AWC 天衣無法 3   永山


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#225/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  04/07/25  00:03  (465)
天衣無法 3   永山
★内容
「具体的に何なんですか」
 このリクエストに日野は、少し迷ったらしいが、結局応えた。
「イニシャル入りのナイフよ。断るまでもないけれども、奇術用のナイフでは
なく、昔、曲芸に使っていた本物」
「それって確か、大事に保管されていると、ケシン先生ご自身が話されていた
と記憶していますが」
 法月が顎に手を当て、首を傾げる。父親の癖が移ったようなその仕種は、な
かなかどうして板についていた。
「そうなの。先生しか持ち出せない。だからこそ疑われている訳なんです」
「アリバイってやつは、なかったの?」
 天野が聞いた。
「私もはっきりとは聞かされていないけれど、事件が起きたのは三日前の木曜、
深夜一時から三時の間で、そんな時間にアリバイが成立するとしたら、状況が
限られて来るんじゃないのかしら」
「機会はあったという訳か」
 思案げに呟いたのは法月。当初の否定的見解はどこへやら、いつの間にか推
理を巡らせようとしている。
「動機は何なんでしょう? 師匠が弟子を殺害する理由なんか、あります?」
「警察から同じことを尋ねられた。見当も付かないと答えたら、ワンダーマン
の人気や実力を妬んだとは考えられませんか、ですって。不謹慎になるけれど、
笑いそうになったわ」
 日野は今また笑いを堪えるためか、口元に手をやった。生徒達も大凡同感な
のか、黙って小さく頷くのみ。
「奇術の腕前なら、ケシン先生はワンダーマンを圧倒的に上回っている。人気
もそんなに差はないでしょう。テレビによく出ている分、一般的な知名度なら
ワンダーマンだったかもしれなくても、殺人の動機になるなんて馬鹿げている」
「私も聞いてよろしいですか」
 横路は肩の高さで挙手した。日野が無言のまま首を縦に振る。
「失礼があったら許してください。逆のパターンはないのですか。つまり……
ワンダーマン氏が師匠であるケシンさんの持ちネタを勝手に使い、そのことに
激怒したケシンさんが、というような」
「仮令、そのような経緯が起こったとしても、ケシン先生が感情の赴くまま、
人殺しをするとは思えません。それに、先生が弟子に教える奇術は、広く知ら
れている一般的・古典的な演目が多くて、先生のオリジナルはあまりありませ
ん。プロのマジシャンとしてやって行くには、自分自身でオリジナルの奇術を
編み出す力も重要ですからね。それでもたまに、先生オリジナルの奇術を教わ
る機会があります。その場合、弟子一人々々に個別に教えるんです。これが意
味するところ、お分かりですね? オリジナルを教えることは即ち演じるのを
許可したことになるんです」
「奇術のネタを、その、勝手に盗むというようなことは……?」
「少なくともうちのシステムではあり得ません。テンドー=ケシンはオリジナ
ルマジックの開発となると、秘密主義を貫きますから。私も舞台でサポートす
る以外のマジックは、種の分からないものがたくさんあるんですよ」
 姪に聞く必要はなくなったようだ。あの美人アシスタントが目の前にいる女
性と同一人物……。分からんもんだという言葉を飲み込み、横路は会話を続け
た。
「分かりました。奇術から離れて、世間でよく云われる動機も存在しないんで
しょうね。金とか女とか」
「あれば警察に話しています」
「では真犯人がいるとすれば、そいつはケシンさんにも恨みを持ってるかもし
れませんね。罪を擦り付ける細工をしたのだから」
「警察の判断することです。が、可能性はあると私も思います」
