AWC 暁のデッドヒート 8   いくさぶね


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#197/598 ●長編    *** コメント #196 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  03:01  (382)
暁のデッドヒート 8   いくさぶね
★内容
 この時点で、大和の前檣楼は壊滅状態だった。大佐以上の階級にある者で、生存者は
一人もいない。艦の指揮は、後檣から副長がとっていた。当然ながら前檣楼頂部の射撃
指揮設備も使用不能となっている。
 だが、この点に関しては事実上被害は無意味化していた。大和と米戦艦の距離は、既
に七五〇〇メートル程度にまで縮まっている。日露戦争ばりの直射弾道で狙いがつけら
れるのだから砲側照準でもまったく問題ない。
 二斉射目で、早くもメリーランドに直撃一発が生じた。錨鎖庫で発生した爆発によっ
て鋭角を成していたクリッパーバウの舳先が弾け飛び、ハリケーンバウのような扁平な
形状に造り替えられる。
「なんてモンスターだ。面の皮が厚いだけじゃないのか」
 呪詛の声じみた悪態を掻き消して、十六インチ砲弾が飛んでいく。あれほど強靭な耐
弾力を示していた舷側装甲が、障子紙ででも出来ているかのようにあっさりと貫通され
る。
 大和の右舷後部で再び大爆発。船体外鈑が内部装甲や隔壁ごと飛散し、放物線を描い
て周囲の海面を叩く。高角砲弾薬庫に火が回ったらしい。
 さらに艦載艇収容口が叩き潰され、煙突の上半分が消失し、航空機格納庫で大火災が
発生した。艦首部から中央、艦尾に至るまで広範囲に発生した火災は、全艦を覆い尽く
さんばかりだ。
「ストライク! 今のは効いたぞ!」
 ウェイラー少将が拳を振り上げる。その声に押されてあらたな十六インチ砲弾が飛ん
でいく。大和の前部舷側に二発が命中し、それぞれ巨大な破孔を開口させた。
 その直後、メリーランドとウェストバージニアの乗組員達は新たな砲弾の飛来音を聞
いた。散々聞き慣れた四六サンチ砲弾のものよりも明らかに軽い音。だが、数は今まで
の比ではない。
「ちっ、喜ぶにはまだ早いってか」
 ウェストバージニアの艦長が唸る。左舷二五〇〇〇ヤードの位置には、合計二四門の
主砲をこちらに指向する二隻の戦艦の姿があった。
「突撃! 大和を救え!」
 扶桑と山城は、それまで標的さながらの気楽さで撃ちまくっていた護衛空母を放り出
し、一気に米戦艦との距離を詰めに掛かっていた。ようやく本領発揮の場を見出した十
四インチ砲が、開放感さえ感じさせる勢いで唸りを上げる。
 これに対しては、ウェストバージニアの砲塔が急旋回して応射。メリーランドと山城
の周囲に水柱が乱立し始めた。
 そして、周囲の砲声を圧するかのように強烈な音が轟く。数こそ少ないが、存在感は
圧倒的だ。それを聞いた誰もが、信じられない思いで音の主に目を向けた。
 大和は、まだ沈黙していなかった。艦容の原型はとうの昔に消えうせ、全体を火炎に
覆い尽くされている。それでも第一砲塔はまだ生きていた。この状態で艦がまだ浮いて
いることはおろか、中に生きた人間がいることすら信じられない者さえいたが、その疑
念を吹き飛ばして七〇〇〇メートルの距離を飛び越えた四六サンチ砲弾はメリーランド
の後部舷側を撃ち抜いて上甲板を下から粉砕し、舵機室に及ぶ勢いの大火災を発生させ
た。
 そこに扶桑と山城の十四インチ砲弾が落下。うち一発が大和の砲撃で事前に吹き飛ば
されていた甲板装甲の穴を直撃し、隔壁を捏ねまわす。さらに大和の砲弾が飛来。数は
三発だったが、揚弾の過程でどのような判断があったのか、この三発のうち二発は三式
弾だった。一発は見当違いの場所に花を咲かせたものの、もう一発がメリーランドの艦
橋外壁を直撃。これを貫通して内部で炸裂したから堪らない。一瞬で彼女の上構前半は
火達磨と化し、炎と高熱によってあらゆる可燃物が焼き払われてしまった。無論その中
には、艦橋に居合わせた人間も含まれている。
 だがそれとほぼ同時に、クロスカウンターでメリーランドの斉射が大和に降り注い
だ。
直撃弾は二発。その両方が第一砲塔付近のヴァイタルパート舷側を貫通して炸裂し、不
気味な轟音と共に内部構造を引き裂く。
 それから数秒後、大和は被害を意に介さぬかのように主砲を斉射したが、異変はその
瞬間に起きた。

