#64/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 02/04/21 23:05 (247)
二人の距離 永宮淳司
★内容
花畑刑事は約束通り、午後三時ちょうどに探偵事務所にやって来た。ハンカ
チで首筋の汗を拭き拭き現れた彼は、ビニール袋を肩の高さまで掲げ、
「ついでに昼飯を摂らせてください」
と断ってから、どっかと椅子に着くと、缶コーヒーを呷り、パンをかじった。
一息つき、ようやく用件に入る。
「相談というのは、先月最後の土曜日、殺しがありましてね。実は、犯人が誰
なのかっていうのは、もう明らかなんですよ」
余計な時間を取った自覚があるのか、花畑刑事はのっけから重要なことを言
い出す。
「犯人が分かっているのにここへ来たのは、どうした訳ですか」
我が友・地天馬鋭は、興味を失った様子もなく、平板な口調で問い返した。
私は、食べながら話す刑事の姿を見る内に軽い空腹感を覚えた。紅茶を入れ
ようと思い、席を立った。
「地天馬は紅茶を」
「頼む」
長らく付き合うと成果は出るもので、地天馬の好み通りの紅茶やコーヒーを
入れることも、だいたいできるようになった。
奥のキッチンで準備に取り掛かったが、幸いにも刑事の話はよく聞こえた。
「まあ、先にあらましを。鹿間神次郎、こいつが犯人に違いない。内山美亜子
っていう女を殺したんだが、間抜けにも、指紋を残していった。と言っても、
さすがに凶器に残すようなへまはしない。あ、でかい花瓶で殴り殺したんです
がね。きれいに拭き取ってありました。やつが指紋を残したのは、電灯のスイ
ッチ。真新しいのが、べったり、くっきりと残っていた」
なるほど。他のところは抜かりなく指紋を拭き取ったが、最後に部屋を出る
際、明かりを消して、そのまま拭き忘れたのか。
「現場がどこなのか、言ってください。鹿間がよく出入りする場所なら、指紋
があっても不思議ではない」
「そうそう、被害者の家ですよ。マンションの一室。鹿間の指紋があってもお
かしくない場所だが、真新しいっていうとこがおかしいんです。動機に関わっ
てくるんですが、内山は鹿間と春井って奴に二股かけてて、最近、それが鹿間
にばれたんで、鹿間の方を切った。鹿間はしみったれたというか現代風という
か、今までにやったプレゼント全部返せと言い出した。女は当然、承知しない。
そこからもめて、鹿間は何にも知らなかった春井に、裏をぶちまけた。もちろ
ん春井と内山の関係もおじゃん。今度は内山が怒り狂って、絶対に返すものか、
逆に慰謝料払えと。まあこれは口だけだったようですがね」
耳をそばだてていた私の脳裏に、歪んだ三角形が描けた。どの辺も今や消え
失せている。
紅茶を入れ、りんごの菓子を添えて、盆に載せると、私は戻った。
「ああ、ありがとう。――花畑刑事。まだ本題に入っていないようですが」
地天馬は早速、菓子を手に取り、食べ始めた。刑事は先と同じ種類のパンを
もう一つ、袋から取り出し、端から四分の一ほどをかぶりつき、コーヒーで流
し込んだ。口元を拭ってから、おもむろに答える。
「実は、指紋を残しておきながら、鹿間はアリバイを主張したんです」
「そりゃあ、奇妙ですね」
私は口を挟んだ。興味をますます引かれた。指紋とアリバイ、どちらが優先
されるのだろうか。
「容疑者がどんなアリバイを申し立てたか知りませんが、指紋という物的証拠
があれば、アリバイなんて意味をなさないんじゃないんですか」
「いや、残念ながらそうもいかんのです。殊に今回の事件では、指紋が真新し
いというだけで、犯行時に付着したとする決定打がないんでねえ」
「とにかく話を聞かないと」
私が促すと、ちょうど昼食を終えた刑事は手をはたき、やがて話し始めた。
「死亡推定時刻は、夜中の〇時から二時。ところが鹿間は、前日の十九時頃か
ら事件当日の午前三時過ぎまで、同僚三人と自宅で一緒だったというアリバイ
を言い出した。コンピュータゲームやら麻雀やらで過ごしたらしいが、酒は二
人が飲んだだけで、鹿間ともう一人は全くやってない、だから確かだという訳
でさあ」
「その四人がどんな名目で集まったのか、分かってます?」
