結局仕舞わずにいた『透き
通る剣の風』を川に落としそうになった。
 保持しようと腕を抱え直す月田。それが――本への愛着が、彼女の命取りに
なった。
「あっ、おい」
 中村が短く叫んだときには、月田優の姿は橋下の水流に飲み込まれていた。

           *           *

 パソコンと携帯電話をいじっていた僕は大きく伸びをし、左右の首筋を自ら
叩いた。傍らにはいくつかの本が並び、一冊は開いてある。
 自宅アパートでやり残した仕事に精を出して、二時間強が過ぎていた。かつ
て高値が付いていたが今は安定していない書物や、「何となくいい感じだな、
高く売れるかな」という直感で買い入れた品物は、その場ですぐに販売サイト
にアップすることはしない。早く売りたい気持ちもあるが、じっくり調べてか
ら、もしくは自分自身が読んでみてから、じっくり値付けしたい気持ちが上回
る。この辺りの行動は、小笠原さんから見れば理解しがたいものらしい。
「どっちかってえと、おまえは古書店やる方が向いてるかもな」
 そう言われたこともある。せどりと古書店とでどこが違うのかと思ったが、
本への愛着の強弱が違うということらしい。
(古書店と古本屋の違いも、小笠原さんから教えてもらったけな。あれはいつ
頃だったか。聞いてみるかな)
 どうでもよい回想をしていた僕の耳に、ブザーとノックの音が続けざまに聞
こえた。
「はい、ただいま」
 来訪者に聞こえているかどうか怪しいぼそぼそ声で応じつつ、僕は上っ張り
を羽織った。あまりみっともない格好では応対もできやしない。商売道具の携
帯電話を握ったまま、サンダルを引っ掛け、土間に立つ。
「夜分に済みません、**便です。宛先不明で戻って来てるお届け物があるの
ですが、確認をしていただけないかと」
「え、そんなはずは」
 ここ数日の間に発送した品物は、ほとんどが常連さん相手だった。お初の人
も入るにはいたが、全員、受け取ったというメールをもらっている。
 だから、そんなことがある訳がないという気持ちが先に立ち、夜の訪問者の
正体をまるで確かめずに、ドアを開けてしまった。
 そこに立っていたのは、一人のやせた中年男性。宅配便業者の配達員ぽいな
りをしていたが、どことなく妙な印象を醸し出していた。全然日焼けをしてい
ない。新人配達員ならあり得るか。でも変だった。
 その勘は当たっていた。
 男は土間に入り込むと後ろ手で戸を閉めた。微笑を浮かべた顔が獲物を狙う
獣風にいやらしく豹変し、いきなり身体ごと僕にぶつかってきた。あっという
間に押さえ込まれ、口を厚手の布で塞がれる。
「『透き通る剣の風』はどこだ。おとなしく差し出せば、危害は加えない」
 押し殺した声で脅してきた。
 偽物ならある。けれども、あんな物を渡してもすぐにばれて、ひどい目に遭
わされそうだ。
 第一、こう、制圧された姿勢では、どこにブツがあるか示しようがないのだ
けれど。
「言っておくが、俺は本気だ。妙な真似をした場合、これで喉を掻ききってや
る」
 起用に片手で僕の両手を固定した男は、空いているもう片方の手でバタフラ
イナイフを取り出し、開き、僕の首筋に近付けてきた。
「これから布を取るが、わめくんじゃないぞ。もし逆らったら、命はないと思
え」
 僕は仕方なく頷いた。実際、息苦しかったのもある。新たな空気を、金魚み
たいに口をぱくぱくさせて取り込む。
「さて、言ってもらおう。どこだ?」
「……怒らないで聞いてください。ここには比較的安値の物しか置かないんだ。
だってこんながたの来たアパートじゃ、不用心だから。高く売れそうな物は、
知り合いの倉庫で保管してもらっている」
「……本当だな? そいつの住所を、いや待て。まさか、その倉庫とやらは頑
丈な作りじゃあるまいな」
「高価な物を保管するところだから、相当に頑丈ですが……」
 僕が首を横に振りながら答えると、相手の男は「ちっ」と舌打ちを高くした。
「仕方ない。一緒に来い。おまえは案内役だ。知り合いのところに行って、倉
庫から『透き通る剣の風』を出させろ」
「そ、それはかまいませんが、あの、いきなり行くと向こうもびっくりしちゃ
うと思うんです」
「ネットとは言え、客商売やってるんだろうが。あの本を三十万で買う客が訪
ねてきた、とでも言えば問題あるまい?」
 この男、こっちのことをあれこれ調べて知っているらしい。でもどうやって
ここの住所を? ――ああ、そうか。客として何か安い物を購入し、互いの住
所を明らかにする形で取り引きすれば、簡単に分かるじゃないか。
 ということは、もしかすると、こいつこそが“一万円のつもりが間違って十
万円の入札をしてしまった”ユーザーかもしれない。『透き通る剣の風』が他
者に買われるのを防ぐため、手を尽くしたと考えれば辻褄が合う。
「おまえ、車は持っていないようだな。しょうがないから、俺の車で行こうか。
何度も警告するが、妙な真似はするな」
 男は僕を立たせると、後ろに回り、刃物を突き付けた(と思う。そんな気配
を感じただけで、振り返る勇気はなかった)。
「格好はそのままでいいな。よし、行け」
 刃先でつつかれるような感触を背中に受け、僕は足を踏み出した。後頭部で
両手を組まされ、ホールドアップの姿勢をさせられ、脇がすーすーする。
 ドアを開け、僕と男が二人とも外に出たところで――パトロールカーのサイ
レンが聞こえた。
 間に合ってくれたようだ。
 うろたえる男の前で、僕は希望が持てた。まだ安堵するのは早いが、小笠原
さんには感謝しないといけない。
 この男の姿から感じた妙な雰囲気に対し、僕は咄嗟の判断で短縮ボタンを押
し、小笠原さんの携帯電話につなぎっぱなしにしておいたのだ。小笠原さんに
は、男と僕のやり取りが、断片的にでも聞こえたのであろう。警察に通報して
くれたに違いない。割と近所に住んでいるくせに、自ら助けに来ようとしない
辺りは、自分というものを理解していらっしゃる。

