AWC そばにいるだけで 64−4   寺嶋公香


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#337/598 ●長編    *** コメント #336 ***
★タイトル (AZA     )  08/12/01  00:01  (496)
そばにいるだけで 64−4   寺嶋公香
★内容
(神村先生、お願いしますっ。相羽君は指名しないで。実績あるけど。すんな
り、選挙にしなかったのは、これまでやったことのない人もやって欲しいから
ですよね? ……あー、でも、万が一、指名されたら、相羽君のことだから、
引き受けてしまいそう……)
 心中で念じつつ、不安に駆られる純子。いつの間にか、両手を握り合わせて
いた。
 神村先生は、そんな気持ちを知る由もなく、予告した段取り通りに続ける。
「立候補、いないか? 今の内だと思うんだが。今なら、自発的で印象もいい
よ。……よし、これで最後だ。いないんだな? では、締め切る」
 案外、あっさりと締め切った。また僅かばかり、雰囲気が変わる。誰が指名
されるのだろう、という風に、みんなで顔を見合わせた。
「最初に言っておくと、運動部に入っている者は除いた。部活を理由に辞退さ
れたら、こっちも強制しづらいのでな」
 この宣告に、三割余りの生徒が気抜けしたような吐息を漏らしたようだ。呑
気な調子で、「それを早く言ってほしかった」という声も上がる。
「予め言ってしまったら、やる気のある者の立候補まで、なくなりかねないじ
ゃないか。それから……まあ、特に理由があって私生活で忙しい者も除いた」
 神村先生が純子の方をちらと向く。一瞬、目が合い、どぎまぎした。親しい
友達だけでなく、他のクラスメートも分かっているだけに、なおさら。
「わ、私は、一学期は無理ですけど、二学期ならひょっとしたら何とか……」
 みんなの視線を浴びて、思わず、そんなことを口走ってしまう。特別扱いさ
れたくない気持ちが働いた。
「そうか? じゃあ、二学期は考えておこうかな」
 笑みをなした先生は、出席簿の端に何か書き込む仕種を見せた。ポーズだけ
かもしれない。
「とまあ、他にも、皆の環境や状況をあれこれ考えた上でのことだから、本当
はやる気はあるが、立候補するとは言い出せなかった人。たとえ一番に指名さ
れなくても、気にする必要なし! いいね」
 なかなか饒舌な神村。
「ここまで聞いていて、おおよその覚悟はできてると思うが、部活をしていな
い者が、指名される可能性が高いわけだよ」
「うわー、理由、どうしようかな」
「今度、引っ越すことになって、これまでの倍、通学時間が掛かる……だめ?」
「あ、俺、おじいさんが病気で、看病しなければ……」
 該当する生徒が、口々に言う。冗談混じりのものがほとんどだ。唐沢もそん
な一人で、
「デートで忙しいというのは、認めてくれない?」
 と、早々と先生に尋ねる始末。無論、返事は期待していなかっただろう。
 ところが、神村先生、即座にこう答えたのだ。
「だめだ」
「えっと。そんな、真面目かつ真剣に否定しなくても、センセ」
 意外そうに目をぱちくりさせた唐沢。そんな彼の様子が、みんなの笑いを誘
う。純子も、噴き出さないように努力しなければならないほど。
(あの焦りよう! もしかして、また大勢の子と付き合い始めてる? ああ、
芙美も苦労しそう……あれ?)