「もちろん。独身連中で、給料日のあとの最初の土日は遊び明かすという約束
なんだそうで。ここら辺、自分から見れば、学生気分が抜けてない」
何が腹立たしいのか、憤然として鼻息を荒くする刑事。地天馬は一定のペー
スを保ち、質問を続けた。
「集まるのは、常に鹿間の家なのかな」
「あ、いや、それは違うようで。アパートの独り暮らしの奴が二人おり、普段
はそのどちらかに。鹿間は親と同居なんだが、今回、両親が法事で帰省。一時
的に独り暮らし状態になるってことで、鹿間宅に集まったと説明していたな」
「ふん。鹿間の家に行ったのは、三人ともその日が初めてではありませんか?」
「その通りですよ。恋人じゃあるまいし、男の同僚がお互いの実家を行き来し
てたら気味悪い」
答えてから、自分の言い種が気に入ったのか、花畑刑事はにやりと笑った。
「招かれた三名は、腕時計なり何なり、時刻を知ることができる物を身に着け
ていたんですか」
「おお、さすがですな。身に着けていましたよ。腕時計派が二人、携帯電話派
が一人。腕時計は隙を見て時間をずらすことができたとしても、携帯電話はな
かなか難しいでしょう。鹿間本人も携帯電話を持っているので、ちょっと貸し
てくれとは言えない。たとえ同僚でも不審がられる」
「そう言えば、何の同僚なんです?」
「言ってなかった? インスタント食品のメーカー。四人とも商品開発のリサ
ーチを主に手がけてるとか」
「鹿間の自宅から、被害者宅まで、どんなルートがあって、時間はそれぞれど
れくらい掛かるんです?」
「鉄道は一切走っていない時間帯でした。足として考えられるのは、車かバイ
クなんだが、当日はずっと大雨で、危なっかしくてしょうがない。恐らく、往
復するだけで二時間三十分を要するとの試算が出た。犯行時間その他諸々を含
めれば、三時間は見積もらんと」
「三十分とは、余裕を見込み過ぎじゃないですか?」
疑問を呈した地天馬。
「当夜、被害者と会う約束をあらかじめ取り付けておき、顔を合わせるなり、
殺害すれば、後始末の時間を入れても十分かからないでしょう」
「うーむ、まあ理屈ではそうなるが、凶器の花瓶は内山の物ですからねえ。い
きなり決行するのは難しい気がする。それにお言葉ですがね、二十分やそこら
短縮したって、状況は変わりませんよ。十九時から翌日三時までのアリバイが
あるんだから」
「その間、鹿間は全く中座しなかったんですか」
「いやいや、それはありません。便所が何回かと、近所のコンビニに一人で買
い出しに出ている」
「コンビニエンスストアまでは、何で行ったんです? 徒歩?」
「車です。雨でしたからね。それでも時間にして、三十分ちょっと掛かったと
証言しています。ええっと、一時前から一時半までとなってますな」
手帳を開き、あちらこちらのメモを見ながら詳しく答えていく花畑刑事。リ
ズムに乗ってきたらしく、地天馬の問い掛けもさらに積み重なっていった。
「レシートは?」
「店を出たところで捨てたと言っている。もちろん捜索しましたが、見つから
なかった。鹿間に『嘘じゃないのか』と言ったら、『大雨のおかげで流されて
しまったんでしょう』と、すまし顔ですよ」
苦り切った表情で腕を組んだ刑事に、私はふと浮かんだ疑問をぶつけた。
「花畑刑事。コンビニには、防犯カメラがあるんじゃあ? それに鹿間容疑者
が映っているかどうかで、本人の話の真偽が判断できるはず」
「ふふん、やはり気が付いきましたか。だが、間の悪いことに、そこのコンビ
ニ、防犯カメラは見せかけだけで、全く記録されてないときた。お手上げだ」
「そうでしたか。なってないですねえ、そこの店は」
私はひとしきりコンビニエンスストアの批判をしてから、質問のバトンを、
地天馬に返した。
「店員は鹿間を見たことを、覚えていましたか」
「曖昧ですな。店は流行ってまして、深夜でも割と人の出入りがある立地だ。
加えて、鹿間はこれといった特徴のない容姿で、当日の格好もワイシャツにズ
ボンというありふれた物だった」
「買ってきた物は、全てそのコンビニエンスストアにある物だったんでしょう
ね」
「ええ。一.五リットルのペットボトル三本、スナック菓子、パン、インスタ
ントラーメン、ガム、煙草といったところで」
