#68/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 02/04/21 23:07 (500)
溶解する屍 1 永宮淳司
★内容
夕刻になり、パーティが終幕を迎えても、会場には饗宴の楽しさと騒がしさ
と馬鹿々々しさの残滓が漂っていた。後片付けをするのは誰かなんてことには
気に留めず、いつまでもお喋りと酒に興じるグループが、大広間にちらほらと。
数は三つ、それぞれを構成する人数は二人から四人だ。
「イベント参加者の方だけになりました?」
最前から機械的かつ穏やかに散会を宣言し、退出を促していたアナウンスの
女性が、若干砕けた調子になって、場に尋ねる。
「そーみたいやでー、琴恵さーん」
舞台に一番近い二人組の内の男が手を挙げ、大きく振った。両眼の形がまる
で平仮名のへの字だ。
「どっちを向いて手を振ってるんです」
「どっちって? どこにおるん?」
「今出て行きますから」
顔見知りの男に対し、呆れ声で告げる。横木琴恵はコントロールルームから
出ると、舞台右下の扉を押し開け、歩を進める。彼女の頭部にはヘアバンドに
似せた形のヘッドフォンマイクがあった。髪のカーテンの向こう、口元に伸び
たマイクを通して話していたとみえる。
彼女の美しさはそのような無粋な物一つぐらいでは、微塵も揺るがぬらしい。
背筋をぞくりとさせる笑顔を持つと評され、東洋の氷華なるニックネームを頂
く、一流のファッションモデルだ。
「栄一さん、少しは落ち着きなさい」
すでにマイクはオフになっているらしく、琴恵が喋ってもスピーカーは静か
だった。
「おや。パーティでのドレスとは打って変わって、えらくシンプルな」
振り返った山城栄一は、琴恵を視界の正面に捉え、口笛を吹くポーズをした。
「ローヒールでも、あなたと琴恵さん、ほとんど同じ身長。情けないわあ」
栄一が身体の向きを換えたことで彼の背後に立つ形になった女性、山城寿子
が嘆息混じりに言った。
「いやはや、ファッションモデルにはかなわへんなあ。モデルはモデルでも、
私めが勝てるのはプラモデルが関の山」
「しょうもない。苦節うん十年、やっとこさ売れてきたお笑い人が、世界を舞
台に活躍してはる人の前で、ようそんな恥ずかしいこと言えるわ」
謙遜と言うよりも芸風なのだろう、夫婦漫才の妻が夫の頭を後ろから押し、
無理矢理お辞儀させた。
微笑を浮かべた琴恵の周囲に、他のグループの人達も集まってきた。
「楽しそうな話し声につられて来ました。私も混ぜてもらえますかな」
白のスーツを着こなした、カイゼル髭の男性が言った。喋り方に比すと、外
見は若々しい。もっとも、この男、年齢不詳を通している。
「パーティでは素晴らしいショーをありがとうございました、定さん。楽しま
せていただきました」
「お誉めに預かり、光栄です」
定は胸元に右手をかざし、腰を折って大仰に頭を下げた。
「雰囲気がよく、私も気持ちよく演じられました。ただ一つ心残りなのは、琴
恵さんのためにと、このヘンリー定、初公開の大がかりなマジックを披露する
所存でしたが、こちらのホールでは種を仕掛けるのが困難なため、やむなくあ
きらめた点。いつか私のイベントにお越しください。そのときに」
「まあ、嬉しい。楽しみが増えたわ」
一層顔をほころばせた琴恵。そんな彼女の前で、山城栄一はしゅんとうなだ
れてみせた。
「いやあ、ほんま、物凄い手品やった。度肝を抜かれましたわ」
「どうも」
「それに比べて私らは、お客さんの雰囲気に合わへん言われて、漫才さしても
らえへんかった。情けない」
「そやねえ。当たり前やけど」
妻の相槌に夫が沸騰したやかんのごとく、オーバーに怒った。全ての動きが
コミカルだ。
琴恵はこれをいい機会と捉えたか、各人を互いに紹介した。山城夫婦、ヘン
リー定の他の面々も、話の輪に順次加わる。
幸田静雄は元プロ野球選手で、往年の名投手。現役を退いて二十年近くにな
るが、引退後しばらくして事業の失敗や家庭問題が重なり、一気に落ちぶれた。
現在は某テレビ局と専属の解説者契約を結び、タレントめいたこともやってい
る。特に高身長ではないが、胸板が厚く、横幅もあった。何より指が長い。眉