「え?」
 真っ先にそれを目撃した山城の見張りが、間の抜けた声を上げた。あきらかに、何が
起きたのか理解できていない。
 発砲の閃光を発した大和の第一砲塔が、まるで「ずぶり」と音を立てかねない様子で
船体内部に向かって沈み込んだ。
「あ」
「お?」
 続いて、扶桑と山城の艦橋内でも戸惑いの声が上がる。
 そんな莫迦な、という響きがあった。
 同時に、大和の前部船体から無数の甲高い破断音が続けざまに発生した。さらに一瞬
おいて、左右両舷に大きな水飛沫が発生。魚雷が命中したのかと思った者もいたが、水
柱と言うには様子が違った。
 いや、ひょっとすると魚雷が命中していたほうがまだよかったかもしれない。
 このとき大和の艦内では、数限りない命中弾でバーベット周辺の内部構造に入ってい
た複数の亀裂が、第一砲塔の発砲による衝撃で一気に拡大していた。強度を失った船体
構造材は数千トンの砲塔重量を支えきれずに次々と破断し、ついには船殻にまで大穴が
開くに至ったのだ。
 信じられない思いで見守る敵味方の将兵の目の前で、大和の船体は、完全に内部に埋
没した第一砲塔のところから二つに裂けた。続いて、半ば横倒しになっていた第二砲塔
が、吸い込まれるように破断位置の狭間に滑り落ちる。そして、襤褸のように切り裂か
れた艦首部が横倒しとなった。
「そんな……」
「嘘だろ、おい……」
「あああ……」
「大和が……」
 誰もが、空虚な無力感に苛まれ、滂沱の涙を流しながらその光景を見つめていた。

「モンスターの最期だ……」
 ウェストバージニアの艦橋もまた、粛然とした空気に包まれていた。
 不思議と、達成感や充実感はなかった。ただ現実の中から巨大なものがぽっかりと欠
落したような虚脱した雰囲気だけがあった。
 堂々たる強敵だった。ウェイラー少将は、前半部が横倒しとなった大和に目をやっ
た。
(アメリカが誇る戦艦部隊がよってたかって、このザマだものな)
 新型戦艦を蹴散らしてサンベルナルジノを強行突破し、ここレイテでまた神話の巨獣
のごとく暴れ狂って見せた。自分の目の前で、テネシーが一撃で吹き飛ばされ、ミシシ
ッピーが叩き潰され、そしてカリフォルニアが波間に消えようとしている。対峙してい
る敵手とはいえ、畏敬の念さえ生じさせる奮闘ぶりだ。
「敵艦とはいえ……勿体無いことだ」
「?」
「……いや、ただの気の迷いだな。さぁ、あと一息だぞ」
 やや訝る様子の幕僚を前に、ウェイラー少将は自分を戒めた。
 なにより、敵艦はまだ二隻残っている。油断している暇はない。
「敵先頭艦、一八〇〇〇ヤード」
「よし、ファイア!」
 ウェストバージニアに残された二基の砲塔が火を噴いた。先航するメリーランドがそ
れに続く。山城の周囲に十一本の水柱が立ち、その陰で閃光が走った。水柱が収まった
とき、現れた山城の艦影は、中央部からうっすらと薄煙を靡かせていた。


