#7289/9229 ◇フレッシュボイス過去ログ
★タイトル (AZA ) 12/07/28 17:08 ( 76)
「底が丸見えの底なし沼」 永山
★内容
↑週刊ファイト編集長だった人がプロレスを表した言葉。
力道山対木村政彦>
これは美味しい話題(笑)。
昭和二十九年十二月二十二日に実現した当時、昭和の巌流島と呼ばれるほど
の、いわば世紀の一戦として扱われたみたいですね。
力道山は大相撲の関脇からプロレスラーに転身し、日本のプロレス界を牽引
するトップ。
木村は「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と称された柔道家で、
アマ柔道で十五年間無敗を記録した後プロ柔道の旗揚げに参加しここでも無敗、
しかし人気が下火になるとプロレスラーに転身。アメリカ大陸転戦の傍ら柔道
も指導し、ブラジルではエリオ・グレイシーとの真剣勝負に勝利。帰国後、プ
ロレスに本格参戦。力道山とタッグを組むときは主に負け役を務めることが多
かった。
さて、力道山対木村政彦に関して、様々な書籍やネット上に転がる話から、
最大公約数的にざっとまとめると……。
木村は「真剣勝負では力道山に負けることはない」とし、マスコミを通じて
真剣勝負を力道山に申し込む。が、裏ではちゃんとプロレスとしての話ができ
ていて、当初の約束では「複数回対戦し全国を回る」「初戦は引き分け」「二
戦目以降は勝ったり負けたり」あるいは「初戦は引き分け、二戦目は力道山勝
利」との念書を交わす段取りができていた。木村は妻の結核治療のため大金が
必要だったため、弱い立場だったということも言われています。
この念書、木村側は期日通りに力道山側に提出したが、力道山側は忘れたと
して提出せず(署名のないメモ程度の物を渡したとか)。とにかく、引分けの
約束があったというのは両者とも認めてる。
木村は約束を交わした安心感に加え、元々プロレスをなめていたところもあ
って、試合前日に深酒をし、当日は二日酔いに近い状態であったとも。
力道山が約束を破った理由、これにも諸説あります。
1.木村の蹴りが急所に入り、激高した力道山が本気でやり返した
2.木村の蹴りが急所に入り、力道山は「こいつ、約束を破る気か?」と恐ろ
しさのあまり、我を忘れて木村を打ちのめした。信頼がなかった
3.力道山に約束を守るつもりは端からなく、木村を倒して日本一の称号を得、
プロレス界を牛耳ろうと考えていた。急所蹴り云々は後付けの理由。
4.世紀の大一番として名勝負を演じるつもりだったが、木村があまりにもし
ょっぱいため、焦れた力道山は、木村をぼこぼこにした方が印象に残る試合
になると思い実行した(三本勝負だったのを一本目だけで終わらせた)
5.「木村の急所蹴りに力道山が激高して滅多打ち」まで全て台本通り。その
証拠に試合直後、力道山と木村は握手を交わしている
他にもあるかもしれませんが、代表的なのはこの五つ辺りかと。
引分けの約束があったのだから5はない。握手は、複数試合契約があるから
このあと星を返してもらえると木村は思っていた、と考えれば矛盾しない。
私感では、1はその程度のことで激高するようではプロレス界のトップに君
臨し、興行を手がけるなんて無理な気がする。そもそも、試合の映像を見ると、
急所に入ったとは思えない(でもまあ急所に入りそうになっただけでも怒った
り恐れたりすることはあり得るけど)。3だとするとやり方が荒っぽく、危な
っかしい。木村のバックにだって大きな勢力が付いていたそうだし。
結局、引分けの約束を結びながら、何か異変があったらやってやると考えて
いた力道山と、引分けの約束を結んだから大丈夫と、深酒をした木村との意識
の差が現れた試合、なんですかねー。
大宅壮一ノンフィクション賞を取った「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかっ
たのか」(増田俊也 新潮社)等によりますと、木村は敗北から五年後に、エ
リオ・グレイシーの元弟子と対戦するため、ブラジルに渡り、二勝一分けを記
録。国内では柔道家時代に携えていた短刀(柔道の試合で負ければこれで切腹
する心構えだった)で、力道山を殺そうと付け狙ったこともあったとか。だが、
力道山は暴力団員と些細なことで揉めて刺され、その手術のために急逝(死因
については諸説あります)。
木村はプロレス界への復讐のため、弟子の岩釣兼生を育て上げ、ジャイアン
ト馬場率いる全日本プロレスに“入団”を持ち掛ける。話はまとまりかけてい
たが、岩釣側は「デビュー戦で馬場と対戦して勝たせろ。さもなくば真剣勝負
を仕掛けて馬場を壊す」と要求。馬場が「もしもそんなことをしたら、うちの
若いもんが君を生きてリングから降ろさせないがそれでもいいのか」と問うと、
岩釣側の面々が「こちらにも血の気の多い者が揃っている。そっちこそ無事に
降りられんぞ」と言い返す有様。当然、入団話は決裂。
揉める前、岩釣は道場のリングに上がって若手プロレスラー何人かとスパー
リングを行ったそうで、岩釣は「軽く相手してやった」といい、若手レスラー
の一人だった渕正信は「柔道家は胴着なしの相手には弱い。引分けだった」と
いい、食い違いを見せています。
また、昭和五十年代に日本で闇の地下格闘技大会が開かれ、優勝したのが岩
釣兼生という話もあります。
こんな具合に、こぼれ話や後日譚も含めて、非情に興味深い、底が丸見えの
底なし沼を象徴するかのような試合と言えるんじゃないでしょうか。
ではでは。