が太く色黒で、印象に残る顔立ちをしている。
枝川二瓶は映画監督として知られる初老の男性。若い頃から映画の仕事に携
わり、カメラから美術からスクリプター、果ては弁当の手配やロケ地の交渉役
まで、何でもこなしてきた。『近未来もののふ紋様』の演出で頭角を現し、監
督業に手を染め始める。エンターテイメント性を追求したヒット作を飛ばして
名を高め、スポンサーから金を集めると、自己満足のような映画を好きなよう
に撮って浪費、次にまた娯楽映画という繰り返しで渡り歩いている。
幸田は枝川の映画にやくざ役で出演した経緯があり、今も親交は続いている。
今日のパーティへも、招待を受けた枝川が幸田を誘ったという事情があった。
茶色のサングラスを掛け、ココア色に染めた髪の飯田孝之はイメージコンサ
ルト業の若き社長。昔はおいたもしたらしく、喧嘩等で頻繁に警察の厄介にな
ったとは本人の弁。事実、鼻が少々歪んでおり二枚目崩れといった風貌だ。
彼に寄り添う年齢の見当を付けにくい女性が、中澤万知子。アイドル歌手グ
ループの一人としてデビューし、四年近い活動のあと独り立ち。人気が下降し
たところで女優に転身、これが当たった。悪女役が似合うと評判を取り、私生
活もそれ風になりつつあるとの噂だ。飯田の恋人であるのは、公然の秘密。
一人、浮いたように若いのは福井弘志。英俊社主催のFS(ファイブスター)
大賞を獲り若干十五歳でデビューを飾った高校生推理作家で、評判も上々。期
待の大型新人とされる十七歳。楕円形の眼鏡の奥では、見る物全てに感心する
ような瞳があった。片田舎の素朴な高校生だったのが、出版社の方針によりハ
ンサムな好青年に仕立て上げられ、本人は未だ戸惑いを引きずっている様子。
その隣に立つ、スーツ姿の男性は編集者の竹中大次郎。未成年の福井への責
任者役である彼は太めの体格と相まって、押しが強く、常に自信に満ちた言動
をする。年若い福井の目には、さぞかし頼もしい存在に映るに違いない。
合計九名が、横木琴恵の用意したゲームに今回参加する。
「選ばれし者、と受け止めてよろしいんでしょうかな?」
枝川がほろ酔い顔で尋ねた。和服に身を包んだ映画監督の足下は、ゆらゆら
と前後に揺れている。
「象徴的な意味合いは別として、私が私の考えで選んだのは確かですわ、枝川
監督。監督の推薦された幸田さんについても、私の判断で参加を承知しました。
もし私の琴線に触れなかったら、誰の推薦であろうとお断りさせていただいて
います」
琴恵の話の終わりを受けて、幸田が進み出た。彼も相当飲んだはずだが、肌
に出ていないし、ふらつく様子もなかった。
「改めて、初めまして」
「ようこそお越しくださいました」
「拘るようですがね、選んだ基準は頭のよさなんですか。僕は大学、野球の推
薦で入ったもので、どうも気が引けてしまう」
琴恵はくすりと笑った。嫌味のない、自然に出た笑顔。
「ゲームの内容が内容ですから、もちろん頭のよさを考慮に入れますが、それ
だけではありません。頭のよさを計る明白な物差しは存在しませんからね。お
気になさらず、ゲームを楽しんでもらえたらと願っています」
幸田はにやけた笑みをなして何度もうなずいた。琴恵の美貌に浮かされた部
分もあったろう。
会話に一区切り付けると、横木琴恵は厳かに、華やかに宣言した。
「お待たせしました。時は満ちた――始めましょう」
そして門扉が閉じられる。横木琴恵の別宅は日常世界と隔絶された。
「ゲームの内容を説明する前に、基本的なルールを。ルールは至って簡単です。
期限は明後日の正午まで。それ以前に外に出られた方は失格。外部との連絡は
いかなる手段でもご遠慮願います。携帯電話やPHSはすでに使用できないな
いようになっています。コンサートホール等の静寂を必要とする場所向けに、
妨害する機械があるんですよ」
「事前に話を聞いて気になっていたけど、携帯電話の排除にそこまで執着する
っていうのは、尋常じゃないな。クイズ大会でもやらかそうって魂胆?」
飯田が軽い調子で水を向けると、琴恵は首を横に一度振った。
「大変僭越とは思いますが、参加者イコール挑戦者と見なしています。挑戦者