 神村先生は唐沢の席のすぐそばまで来ると、真顔で言った。
「唐沢君、おめでとう。学級委員長をやらないか」
 ざわつきに拍車が掛かった。いわゆるプレイボーイのイメージが強い唐沢が
指名されるとは、誰も想像していなかったようだ。
「……冗談抜き、ですか?」
 何故だか笑みを浮かべながら、聞き返す唐沢。先生もにこにこ顔になると、
頷いた。
「僕も冗談は嫌いじゃないよ。でも、今のは違う」
「委員長なんてしてたら、デートの時間が」
「やりくりしろ。おまえほどもてるんなら、スケジュール調整ぐらい、これま
での経験から楽勝じゃないのかな」
「……俺、かなりの無責任男ですよ」
「そんなことはないと思ってるが、たとえそうだとしても、これから直せる」
「えーっと、遅ればせながら、テニス部に入ろうと思っていたのに」
「入部は自由だが、後付けの理由と見なし、委員長はやってもらうぞ」
「……しょうがないなあ」
「おぅ、やる気になったか」
「やる気はまだ半分ぐらいしか湧いてないけれど、やりますよ。やらなきゃし
ょうがない雰囲気だし。でも先生、条件があるんだけど、聞いてくれる?」
「ああ。かなえてやれるかどうかは、聞いてみないと分からんが」
「無茶苦茶なことは言わないって。副委員長は委員長が指名する。どう?」
「ふむ」
 左手を口元に当て、しばし検討する様子の神村。決断は早かった。
「別にかまわないか。無理強いしないのなら」
「先生ぐらいの強引さなら、OKっしょ?」
 これでは神村先生も拒否できない。大丈夫かな?という風に、口元を曲げた
たものの、唐沢の申し出を認めた。
「言うまでもないが、委員長が男子なら、副委員長は女子から選ぶのが原則だ。
くれぐれも悪用はよせよ」
「へい。好きな子を副委員長に指名して、口説くような真似はしません」
 裁判で宣誓するときみたいに手を掲げ、目を瞑る唐沢。すぐに片目を開ける
と、先生に重ねて頼んできた。
「副委員長は、明日までに決めるってことでいいっすか? まさか自分が委員
長に選ばれるとは思ってなかったし、誰が副委員長にふさわしいか、考える時
間が……」
「今日中は無理か」
「今日中と言ったって、午前中に終わるじゃないですか。短すぎ」
「なるほど、理屈は通ってる。仕方ないな」
 神村が了解するや、唐沢は手もみをし、「さっ、誰にしようかな〜」などと
呟いた。いちいち芝居がかっているが、板に付いていて、嫌味がない。早速、
「私、私」なんていう売り込み?の声が飛んだ。
(あれで二人きりになると、真面目な顔や格好いいところも見せるんだから、
女子に人気があるのも頷ける)
 妙に感心させられた純子。だが、町田のことを思うと、感心ばかりもしてい
られないわけで。
 何とかならないかな――他人事ながら頭を痛める純子も見守る中、唐沢は委
員長“就任”の挨拶を始めていた。

 唐沢委員長の初仕事として、席替えを行うことになった。男女別に名前の順
に並んでいたのをシャッフルするだけだから、席替えと言うよりも新学年の席
決めと言うべきかもしれない。
「好きな者同士隣り合うように、なんてのは認めないからな。ちゃんとくじ引
きをしろよ」
 神村先生に予め釘を差された格好の唐沢は、不要になったプリントを裏返し
にして線を引き、くじを作り始めた。
「あー、やっぱ、副委員長を先に指名しておくべきだった。一人はつらい」
 ぼやきながらも、手際はよい。その様子を眺めていた先生が、
「手間取るようなら、これで発生させた疑似乱数をみんなに宛がって、小さい
順に端から座らせようと思っていたが、その必要もなさそうだな」
 と、手のひらサイズの機械――ポケコンの類――を示した。その表情は何だ
か楽しそうだ。
「あ、ずるいよ、先生。そういう便利な物があるのなら、早く言ってくれなき
ゃさあ」
「おまえのやる気を見てたんだ。途中で辞めるのも不本意だろう、最後までや
りなさい。機械を使った席決めは、二学期のお楽しみだ」
「続けて委員長なんてしたくないっす」
 狙ったのかどうか分からないが、唐沢の言動がクラスの笑いを誘った。その
声に唐沢は片手を振りながらも、切り分けた紙に器用に番号を振っていく。
「考えたら、あみだくじでもよかったんだよなぁ。ま、いいけど。――よし、
できた。先生、何か袋」
「袋はありませんか、だろ」
 注意しつつ、すでに用意していたスーパーの買い物袋を手渡す神村先生。白
色で、中が透けることはない。
 唐沢は受け取ると、袋の口を大きく広げ、二つ折りにした紙片を全部流し込
んだ。そして口をぎゅっと握り、袋を上下左右に激しく振る。
「一から四十八までの数字を書いた。四十よりも多いのは、俺が勘違いしたん
じゃなく、最後に引く奴も選べるようにするためだからな。で、数の小さい順
に、廊下側の席に座る。引く順番は……いっつも相羽からじゃつまんないって
ことで、逆にしてみようぜ」
 唐沢の気まぐれで、五十音順で女子の最後の人から引いていくことに。
「それから、引いた番号を他の奴に見せたり教えたりするのはなしね。あとで
発表するときのどきどき感、たっぷり味わいたまえ」
 そう忠告したあと、唐沢は校庭側の端の列、最後尾から回り始めた。
(どんな順番で引こうと、確率は同じだって習ったけど)
 くじ引きの順番を待ちながら、純子は考えていた。
(最後に相羽君が引く番号の前後、あるいは隣り合う数字を引くなんて、至難
の業に思えるよ〜)
 純子は当然、相羽に近い席、できれば隣に座りたいと思っている。願ってい
ると言い直してもいい。実際、引く直前には両手を合わせてお祈りしたほどだ。
「涼原さん、これ」
 広げた袋に手を入れた瞬間、唐沢が囁いてきた。何事かと見上げようとする
が、その前に気が付いた。唐沢の左手に、小さく折り畳んだ紙切れがある。
(これを引けってこと?)