「――てことは、俺が金を引き出せる相手と踏んでいた鬼門社長は、全然全く
さっぱり関与していなかったんだな、こりゃあ」
 焼き肉店で高い部位をぱくつきながら、小笠原さんは悪ぶった言い方をした。
ビールとご飯をかきこみ(こんな飲み方食べ方をしても、小笠原さんは平気な
のだ。文化会系なのに)、さらに続ける。
「おまえを襲った男が、社員ですらなかったなんて、想像もしなかったぞ」
「ええ。鬼門社長は自費出版を取り止めてしばらくしてから、『透き通る剣の
風』の本当の作者には事実を伝え、和解――は変だな、お互いに理解し合った
そうでう。ただ、鬼門社長の内では、息子さんの作品だと思い込み、本まで作
ってしまった失敗を、恥と捉えたんでしょうか。それとも息子さんに合わせる
顔がないと考えたのかな。とにかく、大きな心の傷になった。そのため、会社
では一切がタブーに」
「なのに、俺と来たら勘違いして、余計なことをした挙げ句に、おまえを危険
な目に遭わせちまうとは」
「無事だったんだし、もう気にしていませんよ。それに、偽の『透き通る剣の
風』を出品するアイディアを出したのは、僕自身なんですから」
 程よく自分好みに焼けた肉を口に運ぶ。ちなみにこの焼き肉店での支払いは、
お詫びを兼ねて小笠原さんのおごりになっている。ただし、僕は運転主役で酒
を飲めないが。
 それはさておき、話題を事件に戻す。
「犯人の中村は、当時、月田優さんのバイト仲間だったんですね。刑事さんの
話では、自費出版の企画が起ち上げられる以前から鬼門社長の関連会社に出入
りししており、かなり信用を得ていたみたいです。パーティが中止になった日
は、たまたま残務処理で遅くなり、たまたま鬼門社長のつぶやきを耳にした。
そこでいきなりよからぬことを考えつくのが、僕には理解できません」
「脅迫のネタになると考えたことがか。俺は理解できるがな。実行するか否か、
腕力にものを言わせるか否かは、また別だ。脅迫のネタを暴力や十万で仕入れ、
より大金をせしめようとするのは、せどりと仕組みが似てる。が、似て非なる
ものだ。――油断してたら焦げちった」
 半分以上炭化したように見える肉を、小笠原さんは平気で口に放り込む。そ
れをいつも以上によく噛んで飲み込むと、会話再開。小笠原さんは口調を変え
てきた。
「ところで、瀬島。突然なんだが、古書店を手伝ってみる気はないか」
「……ほんとに掛け値なしに突然ですね」
「真面目な話なんだ。実は、月田優さんの両親宅へ、今度の件の報告を兼ねて
再訪したんだ。そのときにお二人が言う訳よ。こう、独り言みたいにつぶやく
ようにして、『本好きだった娘のために、何かしてやれないかと前々から考え
ていたんですけれどね。儲け考えない古本屋なら私らでもできるんじゃないか
なあって、最近、思うようになりました』とか」
 声色を使う小笠原さん。僕は月田夫婦の声をもちろん知らないが、彼らの人
柄が目に浮かぶような気がした。
「知っての通り、儲けを度外視したとしても、古書店てのはただ開いただけじ
ゃ、人は寄って来ねえ。月田さん達が娘さんのために始める店なら、本好きが
集まる店にしたいじゃないか」
「そりゃ当然です」
「加えて、本を扱うってのは実は肉体労働だ。せどり専門ならまだしも、店を
構えるとなると、若い労働力が必要。だからな、そういったサポート役におま
えがならないか」
「小笠原さんじゃだめなんですか」
「前から何度も言ってるだろう? 俺は本を手放すのに、おまえほど躊躇はし
ないし、金を稼ぐための道具だと思い込める。おまえはそういうタイプじゃな
い。思い入れで本を仕入れて、値付けにも時間を掛ける。昔ながらの古書店向
き人間だよ」
「月田さん夫婦の店をサポートするのは、現実主義の打算的な人の方いいので
はないかと思うんですが」
「何だ何だ。やりたくない理由でもあるってか? 言っておくが、資金は全部
向こう持ちだぞ。立地条件は期待できんが」
 顔をぐいと近付けられ、僕は苦笑を浮かべていたと思う。目を逸らし、ぼそ
りと答える。
「断る理由は特にありません。でもただ働きは嫌です。やるからには儲けも出
したい」
「何だ。それなら自由にやればいい」
 小笠原さんの右手が僕の肩をばしばし叩いた。

――終わり




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