の純粋性を保つ。その一点により、外部との連絡は完全に絶ちます。アクシデ
ントが発生した場合は、この限りではありません。必要があれば、私の部屋の
電話を使うようにします」
「いやまあ、自分は全て仕事を片付けてきたし、部下任せにしても何の憂いも
ないから問題ないんですけどね。これだけそうそうたる顔ぶれの中には、電話
なしでは生きられない人もいるんじゃないかと」
「そんなことはありませんよ」
竹中が他人の分まで勝手に請け負い、代弁した。
「我々は皆、招待を受けて参加を決めたんでしょう? だったら、準備万端整
えて、勇躍乗り込んできたに違いない。何しろ、賞品が賞品ですからねえ」
「確かに、魅力的な賞品だ」
飯田も同意を示す。
「この歴史ある邸宅を維持費付きで手に入れられるとなれば、普通の人間なら
多少の障害はクリアして、是が非でも参加したくなる」
「私はピンクダイヤモンドが欲しい」
飯田の腕を引きながら、甘えた声で中澤。年齢不祥とは言え、彼女の態度が
子供っぽいのは誰の目にも明らかだった。
琴恵は胸の真ん中に右手を持って来た。
「パーティのとき、私が着けていたリングのこと? いいわ。もし中澤さんが
ゲームの勝利者になった暁には、維持費の一部と引き換えの形でお渡しします」
「本当に? 約束よ」
俄然やる気を覗かせる中澤。アイドル時代の癖か、かわい子ぶりながら両腕
でガッツポーズまでした。
琴恵は微笑ましいとばかりに頬を緩めたあと、一転、表情を引き締めた。
「ゲームの説明でしたわね。まず、舞台であり賞品でもあるこの屋敷について、
お話ししましょう。皆さんご存知かもしれませんが、ここは忌まわしい過去を
持っています。血塗られた殺人事件という名の記憶……」
ファッションモデルの他に声優も副業でやっているんじゃないかと思わせる
ほど、優れた声だった。美しくはっきりした発音は無論のこと、高低やリズム、
間の取り方等々、どれを取っても一線級である。身震いする者すらいた。
「ち、陳腐な話だなあ」
恐がると言うよりも、琴恵の声の凄みに圧倒された風の飯田。
「本当にあったんですかね」
「ええ。この大邸宅を私でも手に入れられたのは、いわく因縁付きという事情
があったからですわ。そして、ここに暮らすからには、事件についてきちんと
知っておきたいと思い、調べました。事件が起きたのは十六年前とか」
琴絵の口ぶりが通常のそれに直った。薄くなっていた部屋の空気が、濃さを
取り戻したような雰囲気に、多くの者が密かに安堵した。
「こちらには七人家族が暮らしていました。越してきた時期は、事件から遡る
こと更に十五年といいますから、今から三十一年前になりますね。主の米国人
男性に妻の日本人女性。子供は最初二人だったのが、暮らす内に一人生まれ、
また一人と増え、合わせて四人――男の子二人と女の子二人になった。家族の
残る一人は執事。血のつながりはないけれど、家族同然の接し方だったらしい
わ。執事の方も親子六人に心から尽くして……。それはそれは幸福な家庭を、
凶悪な犯罪者が一夜にして踏みにじった。
ここからは警察やマスコミの推測を交えての話になりますけれど……宝石店
強盗を犯したグループが警察の追跡を振り切る内に、たまたまこの辺りに迷い
込んだ。大きな家を見付け、恐らく別荘だと思い込んだのでしょう、一時身を
隠すのに好都合と考え、押し入る。ところが一家は外出していただけだった。
帰宅した一家と鉢合わせになり、殺戮に至ったのだと言われました。ただし、
証拠はありません。無責任な噂と同等です」
「殺人があったのは確かなのでしょう? だったら、事件は迷宮入りってこと
ですか」
高校生作家が険しい顔つきで言った。
「その通りよ。殺人も強盗も未解決のまま。捜査は細々と継続しているようだ
けれど、恐らくはもう……」
福井に答えてから、琴恵の話は事件のあらましに戻る。
「一番下の子以外の家族は亡くなるか、行方不明になるかしました。遺体で見
つかったのは父親と子供三人。いずれも刃物類で滅多刺しにされ、父親は首と
右手の指を切断されていました。母親と執事は行方不明のままだそうです」