 クラスの人数よりも紙が多いため、特定の二人を隣り合わせるのは難しくて
も、前後に座らせるのは楽だ。※ちなみにクラスの人数イコール紙片の数だと、
最後の相羽の前に引く奴が、くじの数が合わないことに気付いてしまう。それ
なら相羽に真っ先に引かせればいいと思うかもしれないが、相羽にただ不正を
持ち掛けても拒絶されるに決まっている、しかし「涼原さんも乗ったぜ」と言
えば揺らぐかもしれないぞと考えたのだby唐沢。
 目で尋ねる純子に、唐沢はさらに囁きを続けた。
「うまくやってやる。任せろ」
 それから長引くと他の者から不審がられると踏んだのだろう、「随分迷って
るねー、すっずはらさん。迷うのはいいけど、透視できるわけじゃないんだし、
お早めに」と声を張る。再び笑い声に包まれる教室。
 純子は自らも笑いながら、まだ躊躇した。
(相羽君と隣り合うようにしてくれる? そうだとしたら……嬉しいけれど、
でも)
 ずるはよくない。
 純子はかすかに首を横に振ると、袋の底に固まる紙片の中から一つを掴み、
取り出した。
「えー、それでいいの?」
 唐沢の呆れ声が上から降り注いできた。純子は分かるよう、黙って大きくう
なずいた。
「やれやれ。――時間を食ってしまったな。ほんと、やれやれだ」
 そう言いながら、唐沢は袋を振った。恐らく、その動作に紛れて、握り込ん
でいた“純子用”の紙と“相羽用”の紙を、袋に投じたに違いない。
(あとで唐沢君に謝っておかなくちゃ。それにしても、いきなり委員長をやら
されて、席替えのくじ引きでそんなことをしようと思い付くなんて……唐沢君
も手品を習ったら上手になるんじゃないかしら)
 そんなことを思いながら、唐沢の背中を見送った。
 ほどなくして全員が引き終わり、唐沢は教壇へと戻った。
「えっと、先生。実際に席を替わるのは明日から?」
「そうなるかな。今日、席を替わっても、それですぐ、はいさようならだし。
まあ、荷物を机の中に置いておきたい者もいるだろうから、その辺は自由にや
ればいいよ」
「了解しましたー。では、とりあえず、座席表だけ作るってことで」
 唐沢は、今度はややもたつきながら、教室の椅子の数だけ、四角形を格子模
様のように板書した。それから肩越しに振り返り、「一番を引いた奴がいたら、
名前を」と皆に言った。
 この段取りで二番以降も聞いていき、格子模様を名前で埋める。場所が決ま
る度に、ちょっとした歓声や落胆の反応が漏れ聞こえ、面白い。
 だが、純子は面白がるどころではなく、席が決まる前から落ち込んでいた。
唐沢の厚意を袖にして、自分の意志で選んだ数字は、四十五。校庭側の一番端
の列に入るのは確定だ。両隣がある列に比べると、相羽の席と隣接する可能性
が減ったことになる。
 しかも四十五ということは、最後尾になる確率が高く、もしそうなったら周
囲の席が他よりも少ないわけで、ますますもって期待できない。
(せめて、相羽君に少しでも近い席になればいいな……。できれば、相羽君よ
りも後ろの席がいい。逆だったら、ずっと意識しちゃって、授業中でも落ち着
かなくて何度も振り返ってしまいそう。ううん、贅沢は言いません)
 首を振り、目をつむって、下を向く。いつ、相羽が返事をするか、どきどき
しながら耳を傾けていた。今、ちょうど半分の二十四だが、まだ相羽の番号は
呼ばれていない。
 なるべくあとに呼ばれてほしい……そう願う純子の耳に、しばらくして相羽
の声が届いた。三十三番だった。
(三十三……微妙かな?)