「お心当たりは? つまり、ワンダーマンさんに殺意を抱き、ケシンさんにも
相当な恨みがあるような人物の……」
「その質問は、警察に聞かれませんでした」
 少し意外そうに、日野。急にうなだれると、苦しげな表情で白い歯を覗かせ
る。音こそ聞こえないが、歯ぎしりしたに違いなかった。
「先生の無実を信じていながら、警察に真犯人の心当たりを伝えないなんて、
私は……」
「恐らく、急な話に動転されたんですよ。誰にでもあることだ。失地回復は、
今からでも遅くありません」
「今から警察に? でも、動機があるだけで警察に云うのは、乱暴すぎる気が。
まるで貶めるための密告だわ」
「とりあえず、私に話してくれませんか。一緒に検討してみれば、その人物の
名を警察に伝えるのが妥当かどうか、見えてくるかもしれない」
「そう、ですわね……。縫川健吾(ぬいかわけんご)という男です。元プロマ
ジシャンで、現在は超能力者と称していますが、当然、いんちきですわ」
 日野は、自らの失態から生まれた腹立ちをぶつけるかのように吐き捨てた。
その辛辣な口調による告発を受け、子供達がざわめく。あいつなやりかねない、
そんな呟きが聞こえた。
「一年半前に、ケシン先生やワンダーマンと論争を繰り広げた縫川ですね」
 無双の発言は、横路への説明の色合いもあった。
「テレビ番組や誌上で何度か激しくやり合って、最終的に縫川の敗色濃厚にな
ったところで幕引きとなった。あれで終わりと思っていましたけれど」
「あなた達には知らせていなかったけれども、幾度か封書が届いていたのよ。
何枚もの便箋が、抗議とも嫌がらせとも取れる文言で埋め尽くされていたわ。
おまえらマジシャンは超能力がマジックでもできることを示したに過ぎないと
か、超能力がたまに失敗するのは、それが真実存在するからであるとか。最後
の方には、ろくな死に方をしないであろうとまで書いていたわね」
「その手紙、残してないんですか」
「今となっては残念だけど捨てた。取っておいても無意味と、ケシン先生が判
断されて」
「それだと、動機の証拠がないままか……」
 無双が男の子みたいに腕組みをし、唸るのを見て、横路は意見を述べること
にする。
「いや。動機なら、一年前にテレビ等でやり合ったんだろう? 少なくとも諍
いがあったことは、簡単に認めて貰えるよ」
「ああ、そうか。そうですね」
「手紙の現物がなくても、第一アシスタントの日野さんが記憶されていること
だから、それなりに信用度はあると判断されるんじゃないか。ケシンさんだっ
て今頃、同じ供述を刑事さんに話してるかもしれない。日野さんの話とケシン
さんの話が重なれば、信用度は更に上がる」
 横路は希望的観測も含めて云う。会ったばかりの日野に優しいのは、事件に
関心を持ったからだった。話を聞くまでは、どこにでもあるような単純で発作
的な犯罪を想像していたが、凶器の謎により印象は一変した。
 七尾がマジックを習い始めたことに影響され、不思議な謎を解き明かしたい
横路の欲求は、三年間で以前とは比べものにならないほど強まった。
 この事件も解けるものなら解いてみたい。が、それには情報が少なすぎる。
「日野さん。もう少し詳しく、事件について話してくれませんか」
「私が警察から聞いたことは、他にもういくつもありません。遺体発見現場が
彼――ワンダーマンの自宅で、発見時、冷房ががんがん効いていて寒いくらい
だった。家の鍵は全て内側から施錠されていた」
「密室、ですね。凶器を除けば、状況は自殺を示している訳か」
「当日のワンダーマンの足取りは、割とはっきりしているみたい。まず、Aに
あるテレビ局のスタジオでレギュラー番組のまとめ録り。水曜の夜六時半に局
入りし、八時四十五分まで。これは十五分押しだったそうです。十時からSホ
テルで宿泊客相手のナイトショー。控室に入ったのが九時三十五分頃で、ぎり
