#41/598 ●長編 *** コメント #40 ***
★タイトル (RAD ) 01/12/15 20:18 (181)
【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (12/17) 悠歩
★内容
全速力で階段を駆け降りた優一郎だったが、美鳥たちの方がロビー到着は早か
った。エレベータが上で停まっていたため、階段を使ったのは美鳥たちも同様の
はず。それなのに階下とはいえシャツのボタンも掛け切らない優一郎に対し、美
鳥は茶褐色の袖なしジャケットを、ファッション雑誌のモデルのごとく、きちっ
と着込んでいた。さらには息一つ切らしてはいない。驚くべき体力の持ち主であ
る。
しかし動揺の激しさは、激しく息を切らして到着した優一郎を出迎える表情か
ら充分に伺える。
「優一郎!」
「おう」
二、三歩と駆け寄る美鳥に短く応じた優一郎の視線は、別の人物へと移ってい
た。そこにはクリスマスを思わせる、目にも鮮やかな赤いコートを纏った少女が
いた。白い襟がさらに時期外れの聖夜を連想させる。秋口とは言ってもまだ熱帯
夜の最中には、少々暑苦しい格好に思える。
「音風ちゃんは残ったほうがいい。誰か部屋にいて、連絡係をしないと………」
「私、行きます」
睨みつけるような瞳が優一郎を捉える。あまりの迫力に、優一郎は半歩後ずさ
りしてしまった。
「けど………」
歳下の少女音風に気圧された優一郎は、助けを求め、美鳥を振り返る。
しかし。
「真月を探すのなら、音風もいたほうがいいから」
「えっ? あ、ああ」
音風の同行を認めた返事に、優一郎は一瞬戸惑う。それからふと、あの夜を思
い出した。
真月が田邊によって連れ去られた夜、半狂乱になった音風に美鳥は尋ねた。
『真月の場所は、分かる?』 と。
一卵性の双子は不思議な力で結ばれており、遠く離れていても互いの存在を感
じあう。そんな話を聞いたことがある。もちろん、歳の異なる音風と真月が双子
であろうはずはない。が、朧という特別な力を持つ一族の血で結びついた姉妹で
ある。充分にあり得るかも知れない。
いや、正確には義理の姉妹というべきか。美鳥以外の三人は分家から養子縁組
されて来たのだから。もしかすると、音風と真月は本当の姉妹なのではないだろ
うか。だがいまはそれを確認している時ではない。
田邊の一件の際、結局音風は真月の居場所を探し出せなかった。優一郎の考え
が正しいとしたなら、それは異形化した田邊の力の影響だとも考えられる。だと
すれば、今度もまた真月は異形の手に囚われてしまったのかも知れない。
いま優一郎の目に映る美鳥の顔色は酷く悪い。
美鳥も優一郎と同じことを考えているのか。いや、優一郎より朧に詳しい、朧
の中に在って生きてきた美鳥ならば強くそのことを感じているに違いない。
「感じる………」
呟くように、それでいて叫ぶような声に優一郎の、詮索の時間的余裕もない思
考は中断させられた。
「音風?」
声にいち早く反応したのは美鳥だった。一拍遅れて振り返ろうとした優一郎の
肩に軽くぶつかり、妹の元へ駆け寄る。
「音風!」
しかし音風は姉の到着をも待たず、駆け出していた。
優一郎の視界を真紅のコートが一瞬翻り、すぐに消えた。続けて美鳥の束ねた
髪が風になびき、過ぎ去っていく。
「あっ、おい」
慌てて優一郎も二人の後を追った。
これも朧の力なのだろうか。
体力には自信のあるほうだ。持久走も苦手ではない。運動部に籍を置くクラス
メイトと走っても引けをとりはしない。
だがその自信も大きく揺らいでいた。
優一郎は先を行く二人の少女に、遅れないよう走ることに汲々としていた。
「あいつ、美術部だなんて………うそだろ」
目の前で不規則に揺れるポニーテールの髪を見つめながら、切れ切れに呟く。
しかし見るからに体育会系の美鳥はともかく、華奢で病気がちだという音風ま