 少し明るい気分になり、相羽の方を見やる。
 相羽は前を向いたまま、口元に手をあてがい、どことなく考える風だ。純子
がまだ呼ばれていないことは当然分かっているから、隣り合う確率の計算でも
しているのかもしれない。
 相羽は三十三番だったが、実際はこれまでに三つの数字が欠番になった(引
かれなかった)ため、廊下側の列前方から数えて三十番目の席になる。
(ということは……)
 純子もまた前を見、埋まりつつある座席表で確認する。
(私の四十五番が呼ばれるまでに、五つ、引かれなかった数字があれば、相羽
君の隣になるっ。で、でも、引かれない数字は全部で八つ。すでに三つあった
んだから、残り全部が四十四までに含まれなくちゃいけない! ……やっぱり、
厳しそう)
 過度の期待をしないでおこう。心にそう決めて、純子は唐沢の声とそれに対
する反応に耳を傾けた。

(思い出すだけでもまだ恥ずかしい……)
 昼前の下校にも、純子の足取りは重かった。いや、学校から早く離れたいこ
とは確かなのだが。
「何かぼそぼそ言っているのには気付いたんだけれど、不正は本当になかった
のよね?」
 純子の前を歩き、隣の唐沢に詰め寄るようにそう言ったのは、珍しくも一緒
に帰る白沼だ。疑惑を持ったからこそ、一緒に帰っていると言うべきか。
「言ってるだろ。俺はそのつもりだったが、涼原さんが拒んだんだって」
 辟易した様子で何度目かの抗弁を試みる唐沢は、質問攻めに参ったか、ささ
やかな逆襲に出た。
「それにしても地獄耳だねえ、白沼さん。涼原さんの二つ前の席だから、絶対
に聞こえやしないと安心してたのに」
「余計なお世話よ。まったく、席が近いばっかりに、この子の喜びぶりを見せ
つけられたわ」
 純子は白沼に見据えられ、肩を縮こまらせた。
 奇跡的に――少なくとも純子にとっては奇跡的だ――相羽の左隣に席が決ま
った瞬間、純子は「やったぁ!」と声を上げてしまった。彼氏の隣になっては
しゃぐというだけでも結構恥ずかしいが、もう一つおまけがあった。
 決まった瞬間とは、直前の番号である四十四に誰も反応しなかったそのとき
であり、要するに自分の番号が呼ばれない内から喜んでしまったわけ。もう、
二重に恥ずかしかった。
「ご、ごめんね、白沼さん」
「いいわよ、別に。不正はなかったようだし、私は一応、身を退いたんですし
ね、一応」
 まだ微妙なところを残した文言ではあるが、白沼はそう認めた。
 唐沢が「あ、信じてくれたんだ。よかったよかった」と表情をほころばせて
みせると、白沼は、ふん、という風に髪をかき上げた。
「元々、信じてなかったわ、不正なんて。今日のくじ引きのやり方で、前後な
らともかく、左右に隣り合わせるのは、まず無理だと思うもの。ただ、あなた
が変な囁きをしたようだったから疑ってみただけのこと」
「なーんだ、焦って損した」
「やろうとしていたのは事実なんでしょうが。ま、どうせ相羽君が拒絶してい
たから、失敗に終わったでしょうけど」
 言い捨ててぷいと横を向いた白沼は、その視線の先にいる相羽には、一転し
て最上級の笑顔を作った。
(本当に退いてくれたのか、疑わしくなっちゃうじゃない)
 後ろからその様子を目の当たりにし、むくれる純子。今はまだ恥ずかしい思
いを引きずっているから、口には出さないが。
 と、白沼が振り返った。
「それにしても、二人の運のよさには驚くのを通り越して、呆れてしまうわね。
かなわないなぁ」
 そう言った白沼の目は、いつものきつい感じではなく、微笑みをたたえてい
るような。
 思わず俯いた。別の恥ずかしさ――気恥ずかしさを覚えた。
 白沼はそんな純子に気付いたか気付いていないのか、すぐまた相羽の相手に
戻った。
「でも、次の“いいな”と思える人を見付けるまで、しばらくの間、まとわり