ぎりだったとか。今年の四月より月、水、土とやっていたので、手慣れてはい
たんでしょうけど、際どいスケジュールだわ。ワンダーマンの扮装を解かずに
移動して乗り切っていた。このショーの終了が、十一時十五分――」
「はーい、質問!」
 七尾が唐突に挙手し、元気よく云った。日野は顔を向け、小首を傾げること
で続きを促す。
「テレビ局からホテルへの移動手段は何ですか?」
「車よ。彼、自分で運転するの好きだったから。警察の話だと、車中でホット
ドッグをかじりながらハンドルを握っていたと。車内にあった包装紙、胃袋の
内容物なんかでそう推測できるんですって」
 そこまで答えてから、日野は困った風にへの字口をこしらえた。ため息混じ
りに「中学生にすべき話じゃないわね」と云うと、横路に向き直った。
「あの子らは解散させて、あなたにだけ話したいのですが」
 横路の返事よりも圧倒的に早く、その子供らからブーイングが一斉に発生し
た。「これからがいいところなのに」「俺達にも考えさせてよ」「今時の子供
は、これくらい大丈夫だよ」「知らされない方が気持ち悪いな」等と、口々に
不満をこぼす。
 さらに七尾が言葉を重ねた。
「僕、一人じゃ帰れないからね。大人二人で話してる間、ハンバーガーショッ
プに預けられるのもお断り!」
 こうなると云うことを聞かせるのは、なかなか大変だと横路は苦い顔をした。
経験上知っているし、七尾の両親が苦労させられているのを見たのも数限りな
い。
「……おや? 僕も帰れないな」
 法月が自分の左手の中を見ながら云った。携帯電話を持っている。
「バッテリー切れだ」
 抑揚のない口ぶりが、いかにも嘘っぽい。この場合、嘘がばれてもいいと踏
んでいるに違いない。
 他の三人がどんな手口を用いるのか、少し見てみたい気がした横路だったが、
ことは人の死に関わる。時間を無駄にすべきでない。
「遺体の生々しい描写をする訳でもなし、特定の個人への悪い先入観を植え付
けるでなし、かまわないでしょう」
 日野に提案する。妥協を迫ったとも云える。
「先入観なら植え付けかねないようですけど」
「いや、縫川某に関しては、子供達も最初から敵視していたようなものでしょ
う。問題ないとは云いませんがね」
 多少の遠回りをして、日野は覚悟を決めたらしかった。
「じゃあ、続けるわ。ショーが十一時十五分に終わり、ホテルを出たのが十一
時四十分頃。このときも扮装をしたままで、車に乗り込んだそうよ。知り合い
に会う約束があってねと云い残して」
「それって、プライベートステージなのかなぁ」
 衣笠が独り言めかして尋ねた。集まってから口数の少なかった彼女だが、顔
色が優れないようでもなく、単に息を飲んで聞き耳を立てていただけらしい。
「はっきりしてない。ホテルの人も、詳しく聞いてない」
「ワンダーマンさんは、ワンダーマンの格好をしたままだったんだから、マジ
ックをするつもりだったのは間違いないでしょ。そんな夜中にやるとしたら、
プライベートとしか考えられないよ、日野さん」
「マジックをするつもりだったか、分からないわよ。扮装を解かなかったのは、
その知り合いと会う約束の時刻に遅れないためだったのかも」
「はっはあ、なるほどねー。そういう捉え方もあるある」
 感心したのはいいが、妙な言葉遣いになる衣笠。どうやら、結論を急いだ自
らの勇み足をごまかしたいようだ。横路はそう考え、微笑ましくなった。
 日野が云った。
「足取りが分かっているのはここまで。数時間後に、自宅で亡くなったことに
なる。第一発見者というか、異変に気付いたのは、仕事の打ち合せで朝から訪
ねてきた業者……奇術道具のメーカーさんね。いくら呼んでも返事がなく、電
話にも出ない。今までこんなことはなかったから、急病で倒れているのじゃな
いかと心配して、近所の人立ち合いの下、業者の人自身が勝手口近くの窓を破