「その中に、氷やアイスクリーム等、時間が経過すれば変化する品物は、含ま
れていませんでしたか」
「えー……いや、ありません」
刑事はリストに目を通し、断言した。地天馬は二、三度、小刻みに首肯した。
「なるほど。買い出しの役目は、どうやって決めたのか、気になりますね」
「麻雀で負けが込んでいた鹿間が、不運を洗い流してくるとか何とか行って、
自ら買って出たそうです」
「買いに出たタイミングは、どうなんでしょう? つまり、鹿間が言い出した
から買い出しに行こうということになったのか、他の三人の誰かが言い出した
のか」
「それは、鹿間が言い出したようです。さっきも説明したように、つきがなか
ったから気分転換に外の空気を吸いたかったと、奴は言ってる。筋道は通って
るから、困っておるんです。どうにかなりませんかねえ、地天馬さん?」
机に両腕を置き、にじり寄るように上体を突き出す花畑刑事。私の視界の中
で、刑事の強持ての顔が拡大された。
「そう慌てないでほしいな。買い物の中身に戻るけど、他の三人のリクエスト
を聞いて、それを買ってきたのだろうか」
「いえ、鹿間が適当に見繕った物です。あのですね、地天馬さん。コンビニに
行ったこと自体をお疑いのようだが、たったの三十分余りですよ。三十分では
犯行現場まで行くことすら不可能なんだ」
「犯行そのものは可能だ。買い物は、前もって買って、車に積んでいればいい。
古典的な手口だ」
「その方法は認めますが、往復できないんじゃあ、意味がない」
花畑刑事の声が、荒っぽくなった。ボリュームも上がる。地天馬の強い調子
が気に入らなかったらしい。
だが、探偵は一転して穏やかに応じた。
「往復できればいいんでしょう。それを話す前に、もういくつか。近所のコン
ビニエンスストアは利用客が多いみたいですが、鹿間家の周りもにぎやかなん
だろうか? 住宅街の真ん中にあるような」
「そうですなあ、どちらかと言えば、寂しいところですよ。新興住宅地の一番
奥といった感じだった。鹿間の家はかなり裕福で、でかい家だったな」
「それは結構! 裕福である方が条件に叶う。鹿間神次郎本人が自由に使える
お金もかなりの額でしょうね」
「ははあ、そこまでは調べとらんなあ。だが、ずっと同居してるくらいだから、
親もきっと甘いんでしょうな」
「被害者宅のマンション周辺に、似たような新興住宅地はないかな。いや、き
っとあると思うんだが」
「え?」
急展開について行けない。そんな風に、刑事の目がまん丸になる。
「それに、同じ系列のコンビニエンスストアも、近くにあるんじゃないかな。
これはあってもなくても大差はないが、あった方がばれにくい」
「わ、分かるように言ってくださいよ、地天馬さん。お願いですから」
「現段階ではまだ推理に過ぎないから、とくとくと語るのは嫌なんだが、警察
に実施に調べてもらわないといけないし……。よし、話すとしましょう!」
オーバーな身振りとともにもったいをつけた地天馬に対し、花畑刑事は頭を
掻いて、ため息をついた。
「またまたお手柄です。すでにご存知とは思いますが、大当たりでしたよ」
殺人事件の犯人逮捕が小さく報じられた翌日、事務所に姿を見せたのは花畑
刑事ではなく、下田警部一人だった。
「おや。花畑刑事は?」
芝居がかって地天馬が聞くと、警部は苦笑に相好を崩した。
「あいつはここのところ腹の調子がよくなくて、しばらく出歩けやしません。
何を気に入ったのか、同じパンばかりずっと食ってて、おかしくなったみたい
でしてね。いやはや、嘆かわしい」
あの日、ここで食べたパンもそうなのだろうか。思い出そうとしたが、何パ
ンだったのかまでは、覚えていない。
「それよりもまあ、事件の話だ。毎度のことながら、ご協力、感謝します」
軽く敬礼のポーズをしてから、下田警部はかぶりを振った。
「いやあ、私も最初に花畑から聞いたときは、唖然としましたよ。鹿間の奴は、
大げさなアリバイ作りをしたものですな。自宅とよく似た家をわざわざ借りる
とは、よくも思い付いたもんだ。よほど変わった思考経路の持ち主じゃないか」
「僕も思い付きましたよ」
地天馬はそう言って笑ってみせた。
「多分、鹿間は内山のマンションの近くに、自宅とよく似た造りの賃貸住宅が