 扶桑と山城の火力は十四インチ砲だったが、ここまでこの戦場で唯一無傷を維持して
いるアドバンテージは大きい。
「目標敵先頭艦、距離一五五〇〇」
「右舷に被弾、中甲板に火災発生!」
「応急いそげ! 砲術、照準まだか!」
「敵艦、第二射発砲!」
「下げ一つ、苗頭そのまま」
「射撃準備よし!」
「撃ぇ──ッ!」
 山城が先ほど受けた十六インチ砲弾は、副砲のケースメイトを貫通して装甲区画を突
破し、機関室直上に火災を発生させていた。だが、主砲火力に影響はない。そのまま扶
桑とあわせて二四発の砲弾が発射される。
 メリーランドの周囲に次々と水柱。三発が直撃して、それぞれが強烈な有効打となっ
た。元々舷側装甲厚十四インチという冗長性のある防御設計をされているとはいえ、さ
すがにこの距離での戦艦主砲の砲撃に耐えぬくのは辛い。
 次々と爆炎に吹き飛ばされた破片が宙を舞い、両用砲塔が断頭台で撥ねられた首のよ
うに舷側から転がり落ちる。
 負けじと撃ち返された十六インチ砲弾は、山城の舷側に二発が命中した。プレ・ワシ
ントン型日本戦艦の例に漏れず、扶桑級戦艦もまた三〇年代の改装によって甲板装甲を
一五〇ミリ以上の厚さに強化していたが、舷側装甲は三〇五ミリのまま手がつけられて
いない。
 ケースメイト式の副砲が砲郭ごと船体からもぎ取られて海面に落下し、短艇が引き千
切られて飛んで行き、煙突が探照灯架を将棋倒しにしながら倒壊した。
 近距離での最後の撃ち合いは、完全に日本側の手数と米軍側の破壊力の激突となっ
た。
「だんちゃーく! 近、近、遠、近、命中一、いや、二!」
「諸元よぉし、次弾装填急げ!」
 扶桑と山城は、自らが軍艦として発揮しうる最大限の性能を揮っていた。二四.五ノ
ットの最大戦速と、各艦一二門の十四インチ砲による全力射撃。距離が一六〇〇〇メー
トルを切った辺りから命中率も急激に上昇しはじめた。斉射一回ごとにメリーランドの
各所で閃光が湧いて鋼鈑が抉り抜かれ、炎とともに飛散する。
 だが、三発、五発と続けざまに命中弾が発生する派手な見た目に反して、決定打はな
かなか与えられない。威力の専らを砲弾落角に頼るところの大きい四五口径砲は、距離
一五〇〇〇から二〇〇〇〇メートル近辺での対舷側射撃があまり得意ではないからだ。
 これに対して米戦艦が装備する主砲はさすがの威力だった。旧式とはいえ腐っても十
六インチ砲、一トンを超える砲弾重量は伊達ではない。
 山城の艦橋基部と第三砲塔至近に、立て続けに命中弾が発生した。射距離は一五五〇
〇
ヤード。垂直装甲を軽々とぶち抜いた徹甲榴弾が短遅動信管によって主要区画内部で炸
裂し、衝撃波と爆炎、そして無数の鉄片を振りまく。山城自身の砲戦能力へのダメージ
は軽微なものだったが、それ以上に重大な損害が生じていた。
 被弾の衝撃で床に叩きつけられた第二戦隊首脳陣が何とか起き上がったとき、その報
告はもたらされた。
「通信系統故障! 電路損傷! 送受信とも不能!」
 報告に続いて、再度の被弾の衝撃が山城を揺るがした。