ったという流れらしいわ。私が知らされたのもここまで」
「その業者さんとワンダーマンさんとの間に、トラブルはなかったですか」
「私の知っている範囲では、全く。元来、人当たりのいい男でしたから、ワン
ダーマンは。だからこそ、レギュラー番組を持てて、人気が出たんでしょう」
「なるほど。しかしそうなると、縫川氏を容疑者とするしかないが、決定打は
ないようですね」
「凶器を取りに、先生のご自宅を訪れているはずだ。それも最近」
 横路の台詞を押し退け、法月が発言した。
「恐らくそれは、単なる訪問を装って行われたと想像する。醜い論争や手紙の
件を謝罪したいとでも理由を付ければ、ケシン先生も仇敵を招き入れたと思う」
「ナイフを見せて欲しいと云われて、見せるかしら?」
 すかさず無双が疑問を呈する。法月は首を左右に振った。
「そんな直接的な手段を執るものか。あとで先生が警察で証言すれば、縫川は
たちどころに怪しまれる」
「私もそう思ったから云ったのよ。どうやってナイフを手に入れたか」
「どんな風に保管してあったんですか」
 横路は日野に尋ねた。優秀なアシスタントは記憶を手繰るためか、軽く俯く。
「私が最後に見たのは……ひと月ほど前で、それまでと同じように、先生の書
斎の棚に、金属の箱に収まった形で載っていましたね」
「金属の箱? 中身が見えないんじゃ?」
「いえ。葉巻入れのような形をしていて、蓋は大方が透明なプラスチックにな
っていますから、そこから覗けるのです。ナイフは間違いなくありました」
「話を聞く限り、家に上げて貰えさえすれば、ケシンさんの隙を見てこっそり
書斎に入り、持ち出せそうに感じましたが。あ、書斎に鍵でも?」
「先生は鍵を掛けるのを常とされていますが、屋内の鍵は緻密な造りでなく、
ちょっと訓練をした者なら開けられるでしょう。縫川はかつて脱出マジックを
習ったこともあるはずですから、鍵開けはお手の物です」
「それなら」
 謎は大したものでなくなる。横路はふっと気を緩め掛けた。だが、日野は深
刻そうにかぶりを振った。
「箱の方が問題なのです。箱そのものは特別仕立てで、一般的な意味の鍵はな
いものの、箱根細工のような複雑な段取りを踏まないと、中身を拝めなくなっ
ています。隙を衝いて盗もうというやり方では、時間が足りないでしょう」
「箱ごと盗んで、じっくり開ければいいんじゃありませんか」
「箱が盗まれたなどということを先生は仰ってませんでしたから、箱自体は無
事のはずです」
 崩せたと思った謎の壁。しかしそれは幻で、依然として屹立していた。
 横路が黙るのを待っていたかのように、七尾が口を開いた。
「あのさあ、とりあえず、縫川ナントカさんの存在を警察に知らせちゃおうよ。
それで色々調べさせるの。ケシン先生の家に来たことがあるのか、来たのなら
何回か。アリバイはあるのかないのか、とか」
「七尾さん、さっきも云ったけれど、決定打が」
「決定打なら多分あるよ。疑うのに充分なきっかけになればいいんでしょ?」
 あっけらかんとした返答に、難しげだった日野の表情が一転、ぽかんとなる。
「調べてみないと分かんないけど、本当に縫川さんがナイフを持ち出したなら、
書斎のドアの鍵穴に、針金か何かを突っ込んだ痕があるはずだもの」
「……そいつは賭けになるな」
 横路は呟いた。

 警察捜査陣が問題の鍵穴を調べた結果、極細い鉤状の金属でいじった痕跡が
見つかった。この事実と、ケシンやワンダーマンに対する恨み、鍵開けの技術
を有するといった点から、縫川健吾が参考人として呼ばれた。それが事件から
ちょうど一週間の木曜のこと。
「縫川は三週間ばかり前を皮切りに、ケシン先生宅を訪れたことは認めたそう
よ。それも三回ね」
 普段より一日早い土曜、子供達プラス横路は教室に集まり、日野の事後報告
を聞いていた。