つくから覚悟しておきなさい。かなわないまでも、ユーワクしてあげるからね、
相羽クン」
「無駄だなあ」
 相羽が困ったように嘆息した。春休み中のテラ=スクエアでの出来事を思い
出したのかもしれない。
「涼原さん、何してんの。取られないように、相羽にくっつかなきゃ」
 いきなり唐沢にそう囁かれた純子は、でも、首を横に振った。
「いい、いいの。そんなことしなくたって……」
「赤い糸で結ばれていると証明されたから、ってか?」
「そうじゃなくて。今日ははしゃぎすぎたから、反省してるところ」
 唐沢は冷やかしたつもりらしく、純子の冷静な返事に目を丸くする。
「別にいいのに。楽しめる内に楽しんでおかないと、後悔するぜ。どうせこれ
から、普段、会う時間が減ってくんだろ?」
「ま、まあね。色々と仕事が」
 その内の一つは白沼経由で持ち込まれたと言ったら、唐沢はどんな顔をする
だろう。少し見てみたくもあったが、黙っておいた。わざわざ状況をややこし
くすることもない。
「仕事かぁ。涼原さんが忙しくなけりゃ、副委員長に指名したのにな」
 純子が顔を起こして唐沢を見返すのと同時に、前方から相羽の声がした。
「唐沢、言うだけならいいが、頼むなよ」
「分かってるさ。頼んだら引き受けてしまいかねないもんな、この人は」
 二人の男子に対し、視線を行き来させる純子。相羽がしばし歩みを遅くして、
純子の隣に並んだ。前方では、取り残された?形の白沼が、小さくため息をつ
いたよう。そして彼女は足を止めると、相羽の隣につく。
「そこは『この人』と言うよりも、『このお人好しさん』がふさわしいわね」
 白沼の目が唐沢、純子、唐沢と移り、戻った。
「私、そんなにお人好しじゃないって。自分のことを一番に考えてる」
「いやいや。だったら、相羽とくっつくまで、こんなに時間は掛かりゃしない」
「そうね。加えて、時間と言うよりも年月って感じだから、困ったものね」
 抗議を唐沢と白沼からダブルで一蹴され、なおかつ相羽との仲を言われては、
純子は肩を小さくするほかない。
(相羽君はどんな気分なんだろう……)
 そっと窺うと、案外平気な顔をしているのが分かり、気抜けすると同時に、
頼もしくも思えた。
「珍しい場面を見た気がする。唐沢と白沼さんが同意見だなんて」
 相羽がぽつりと言うと、白沼がとんでもないとばかり、顔の前で手を振った。
「さっきのは、言ってみれば一般論ね。誰に聞いても同じ答が返ってくるわ。
現に相羽君自身、そうだったじゃない」
「それを抜きにしても珍しい。案外、気が合うんじゃないかな?」
 ここまで聞いて、これは相羽から白沼への“逆襲”なのだと気付く。すると
唐沢も心得たもので、すぐさま呼応した。
「おー、そいつはいいや。白沼さんに副委員長をやってもらえりゃ、以心伝心、
さぞかし仕事がはかどるだろうな、うんうん」
「じょ、冗談じゃないわ」
 若干、身を乗り出し気味にして、唐沢の方をにらむ白沼。
「絶対に嫌ですからね。お断り」
「つれないな〜。真面目な話さ、白沼さんなら実績あるし、柄でもない委員長
をやる俺にとって、頼りになるんだが」
 瓢箪から駒と思ったのか、誘いを掛ける唐沢はまんざらでもなさそう。だが、
白沼は頑なだ。
「嫌よ。そりゃあ、私ならクラス委員ぐらい簡単にこなせるけれども、あなた
とやるのが嫌なの。しかも、私の方が『副』だなんて」
「そんなこと言わずに、考えてみてよ。他にいい人、浮かばないんだよな」
 笑顔で語り掛ける唐沢。白沼はますます不機嫌な顔つきになった。四人横並
びで歩く最中、端と端とで言い合いをされて、挟まれた格好の純子と相羽は苦
笑を浮かべていた。
「女の子の知り合いなら、他にも両手両足の指でも足りないほどたくさんいる
でしょうに。その中から選びなさいよ」