「一人だけ助かった子供には、いかなる幸運が働いたんです? あやかりたい
ものだ」
飯田が興味丸出しで聞いた。明らかに成り上がりタイプの実業家である飯田
にとって、幸運は欠かせぬアイテムなのかもしれない。
「当時七歳だったその子は体調を崩し、薬を飲んで家に残ったようです。その
子が警察にした話では、執事が看病をし、子守唄を唄ってくれたと。それ以後
は惨劇を知ることなく、眠りに就いていたと考えられています。子供部屋が屋
敷の一番奥にあったのが幸いしたのでしょう。執事が侵入者に気付かなかった、
もしくは気付くのが遅れたのは、執事自身も看病疲れの気の緩みから微睡んで
いたのだと警察は見たようです」
「行方不明の二人が犯人という可能性はないのかな?」
念のためという風に、ヘンリー定が右手のひらを外側に、人差し指を伸ばし
て問うた。孫悟空のわっかのようなブレスレットが小さく揺れる。
「それはないというのが警察の見解です。と言いますのも、母親と執事のいず
れか、もしくは二人の共犯としても、この屋敷から脱出せねばなりません。そ
れができなかったはずなんです」
「足が不自由やったとか?」
殺人事件や恐怖話に最も縁遠そうな山城栄一が探るように言った。彼の声は、
喉がからからに乾いているときのそれに似ていた。
首を水平方向に振った琴恵。
「歩けないとか、交通手段がなかったという意味ではありません。事件の発生
当時、季節は冬。この一帯は大雪に見舞われたと記録にあります」
「あ、雪の密室? 足跡がなかったのか」
編集者の竹中が、先回りしてつぶやいた。脇に立つ福井に肩を引かれ、慌て
た様子で唇にチャックする仕種を見せた。
「事件当日のお昼過ぎに雪は上がり、その後二日間、気温は低いまま、降雪は
なかったとのことです。警察は強盗犯のグループを追って、事件の翌朝、この
屋敷に辿り着き、惨状を発見した」
「……」
多くの者が息を飲む中、福井が推理作家らしく発言した。
「犯人と目されるグループの足跡は、どんな風に残っていたんでしょうか」
「屋敷に侵入、いえ、乱入する際の足跡が入り乱れるようにして雪面に着いて
いたそうよ。人数は三名。彼らは走ったため、靴底の模様が崩れてしまったが、
長靴みたいな物を履いていたと考えられる」
「強盗犯が長靴なんか履いてたとは、にわかには信じられないな。それと、店
に押し入った人数が三人なのかどうかも気になるところだ」
飯田が言った。まるで十六年前の事件がゲームそのものだと錯覚しているか
のように、謎解きに意欲を見せる。琴恵は変わらぬ笑みを湛えて対応した。
「足跡が長靴と決まった訳じゃありません。はっきりしなかったんです。人数
は宝石店に押し入ったのは二人で、もう一人、運転手役がいたと見なせば、計
算は合います」
「ふうむ。屋敷から出た足跡は?」
「ありました。やはり三つ。申し添えておきますと、屋敷からは現金だけが消
えていたそうです。宝飾品や絵画、骨董品の類は手つかずだったと」
「それじゃあ、やはり三人組が押し入り、家族を襲ったと考えるしかないな」
「ですね。首を切断する理由がないけれど」
福井が同意しつつ、疑問を呈す。飯田は「ん?」と短く呻き、目を剥いた。
「どういうことだい、作家センセイ?」
「文字通りです。強盗グループに一家を殺す動機はあります。目撃者の口を封
じる絶対確実な方法は、殺害ですから。だけど、父親の首や指を切断すること
はない。押し入った先でそこまでの恨みを抱くはずないし、他に肉体を切り刻
む積極的かつ必然性のある理由が、自分には思い付きません」
「理屈っぽいな。犯人達に、父親がひどく反抗的な態度を取ったとでも考えれ
ば、辻褄は合うだろ。犯人達も急に家人と出くわして恐慌を起こしたろうしな」
「一刻も早く現場を立ち去りたいはずですけどね。わざわざ首を……」
自らお喋りを中断すると、福井は琴恵に視線を向けた。
「首を切断した凶器は分かっているのでしょうか」
「ええ。屋敷にあった斧よ。付け加えておくと、刺殺に使われた凶器は、大型
のサバイバルナイフとか。屋敷の誰もこんな物は持っていなかったらしいわ」
「分かりました。想像通りだ。わざわざ斧を持ち出して、首や指を切断するこ