「一度目は穏便な話し合いを、二度目はその続き、三度目は謝罪をするためと
か。そして縫川の証言は、ケシン先生の記憶とも矛盾しなかった」
「だったら、少なくともナイフを持ち出す機会はあった。方法はまだ分からな
いけれど」
 色めき立つ七尾達に、日野は冷や水を浴びせる。
「ところがアリバイ成立。犯行があったと目される午前一時から三時まで、出
版社の人間と仕事の打ち合せを兼ねて飲んでいたというのよ」
「出版の仕事?」
「超能力の本ですって。よくあるやつよ。縫川は刑事に云い放ったらしいわ。
『自分が犯人だとしたら、ナイフを箱からワンダーマンさんの自宅にテレポー
テーションさせ、そのまま超遠隔操作の念動力で、彼の喉を掻き切ったことに
なりますねえ』と」
「超能力者ならできるってことじゃない。あいつが超能力者だって自称してる
んだから、さっさと逮捕すればいいんだわ」
 無双が憤然として吐き捨てた。本気の発言ではないらしい。
「はい、質問」
 目に隈を作った七尾が挙手をした。大会出場がいよいよ迫り、練習もしたい
が、事件も気になる。そんな具合で、寝不足なのだ。
「ケシン先生はナイフを毎日眺めてましたか? 云い換えると、ナイフが無事
あることを毎日確認していたかって意味ですが」
「まさか。別にナイフのコレクターという訳ではないのよ。まあ、書斎に入る
度に、箱にちらっと目をやるぐらいでしょうね」
「箱は確認しても、ナイフはどうだか分からないんですよね」
「そうなるわね……」
 日野の語尾が曖昧になる。七尾が何を云いたいのか、ぴんと来た様子だ。
 だが、次に発言したのは法月だった。
「そうか。外見がそっくりの箱を用意して、すり替えたか!」
「うん。それでうまく行くと思うんだ。縫川さんは三度、ケシン先生の家に行
ってる。一回目に箱を写真に収め、偽物を作る。二回目のとき、偽物と本物を
すり替える。持ち帰った本物にじっくり取り組み、ナイフを手に入れる。三回
目で、本物と偽物をまた入れ換える」
「先生が箱の中身を確かめない限り、ばれない!」
 衣笠が感極まったように叫ぶ。黄色い声に、隣に座っていた天野が耳を塞い
でいた。
「種を見破る能力は相変わらず、君が一番だな」
 法月が誉めると、七尾は「それほどでも」と謙遜してみせた。そこへ天野が
突っかかる。
「だけどよ、ナイフの謎を解いたって、アリバイがあるんなら、どうにもなら
ねえよ。同じやり口を使った、別の人間が犯人としか――」
「僕は縫川さんにあったことないから分からないんだけど、縫川さんがワンダ
ーマンになりすませると思う?」
 相手の台詞を遮って、皆に尋ねる口ぶりの七尾。彼女がゆっくりと見渡す内
に、日野が答えた。
「技術的には問題ないでしょうね。かつては意外と有能なマジシャンだったん
だし。ワンダーマンは喋らないから、声でばれることもない。スタッフの人と
は会話せざるを得ないでしょうが、風邪気味とか何とか云ってごまかせる」
「体格はどうです?」
「身体つきそのものは似てる。ただ、身長がね。多分、縫川が五センチは高い」
「その程度なら、シルクハットで帳消しにできます。膝の辺りをちょっと曲げ
るだけでも、かなり低くなるし」
「できそうな気がしてきたわ」
 日野も認める。
 ワンダーマンが移動のときも扮装を解かなかった理由が、縫川のなりすまし
のためだとしたら、辻褄が合ってくる。収録を押し気味にしたのも、わざとだ
ったかもしれない。
「縫川がワンダーマンに変装していたとして、それがあいつのアリバイとどう
関係して来るんだ?」
 天野は「分からん」という風に首をしきりに捻りつつ、聞いた。
「殺した時間を勘違いさせられる。木曜の午前一時から三時の間だってことに
なってるけれども、本当は収録が始まる前、水曜の午後六時ぐらいに殺しちゃ
ったんじゃないかなあ」
