長編 #2392の修正
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一遍房智真 魔退治遊行−一遍− 西方 狗梓:Q-Saku/Mode of Fantasy 文永十一年の春、智真は海を渡り高野山に向かった。此処には金剛峰寺という 寺がある。弘法大師・空海の開山であり王都、ありていに言えば歴代天皇個人を 魔から守護する寺だ。天皇個人が安泰であることが国家平安の前提とされたのだ。 女人禁制である。智真遍は超一と超二を麓に残し、一人で山を登った。古代仏教 である密教には、苦行こそが修行という苦行滅罪の思想があった。故に密教寺院 は、霊気漂う山奥に建立される。険しい山を登り智真は奥の院へと向かった。 「お待ちしておりました」一人の僧が門前に佇んでいた。 「私は伊予の智真と申します」 「存じ上げております。写愚様からお便りを頂いております」僧は穏やかに微笑 みながら門内に智真を導く。堂に入ると僧は櫃から汚く墨で汚れた、小さな板を 恭しく取り出した。南無阿弥陀仏の文字が逆に彫られている。名号の版木だ。 「弘法大師が彫られた貴い版木です。智真様にお渡しするよう承っております」 「こんな大切な物を本当に良いのですか」 「写愚様が仰せられるならば」 「写愚殿、いや写愚様は一体何者なのですか」 「ご存じないのですか? 東寺の長者をされていたのですが……」東寺は京にあ る真言密教の寺である。本山よりも権勢を誇っていた。東寺は国家、天皇家、貴 族のために真言密教の呪法を行う専門機関である。責任者である長者は、いはば 最大のマジシャンであった。 「何故、東寺の長者が伊予の寂れた寺に」智真は信じられなかった。 「いや、口が滑った。忘れて下さい。途中までお送り致します」僧は慌てて立ち 上がる。仕方なく一遍も後を付いていく。小さな堂を通り過ぎようとしたとき、 子供の、くぐもった喘ぎが聞こえた。何気なく智真は窓を覗き込み、驚いて立ち 止まった。稚児姿の少年が二人の僧侶に挟まれ、苦しげに悶えていた。 「お恥ずかしい所を」足早に小堂を離れようとしながら僧が口を開いた。 「あ、いや」一遍も言葉を濁した。 「……本当に美しい稚児でした」暫く歩いて、僧は呟くように言う。 「は?」 「厨子王という子でした。美しいばかりではなく心も清らかな子でした」僧は立 ち止まり語り始めた。写愚は厨子王を愛していた。イカガワシい関係ではない。 写愚は清く溌剌とした厨子王に、護法童子を重ね合わせていたのだ。厨子王は重 い病に冒された。写愚は得意の呪法で救おうとした。失敗する筈がなかった。し かし術は破れた。厨子王は一層の苦しみに悶えながら無惨に死んだ。邪念が呪法 を妨げたのだ。考えられぬ失態だった。写愚は、伊予に去った。 「そのようなことが……」 「写愚様ほどの術者が恩愛の情に敗れたのです。智真様も心して精進なされよ」 ● 一遍たち三人は紀伊国熊野社に向かった。参篭が目的だ。智真には、どうして も答を得たい問題があった。自分の奉ずる浄土の教えは本当に正しいのか。生活 に追われる民に仕事の手を休めさせ、何度も南無阿弥陀仏を唱えさせることが本 当に正しいことなのか。魔と闘いつつ、民を魔から守るために南無阿弥陀仏の名 号を広める智真には、今まで考える余裕がなかった。智真に必要なのは参篭所の ように、誰にも邪魔されず思考に集中できる静謐で安全な空間だった。 熊野本宮は官幣大社、家津御子神を祀る。この家津御子神は阿弥陀仏の日本に 於ける姿/垂迹とされている。新宮の薬師、那智社の観音を率い、熊野三山/神 社連合を統べる。日本第一の霊場とされていた。参道沿いに九十九の祠がある。 熊野の山に棲む神の子供達/童子神を祀っている。所謂、九十九王子である。 参道で旅の集団と擦れ違った。治安の良い近世では寺社参詣は観光/日常から の逸脱が主目的となるが中世では、より宗教的色彩が濃かったようだ。この集団 も一人の僧侶を伴い、教えを受けながら真剣な表情で歩を進めている。 「お待ち下さい」智真が声をかける。 「何か」僧侶が応じる。 「私は伊予の智真と申す者。名号の札を配って歩いております。どうか、お受け 取りを」 「出来ませぬ」僧侶は穏やかな声で答えた。 律宗僧侶は言葉を続けた。自分は念仏の教えに疑問をもっている。此処で受け 取れば、信じていないのに信じたフリをすることになる。仏教の重大な戒律、則 ち妄語誡に抵触する。そのようなことは決して出来ない。 智真には一言もなかった。確かに信心を起こさないまま札を受け取っても効力 は無いだろう。しかし引き下がるワケにもいかなかった。律僧が己の宗教的良心 に則り名号の札を受け取らないのは仕方がない。しかし、律僧の背後で固唾を呑 んで見守っている庶民たちには、どうしても渡さなければならない。一枚でも多 く札を配り魔を防ぐことが智真の勤めであり目的でもあるのだから。