「いやあ、隣に立つのは、とびきりの美人がいいのよん、やっぱり」
 はははと笑いながら後頭部に片手をやった唐沢に、白沼は呆れ眼で横にらみ
した。純子や相羽なら軽い冗談と分かるが、白沼には通じないようだ。
「おだてても無駄よ。それにその言い種、あなたの知り合いの女子にかなり失
礼よね。言い触らしてあげましょうか」
「ありゃ、やぶ蛇だったか。じゃあ、他の言い方に変えよう。白沼さんが副委
員長なら、俺も女の子にうつつを抜かすことなく、役職を全うできるから適任
なんだよな」
「……どういう意味かしら」
 フォローのはずが、白沼の表情は険しくなる一方。彼女は相羽の横を離れる
と、こめかみを押さえつつ、唐沢の方に素早く歩み寄った。
「な、何でしょう?」
 詰め寄られ、上半身を後ろに反らす唐沢。白沼は一瞬、相手の胸元を指差し、
続けた。
「私があなたのことを監視するから? それとも、私には恋愛感情が一切持て
ないとでも?」
「お、怒ることないじゃん。まさか、俺に好いて欲しいわけじゃないだろうし」
 戸惑いをまだ残す唐沢に対し、白沼は声のボリュームを上げた。
「それは当たり前! だけど、もてないかのような言い方をされると、とても
とっても心外!なのよね。あなたの口から言われたら、なおさらだわ」
 それだけ言うと、白沼は歩みを速めた。
「やっぱり、慣れないことをするものじゃないわね。お先に失礼するわ。相羽
君、また明日、学校で会いましょ」
 一度、振り返って相羽に微笑みかけたきり、どんどん離れて行ってしまう。
「……今、急いだって、駅で一緒になる可能性が高いのに」
 相羽が現実的なことを呟いた。精神的に解放された唐沢は。顎に手をやり、
「ははーん」と芝居がかって言った。
「だからあれは照れ隠しで、案外、次の“いいな”と思える人とやらが、すで
にいるのかもしれないぞ」
「だったら、僕らに付き合って帰ることないだろ」
「それはあれだ。涼原さんの喜び様を見せつけられて、邪魔をしたくなったと」
 唐沢の言葉に、また肩を小さくする純子だった。
「今日、喜びすぎたのは反省してる。けど、明日からもこんな調子じゃあ、隣
同士になったのが、かえって辛いなぁ……。話一つするのにも、人の目を気に
しなくちゃいけない感じ」
「気にせず、毎日いちゃいちゃしてやればいいさ」
 唐沢の台詞、特に「いちゃいちゃ」の箇所には、純子も相羽も目元を赤くし
た。互いに顔を合わせ、また赤くなる。
「ま、限度を超えたときは、俺が委員長権限でフォルトって言ってあげよう。
だからそうなるまでは思う存分、いちゃつきな」
「……白沼さんが先に行った気持ちが、よく理解できたよ」
 相羽はそう言うと、純子の手を取った。
「行こう、純子ちゃん」
「え?」
 手を引かれる格好になった純子は、歩幅を大きくしながらも相羽の顔を見た。
「駅まで走る!」
 二人は一緒に駆け出し、唐沢は置いてけぼりを食らった。

「ひどいです、涼原先輩」
 新学年スタートの二日目、朝から教室前の廊下で純子を待ち構えていたのは、
顔見知りの一年生だった。
「め、恵ちゃん。おはよう……」
 二年三組の教室まで訪ねて来た椎名恵を前に、純子はとりあえず挨拶した。
他の対応を思い付かなかったせいだが。
 椎名は聞こえなかったのかどうか、“じと目”のまま、詰め寄ってきた。
「入学のお祝いに、先輩の方から来てくれると密かに期待していたのに」
「……恵ちゃんの家に?」
 純子の怪訝な表情が、椎名に平静さを取り戻させたか、彼女は恐縮した風に
手を振った。
「いえ、先輩にそこまでさせられません。私の教室まで、という意味です」
「でも私、恵ちゃんのクラスを知らない……とにかく、座らせて」
 教室に入る純子。振り返ると、椎名は入ろうか入るまいか、躊躇している。