「莫迦な! 全然違うじゃねえか。最低でも七時間は差があることになる。そ
んなの、警察が見落とすか?」
「水曜日の一時から二時ぐらいに、ワンダーマンさんにホットドッグを食べさ
せることができたら、警察も勘違いするかもしれない」
「あ?」
「この前、日野さんから聞いた話だと、死亡推定時刻っていうのは、胃の内容
物を基準に弾き出されると思ったんだけど、合ってる?」
「え、ええ」
 視線を向けられ、日野はどぎまぎした調子で対応した。
「詳しくはないけれど、今度の事件の場合だと、現場である自宅が全室冷房を
効かせてあって、しかも温度がファジー設定されていたため、遺体の体温だけ
では絞りにくい。だから胃の内容物が大いに役立ったと」
「いかにもホットドッグを午後九時前後に食べたかのように細工して、実際は
その七、八時間前に食べただけだとすれば、死んだ時刻もずれるんじゃないか
なって思った。だめかなぁ?」
「クーラーをがんがん掛けていたのも、そのためか。不敗進行を少しでも遅ら
せる……」
 横路は内心の感嘆を隠しつつ、呟いた。姪にここまでの力があるなんて、夢
にも思わなかった。
「いい感じだわ。残すは、ワンダーマンさんの家が密室状態だった謎だけ」
 無双の言葉に、天野が「そんな物、謎でも何でもないだろ」と返す。
「どうしてよ」
「にっぶいなあ。鍵開けの名人なんだぜ、縫川は。道具を使ってちょちょいと
やれば、鍵を開けることも閉めることも――」
「ああ、天野君。それは駄目よ。否定されてるの」
 日野に云われて、天野はがたがたと椅子を鳴らした。
「何で? そりゃ閉めるのは難しいかもしれないけど、特別な道具があれば」
「現場の鍵穴の方は、警察が真っ先に調べたのよ。自殺か他殺か不明瞭だった
ためね、きっと。その結果は、鍵穴に傷の類はなかったんですって」
「そういう大事なことは、もっと早く云って欲しかったな」
 舌打ち混じりに云い、口を噤んだ天野。いいところを見せようとして失敗し
たのが堪えたか、そっぽを向く。
「七尾さん、何か名案、名推理はある?」
 無双が水を向けるが、これには七尾も頭を横方向に振るばかり。
「全く浮かびません……。せめて実際に家を見てみないと」
「それもそうよね。ねえ、日野さん。行って見ることできない?」
「警察の検分は終わったそうだから、あとはご遺族の許しを得られたら入れる
と思うわ。連絡、取ってみる?」
 みんな、揃って頷いた。

 ワンダーマンの家は、主の年齢に比べれば、充分すぎるほど大きく広い部類
に入るだろう。その稼ぎを窺わせる。
「勝手にちょろちょろせず、ひとかたまりになって動いてくださいよ」
 遺族から聞き及んだのだろう、人のよさそうな外見の刑事が一人、見張りに
やって来た。ケシンへの容疑をまだ解き得ない警察としては、当然の措置。日
野達はケシンの身内であり、現場に入ることで証拠堙滅を謀ったり、他人に罪
を擦り付ける工作をしたりする可能性を見過ごす訳に行くまい。
「警察は調べ尽くした、だからここ、入れるようになったんでしょ」
 衣笠が鬱陶しいとばかり、ずけずけと云う。刑事は年齢の割には広いおでこ
を触りながら、「警察も完全ではありませんから」と素直に認める。この人当
たりのよさが武器なのだろう。
「中学生が犯罪の片棒を担ぐとでも?」
「元気のいいお嬢さん。自分は先輩からこう教わった。先入観は禁物と」
「大体ねえ、ケシン先生を犯人と考えること自体、間違ってる。犯人は縫川っ
て奴よ」
「その話は自分も聞いたが、現時点では残念ながら、どうにも判断できそうに
ない」
 玄関先で頑張る衣笠だが、それをのらりくらりとかわしつつ、刑事は横路ら
の動きを抜け目なく監視する。勝手な行動は許さない。そんな厳しさをあから
さまに発散していた。
「ずっと実験動物みたいに観察されるのも落ち着かなくて、じっくり現場を見
られないわ」