とはないと思う。犯人達が被害者をどんなに気に入らなかったとしても、ナイ
フで滅多刺しにするだけで充分でしょう」
「しかしそれじゃあ、ますます不可解になるぞ」
飯田が声のトーンを一段高くした。彼と福井との間で再び論戦が始まりそう
なところへ、山城寿子が足音を立てて割って入る。
「そんなこと、今はどうでもええやないの。大事なのは、ゲーム。ゲームが一
番。早く全部話してもらわんと、私ら喉かきむしって血ぃ出そうやわ」
言いながら寿子は顎を上げ、喉を掻くポーズをした。場にかすかな笑いが生
じる。一番受けたのは、彼女の夫だったが。
「私も問われるままに答えすぎましたね。十六年前の因縁話について解決を試
みるのは、時間があるときにしましょう」
琴恵が自省を込めた口調で述べ、時計を一瞥した。
「ゲームに関係があるのは、行方不明者。母親と執事が生きているにしろ死ん
でいるにしろ、一体どこに消えたのか。この謎に挑戦していただきます」
「ええっ?」
「慌てないで。まだ終わっていません。現実の迷宮入り事件の謎を解けと言わ
れて、困惑されるのは無理ありません。正解が分からないのですから。皆さん
方に挑んでもらう消失の謎は、私がこしらえた物であり、事件の真実を見抜い
たものではありません。状況も現実の事件とは大きく異なる設定です」
「それやったら、あないな怖い話せんでもよかったんやないですか。ほんま、
人が悪い」
栄一は自らを抱きしめ、大げさに震えた。
「雰囲気に浸ってもらえたでしょう? それに、いい加減な気持ちで取り組ん
でほしくなかったんです。遊びと思って油断した人は、呪いに魅入られて、ご
自身が行方不明になってしまうかも」
楽しそうな表情で言う琴恵。しかし、決して笑っていない。場と皆の様子を
愉快に感じているようだ。
「超常現象的なことを考えている訳ですか? 十六年前の事件で行方不明にな
った二人は次元の割れ目に落ち、あちらの世界に行ってしまった、なんて」
竹中が少し小馬鹿にした調子で発言した。琴恵は肯定も否定もしない。
「物事は様々な面を持ちます。同じ物を見ても、ある人は四角、ある人は三角、
また別の人は丸と言うこともありますからね」
「あの。質問があるのですが」
手を挙げたのは福井。タイミングを見計らっていたが、いい機会が訪れない
ので我慢できず行動に移した、そんな風に力が入っている。
「消失するのは、あなたですか?」
率直な問い掛けに、琴恵が微笑む。今度は声を立てて笑った。
「さすが推理作家と言っていいのかしら。誰が消えるのかは大事ね」
「と言うよりも、あなたしか考えられません。役者を雇った様子はないんだか
ら、出題側唯一の人間が消えるしかないでしょう」
「意外な共犯がいるかも」
思わせぶりに言って琴恵は参加者九名を前に、両腕を広げた。足取りが、コ
レクションの舞台に立つとき以上に軽やかだ。
「面白い」
定が髭を触り、ぴんと跳ねさせた。その下の口から白い歯が覗く。
「この中に、素知らぬ顔をして賞品目当てのように振る舞っている狐か狸がい
る訳ですね」
「いるともいないとも申しませんわ。いるとしても、何名なのか……ね?」
福井は一層興味をかき立てられたらしく、肩を上下させて大きく息を吐いた。
気負いを解消するためか頬を自分でぺちぺちと叩き、もう一つ質問を重ねる。
「出題がいつ行われるのかも、教えていただけないんでしょうね」
「細かなことは明かせませんけれど、本日中に行います。ハプニングが起こら
ない限り」
琴恵は福井一人だけでなく、全員に対して答えた。それから、左耳後ろのス
イッチをいじり、短いやり取りを誰かと行った。
「只今、確認できました。敷地内にいるのは、ここにいる十名と、皆さんの世
話役を務める三名の手伝いだけです」
主催者は説明後、パーティ会場の後方二隅と、上座、最初に琴恵が出て来た
ドアを順に指差した。いずれもメイド服を着た女性で、力仕事にも充分応えら
れる体型の持ち主と見受けられる。
「それは信じていいのかい?」
飯田が疑いの念を隠さず聞く。
「ええ。もしも他に人がいた場合、ゲームの正解者が出なくても、あなた達を
正解と見なし、賞品に見合うだけの金銭を分割してお渡しします」