しかし、律 僧が受け取らねば彼らも受け取ることができないだろう。 「ご坊は仏教を信じておられるか」智真が問う。 「いかにも。ただし経典の論を信じるに留まり、力及ばず信心が起こらぬ」穏や かに律僧が答える。機先を制した言葉にグッと詰まる。律僧が言っていることは 智真自らも信じている正論だ。しかし。 「信じなくとも結構、お持ちなされ」力任せに札を押し付ける。律僧は驚き後ろ にヨロける。その手は心ならずも、名号の札を握っている。 「さあ、坊様も受け取りなさった。あなたたちも」智真が素早く人々に札を押 し付けていく。渡し終えた智真は驚きと当惑の視線を浴びながら、足早に立ち去 った。 夜になる。超一、超二は別室で眠っている筈だ。智真は独り参篭所・証誠殿に 入る。昼間、律僧に札を押し付けたのは過ちではなかったか。己の目的のために 彼の良心を踏みにじったのではないか。疑問が次々と湧き、智真を責め苛んだ。 曼陀羅を心の裡に描く。極彩色の幾何学模様の中に、それぞれ違った姿の仏が 居並ぶ。曼陀羅は、真理を表象しているといわれる。これを観想/思い浮かべる ことにより、悟りに近付く。智真にとって見慣れた図象が浮かんでくる。 毘盧遮那仏の周囲を西に当たる上方から阿弥陀、右に不空、下にアシュク、左 に宝生の四如来が座す。仏の教えは、現代人には解り易い。最重要の仏/本尊は 高い次元の知識/真理。宇宙の法則そのものと言える。他の仏は本尊の部分的表 現、特定の局面に於ける本尊の姿である。立体の任意の断面は、正方形にもなり、 菱形にもなり、四辺形、その他様々なの図形になる。そして、曼陀羅の諸仏の位 置には深い理由がある。 諸仏が本尊の毘盧遮那仏を中心にユックリと回転を始める。智真は怪しんだ。 このようなことは初めてだった。諸仏は徐々に速度を上げ、姿がぶれ、一つの輪 になっていく。智真の意識が朦朧としてくる。毘盧遮那仏が、ニヤリと笑った、 ように見えた。智真は、眠りに落ちていった。 トンタタトンタ、トンタタトンタ。小太鼓のトロトロとしたリズムと共に、ざ わめきが聞こえる。目を遣ると、百ばかりの小法師が罵り合いながら智真に近付 いてきていた。身長は五寸ほど、人間とすれば十歳から十二、三歳の容姿。皆、 白い紙衣を纏い手に手に四寸ばかりの杖を持っている。殆どが剃髪した僧形だが、 尼姿の少女も混じっている。足を踏みならし、杖を打ち振り、踊り狂い阿弥陀仏 の陀羅尼/呪文を喚きながら近付いてくる。なむもあらたんなぅたらやーやなむ まくあーりやーみたーばーやたたーぎゃたーやー……。反射的に智真は破魔の太 刀に手を伸ばす。あらかていさんみゃくさんぼだーやたぢゃたー……。甲高い童 子たちの声が大きくなってくる。無表情に、かといって冷静ではなく、何者かに 憑かれたような思い詰めた無表情が近付いてくる。おんあみりていあみりとぅど ばべい……。智真は身を固め太刀の柄に手を掛ける。あみりたさんばべいあみり たぎゃらべい……。侏儒の童子たちは円となって智真を取り囲む。踊り狂い、呪 文を唱えながら。あみりたしつでいあみりたていぜい……。智真は抜き撃ちに切 りかかろうとする、その時、巨大な老山伏が忽然と現れた。童子たちが一斉に平 伏する。ハッと向き直る智真。 「答を教えてやろう」 「答? 熊野権現にあらせらるるか」 「呼び名は如何でも良い。答を教えてやろう」 「は、はい」 「名号の札を与え続けよ。信じる者にも信じない者にも。そして念仏は一遍で良 い。いや一度も唱えなくても良いが、それでは納得せぬ。じゃから一遍だけ唱 えさせよ」 「な、何故、何故でございますか」 「解らぬか」老山伏は言葉を続ける。 「智真よ。魔から人を救うのは誰じゃ。お前ではなかろう。阿弥陀仏じゃ。阿弥 陀仏は一切衆生を往生に導き救うことを誓った。阿弥陀の教えを信じようと信 じまいと、念仏を唱えようと唱えまいと、人々が救われることは既に定まった コトなのじゃ。人の心なぞとは関係がない」 「関係がない……」 「そうじゃ。救われたくなくとも、救われるのじゃ」 「救われたくない? そんな……。皆、救われたいのです」智真が叫ぶ。 「そぉかのぉ」 「そうだっ、抑も救われるとは? 権現、お教え下さい。救われるとはっ」 「往生するコトじゃ」山伏の頬がニヤリと歪んだ、ように見えたのも束の間、姿 は忽然と消える。驚き見回すと平伏していた童子たちも次々に消えていく。 「往生とは、救われるとは、何ですか、何なのですかっ、権現、権現っ」 「お告げはありましたか」証誠殿から出た智真に超一が話しかけてくる。 「あ、ああ」力無く答える智真。 「妾にも、お告げがございました」 「な、何と?」驚き超一を見つめる智真。 「智真様は以後、一遍と名乗るようにとの、お告げでございました」 「一遍? 一遍……」智真/一遍がボンヤリと復唱する。 (つづく)
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