「遠慮することないよ、恵ちゃん。一年生だってことを弁えていれば、大丈夫」
「そうですか。じゃあ……失礼して」
 二年生の教室という雰囲気に、頭を下げる椎名。そこまで気を遣うくらいな
ら、まず私に遣ってほしいと思い、純子は嘆息した。
「それで、何組になったの?」
 椎名に尋ねつつ、自分の席に収まり、先に来ていた相羽と目を合わせる。
「二組ですよぉ……あ! 相羽先輩まで!」
 遅蒔きながら、椎名も気付いたようだ。相羽の方を振り返って、胸の前で手
を組む。
「久しぶり」
「こちらこそ、お久しぶりですっ」
 相羽の簡単な挨拶に、椎名は頭を深々と下げた。
「その様子だと、男嫌いの気味は完全になくなった?」
「完全じゃないです。清潔感のある人でないと、まだだめなんです」
 相羽は小声で聞いたのに、椎名自身は隠すつもりもないらしく、敢えて宣言
するかのように堂々と答えた。
 純子はそれでも辺りを憚りながら聞いてみる。
「そう言えば、試しに付き合ってみると言ってた男の子とは、どうなってるん
だっけ」
「自然消滅ですよぉ。高校も違うとこ行って」
「あ、そう……」
 悪いことを聞いてしまったかと思いきや、椎名の表情を見る限り、そうもな
い様子だ。弾んだ口調と相俟って、すっきりした風にすら映った。
「今のところ、確実に大丈夫って言える男の人は、相羽先輩だけなんですよっ」
 椎名は相羽の机に手を突いた。純子からは、椎名がどんな顔をしているのか、
見えなくなる。ちょっぴり、気になった。
(そう言えば恵ちゃんには、私と相羽君が付き合っていること、きちんと伝え
てなかったわ。察してくれてると思うんだけど、一応、話しておいた方がいい
かも……)
 そう考えたものの、即、実行に移すことはしない。昨日の一件がブレーキに
なっている。
「お暇なときだけでいいですから、顔を見せてくださいね、涼原先輩。お願い
します」
 いつの間にか向き直った椎名が、眉根を寄せた弱り顔で、手を拝み合わせて
きた。
「そんな大げさにしなくても、行くわ。ただ……ちょっと忙しくなりそうなの」
「あ、ですよねー。二年生っていうだけじゃなしに、モデルとかの仕事もある
んでしたっけ。ずっと応援してるんです。がんばってください!」
「あ、ありがとう」
 椎名は朝の休み時間をかき回すだけかき回して、出て行った。
 とにもかくにも、これで相羽とお喋りができると思った矢先、結城と淡島が
並んで寄って来た。彼女達からすれば、面識のない一年生が去るのを待ってい
たのだろう。
「あの子、誰? 一年みたいだけど」
 廊下からこちらに首を戻し、結城が聞いてきた。小学校のときからの後輩云
云と、純子が説明する。
「そういうタイプは、きっちり線を引いて、びしっと言ってやらないとだめな
んじゃないかなあ」
「私の感想も同じく」
 結城、淡島ともに好感情は持てなかったようだ。純子は「悪い子じゃないの
よ」と言っておいた。
「悪い子だろうがいい子だろうが、関係なしにさ。空気読めないで、あなたの
日常生活に割り込んでくる感じに見えた。小さい頃ならまだよかったかもしれ
ないけど、今はそうも行かないんじゃない?」
 結城の見方は結構鋭いようだ。黙って考え込む純子に、結城は声のトーンを
変え、「そんなことよりも」と肩を揺すってきた。
「蓮田秋人に直に会ってサインをもらうのって、今でも有効?」
「あ、もちろん。あの話、どちらかと言えば、マコの方が怖じ気づいちゃった
んじゃなかった?」
「うーん、そこを突かれると辛い。でも決心したんだよね。高三になるとうち
の家族でも、さすがに遠くへ遊びに出掛けるのを許してくれない予感がする。
だから二年の内にと、一念発起して勇気を奮い立たせることにしたわけ」
 結城の家族は揃って蓮田秋人のファンと聞いていたけれど、受験が近くなる
とそんなものだろうか。