 七尾が口火を切った。自分に注目してという風に、一際大きな声で。それか
ら刑事に向かって続ける。
「僕らの考えを聞いてください。そしてミスがなければ、僕らを信用してほし
いんですけど」
「そいつは、自分の一存では返事できない要望だな。最近の子は難しいことば
かり……君は女の子だよね?」
「女です。目立ちたくて『僕』を使ってるんじゃなく、小さい頃からの口癖」
「では、考えを拝聴しよう。中を見ながらでも」
「見ながらは駄目! 真剣に聞いてほしい」
 片腕を開き、家の中に誘おうとした刑事に、七尾は鋭く云い放った。主導権
を掌握したと確信した様子だった刑事は、少なからず意外そうに足を止めた。
「分かった。本気で拝聴するよ。他の皆さんは、きっと同じことの繰り返しで
退屈だろうが、中に入らないでいただきます」
 堅物で狸だが、洒落が分かるし、一般人の話を聞く耳も持っているようだ。
 七尾は、縫川が犯人たり得る推理を、ときに日野達のフォローを受けながら
刑事に伝えた。
 彼女の話が終わったとき、意外と物分かりのよい刑事はしばし静寂を保った。
思案げに両手を組み、視線を地面に向ける。
 その沈黙の長続きを嫌って、横路が言葉を差し挟んだ。
「残っているのは、この家の密室だけなんですよ。早く調べさせて貰えたら、
有り難いのですが……」
「警察は密室を重要視していません。それよりもまず、縫川氏が本当に、被害
者に扮することでアリバイ作りをしていたかどうかだ。多分、簡単に確かめら
れますよ」
 声を出して決心がついたのか、刑事は携帯電話を取り出し、横路達から少し
離れると、通話を始めた。内容までは聞き取れない。
「そっか」
 程なくして七尾が呟いた。
「『そっか』って何が?」
 衣笠と無双が同時に振り向き、聞いてくる。
「指紋だわ。車の中では指紋を付けないように注意しただろうけど、スタジオ
やホテル内では他人の目もあって、完璧に残さずに済ませるのは難しいと思う。
それを調べるように、あの刑事さん、電話してるんだわ」
「ふむ。理屈だな。今までどうして気付かなかったんだろ」
 指を鳴らして悔しがる法月。生徒の中では一番優秀なマジシャンの彼だが、
推理の面では七尾に後れを取ってきた。せめて一矢報いたくてたまらないよう
だ。が、その願いはかないそうにない。
 やがて電話を終えて刑事が戻って来た。
 彼が捜査本部に進言したことは、七尾の想像とぴたりと一致していた。

「先生……本当にうまくできるのか、僕、心配になってきました」
「技術的には、ずっと上昇線を描いているよ。魅せ方も含めて」
「知らない人の前でやった経験がほとんどないから、自信持てないっていうか」
「何を心配しているのかと思ったら」
 大会直前ということで、特別レクチャーを受けた直後、用具を片付けながら
こぼす七尾に、ケシンは微苦笑を綯い交ぜにした表情を向けた。
「知らない刑事を相手に堂々と推理を披露し、私を窮地から救ってくれたとい
う度胸は、どこへ行ってしまったんだろう?」
「あれは」
 云い掛けて口ごもる七尾。鞄の中と机の上とを往復していた手も止まった。
「『あれは』、何だね?」
「あれは……先生がピンチだったから、封印していたのを、久しぶりにフル回
転してみたまでで、度胸とかとは関係ありません。確かに、必死だったけど」
 マジックの種が分かったからといって、ずけずけとその場で暴露してしまう
ような真似は、長らくやめていた。三年前、マジックの魅力や奥深さに気付か
され、演じる側になってみて初めて、種明かしに意味がないと思った。大げさ
に表現するなら、悟ったのだ。
 他人のマジックの種を暴くのは、単なる自己満足に過ぎず、不思議さを幻滅
に変えるだけ。仲間内での技術の向上、あるいはマジックの演目そのものの進
化を伴わない限り、種明かしはしないと自らに誓った。