「山城、通信途絶!」
 利根の戦闘艦橋に報告が飛び込む。
「やられたか!」
 入り乱れる黒煙と乱立する水柱。海面のうねりも強く、戦場の見通しは全く利かな
い。
駆逐艦二隻は仕留めたと思ったが、さっきペンシルバニアからめった打ちに遭った際に
利根もまた大きな損傷を受け、思うように速力が稼げなくなっている。
 僚艦の熊野は原形を留めないほどに上構を打ち砕かれ、利根の遥か後方で松明のよう
に炎上していた。白石少将の墓標だった。
「指揮系統がさっぱり分からん……どうなっとるんだ」
 黛艦長も、大和がやられたところまでは把握していた。だが、そこから先の指揮権が
どう継承されているのやら、さっぱり状況が掴めない。先任順から行けば、最上位に位
置しているのは第五艦隊の志摩中将なのだが、那智との連絡はさっきから途絶えたまま
だ。その次に序列が来るのが山城に座乗する西村中将だったが、こちらもまた連絡が取
れなくなってしまった。
「ってことはだ……」
 黛大佐の想像は当たっていた。このとき、日本艦隊の戦隊指揮官以上のレベルで戦闘
指揮が可能な人間はいなくなっていたのだ。
「左舷、大型艦が炎上中」
「どこのどいつだ……何っ」
 双眼鏡を向けた黛大佐は、思った以上に状況が悪化していることを悟った。
 現れたのは、左舷に大傾斜を生じて炎上する那智と、真っ二つに折れて海中に引き込
まれようとしている青葉の姿だった。その向こうでは、ペンシルバニア級戦艦を含む米
軍の大型艦隊列と足柄率いる味方駆逐艦部隊が砲火の応酬を繰り広げていた。

 重巡部隊をここまで追い込んだものは、フェニックスの“死んだふり”だった。
 長門の十六インチ砲弾を前檣楼と後檣楼に相次いで直撃され、指揮系統が麻痺状態に
陥った彼女は、戦闘のこの段階に至ってはじめて息を吹き返した。
 無論、戦闘能力のすべてを取り戻したわけではない。上構中央部は瓦礫の山と化して
いたし、各所で発生した火災は広がる一方だ。艦の指揮を執っている生き残りの最先任
士官は、主計長という有り様だった。
 早いはなしが、演技をしている余裕などなかった。フェニックスはこのときまで、本
当に死んでいた。だがそれだけに、この欺瞞効果は大きかった。日本艦隊は、黒煙と火
災炎を吹き上げて殆ど漂流しているも同然の彼女を、既に無力化されたものと見なして
いたからだ。
 航行能力が低下しているペンシルバニアを避けて回り込もうとした重巡部隊の横合い
至近距離から、フェニックスは六インチ砲十五門の猛射を浴びせた。完全な奇襲攻撃。
射距離五〇〇〇メートルを切っているような条件下では、外すほうが難しい。瞬く間に
十発以上の直撃を見舞われた青葉の中央部で大火災が発生。フェニックスの主砲装弾の
手違いから、この中に数発の榴弾が含まれていたことも災いした。投棄する間もなく誘
爆した魚雷がさらなる誘爆を引き起こし、青葉は中央部の船体構造を丸ごと吹き飛ばさ
れた。
 無論、フェニックスへの報復は迅速におこなわれた。日本海軍は、射界に捉えた敵に
砲雷撃を叩き込む技量にかけては未だに世界最高のレベルにあった。重巡二隻の主砲が
猛然と吼える。さらに、旗艦を失った鬼怒と浦波の復讐の砲火までが加わった。魚雷も
遠慮なく放り込まれる。
 結果、フェニックスは五〇発を超える八〜五インチの各種砲弾と三本の魚雷を受け、
右舷側の構造を数分間で完全に破壊し尽くされた。彼女が倒れ伏すように海面にその姿
を横たえたのは、那智と足柄の射撃開始から七分後のことだった。