できたのを知って、このアリバイ作りを思い付いたんじゃないかな」
「そう、それですよ。賃貸契約の裏を取って問い詰めたら奴さん、白状しまし
てね。そんなことを言っておりました。およそひと月前に知り、殺人計画を立
ててから、ぽんと金を払って借りた。殺しがうまく行った暁には、何だかんだ
と理由を考えて、契約解除するか、又貸しするつもりだったようです」
同僚三人は鹿間に、この偽の自宅へと案内されたが、初めての訪問だから気
付くはずがない。万が一、三人があとになって本物の自宅に来る機会があり、
周りの景色が違う等と言い出したとしても、その内の二人は事件当夜ほろ酔い。
言いくるめるのは簡単だ。残る一人、素面の証人さえを丸め込めれば、鹿間に
とって安全である。
「しかし、家を借りるばかりか、調度品もある程度揃えなきゃならないんだか
ら、相当な出費だなあ」
我ながら貧乏性の発想ではあるが、費用の掛かる犯罪であることは事実だ。
鹿間にとって内山は、それほどまでして殺したい相手だったのだろうか。
「鹿間の行動は、判明したんですか」
「ええ、ええ。ほぼ、地天馬さんが推測した通りだったと言っていいでしょう。
観念したら、奴も案外素直でしてね。まあ、指紋を残した上に、アリバイ工作
を崩されたんだから、当然と言えば当然です」
鹿間は事件前日の金曜日、仕事が終わってから仲間三人と合流し、会社近く
で食事を済ませると、鹿間の家(偽の自宅)に車で向かった。
会社から自宅と偽の家までの距離の差を考え、適当に遠回りしてから到着す
ると、鹿間は三人を先に通し、用意しておいた飲食物を振る舞った。この合間
にコンビニエンスストアでの買い物を前もって車に詰め込み、鹿間自身も家に
落ち着く。そして麻雀やゲームをしつつ、三人の意識を時刻に向かせるよう、
テレビ番組の開始を気にしたり、「この一時間、負けっ放しだ」などとぼやい
てみせたりしたという。
一時十分前を目安に、買い出しの話を持ち掛け、皆の了解を得て出て行く。
計画のために借りた家から内山のいるマンションまで、車で十分足らず。一時
五分には、内山の部屋の前に立っていた。
深夜の会合をいかにして内山に承知させたか気になるところであるが、今度
で最後にするからと下手に出て、約束を取り付けたとのことだった。
部屋に上がり込むと、もう何にも返さなくていい、ただし慰謝料は勘弁して
くれ等と会話をつなぎながら、相手の警戒心を解く。内山が隙を見せた瞬間、
花瓶で殴り付けて殺害。返り血は付かなかったらしい。
その後、台所で手を洗い、自らが触れた箇所を丁寧に拭き取ってから、部屋
を出たのだが、このとき電灯を消したのが失敗の端緒となった。眠る時刻なの
にいつまでも明かりが灯っていては不審に思われるだろうとの計算が働いたよ
うだが、指紋のことを完全に忘れてしまっていた。
雨の中、三人の同僚が待つ家に引き返し、さもたった今コンビニエンススト
アで買ってきたというふりをして、皆の前に袋を投げ出した。
三時過ぎまで麻雀を続けた後、一眠りをし、全員が目覚めたのは午前九時。
朝食を簡単に済ませると、ボーリング場兼ビリヤード場に車で繰り出した。も
うこの家には戻らないからと、三人に荷物を忘れないように何度も確認させた
のは言うまでもない。
鹿間は夕刻、三人を駅やアパートまで送り届けたあと、偽の自宅に立ち寄り、
麻雀やゲーム機器及びソフト、さらにはグラスやごみまで持ち出し、自宅まで
運んだという。後日、警察にアリバイを尋ねられた際に、証拠の一つにしよう
と考えてのことだった。
「鹿間自身、嘆いておりましたよ。自宅とマンションの距離を縮めるのではな
く、被害者との距離を縮める努力すればよかった、とね。今さら遅いって言う
んだ、全く」
下田警部が吐き捨てる。私はそのフレーズについ、笑いを誘われた。
「なるほど、それじゃ下田さんもですね。花畑刑事に養生に努めるようにと伝
えてください」
地天馬が言った。
「はあ。それはどういう意味で?」
「コンビを組む相手がいないと調子が出ないんじゃありませんか。早く復帰し
てもらわなくてはね」
そう言い放つと、地天馬は私の方をちらりと見た。
――終