「いや、私はやはり度胸、自信のなせる業だと思うがね。マジックの暴露は失
敗しても恥を掻くだけで済むが、殺人事件の推理となると、一歩間違えれば、
名誉毀損や捜査妨害になるんじゃないか? 必死さが君の力を充分に引き出し、
満足の行く推理ができ、自信を持てた」
「それはまあ、そうかもしれないけどぉ……」
 嘆息し、片付けを再開する七尾。ケシンは真顔で続けた。
「マジックを演ずることも、似たようなものだ。必死になってやれば、自信が
出るし、度胸もつく。失敗なんかしない」
「……あの、実は……。いくら練習しても、いくら必死になっても充分な自信
が持てないのは、自分でも何となく分かってるんです。知らない人が見てると
かじゃなくて」
「ほう。分かっているのなら、いいじゃないか。それを云ってみなさい」
「僕のやるマジックなんか、種がばればれで、不思議でも何でもないんじゃな
いか……って思うんです」
「ふふふ。それは、七尾君が種を見破る能力に長けているからだ。観客のほと
んどは、君ほど観察眼に優れてはいないよ」
「そうでしょうか」
 面を起こし、見上げる七尾。依然、背は小さい。
「ああ。これまでに練習を見て貰った相手だって、私を含め、専門家ばかりだ
ったね。家で家族に披露したことはないの?」
「ないです。どうしても恥ずかしくて。専門家以外で練習を見て貰ったのは、
横路の叔父さんだけ」
「あの人も平均よりは遥かに鋭いだろうなあ。もっと多くの普通の人相手に練
習しないと。それに、家族に見せるのを恥ずかしがっていたら、大会だと緊張
の頂点に達するだろうに」
「知らない人なら、大勢いても平気なんです。知ってる人が相手だと、この人
なら種に気が付くんじゃないかって思えて、恐くなる……」
「やれやれだ。同じところをぐるぐる回っている気がしてきたよ。大丈夫、種
を見破る人なんて、極僅かだ。それにね、大会を見に来る人は、ちゃんとエチ
ケットを心得ている。万が一、種が分かっても、三年前の君みたいにきつい種
明かしはしないよ」
「それなら……まあ……」
 漸く少し前向きになった七尾だが、まだ不完全だ。
 彼女の師匠はない髭をぴんと跳ねる仕種をやってみせ、片目を瞑った。
「種がどんなに詰まらなくても、くだらなくても、現象が素晴らしければ人々
を悩ませ、感動させることができる。口を酸っぱくして云ってきたこのことを、
ついこの間、身を持って体験したはずだが?」
「え?」
「私が巻き込まれた事件だよ。一番の難問だった密室の答は、莫迦みたい簡単
だったろう?」
 七尾は思い起こし、静かに首肯した。
 仮面のマジシャン殺害事件は急転直下、呆気なく幕が引かれた。
 スタジオとホテルそれぞれについて指紋の採取を行い、縫川のそれと照合し
たところ、いくつかの一致が見られた。特にホテルの方は、縫川が過去、全く
出入りしていないだけに、強力な証拠となった。
 この事実を突きつけられた縫川は、超能力者然とした傲慢さも霧散し、敢え
なく陥落。犯行を認める供述を始めており、七尾達の推測がほぼ的を射ていた
という。
 七尾達を最後まで悩ませた、ワンダーマン宅の密室に関しては、無味乾燥な
答が用意されていた。ワンダーマン殺害後に鍵を持ち出し、合鍵を作った。そ
れを使って施錠した、ただこれだけのことだったのである。
「ほんと、あれにはずるーい!と叫んじゃいました」
 七尾の表情が明るくなる。笑い声も漏れた。
「だけど、分からない内は必死になれて、本気で考えたわ。もしも本当の事件
じゃなく、マジックだったなら楽しめたと思う」
「そう。面白いのは、種じゃない。マジックそのものなんだ」
 ケシンの言葉に、七尾は大いに同感した。
 彼女の内に、自信がやっと芽生えつつあった。

――終





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