「──魔女の大釜だな、こりゃ」
 オルデンドルフ少将は、戦場の様子に呻いた。現実は、彼が口にした形容ですら生易
しいと思えそうなものだった。
 ホモンホン島とサマール島に挟まれた狭い戦場海域に、敵味方あわせて数十隻になん
なんとする艦艇が入り乱れて殴り合っている。そのなかには、既にスクラップと化して
動きを止めたものがすくなからず混じっている。左舷二〇〇〇〇メートルほどの距離で
炎上している巨大な鋼塊が、その最たるものだ。自分たちはほんの小半刻ほど前まで、
その前衛芸術のようなしろもののことをモンスターと呼んでいた。
「見たまえ、なんとも頼もしい眺めじゃないか。ええ?」
 傍らに立つ旗艦ルイスビルの艦長に向かって、精神的な余裕を取り戻したオルデンド
ルフは敢えておどけた口調で言った。彼は、前檣楼から前が断ち切られたように消失し
た大和を指差していた。それはもはや、あらゆる意味において米艦隊の脅威とはなりえ
ない。少なからぬ犠牲があったとはいえ自分たちは任務を完遂しつつある。オルデンド
ルフは、それを艦橋内の者達に示そうとしていた。
「ですが、我々の仕事はまだ残っておるようです」
 朗らかな笑顔で頷きつつ、艦長は答えた。最大の脅威を取り除いたとはいえ、敵には
まだ有力な艦艇が多数残っている。可能な限り、ここで食い止めなければならない。
「そのとおりだ。牧童の義務を果たすとしよう」
 オルデンドルフ少将の言葉に応えるかのように、いくつもの報告が届いた。
「フェニックス、爆発! 転覆しました!」
「左舷一七〇〇〇ヤード、ミョウコウ級重巡二、軽巡および駆逐艦二、接近します!」
「突撃! 左砲戦!」
 オルデンドルフ少将が威勢よく命じた。旗艦ルイスビルとミネアポリスが、合計一八
門の八インチ砲を唸らせる。
「見張り員は海面に注意! ブルー・キラーの雷跡は白くないぞ、見逃すな! 大丈夫
だ、相手だって同じ巡洋艦だ!」
 とはいえ、相手は条約型巡洋艦の中で最も重武装の一族である妙高級。その砲力は圧
倒的だった。鬼怒と浦波も容赦なく砲弾を送り込んでくる。先頭を行くルイスビルに数
発が直撃。艦上の各所で、悲鳴とさまざまなものが壊れる音が響く。
 だが、オルデンドルフ少将は今まで感じていた恐怖が消えていることに気付いてい
た。
最強と恃んでいたモンスターを潰されて、連中も動揺している。そんな確信があった。
「左舷後方に味方艦!」
「よし、いいところに来た!」
 現れたのはなんと、先ほど敵巡洋艦の砲撃を中央部に食らって誘爆を起こしたポート
ランドだった。盛大に黒煙を噴いているが、深手を負ったグリズリーのように手のつけ
られない勢いで主砲を乱射しながら突っ込んでくる。
 それに続いて、見慣れない小型艦。
 ──いや、よく見るとフレッチャー級駆逐艦だった。度重なる命中弾で上構を徹底的
に破壊され、艦容が変貌してしまったのだ。
「あれはジョンストン……エヴァンズか。無茶をする」
 ジョンストンの戦意は旺盛だった。那智の左舷に水柱。片方だけ残っていた五連装魚
雷発射管から放った最後の魚雷が、艦腹を深々と抉った。続いて罐室が爆発。煙突基部
の上甲板を引き裂いて火柱が上がる。
「……何て奴だ……」
 一部始終を目撃したオルデンドルフ少将は、声を失った。大破状態の駆逐艦で、巡洋
艦一隻を仕留めやがった。
 だが、日本側も黙ってやられたわけではなかった。クロスカウンターで放たれた酸素
魚雷がポートランドに命中。死に損ないの彼女に、今度こそ引導を渡した。
 さらに、新手の気配。
「右舷後方、新たな敵巡洋艦!」
 オルデンドルフ少将は唸った。