「なら、結構。九分の一というのがちょっと気に入らないが、まあ仕方ない」
納得した態度の飯田。と、今度は福井が早口で琴恵に聞いた。
「えっと、そのお手伝いさん達は、ゲームにはノータッチなんですか? つま
り、消失のからくりに関与せず、またからくり自体も知らない……」
「それにはお答えしかねますわ、推理作家さん。ご心配なら、あらゆる可能性
を想定する心構えでいればいいこと。お得意でしょう?」
「……分かりました。ありがとうございます」
慇懃に腰を折って礼をする福井。ひょっとすると、やりこめられた分、意趣
返しの気持ちがあったかもしれないが。
「それでは、ゲームスタートです。消失現象はもちろんまだ起きていませんけ
れども、手がかり、いえ、ヒントはもう、あからさまな形で皆さんの目の前に
ぶら下がっているとだけ、ご忠告を発しておきますわ」
琴恵は優雅な物腰で宣言と忠告を行うと、きびすを返し、出て来たときと逆
のルートを辿って会場から外に出た。
「さっき、断言したなぁ」
参加者達が思い思いの行動に移る最中、福井がつぶやいた。編集者が聞き咎
め、顔を向ける。
「え、何がだい?」
「横木琴恵さんの台詞。ヒントは確実に用意されてますね」
福井は即行動に出ることはしなかった。竹中とともに今後の作戦を練るため、
与えられた彼の部屋に二人でこもっていた。
「最初に、基本的な部分で確認をしておきましょう」
「基本的? 何だい、それ」
「僕は出題側の人間ではありません。竹中さんは出題側の人間ですか?」
「……その質問、無意味じゃないかな。誰に聞いてもノーって答えるよ。出題
者に協力する立場の人間が、素直に認めるはずがない」
「はい、分かっています。僕は、人間を試しているだけですから、気になさら
ないでください」
澄ました口ぶりが、竹中の苦笑を誘った。口元を拭い、仕方ないといった響
きで答える。
「私も純粋な挑戦者だ。誓って、出題側の回し者ではない」
「結構です。協力してやっていきましょう」
「おいおい、いいのかい。推理作家にしては、馬鹿正直すぎるなあ」
「所詮ゲームです。裏切られたとしても、心地よくだまされたなら、僕は満足
なんですよ」
「ゲームもいいが、私は一編集として、十六年前の事件にも心惹かれたね」
唄うような調子で言った竹中。
「あの話を元に、推理小説を仕立てられるんじゃない? 君の腕前なら、代表
作の一つになるよ」
「確かに、興味深い話でした。強盗グループは、僕の趣味に合いませんけど」
「そんなもの、料理次第だ。好きなようにカットすればいい」
「仕事の話はやめましょう。今はゲームに集中すべきだ」
「それはいいけど、福井君。ヒントなんかあったかねえ?」
「あったではなく、あるんです。これから探して、見付けないと」
確信を込めての発言に、編集者は目を丸くした。それから薄ら笑いを浮かべ、
「高校生推理作家の福井弘志、高校生探偵になる、か。こりゃ見物だ。セール
スポイントを増やすためにも、頑張ってほしいね」とまくし立てた。
「竹中さんは、この部屋とご自身の部屋の中を調べてください。どんな形かは
ちょっと分かりません。メモ用紙に書かれた暗号かもしれないし、物による暗
示かもしれない」
「了解。君は?」
「まずは別館の中を見て回ります。他人の部屋は覗けませんけどね。まあ、こ
のようなゲームは平等が原則でしょうから、個室によって差はないと信じてい
ます」
「まあ、それが道理というものだね」
「調べ終わったら一度帰って来ますから、一緒にホールを見に行きましょう。
そのあと、本館の中を見せてもらえるか、横木さんに頼むつもりでいます」
「なるほどなるほど。段取りは分かった。念のため、気を付けて見回ってよ。
売れっ子作家に万一のことがあったら、責任問題になるんだから」
「大丈夫ですよ」
椅子を離れ、円を描くように室内を歩くこと一周。福井はドアノブに手を掛
け、言葉を継ぎ足した。
「名探偵は死にませんから」
横木琴恵の所有する屋敷は、大雑把に言って三つの建物からなる。本館・別
館・ホールの三つだ。
パーティが行われたのはホール。ドーム型の天井を持ち、学校の体育館程度
の大きさである。
