#199/598 ●長編 *** コメント #198 ***
★タイトル (amr ) 03/12/03 03:02 (128)
暁のデッドヒート 10 いくさぶね
★内容
「山城も沈没した模様──!」
悲痛な声で寄せられた報告に、利根艦長の黛大佐は「ふむ」と声を上げた。
「水雷戦隊の掌握を急げ。大型艦の残存はどうなっている?」
「足柄もやられました。重巡以上で健在なのは本艦だけです」
「足柄もだと……あれか」
右舷後方に、妙高級重巡の形をした鉄屑が浮いていた。誘爆を繰り返すそれに向かっ
てペンシルバニアがしつこく砲撃を浴びせ続けている。
「容赦がないのぉ」
砲術長が呆れた声を上げた。
「魚雷が残っていれば、やっつけてやるところなんですが」
水雷長も悔しそうにしている。先ほど敵重巡の隊列に殴りこんだ際に、利根の魚雷は
全て撃ち尽くしていた。見たところ、米戦艦の方もダメージは相当なものだ。上構のう
ち装甲化されていないものは大半が崩れ落ち、中央部では時折誘爆まで発生している。
主砲塔だけが防御力に物を言わせて健在ぶりを示しているが、軽快部隊で足元をかき回
してやれば仕留められるのではないか。
「ない物ねだりをしても始まらん。……それに、主砲も相当まずいことになっとる」
黛大佐は表情を険しくした。正確にカウントしていたわけではないが、砲術で飯を食
っている者のたしなみとして自分が命じた斉射の概数は記憶している。あまり携行数が
多いとはいえない重巡の主砲弾は、そろそろ底を尽いているはずだ。
「阿武隈から連絡! 『我、艦隊指揮をとる。各艦状況知らせ』」
「一水戦?すると木村さんか」
どうにもならなかった。ペンシルバニアの砲力を軸に、米軍はよく連携された阻止砲
火ラインで日本側の水雷戦隊の活動を封じていた。巡洋艦同士の潰しあいで戦力を消耗
した軽快部隊に、デンバーとコロンビアの六インチ砲弾の嵐が襲い掛かる。曙と潮が果
敢に肉薄雷撃を試みたが、返り討ちされて二隻とも爆沈の憂き目に遭った。
なおも荒れ狂う砲火の嵐。日本側の戦艦を全て仕留めた米艦隊は嵩に掛かっていた。
ミネアポリスを筆頭に、三隻の巡洋艦と五隻の駆逐艦が水雷戦隊を追い立てる。隊形を
崩したところをペンシルバニアが狙い撃つ。圧力にたまりかねて米戦艦の主砲射界に踏
み込んだ鬼怒が、上構に二発の直撃を叩き込まれて吹き飛んだ。
「やれやれ、たまらんな」
艦橋を根こそぎにされて火達磨の状態で沈んでいく鬼怒を見て、木村少将は溜め息を
ついた。あれでは殆どの者は助からんだろう。
「利根より通信です。『第七戦隊残存は本艦のみ。只今発揮しうる最大速力二五ノッ
ト、
主砲弾の残弾僅少、魚雷は全て射耗』」
「すると、残るは利根と本艦、それに四駆、一七駆、一八駆、二七駆、三二駆、それに
浦波……駆逐艦九隻か」
「いえ、八隻です……今、時雨が沈みました」
木村少将は困った顔になった。これでは勝負にならんじゃないか。
「先任参謀、どう思う?」
「引き返すのが至当でしょうな。戦艦と甲巡があわせて四ハイもいる中に、正面から突
っ込んでもレイテには行けません。それに……」
「弾薬も残り少ないと来るか。レイテに行けたとしても、輸送船何隻沈められることや
ら」
そして旗艦阿武隈の見張り員が、撤退の決断を迫る最大の要因の到来を告げた。
「敵機来襲! 二時方向、戦雷連合およそ一五! まだ他にいますっ」
トーマス・スプレイグ、スタンプ両護衛空母隊の艦載機が、悪天候を衝いて救援に駆
けつけたのだ。
戦場海域に飛来したのは、FM−1が七機とTBMが十機。機数こそ少なかったが、
彼らは護衛空母部隊の航空隊をまともな飛行隊らしく行動させるために乗せられていた
貴重なベテランばかりだ。眼下で戦っている艨艟たちに比べれば微々たる戦力に過ぎな
かったが、それでも騎兵隊としては十分だった。
「左舷、雷撃機二、突入してくる!」
「面舵三〇!」
逃げるしかない、木村少将はそう決心した。飛んできたのは、近傍に存在する空母部
隊の艦載機に違いない。これはつまり、今まで自分たちの味方となってきた天候が艦載