でもが優一郎の限界以上の走力を持続させていることには、驚愕させられるばか
りだった。
全速力にも近いペースで、既に十分は走っただろうか。これはオリンピックの
マラソンでも、オーバーペースではないだろうか。
あるいは優一郎の想像以上に、妹への思いが強いのかも知れない。兄弟もなく、
両親も失ってただ一人で暮らしていた優一郎には計り知れない。
ただ前を走る二人には遠く及ばないとしても、優一郎とて真月を心配する気持
ちに嘘はない。自分を慕い、懐いてくる歳下の従兄妹を可愛いと思う。真月が無
事であることを、強く願っている。
しかし美鳥からの電話を受けたときに比べ、優一郎の不安感は少し薄れていた。
音風が真月の存在を感じ取ったということを、良い意味に捉えていたからだ。
田邊と同格、あるいはそれ以上の異形が真月の側にいる訳ではない。だからこ
そ、音風は真月を感じとれたのだろう。事件・事故に巻き込まれた可能性はある。
が、少なくとも命を無くしてしまっているということはない。根拠は薄いが、そ
う思えた。万一誘拐犯の手に落ちていたとしても、美鳥や音風、そして【日龍】
の力を持つ自分が普通の人間に対し、遅れをとることはない。そう考えていた。
しかし優一郎はすぐに知る。
その考えが、あまりにも楽観的過ぎていたことを。
長年の間風雨に曝され、朽ち果て意味をなさなくなった塀を越えると海に出た。
元々は、周辺の工業団地のために整備された港だった。しかし近年の不況で利用
される機会は減り、昼間でも労働者より釣り人のほうが多いと噂されている。ま
して夜間ともなれば、人の姿どころか、灯りのある場所を見つけるのにも苦労し
た。
その中、貴重な街灯の下に車が停まっていた。ボディカラーの白が、周囲の闇
とのコントラストで浮き上がって見える。
「こ………ここに………」
真月ちゃんがいるのか。
二人からは二十秒近く遅れただろうか。美鳥たちの下に到着した優一郎は、息
も激しく、言葉を最後まで言い切ることが出来ない。
数刻の沈黙。二人が何も答えないのは、自分の言葉が聞き取れなかったからだ
ろう。そう思い、優一郎は再び声を発しようとして気がついた。呼吸の荒さが次
第に整って来るのに反し、鼓動は激しいままだということに。痛みを感じるほど
である。額には冷たい汗が浮かんでいた。
美鳥と音風も同様なのだ。先ほどまでの不安な表情が、酷く緊迫したものに変
わっている。
圧迫感。
具体的には形を示さない。抽象的な感覚、あるいは力を持った空気とでも言お
うか。そんな得体の知れないものに優一郎ら三人は気圧されていたのだ。
あの車の中に真月がいる。だが一人ではない。誰かと一緒に。
おそらく、いや確実に真月とともに在るのは異形の者。
「俺が行こう」
恐怖心はあった。しかし如何に特別な力を持ってはいても、美鳥と音風は女性
である。古めかしい考えだと言われるかも知れないが、そんな男としてのプライ
ドが優一郎を動かした。
二歩も進むと、美鳥と音風の姿が視界から消える。完全に優一郎が二人の前に
出たのだ。もともと実力的な根拠に欠けたプライドが動かした足である。二人の
姿を視界から失うことで、不安は増すかと思われた。が、意外にもこれから相対
そうかという敵への恐怖と不安は、わずかに和らいだような気がする。
背中に感じる仄かな暖かさ。それが優一郎に勇気を与えていた。
振り返らずとも分かる。
背後の美鳥と音風が意識を集中させ、必要とあれば即座に朧の力を放とうと身
構えていることが。
歩を進めながら、優一郎も意識の集中を試みる。異形と化した田邊に対峙した
ときのように。果たしてまた上手くいくのか? 根拠はなかったが、自信はあっ
た。
先刻の失敗した記憶は、脳裏から消えていた。
それでも前方の車から発せられる圧迫感は、圧倒的な膨大さを持っている。た
だ、田邊の時のような狂気は、さほど感じられない。それもまた、優一郎に歩を
進めさせる勇気を与えていた。