本館は、横木家の邸宅。二階建ての洋館で、古めかしいが、手入れは行き届
いている。外壁を蔦が覆い、窓枠には洒落た装飾が施され、脇に広い池を配し
た花壇には色とりどりの花が咲き揃う。ただでさえ広いお屋敷が、本日から三
日間はイベントのため、家族は出払い、横木琴恵一人でいるというから、一層
広く感じられるかもしれない。もっとも、何名か雇った使用人の一部は、本館
の中に寝泊まりするスペースを与えられている。
別館はゲストに泊まってもらうための建物だ。三階建てで、一階は諸々の共
同スペースで、ここのエントランスホールがそのまま吹き抜けとなっている。
二階と三階は、その吹き抜けの空間を取り囲むようにして回廊が巡り、客室が
並ぶ。
二〇二と数字のプレートがドアに張られた二階二号室を出た福井が、最初に
足を運んだのは、同じ別館の最上階、三階だった。何か掴めるかもしれないと
いう期待。たとえば、高所から眺めることで初めて読み取れる巨大なメッセー
ジがあるのでは? そんな期待に胸踊らせての行動開始だった。
だが、福井の期待は、容易く裏切られた。三階から見下ろすも、エントラン
スホールの床には、文字も模様も何もなかった。二階の廊下やその手すりに目
を移すが、やはり発見はない。視線をほぼ平行にして三階も調べたものの、こ
れまた特に目に付くような物はなかった。
頭を掻きながら、福井は歩を進めた。回廊を一周してみる。このフロアの部
屋を与えられた客はいないのか、しんとしていた。他の参加者がここへやって
来る気配もない。
何らヒントめいた物を見つけられないまま、二階、一階と順次調べを続けた。
が、結局は収穫なし。
代わりに、お手伝いの一人をつかまえることができた。ちょうど通りかかっ
たそのメイド服姿の女性の背中に声を掛けて呼び止める。
「あなたに質問するのは、ルール違反ではないですよね? そんなこと、一切
言ってなかったんですから」
立ち止まった相手が振り向かない内から、一気呵成に喋る福井。
「ルール違反ではありませんが、時間を無駄にするばかりかと存じます」
お手伝いは前を向いたままの姿勢で返事した。その声に違和感を覚えた福井。
確か、パーティ会場で見掛けたお手伝い三名は、そこそこ年かさの女性のよう
に見えた。この声は若すぎるのではないか。記憶を手繰ってみると、体型も全
く違う。どっしりした安定感のあった三名に比べ、今目の前にいるのは細身。
敷地内にいるのは参加者と出題者の琴恵とお手伝い三名だけであるとの言を信
じるならば、これはおかしい。
「もしかしてあなた、琴恵さんじゃありません?」
「――よく分かりましたね」
振り返った琴恵は、華やかな笑顔だった。
「分かりますよ。そのスタイルのよさは隠せるものじゃないでしょう。それに、
喋っちゃえば、誰にだって」
「特殊メイクをして中年女性になりきれば、ばれずにすんだのかしらね」
冗談めかして言う琴恵を見ていると、福井は不意に疑問が浮かんだ。
「あのぉ。まさか、これが消失トリックなんてことはないでしょうね? 敷地
内から出ていないはずの招待主が、いつの間にか姿を消した!とか」
「ええ、違います。もしも真剣にお手伝いを隠れ蓑にするつもりであれば、あ
らかじめ私と雰囲気の似た人ばかりを雇います。皆さんがどんな行動を取るの
か、興味があったので、こうしてこっそり、様子を窺うつもりだったのです」
きっぱりと否定し、意図を明かす琴恵。今このときに限った話ではないが、
彼女の態度には、嘘や隠し事が全く感じられず、むしろ自ら積極的に情報を出
しているような面がある。福井はそんな風に感じていた。
「お願いがあるんですが」
もののついでとばかり、福井は琴恵の前で手を拝み合わせた。
「何か?」
「本館、つまり横木さんのお家に上がらせてもらいたいのです」
「ええ、結構よ。事前に言ってくだされば、お見せする機会を設けましょう」
「それは、ゲームの都合上、見られてはまずい物があるという意味?」
「そこまで疑うなら、特別に、あなた一人を今すぐお連れしましょうか」
「ありがたい話ですが、不公平じゃあ。他の人達に」
「私の変装を見破ったことと、最初に本館に目を付けたご褒美よ」