機の発着が出来る程度にまで回復していることを意味する。ここからレイテまでの距離
を考えると、突入の成就は絶望的だ。
(レイテは、遠かったか……)
そのとき、見張りが「あっ」と声を上げた。
「反跳!」
「なに!?」
突入してきたのは確かにアヴェンジャー艦攻だったが、雷撃ではなかった。銀灰色の
翼が翻り、四発の五〇〇ポンド爆弾が次々と投下された。元々雷撃に備えて転舵してい
たために投影面積は小さかったが、それでも一発が阿武隈の艦尾を飛び越えて上構前半
部に直撃し、艦橋を中破させた。
衝撃でなぎ倒された艦橋要員を、駆けつけた衛生班員が助け起こして歩く。弾片を受
けて倒れた木村少将の脳裏を、一年前のダンピール海峡の光景が過ぎった。
「司令、手当を行いますので医務室へ」
「莫迦者、この艦隊に残った将官は儂一人だぞ。負傷したからといって持ち場を離れら
れるか」
木村少将は衛生兵の手を振り払って自力で立ち上がると、艦橋の窓から外を睨んだ。
幸いにして、味方の回避運動は的確だったようだ。藤波が上構から黒煙を吹いているほ
かは、損害らしい損害は出ていない。
「敵駆逐艦三隻、向かってきます!」
「水雷戦隊、迎撃せよ。全艦、右舷砲戦!」
追撃を掛けてきた米駆逐艦に砲撃を浴びせながら、日本艦隊の残存はスリガオ海峡方
面に針路を取った。
「おっと、そうは行くか!」
先頭を行くルメイの露天環境で、バーケイ少将が不敵な笑みを浮かべる。
「駆逐艦から全艦隊を指揮か。こいつはとんでもない先例になるな」
TBSの通話器を握り締めたバーケイ少将は、自分の乗艦よりも五倍以上は大きな麾
下の艦に向かって指示を送り始めた。
「巡洋艦は右翼に先行、敵の側面に回れ。ペンシルバニアは無理をするな。駆逐艦は
ジー
プ共の生き残りの救助だ。マクデルマットはついてこい!」
数時間前の姿から見る影もなく勢衰えた日本艦隊の最後尾から、数隻の駆逐艦が分離
して向かってくる。
「骨のある奴が居やがる。連中、まだ潰走しているわけじゃなさそうだ」
バーケイ少将はにやりとすると、砲戦用意の号令を掛けた。
「面舵、右舷砲戦!」
撤退する日本艦隊の殿軍を務めるのは、比較的損傷の浅い朝雲と山雲だった。
「畜生、年貢の納め時か」
「年貢の納め時? 莫迦を言うな!」
砲術長が悔しがるのを見て、朝雲艦長の柴山中佐は語気を荒くした。
「まだ、お前らに酒を奢っておらんだろうが!」
艦橋内の時間が一瞬停止し、次の瞬間笑い声と歓声が弾けた。
自分たちは絶対に生きて帰れる。根拠もなく、そんな確信が生まれていた。
西村中将と篠田少将は、裏返しになった救命筏に掴まって波間を漂っていた。黒い英
字が刻印してあるところを見ると、米艦のものらしい。
「不思議なもんですな。死ぬ覚悟を固めたつもりでも、一旦助かってしまうとなかなか
思い切れない」
重油にまみれた顔で、篠田少将が溜め息をつく。山城の艦橋から海中に投げ出された
ときは無我夢中で手近な漂流物にしがみ付いていた彼らは、その後何度か入水を試みた
ものの、重油を浴びたことによる浮力と無意識の生存本能に阻まれて果たせずにいた。
「私も驚いていた。我々の覚悟とは所詮この程度のものだったのか、と」
西村中将が同意したとき、
「ジャップか?」
救命筏の反対側から英語が飛んできた。重油の塊のようになった頭を海面から突き出
して、一対の青い瞳が彼らを見つめていた。
「大したもんだよ、お前らは。おかげで俺も、艦を沈められてこの有り様だ」
最初は一時的に緊張が走ったが、争いは起きなかった。ゴム製の救命筏は三人がしが
み付いてもびくともしないほどの浮力を有していたし、溺者同士で戦っても意味はなか
ったからだ。
だが、救助にやってきた米軍の駆逐艦に引き上げられたとき、二人は同舟していた相
手の正体に仰天した。
「ようこそ、駆逐艦ホエールへ。君たちには戦時捕虜としての正当な待遇を保証する」
ジェス・オルデンドルフ少将は、顔にへばりついた重油を拭いながら疲れた笑顔を浮
かべた。
もっとも、数分後に驚くのはオルデンドルフ少将も同じだったのだが。