「優一郎さん!」
叱咤するような声が飛ぶ。音風の声である。
絶妙のタイミングだった。もし、音風の声がコンマ一秒でも遅れていたなら、
優一郎はその物体の攻撃を避けきれなかったであろう。
それは突然優一郎の前に出現した。いや、正しくは地中より、飛び出して来た
のだ。
長期に渡って放置されたままの港。使用されなくても、使用されないからこそ、
その傷みも激しい。荷を運ぶ大型車のために舗装された道路もその例外ではない。
風雨の仕業か、強い生命力を持った雑草の成せる業か、アスファルトの各所に出
来た亀裂。その一つに、物体は潜んでいた。
音風の声によって歩みを止めた優一郎の視界を、足元から弾き出された物体が
二つに裂く。しかし優一郎が己の危機を具体的に悟ったのは、弾き出された勢い
のまま落下し、無様に転がる物体の姿を確認してからであった。
「うわっ、なに………これ」
寸前までの緊張感を失ったような声は、美鳥のもの。それはおそらく優一郎よ
り遥かに奇異なものを見慣れたはずの美鳥さえ、驚愕を覚えさせる姿を冷たいア
スファルトの上に晒していた。
物体、そう称したのは間違いかも知れない。
「ぐへ、ぐぞ、ごんぎぐそっ、ぐぞっ」
意味不明な言葉を、耳障りな音声で発し、無様に地面を転げまわるそれは、生
き物らしい。何かの機械仕掛けで動いている可能性もあるが、だとしたらその創
造者のセンスを疑う。いや、どれほど尋常ならざる想像力を以ってしても、これ
ほど不気味で無意味なものは創れない。
提灯鮟鱇。(ちょうちんあんこう)
具体的にその姿を表現するのなら、それがもっとも適している。
顔。
アスファルトの上から、優一郎へ憎々しげな視線を投げかける男の顔があった。
飛び出した勢いのまま、路面で擦ったのだろう。その右半分に擦り傷が見られる
が、それ以外、際立った特長はもたない、ごく普通の中年男性の顔だった。
不気味だったのは、その男の顔が身体を持たないことであった。胃や心臓、そ
の他の内臓器官がどうなっているのか。顔だけで生命を当り前のように維持して
いる。
しかしそけだけであったら、世のオカルト作家にとって、さほど難しい発想で
はない。映画や小説、漫画やアニメーションの中にいくらでも存在していよう。
生きた生首をさらに恐ろしく、いや滑稽に見せているのは頭頂部から伸びた腕
であった。そのシルエットはまさしく提灯鮟鱇である。
十メートル足らず先に停まった車から発せられる圧迫感に比べれば、無様に地
を転げまわる鮟鱇の醜悪さなど、取るに足らない。大海に浮かべた木の葉にさえ
満たないものである。だがその生物の恐ろしさを超え、馬鹿馬鹿しく思えてしま
うデザインセンスは無視出来ないものがあった。優一郎は暫し、車中の強大な敵
を忘れ、矮小な生物に見入ってしまった。それは美鳥たちも同様であっただろう。
「うけっ、おんだ………おんだがいどぅだないが」
鮟鱇が黒板を爪で擦るよりもさらに不快な音声を上げる。声帯に不具合がある
のか、酷く不明瞭ですぐには言葉を理解出来ない。美鳥たちを指して「女」と言
ったのだと理解したのは、化け物が次の行動に起こしてからであった。
一見しただけでは、俊敏さどころかただ前に進むことすら困難と思われる体型
の化け物である。それ故、優一郎は油断し、忘れていた。ほんの数刻前、優一郎
が辛うじて交わしたほどの跳躍を、その化け物が見せていたことを。
のた打ち回っていた化け物の動きが止まる。と、突然そいつを提灯鮟鱇のよう
に見せていた頭頂部の腕がゆっくりと引き上げられた。
そこから後の行動は一秒にも満たない。
引き上げた腕を、一気に振り下ろす。そしてアスファルトを強く突いた。その
勢いのまま、鮟鱇の頭、すなわち全身が弾丸の如き勢いで宙へと飛ぶ。
油断していた優一郎は、鮟鱇の動きに大きく後れを取った。化け物の姿を見失
ってから、後方の美鳥たちへの危機を察して、振り返る。
が。