「そりゃっ、撃て撃て! 駆逐艦なら酒一斗だ!」
 朝雲は、僚艦の山雲を引き連れて戦場を駆け回っていた。訓練でもお目にかかれない
ような速射率と命中率で、五インチ砲弾が嵐のように吐き出される。砲術長以下、砲術
科員達の士気は天をも突かんばかりの勢いだ。
 これまでの砲術科のスコアは、魚雷艇撃沈二、撃破一、駆逐艦撃破二。ここに、新た
に駆逐艦一隻が追加されようとしていた。駆逐艦長の柴山中佐は、そろそろ自分の懐の
心配をしなければならなくなっていた。
「だんちゃーく! 命中一、二……敵艦、傾斜!」
 目標とされたのは米艦隊で唯一生き残っていたDE、ジョン・C・バトラーだった。
彼女は米軍艦の例に漏れず、護衛駆逐艦といえども生残性にずいぶんと配慮した造りと
なっていたが、それにも限度がある。なにより、生残性の発揮に不可欠な発電機と消火
用のポンプを初弾でスクラップにされたのが痛かった。
 発生した火災を消し止めることができないまま、舷側を次々と抉られたバトラーは、
左舷に大傾斜を生じて停止。それを見た朝雲の艦上で歓声が爆発した。これで酒一斗追
加。
「よし、よくやった! 次の酒を探せ!」
 砲術長が率先して双眼鏡を手に見張りに立つ。とはいえ、その動機がかなり不純では
あった。米軍艦は、もはやすっかり酒樽扱いである。
 朝雲は、前方に展張された煙幕を回り込むように大きく転舵。ところが、その先で思
わぬ相手と鉢合わせした。
「右三〇度、敵駆逐艦!」
「なんだ、あいつは?」
 彼らの目の前に現れたフレッチャー級駆逐艦は、少将旗を高々と掲げて南西方向から
戦場海域に突き進んできた。


 山城に限界の時が迫りつつあった。
 既に中央部の砲塔二基を粉砕され、直撃弾を受けた煙突と後檣は炎の中に融け崩れよ
うとしている。
 隊列の先頭に位置していた彼女には、メリーランドとウェストバージニアからの砲撃
が集中した。十数分間に渡る砲火の応酬の末、彼女はメリーランドに十五発を超える命
中弾を与えてその上構の過半を廃墟に造り替えていたが、自身もまた十発近い十六イン
チ砲弾の直撃を受けていた。
「三番主砲火薬庫、温度上昇止まりません!」
 火災は貫通孔を穿たれた上甲板から中甲板に拡大し、ヴァイタルパート内部を次々と
侵食していった。内務班が駆けつけて放水を開始したところに次の砲弾が飛び込み、消
火に従事する人間もろとも区画を吹き飛ばす。
「注水はどうした! さっき命じたはずだぞ!」
「ポンプが動かんのです! 散水器もだめです!」
 新たな十六インチ砲弾が着弾。高声電話の応答が途切れる。篠田艦長は、通話器を叩
きつけた。
 中央部の艦内は、もはや区画が意味をなしていなかった。隔壁の断面を晒していた破
孔がさらに抉り取られ、三番砲塔のバーベットが歪む。下層甲板まで貫いた爆風は、続
いて周囲に存在した可燃物を片っ端から炎上させていった。
 さらにもう一発。今度は中央部の横腹が抉られた。短遅動信管によって砲弾が炸裂し
たのは、注排水区画のど真ん中。水線付近の船殻が内側から弾け飛び、続いて海水の流
入が始まった。
 昼戦艦橋の高声電話が再び鳴る。相手は中央部で応急作業の陣頭指揮に当たっている
運用長だった。
「隔壁を開くだと!」
『幸か不幸か、海水がすぐ隣まで来ておるんです。ここの水密を解けば、三番の火薬庫
は助かります!』
「それは」
 篠田少将は絶句した。閉鎖中の水密扉を開き、隣接区画ごと三番火薬庫に注水する。
確かに有効な手段ではある。それはそうだが。
『ポンプもスプリンクラーも駄目です。火勢が強くて人力じゃ追いつきません。これし
か方法が残っておらんのです!』
 運用長が切迫した声で訴える。篠田少将は唇を噛みしめると、凄絶なまでに強張った
表情で言った。
「……わかった。やってくれ!」
 運用長の覚悟が尋常のものでないことは、篠田少将にはよく解かっていた。水密扉を
開くには、人力しかない。水圧の掛かっている扉を開放すれば、取り付いていた人間は
一堪りもなく鉄砲水に飲み込まれてしまうだろう。
「だんちゃーく! 命中一、二……!」
 戦場音楽に負けじと張り上げられた見張りの声が響く。
 篠田少将は、内心に湧き上がる何かに必死で耐えていた。
 三番火薬庫付近の区画からひっきりなしに寄せられていた危機の情報は、止まってい
た。
 高声電話で連絡がくることも、二度となかった。