彼女は余裕を覗かせ、ゆっくりとターンした。玄関ドアに向かうその姿を、
福井はいささか小走りになって追い掛けた。
「本当に誰もいらっしゃらないんですね」
伝統や年季を感じさせる本館内部の雰囲気に圧倒されそうになりながらも、
福井は何ものも見落とすまいと観察を心掛けた。とは言え、目に入るものと言
えば、幅の広い廊下がいくつか交錯し、左右の壁には絵画が掛かっているだけ。
たまに台があって、その上に古そうな壷や花瓶、胸像が置かれている。生活空
間は二階にあるのだろう。
「これからの三日間、ここには私一人。手伝いの者達は皆、別館一階にある一
室に泊まらせます」
廊下の格子模様をそれとなく見つめながら、福井は着いていった。白と黒の
タイルが十字路を過ぎると、黒と焦げ茶になり、また十字路を通過したら今度
は焦げ茶とクリーム色になった。
面白いなと感じ、それを口にしようとした瞬間、先を歩く琴恵が不意に立ち
止まった。螺旋階段の口を傍らに、福井へと振り返る。
「先に二階がいいかしら? あなたは高いところがお好きのようだから」
「見てたんですか」
「そのための変装って言ったはず」
「なるほど。それじゃ、ここは素直に、二階から見させてもらいましょう」
階段を一歩ずつ昇っていく。ステップには柔らかな布と滑り止めが施され、
足音が全く響かない。対照的にむき出しの手すりは、冷たいカーブを天に向か
って描いていた。
「二階だけでなく、屋上にも通じているのですね」
「推理作家でもだまされました? あれは形だけ」
「形だけ?」
「扉の絵が壁に描かれているのです」
「ははあ」
若者らしくない声を漏らし、足を止めると、福井は目を凝らした。
「本当だ。見事なだまし絵ですね。階段も途中からは偽物。絵だ」
「他にもこういう仕掛けが少々。以前住んでいた家族か、それとも建築設計者
か、誰の仕業なのか不明ですが、とても茶目っ気のある遊びでしょう?」
「うん。面白いですねえ。別館やホールにはない? あるんだったら、そっち
も見てみたいな」
「ないわね。お客様に見せるつもりはなかったのかしら。こういう物こそ、み
んなに見せて楽しむのが普通と思えるんだけれど」
最後は独り言のようになった琴恵の返事。再び歩き始め、やっと二階に到着
した。
「これは広いなあ。一部屋ずつ見て回るのは、骨が折れそう」
「折角だから、もう一つ、ヒントを。ヒントを得るためのヒントだけれど」
「はあ」
「中ではなく外に目を向けなさい。これがヒントよ」
「部屋にヒントはないってことですか」
「さあ? でも、正直言って、さっきは驚いたわねえ。別館の三階からエント
ランスホールを見下ろしていたでしょう? あの発想で正解」
「ヒントを素直に受け取り、つなぎ合わせると……」
最後までは喋らず、福井は行動に移った。庭に面した窓を求め、廊下を急ぐ。
程なくして見つかった。廊下と廊下が交わった角に、本来は不必要な“遊び”
のスペースが作られており、その壁の一部がガラス張りになっていた。顔を寄
せ、下に視線をやると、庭の様子が見える。
「あ!」
この瞬間、福井の表情は驚愕し、すぐさまほころんだに違いない。
「花壇にメッセージがありますね。花、何ていう花か知らないけれど、たくさ
んの色を使って、文字を浮かび上がらせているんだ!」
「微妙な段差を付けてあるから、普通にあの花壇を眺めても奇妙な模様くらい
にしか認識できなようになっていてね。本館のここからでなければ、読めない
の。さあ、何て書いてあるかしら」
微笑混じりの問い掛け。福井はガラスに右頬を押し付けた。
「アルファベットで二文字、かな。手前はIだ。その向こうが……B?」
福井は口中で「び、び、び」と繰り返した。意味するところを掴めない。
「ローマ字じゃなく、英語だとしたら、BI。こんな単語、あったっけな。僕
はあまり英語は得意じゃないから……。あっ、頭文字という考え方もできる。
こういう名前の人が関係あるのかもしれない」
思い付くままに喋っていると、くすくすと笑う声が耳に届いた。
「風のせいで、花の配置が少し乱れたかしらね。Iじゃなくて」
「――1ですか?」
見直す福井。確かに、1にも見える。
――続く