「じゃあ、会えそうな日を聞いておくね。はっきり言って、こっちの都合通り
にはまず行かないから、覚悟しておくように」
「それはもう百も承知。しばらくは普段の予定、何にも入れずに待つことにす
るから、いつでもどんと来い!よ」
 結城が胸を叩いてみせたすぐあとに、前の方から唐沢の声で「……じゃあ、
結城さんに頼むのも無理か」と聞こえてきた。
「――何のこと?」
 振り返りながら聞いた結城の横を抜け、相羽の机の前で立ち止まる唐沢。
「副委員長のこと。俺がこれと見込んだ女子には、悉く断られてる。さっき職
員室で、センセーに早く決めろって言われたんだが」
「へえー? もてるのにねえ」
「それは、その人の選ぶ基準が間違っているからよ」
 今度は後方から白沼の声だ。じきに予鈴が鳴る頃合いなのに、純子らの席周
辺は混雑を増してきた。尤も、白沼は自分の席に着いただけだが。
「委員長の仕事に自信を持てなくて、頼りになりそうな女子にばかり声を掛け
てる。唐沢君がもてるのは、あなたを頼るというか、あなたに甘えるタイプで
ほぼ一〇〇パーセントを占めるわね、きっと」
「間違ってるか? 俺、クラスの仕事で逆に頼られたら、ぐだぐだになるよ」
「偉そうに断言することかしら」
「と、言われてもな。真面目にやるのって性に合わないし、初めてのことだし。
あーあ、こうなると分かってたなら、テニス部に入っといたのによ」
 頭上で行われる白沼と唐沢の応酬を気にしつつ、純子は淡島に「それで、淡
島さんは何か用事?」と尋ねた。相手はしゃがんで、純子の机に腕枕を作って
から答える。
「再び、結城さんと同じく、です」
「え、と言うと……」
「私も芸能人に直接会ってみたいと思いまして」
「ふ、ふーん。ちょっと意外だな」
「芸能人のオーラを感じることで、私の占い観によい影響がありそう。そんな
気がしたものだから」
 そう言って、淡島はにこりと笑い、首を傾けた。
「分かったわ。ただ、私も一応、芸能界の末席を汚してるんですが……」
 苦笑を交えてそう返す純子に、淡島は笑顔のまま、けれど大真面目に言った。
「涼原さんは友達です。だから、芸能人オーラのあるなしは分からないし、そ
もそも関係ありません」
 うれしさで、純子の頬も自然とほころんだ。
 そんな雰囲気にはお構いなしに、唐沢と白沼のやり取りは続いている。
 そこへ、純子の真後ろの席から、「えへん、えへん」と咳払いが聞こえた。
明らかに故意のものである。
 純子達はめいめいのお喋りをやめ、振り向いた。それを待っていたように、
男子生徒が口を開く。
「少し静かにしてくれないか。休み時間とはいえ、じきに授業が始まる」
 眼鏡のブリッジを右手中指の腹で押し上げ、いささか嫌味ったらしく言って
きたが、彼の視線は手元の教科書に落とされたままだ。
「あ、ごめん、稲岡(いなおか)君」
 純子は笑み混じりに頭を下げた。
 稲岡時雄(ときお)。今度の学年で初めて一緒のクラスになったが、名前は
以前から知っていた。各教科の先生が、勉強のできる生徒の代表のように彼の
名を口に出すためである。
 純子達の通う緑星は進学校ではあるが、志望先による細かなクラス分けは三
年生からとなっている。
「分かればいい」
 対応の時間すらもったいないとばかり、ちらとも目を上げようとしない稲岡。
純子は口元をぎゅっとかみ、仕方なく前を向いた。そして分からないよう、小
さな吐息を。
(折角、相羽君と隣り合わせになったけれど、喜んでばかりもいられないな。
調子に乗りすぎないようにしなくちゃ)

――『そばにいるだけで 64』おわり




元文書 #336 そばにいるだけで 64−3   寺嶋公香
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