「扶桑、前に出まーす」
 浸水で速力の落ちた山城に代わり、扶桑が隊列の先頭に踊り出る。
 いっぽう当座の危機を乗り越えた山城は、健在な八門の主砲を用いてその間に三回の
斉射を行った。三発、二発、三発と、まとめて発生する命中弾。メリーランドの船首楼
は既に海水に洗われていた。前檣楼は倒壊寸前。艦上の過半を炎に覆われてもいる。
 それでもメリーランドは、沈黙することを拒みつづけていた。連装四基八門の十六イ
ンチ四五口径砲は、設計上与えられた限界速度のままに、融けたグリスとともに重量一
トンの鋼鉄と火薬の塊を撃ちだした。自他共に認める旺盛な敢闘精神を誇る日本海軍の
将兵をして戦慄せしめたほどの底力だった。
 だがそれは、艦を救うために払われるべき努力が砲戦の継続に振り向けられているが
ゆえの成果でもあった。応急の徹底を指示するべき人々は、先ほど艦橋に叩き込まれた
三式弾が放った炎の中で、一握りの炭と化していた。
 そして、三十発を超える巨弾の打撃に耐えてきた彼女の命数は遂に尽きた。扶桑が放
った十四インチ砲弾が二発、水線直下の舷側を立て続けに抉り取った。一発は改装によ
って増備されていたバルジを突破して艦内に踊り込み、甲板二層を貫通して爆発。キー
ルを前三分の一ほどのところで叩き折った。もう一発はY砲塔のバーベットと後部機械
室の中間で爆発し、衝撃で発電機を半壊させた。
 この一撃によって、それまでメリーランドを救うために現場レベルの判断で行われて
きた応急の努力は一瞬のうちに無意味となってしまった。折れたキールが艦底を突き破
って対処の難しい浸水を引き起こし、それを食い止めるべき排水ポンプが動作をとめて
しまったからだ。
 さらに、推進軸用の電動機も左舷側の二軸が停止。なおも動いていた右舷の二軸が発
生したモーメントによってメリーランドは左舷に回頭を始めたが、そこに扶桑と山城の
斉射が同時に降り注ぎ、既に原形を失っていた艦首を完全に吹き飛ばした。
 次の瞬間、キールを折られて強度が失せたメリーランドの船体は、A砲塔とB砲塔の
中間から目に見えるほどの速度で捻れ始めた。一刻も早く総員退艦を開始すべき状況だ
ったが、その指示を出すべき人間はこの事態を確認できるレベルには存在していなかっ
た。

「メリーランド、針路変更しました!」
「畜生、やられたか」
 戦術行動としては明らかに不自然な転舵だ。ウェイラー少将は状況に見当をつけた。
 指揮系統にとどめを刺されたか、操舵機能をやられたか、あるいは片舷の推進器が止
まったか。外見から正確なところは掴めなかったが、どのみち結果は一緒だ。
「ペンシルバニアに合流急げと伝えろ!」
「さっきからやっとりますが──今、傾斜復旧に成功したそうです」
 ウェイラー少将は不満気な唸り声を発した。遅い。
 ウェストバージニアは、長門の艦命を賭した猛射を受けた際にA砲塔とY砲塔を粉砕
されている。いくら問答無用の威力を誇る十六インチ砲とはいえ、たった四門では二隻
の戦艦を相手取るには火力が足りない。
 あるいはここが自分たちの墓場となるか。
 ウェイラー少将が観念しかけたそのとき、艦橋から連絡が入った。
「敵戦艦、転舵! 反対舷で砲戦中!」
「どこのどいつだ。ジェスの本隊か?」
「いえ、駆逐艦です。フレッチャー級が三隻……なんてこった、少将旗を掲げてる!」
 続いて通信が入った。
『われスリガオ方面部隊旗艦ルメイ。これより戦闘加入す──』
 追伸の文面を目にして、ウェイラー少将は自分の涙腺が熱くなるのを感じた。



 ──ウェイラー、あとひと踏ん張りだ。諦めるな。
                                   バーケイ







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